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第4章
第32話 リナーリア、筋肉を語る
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今日の昼食は、スピネルの妹君であるカーネリア様やそのご友人たちと一緒だ。
彼女とは別々のクラスになってしまっていたが、学院入学後も仲良くお付き合いをさせてもらっている。私は入学早々にクラスでちょっと浮いてしまったのでとても有難い。
ビュッフェのメニューには好物のフラメンカエッグもあって、私は上機嫌だった。
周囲のご令嬢たちと和やかに会話をする。昔に比べると私もご令嬢たちとの会話が上手くなったなあ…。
ちなみに殿下とスピネルはそれぞれ別の男子生徒達と昼食を取っているようだ。
最近二人は学院内で別行動を取っている所をよく見かける。
殿下は無骨な男子、スピネルは少々騒がしい男子とよく話しているようだ。
スピネル曰く「四六時中一緒にいたら殿下だって気が詰まるだろ」との事で、前世で基本的にいつも一緒にいた私は大変ショックを受けた。
もしかして殿下もちょっと鬱陶しかったりしたんだろうか…いや、殿下に限ってそんな…。
激しく落ち込みそうだったので深く考えるのはやめた。
「…もう少しで定期テストですわね。少々気鬱です。私、数学が苦手なんですの」
「分かるわ、私も数学は苦手だもの」
ため息をついた一人のご令嬢に、カーネリア様が同意する。
「そう言えば、スピネルお兄様に聞いたわ。リナーリア様はとてもお勉強ができるって。よろしければ、今度お勉強を教えていただけないかしら」
「あら…」
スピネルが私を褒めたりしたのか。珍しいこともあるものだ。
「お役に立てるかは分かりませんが、私で良ければ喜んで」
そう答えると、カーネリア様は嬉しそうに「やったあ!」と笑った。
「まあ、それならば私もぜひ教えていただきたいですわ」
「私もぜひに」
他の令嬢達も次々にそう言い出し、私はおっとりと微笑む。
「では、今度集まってお勉強会をいたしましょうか。皆で寄り合えば、きっと捗ることでしょう」
「それは素敵ね!」
「私、お菓子を持っていきますわ」
きゃっきゃと話が弾む。こういうのはいいな。連帯感が生まれる感じだ。
「…あら。リナーリア様は、エスメラルド殿下とお勉強をなさらなくてよろしいのかしら?」
突然棘のある甲高い声が響き、私は後ろを振り返った。
薔薇色の巻毛をしたいかにも気の強そうな風情のご令嬢がそこに立っている。
カーネリア様と同じクラスのシルヴィン様だ。
私はどう答えて良いものか分からず、曖昧に微笑んだ。
以前からこのシルヴィン様はお茶会などで度々私に絡んできては、殿下との仲についてしつこく尋ねてくるので少々苦手だったりする。
「どうして殿下のお名前が出てくるのかしら?」
横から割って入ったのはカーネリア様だ。
シルヴィン様はカーネリア様に対してはあまり強く出ないので、一緒にいる時はよくこうして庇ってくれる。
「だ…だって、リナーリア様はいつも王子殿下と親しげじゃありませんの」
「そうね、リナーリア様は殿下ともお兄様とも親しいわね。でも、私達とも親しいのよ」
「……」
シルヴィン様が唇を噛む。我慢しているが悔しそうなのが丸わかりだ。
迷惑ではあるが、この嘘がつけなくて腹芸ができなさそうな感じが個人的には嫌いではないんだけどな…。
カーネリア様も、困ってはいるが嫌ってはいない感じだ。
私としては殿下に紹介してあげたい気持ちもあるのだが、スピネルから「そういうのは絶対にやめろ」ときつく言われているのでできない。
「そうだわ、お勉強会にはスピネルお兄様もお呼びしましょうか。お兄様もテスト勉強には苦労しているみたいだし。どうかしら、リナーリア様」
「え?…ええ、よろしいのではないでしょうか」
カーネリア様の突然の提案に私は内心首を傾げつつ微笑んだ。
別に構わないが、どうして急にそんな話になるのだろう。
「うふふ、リナーリア様と一緒ならきっとお兄様も喜ぶわ!」
にっこりと笑うカーネリア様。
それを聞いて急に慌てだしたのはシルヴィン様だ。なぜ私を睨む?
「あ、貴女、まさか…本当にスピネル様とお付き合いをなさっているの…?」
思い切った様子のシルヴィン様に問いかけられ、私は笑みが引きつりそうになるのを必死でこらえた。
数ある誤解の中でも一番言われたくないやつだ。
「いいえ。どうしてそのような事を」
「だって貴女、いつもスピネル様のことを呼び捨てにしているし」
「それは友人として親しくしているからです」
「舞踏会デビューの時も、スピネル様と踊っていたではありませんの」
もうそろそろ皆忘れている頃だろうに、その話を掘り返すのは勘弁して欲しい。
「あれは、私がファーストダンスで失敗するのではないかと心配して気を遣って下さったんです。スピネルは私のダンスがとても下手な事を知っていましたから」
「知っているって…まさか、舞踏会の前にもスピネル様と踊った事があるの?」
えっ、そこに食いつくんですか。
「ええまあ、一応…」
その件についてはあまり話したくないので微笑んで誤魔化す。
だが、シルヴィン様は物凄くショックを受けたような顔で黙ってしまった。
何故そうも落ち込むのかと思い、私はそこでぴーんと閃いた。
…もしかしてこの方、スピネルの事が好きなのでは?
だとすれば、今までの彼女の言動にも納得がいく。
殿下との仲をしつこく尋ねてきたのも、私が殿下を好きだという言質を取りたかったからなのだろう。
なら、このよく分からない会話をどういう方向に持っていけば良いのかの答えは簡単だ。
「シルヴィン様は私がスピネルと踊ったことを気になさっていますが、本当に彼とは何でもないんですよ。先程は私がダンスが下手だからと言いましたけど、実はもう一つ理由があるんです」
「えっ?」
「私は本当は、憧れの殿方がいるんです。でも私はその方とはとても踊ることができないので、スピネルが代わりに踊って下さったんですよ」
そう言った途端、ガタガタっ!という音が響いた。
誰かが椅子を蹴って立ち上がりかけたような音だ。しかも複数。
思わず辺りを見回すが、皆素知らぬ顔をしている。…これ絶対、皆聞き耳を立てているな…。
話を聞かれている事に少し恥ずかしくなるが、この際だから都合がいいと考えるべきだろう。この件について私の印象を変えるチャンスだ。
「あの、リナーリア様…そんな事をおっしゃっていいの…?」
困惑した様子でカーネリア様が尋ねてくる。私は恥ずかしそうな表情を作り、少しうつむいた。
「はい。どうせ私とはご縁のない方ですので。…実はその方は、ブーランジェの…」
ガタっ!とまた椅子の音が聞こえる。おい誰だよ。
「えっ、うちのお兄様!?レグランドお兄様かしら、それともバナジンお兄様?やだ、言ってくれたらいつでも紹介したのに!」
カーネリア様が目を輝かせるが、私は小さく首を振る。
「いえ、ブーランジェ公爵様です」
「……。お父様?」
「はい!剛刃将軍と謳われたアルマディン・ブーランジェ閣下です!」
私は両手を合わせ、にっこりと笑う。
カーネリア様とシルヴィン様が揃ってぽかーんとした。
「その生き様はまさに質実剛健、厳しくもお優しい騎士の鑑とも言うべき立派なお方。お目にかかったことはほんの数度しかありませんが、武勇伝はいくつも聞き及んでおります。とても憧れています」
私はできる限り熱意を込めて言う。
相手は公爵、しかも既婚者かつ友人の父親だ。殿下やスピネルとは違い、どう間違っても私と関係など生まれようがないと誰でも一目で分かる。
誤解を受ける心配がない憧れの相手として、まさに完璧なチョイスだ。
父親に代わって息子に踊ってもらったというのも、いかにもそれっぽくロマンチックに聞こえるだろう。多分。スピネルと公爵は全く似てないんだが。
それに、私が公爵に憧れているというのは事実だ。もちろん恋愛感情的な意味ではないが。
ブーランジェ公爵は謹厳実直を絵に描いたような人で、一人の人間として、公爵として、とても尊敬できる人物なのだ。
騎士でありながら、魔術師に対してきちんと敬意を払ってくれる所も素晴らしい。
「あの逞しい体躯も素敵です。特にあの、服の上からでも分かる上腕二頭筋…数十頭の魔獣の群れに襲われた際、なんと素手で魔獣の頭を引き千切って倒されたとか!素晴らしい膂力です」
「そ、そうね…?」
カーネリア様がこくこくとうなずく。
「それに、僧帽筋もたいそう立派でいらっしゃいます。狼型の中型魔獣と戦った際、頭部に一撃を食らいながらもその筋肉で耐え切り、一刀をもって魔獣を両断したと聞いております。普通の騎士にはとてもできることではありません」
「え、ええ」
「あ、もちろん、上半身だけではなく体幹を支える下半身の筋肉もとても優れていらっしゃいます!特に腓腹筋が素晴らしいですね。かの剛力は、鍛え上げられた足腰から生まれるものなのでしょう」
「…ええと、筋肉…お詳しいのね…?」
「はい」
カーネリア様に問われ、私はうなずいた。
人体の構造、特に筋肉についてはしっかり勉強している。身体強化の魔術を使う際、その知識があった方がより高い効果を出しやすいからだ。
女性は何だかんだと男性の外見を気にするものなので、内面だけではなく外見も褒めた方が信憑性が高まると思ったのだが…おかしい、どうも微妙な反応をされているような気がする。
何か間違っただろうか…?
「そうだったのね…リナーリア様はブーランジェ公爵を…」
シルヴィン様は呆然と呟いている。良かった、ちゃんと信じてくれたらしい。
「ごめんなさい、知らずにおかしな事を訊いてしまって」
しかもちゃんと謝ってくれた。やっぱりこのご令嬢、根は素直な人なのだ。
作戦が上手く行った事に安心する。
「いいえ。分かっていただけて嬉しいです」
戸惑い顔で様子を見守っていたカーネリア様や他のご令嬢も、シルヴィン様が矛を収めたことにとりあえずほっとしているようだ。
そこで予鈴の音が聞こえてきた。話し込んでいるうちに時間が経ってしまったようだ。
周囲の生徒たちが次々に席を立ち食堂から出ていく。私たちも午後の授業が始まる前に戻らなければ。
去っていったシルヴィン様を見送りながら、私はこっそりとカーネリア様に耳打ちする。
「カーネリア様、私気付いてしまいました。シルヴィン様、きっとスピネルの事が好きなんですよ」
それを聞いたカーネリア様は私の顔を凝視する。
「まさか、今まで気付いてなかったの…?」
…その表情、スピネルにとてもそっくりですね。
後日、勉強会は無事に開催された。
参加者にはシルヴィン様もいた。どうやらカーネリア様が誘ったらしい。
スピネルは来なかったのだが、シルヴィン様とはだいぶ打ち解けられてほっとした。
シルヴィン様は私がスピネルとも殿下ともそういう関係ではないと理解した事で、今までの自分の行動をずいぶん反省したらしい。
チラチラとこちらを見つつ申し訳なさそうにしているので、彼女が苦手だという政治経済学について丁寧に教えたところ非常に感激された。
こういう素直で表裏のない人物が私は好きなのだ。できれば仲良くしていきたい。
そこまでは良かったのだが、生徒の間で私は筋肉好きだという噂が流れているとカーネリア様から聞いた。
…何故?
さらに、男子生徒の間では筋力トレーニングが流行り出しているらしい。
私の話を聞いて筋肉はモテると思ったのだろうか。
それで女性受けするかどうかの責任は私には持てないが、鍛えるのは良い事なので頑張ってほしい。
彼女とは別々のクラスになってしまっていたが、学院入学後も仲良くお付き合いをさせてもらっている。私は入学早々にクラスでちょっと浮いてしまったのでとても有難い。
ビュッフェのメニューには好物のフラメンカエッグもあって、私は上機嫌だった。
周囲のご令嬢たちと和やかに会話をする。昔に比べると私もご令嬢たちとの会話が上手くなったなあ…。
ちなみに殿下とスピネルはそれぞれ別の男子生徒達と昼食を取っているようだ。
最近二人は学院内で別行動を取っている所をよく見かける。
殿下は無骨な男子、スピネルは少々騒がしい男子とよく話しているようだ。
スピネル曰く「四六時中一緒にいたら殿下だって気が詰まるだろ」との事で、前世で基本的にいつも一緒にいた私は大変ショックを受けた。
もしかして殿下もちょっと鬱陶しかったりしたんだろうか…いや、殿下に限ってそんな…。
激しく落ち込みそうだったので深く考えるのはやめた。
「…もう少しで定期テストですわね。少々気鬱です。私、数学が苦手なんですの」
「分かるわ、私も数学は苦手だもの」
ため息をついた一人のご令嬢に、カーネリア様が同意する。
「そう言えば、スピネルお兄様に聞いたわ。リナーリア様はとてもお勉強ができるって。よろしければ、今度お勉強を教えていただけないかしら」
「あら…」
スピネルが私を褒めたりしたのか。珍しいこともあるものだ。
「お役に立てるかは分かりませんが、私で良ければ喜んで」
そう答えると、カーネリア様は嬉しそうに「やったあ!」と笑った。
「まあ、それならば私もぜひ教えていただきたいですわ」
「私もぜひに」
他の令嬢達も次々にそう言い出し、私はおっとりと微笑む。
「では、今度集まってお勉強会をいたしましょうか。皆で寄り合えば、きっと捗ることでしょう」
「それは素敵ね!」
「私、お菓子を持っていきますわ」
きゃっきゃと話が弾む。こういうのはいいな。連帯感が生まれる感じだ。
「…あら。リナーリア様は、エスメラルド殿下とお勉強をなさらなくてよろしいのかしら?」
突然棘のある甲高い声が響き、私は後ろを振り返った。
薔薇色の巻毛をしたいかにも気の強そうな風情のご令嬢がそこに立っている。
カーネリア様と同じクラスのシルヴィン様だ。
私はどう答えて良いものか分からず、曖昧に微笑んだ。
以前からこのシルヴィン様はお茶会などで度々私に絡んできては、殿下との仲についてしつこく尋ねてくるので少々苦手だったりする。
「どうして殿下のお名前が出てくるのかしら?」
横から割って入ったのはカーネリア様だ。
シルヴィン様はカーネリア様に対してはあまり強く出ないので、一緒にいる時はよくこうして庇ってくれる。
「だ…だって、リナーリア様はいつも王子殿下と親しげじゃありませんの」
「そうね、リナーリア様は殿下ともお兄様とも親しいわね。でも、私達とも親しいのよ」
「……」
シルヴィン様が唇を噛む。我慢しているが悔しそうなのが丸わかりだ。
迷惑ではあるが、この嘘がつけなくて腹芸ができなさそうな感じが個人的には嫌いではないんだけどな…。
カーネリア様も、困ってはいるが嫌ってはいない感じだ。
私としては殿下に紹介してあげたい気持ちもあるのだが、スピネルから「そういうのは絶対にやめろ」ときつく言われているのでできない。
「そうだわ、お勉強会にはスピネルお兄様もお呼びしましょうか。お兄様もテスト勉強には苦労しているみたいだし。どうかしら、リナーリア様」
「え?…ええ、よろしいのではないでしょうか」
カーネリア様の突然の提案に私は内心首を傾げつつ微笑んだ。
別に構わないが、どうして急にそんな話になるのだろう。
「うふふ、リナーリア様と一緒ならきっとお兄様も喜ぶわ!」
にっこりと笑うカーネリア様。
それを聞いて急に慌てだしたのはシルヴィン様だ。なぜ私を睨む?
「あ、貴女、まさか…本当にスピネル様とお付き合いをなさっているの…?」
思い切った様子のシルヴィン様に問いかけられ、私は笑みが引きつりそうになるのを必死でこらえた。
数ある誤解の中でも一番言われたくないやつだ。
「いいえ。どうしてそのような事を」
「だって貴女、いつもスピネル様のことを呼び捨てにしているし」
「それは友人として親しくしているからです」
「舞踏会デビューの時も、スピネル様と踊っていたではありませんの」
もうそろそろ皆忘れている頃だろうに、その話を掘り返すのは勘弁して欲しい。
「あれは、私がファーストダンスで失敗するのではないかと心配して気を遣って下さったんです。スピネルは私のダンスがとても下手な事を知っていましたから」
「知っているって…まさか、舞踏会の前にもスピネル様と踊った事があるの?」
えっ、そこに食いつくんですか。
「ええまあ、一応…」
その件についてはあまり話したくないので微笑んで誤魔化す。
だが、シルヴィン様は物凄くショックを受けたような顔で黙ってしまった。
何故そうも落ち込むのかと思い、私はそこでぴーんと閃いた。
…もしかしてこの方、スピネルの事が好きなのでは?
だとすれば、今までの彼女の言動にも納得がいく。
殿下との仲をしつこく尋ねてきたのも、私が殿下を好きだという言質を取りたかったからなのだろう。
なら、このよく分からない会話をどういう方向に持っていけば良いのかの答えは簡単だ。
「シルヴィン様は私がスピネルと踊ったことを気になさっていますが、本当に彼とは何でもないんですよ。先程は私がダンスが下手だからと言いましたけど、実はもう一つ理由があるんです」
「えっ?」
「私は本当は、憧れの殿方がいるんです。でも私はその方とはとても踊ることができないので、スピネルが代わりに踊って下さったんですよ」
そう言った途端、ガタガタっ!という音が響いた。
誰かが椅子を蹴って立ち上がりかけたような音だ。しかも複数。
思わず辺りを見回すが、皆素知らぬ顔をしている。…これ絶対、皆聞き耳を立てているな…。
話を聞かれている事に少し恥ずかしくなるが、この際だから都合がいいと考えるべきだろう。この件について私の印象を変えるチャンスだ。
「あの、リナーリア様…そんな事をおっしゃっていいの…?」
困惑した様子でカーネリア様が尋ねてくる。私は恥ずかしそうな表情を作り、少しうつむいた。
「はい。どうせ私とはご縁のない方ですので。…実はその方は、ブーランジェの…」
ガタっ!とまた椅子の音が聞こえる。おい誰だよ。
「えっ、うちのお兄様!?レグランドお兄様かしら、それともバナジンお兄様?やだ、言ってくれたらいつでも紹介したのに!」
カーネリア様が目を輝かせるが、私は小さく首を振る。
「いえ、ブーランジェ公爵様です」
「……。お父様?」
「はい!剛刃将軍と謳われたアルマディン・ブーランジェ閣下です!」
私は両手を合わせ、にっこりと笑う。
カーネリア様とシルヴィン様が揃ってぽかーんとした。
「その生き様はまさに質実剛健、厳しくもお優しい騎士の鑑とも言うべき立派なお方。お目にかかったことはほんの数度しかありませんが、武勇伝はいくつも聞き及んでおります。とても憧れています」
私はできる限り熱意を込めて言う。
相手は公爵、しかも既婚者かつ友人の父親だ。殿下やスピネルとは違い、どう間違っても私と関係など生まれようがないと誰でも一目で分かる。
誤解を受ける心配がない憧れの相手として、まさに完璧なチョイスだ。
父親に代わって息子に踊ってもらったというのも、いかにもそれっぽくロマンチックに聞こえるだろう。多分。スピネルと公爵は全く似てないんだが。
それに、私が公爵に憧れているというのは事実だ。もちろん恋愛感情的な意味ではないが。
ブーランジェ公爵は謹厳実直を絵に描いたような人で、一人の人間として、公爵として、とても尊敬できる人物なのだ。
騎士でありながら、魔術師に対してきちんと敬意を払ってくれる所も素晴らしい。
「あの逞しい体躯も素敵です。特にあの、服の上からでも分かる上腕二頭筋…数十頭の魔獣の群れに襲われた際、なんと素手で魔獣の頭を引き千切って倒されたとか!素晴らしい膂力です」
「そ、そうね…?」
カーネリア様がこくこくとうなずく。
「それに、僧帽筋もたいそう立派でいらっしゃいます。狼型の中型魔獣と戦った際、頭部に一撃を食らいながらもその筋肉で耐え切り、一刀をもって魔獣を両断したと聞いております。普通の騎士にはとてもできることではありません」
「え、ええ」
「あ、もちろん、上半身だけではなく体幹を支える下半身の筋肉もとても優れていらっしゃいます!特に腓腹筋が素晴らしいですね。かの剛力は、鍛え上げられた足腰から生まれるものなのでしょう」
「…ええと、筋肉…お詳しいのね…?」
「はい」
カーネリア様に問われ、私はうなずいた。
人体の構造、特に筋肉についてはしっかり勉強している。身体強化の魔術を使う際、その知識があった方がより高い効果を出しやすいからだ。
女性は何だかんだと男性の外見を気にするものなので、内面だけではなく外見も褒めた方が信憑性が高まると思ったのだが…おかしい、どうも微妙な反応をされているような気がする。
何か間違っただろうか…?
「そうだったのね…リナーリア様はブーランジェ公爵を…」
シルヴィン様は呆然と呟いている。良かった、ちゃんと信じてくれたらしい。
「ごめんなさい、知らずにおかしな事を訊いてしまって」
しかもちゃんと謝ってくれた。やっぱりこのご令嬢、根は素直な人なのだ。
作戦が上手く行った事に安心する。
「いいえ。分かっていただけて嬉しいです」
戸惑い顔で様子を見守っていたカーネリア様や他のご令嬢も、シルヴィン様が矛を収めたことにとりあえずほっとしているようだ。
そこで予鈴の音が聞こえてきた。話し込んでいるうちに時間が経ってしまったようだ。
周囲の生徒たちが次々に席を立ち食堂から出ていく。私たちも午後の授業が始まる前に戻らなければ。
去っていったシルヴィン様を見送りながら、私はこっそりとカーネリア様に耳打ちする。
「カーネリア様、私気付いてしまいました。シルヴィン様、きっとスピネルの事が好きなんですよ」
それを聞いたカーネリア様は私の顔を凝視する。
「まさか、今まで気付いてなかったの…?」
…その表情、スピネルにとてもそっくりですね。
後日、勉強会は無事に開催された。
参加者にはシルヴィン様もいた。どうやらカーネリア様が誘ったらしい。
スピネルは来なかったのだが、シルヴィン様とはだいぶ打ち解けられてほっとした。
シルヴィン様は私がスピネルとも殿下ともそういう関係ではないと理解した事で、今までの自分の行動をずいぶん反省したらしい。
チラチラとこちらを見つつ申し訳なさそうにしているので、彼女が苦手だという政治経済学について丁寧に教えたところ非常に感激された。
こういう素直で表裏のない人物が私は好きなのだ。できれば仲良くしていきたい。
そこまでは良かったのだが、生徒の間で私は筋肉好きだという噂が流れているとカーネリア様から聞いた。
…何故?
さらに、男子生徒の間では筋力トレーニングが流行り出しているらしい。
私の話を聞いて筋肉はモテると思ったのだろうか。
それで女性受けするかどうかの責任は私には持てないが、鍛えるのは良い事なので頑張ってほしい。
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