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第3章
挿話・8 青い薔薇
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「…殿下への罰ゲーム、ですか?」
「そうだ。この前、賭けをしただろう」
エスメラルドとスピネルと二人でリナーリアに問題を出し、間違えたらリナーリアが罰ゲーム。
全問正解だったらエスメラルドとスピネルが罰ゲームという賭けだ。
「何でも言うことを聞くという約束だ。スピネルは説教をやめる代わりに罰ゲームはなしになったが、俺はまだ何もしていない」
「そう言えばそうでしたね。うーん…でも殿下に罰ゲームというのは…」
「何かして欲しい事はないのか?」
「特にないですね」
「…そうか…」
あっさりとないと言い切られ少し落ち込んだエスメラルドに、スピネルがフォローを入れる。
「全くないって事はないだろ。あんまり無茶言わなけりゃ何でも良いんだぞ」
「ま、待って下さい、今考えます。ええと…」
リナーリアは目を閉じて首を捻り、しばらく考え込む。
そして、ぱっと顔を上げて言った。
「そうだ!裏庭の薔薇園、また連れて行って下さいませんか?」
裏庭の薔薇園と言えば、彼女が初めて城を訪れた時に3人で一緒に歩いた場所だ。
スピネルが妙ににやにやした顔になる。
「ほう、お前にしてはずいぶんまともなお願いだな。良いじゃないか」
「どういう意味ですか」
「てっきりもっと突飛な事を言い出すと思った」
「言ってくれますね。私、薔薇は好きなんですよ」
「そうだったのか」
彼女は植物全般に興味を示すので、特に薔薇が好きとは知らなかった。
覚えておこう、とエスメラルドは思う。
「でも、もう何度も足を運んでいるだろう?本当にそれでいいのか?」
「はい。少し気になっていることがあって…よろしければ、ぜひ」
「分かった。案内しよう」
「お時間のある時で構いませんので。よろしくお願いします」
それから2週間ほど後、エスメラルドはリナーリアを城の薔薇園へと招いた。
今日はスピネルは実家の用事があるとかで不在だ。城内なので護衛も必要なく、珍しくリナーリアとエスメラルドの二人きりである。
薔薇園は今、早咲きの薔薇が咲いている。長い期間花が楽しめるよう、この薔薇園は咲く時期をずらした薔薇がたくさん植えられているのだ。
リナーリアはニコニコとしながら薔薇を眺めつつ歩いていた。
心なしかいつもより足取りが軽いようで、柔らかそうな青みがかった銀の髪がさらさらと揺れている。
そんな彼女に、エスメラルドもまた微笑ましい気持ちになった。
やがてリナーリアは薔薇園の隅の一角で足を止め、そこに咲いている薔薇をまじまじと見つめた。
ごく淡い青のような、薄紫のような、少し変わった色合いの大輪の薔薇だ。
「あの、殿下…実はお願いがあるのですが」
リナーリアがおずおずと口を開く。
「なんだ?」
「この薔薇園を管理している庭師に、会わせていただけませんか?」
その申し出は予想外のものだったが、特に断る理由もない。
エスメラルドは「分かった」と言うと、リナーリアと共に近くの管理棟へと向かった。
温室が併設された、この小屋へと入るのは初めてだ。中には庭師らしき男がいて、王子が入ってきた事にとても驚いた様子だった。
「薔薇園の管理を担当している者はいるか?」
「は、はい!…ボラックスさん!ちょっと来て下さい!」
庭師が声を上げると、ややあってから奥の扉が開いた。
眠たそうな目をした、背の低い壮年の男が出てくる。
「一体何……お、王子殿下!?」
ボラックスと呼ばれた男はぎょっとして目を見開いた。
「仕事中にすまない。…こちらは俺の友人のリナーリアだ。ここの薔薇に興味があるらしい。少し話を聞かせてもらえないか」
「初めまして、リナーリア・ジャローシスと申します」
ボラックスは状況が理解できないらしく、目を白黒させている。
王子や貴族令嬢がこのような場所を訪れる事など、普通はないからだろう。
「あの、あそこの…東端にあった薄青の薔薇。あれは、魔術で遺伝子操作を試みている薔薇ではありませんか?」
「…そ、そうだが。何故それを」
「やっぱりそうですよね!あの色は通常の自然交配では出ないものです。それに僅かですが構成の残滓が見えました。できるだけ自然の形のままで、色だけに干渉しようとしているのではないかと…。魔術を使用したのは貴方ですよね」
「…ああ。そうだ」
「とても素晴らしい技術です…!良かったらもう少しお話をお聞かせ願えませんか」
それから彼女はボラックスという庭師と話し込み始めた。
ベースになった薔薇の品種やら色の出し方やら、かなり専門的な話のようだ。
呆気に取られて見ていると、はっと気が付いたようにリナーリアがこちらを振り向いた。
「す、すみません殿下!ご案内、本当に有難うございました。私はもう少しここにいるので、殿下はお帰りいただいても大丈夫です」
「いや、構わない。今日は特に予定はない。近くで適当に時間を潰しているから、好きなだけ話をするといい」
「でも…」
「気にするな。ここの近くには池もあるしな」
暗にカエルを見ているから大丈夫だと言うと、リナーリアはやっと納得したようだ。
「わかりました」
「ああ、お嬢さん、良かったらそこに座ってくれ。今、お茶を持ってこさせますから」
「ありがとうございます。お気遣いなく」
再び話し込み始めたリナーリアの横顔を、エスメラルドは少し離れたところから見つめる。
話の内容は更に難しくなっていて、いよいよさっぱり理解出来ない。かろうじて分かるのは、魔術の構成について話しているという事くらいだ。
だが、ボラックスと話す彼女の目は生き生きと輝いている。
薔薇自体も好きなのだろうが、このような専門的な、魔術を使った研究の話がよほど好きなのだろう。
彼女はよくスピネルから「令嬢らしくない」と叱られているけれど、もしかしたら魔術師としての姿こそが彼女の本来の在り方なのではないか、とエスメラルドはふと思った。
…だとしたら「貴族令嬢」という肩書きは、彼女にとってひどく窮屈なものなのかも知れない。
だから、危険な職業だと分かっていても王宮魔術師になりたがるのだろうか。
その考えは、複雑な気分をエスメラルドにもたらした。
その後池に行ってしばらく時間を潰したエスメラルドは、再び管理棟へと戻った。
「な、なるほど…!こうすれば、ネモフィラから必要な遺伝子だけを抽出して移植する事ができる…!」
「はい!まだ理論だけなので、実践してみて逐次調整していく必要がありますが…」
「いや、大丈夫だ。それこそが俺たちの本領を発揮する部分だ。いくらでも試行してやる」
何やらボラックスがかなり興奮している。
「ありがとう、お嬢さん…!いや、リナーリア様だったか。あんたのお陰で、一気に研究が捗りそうだ」
「いいえ。お役に立てたならば幸いです」
「良かったら、いつでもここを訪ねてきてくれ。研究の進み具合を見て欲しい」
「ぜひ!私、王宮魔術師団の所に通っていますので、そのついでにでも寄らせていただきます」
その言葉に、ボラックスは一人納得した顔になる。
「ああ、王宮魔術師のところに…。なるほど、どうりで優秀なわけだ…」
「とんでもない。たまたまご縁があっただけです」
「謙遜することはない。話を聞いているだけで分かる、あんたはすごい魔術師だ。…何年後になるかは分からんが、もしこの薔薇が完成したら、あんたが名前を付けてくれ」
「いいえ、そんな…」
そう言いかけたところで、リナーリアは背後のエスメラルドに気付いたようだった。
「あっ、殿下!すみません、お待たせしてしまって…」
「いや、たった今戻ってきたところだ。それで…」
「あ、はい、用事は済みました。…ボラックスさん、今日は本当に有難うございました」
「こちらこそ、いくら感謝しても足りない。また来てくれ」
「はい!」
リナーリアは嬉しそうににっこりと笑った。
「殿下、今日は有難うございました。おかげ様で目的が果たせました」
改めてリナーリアが頭を下げる。満足げなその様子に、エスメラルドは「ああ」とうなずいた。
歩き出しながら、隣のリナーリアへと問いかける。
「俺にはよく分からなかったが、ボラックスは一体どんな薔薇を作ろうとしているんだ?」
「青い薔薇、です」
青い薔薇。言われてみれば、ここの薔薇園でそんな色の薔薇を見たことはない。
赤や白、黄色などはあるが、青系のものは全く無かったと思う。せいぜい、あの東端にあった青とも言えないような薄青の薔薇だけだ。
「青い薔薇は昔から、薔薇を育てる者にとっての夢なんです。でも薔薇は青色の遺伝子を全く持っていないので、いくら交配しても青い薔薇を作り出す事はできなくて」
「遺伝子?」
聞き慣れない単語に、エスメラルドは首を傾げる。
「ええと、つまり、生まれついての素質みたいなものですね。例えば、いくら色々なオタマジャクシを育てても、その中から翼の生えたカエルが生まれてきたりはしないでしょう?そんなカエルはこの世に存在しませんから。
それと同じで、生まれつき青い色を持った薔薇というのは存在しないんです。白い薔薇を染料や魔術を使って染める事はできますけどね」
「なるほど」
分かりやすい例えだ。翼が生えて空を飛べるカエルというのもなかなか心躍る想像ではあるが。
「ボラックスさんの研究は、全く違う種類の青い花から魔術を使ってその素質を分けてもらい、生まれつき青い薔薇を作り出すものです。…私は昔、その話を聞いたことがあって。それで少し思いついた事があったんですけど、話す機会がないままで、ずっと気になっていて…」
リナーリアはなぜか、とても遠い目をして空を見上げた。
彼女は時折そういう目をしている事があるのだが、どうかしたのかと聞いても笑ったり誤魔化すばかりで絶対に話そうとしない。
その事を、エスメラルドは少し寂しく思っている。
「…青い薔薇か。きっと、とても美しいのだろうな」
「そうですね。理論上は、完成すればすごく鮮やかな青い色を出せるはずなんです。ボラックスさんならきっとできると思います」
「その時は君が名前を付けるんだろう?」
「いえ、そんな…私なんてちょっと助言しただけですし、そんなの悪いですよ」
「別にいいじゃないか。青い薔薇はきっと君によく似合う」
リナーリアの青みがかった銀の髪と青い瞳には、鮮やかな青い薔薇がぴったり合いそうだ。
薔薇だって、そんな彼女から名付けられれば喜ぶはずだ。
「そ、そうですか…?うーん…」
「ああ。…そうだな、何だったら俺が名前を付けても良い」
「え、本当ですか?殿下に名付けていただけるなら、ボラックスさんも絶対喜びますよ!とても光栄だって」
リナーリアがはしゃぎ、エスメラルドもその笑顔につられて笑う。
「こういうのって結果が出るまで十数年もかかったりするんですが、ボラックスさんなら意外と早く完成させてくれそうな気がするんですよね」
「そうだな。とても楽しみだ」
ぜひ、早く見てみたいものだ。エスメラルドは未だ見ぬ青い薔薇へと思いを馳せた。
…その時はその薔薇に、リナーリアと名付けよう。
「そうだ。この前、賭けをしただろう」
エスメラルドとスピネルと二人でリナーリアに問題を出し、間違えたらリナーリアが罰ゲーム。
全問正解だったらエスメラルドとスピネルが罰ゲームという賭けだ。
「何でも言うことを聞くという約束だ。スピネルは説教をやめる代わりに罰ゲームはなしになったが、俺はまだ何もしていない」
「そう言えばそうでしたね。うーん…でも殿下に罰ゲームというのは…」
「何かして欲しい事はないのか?」
「特にないですね」
「…そうか…」
あっさりとないと言い切られ少し落ち込んだエスメラルドに、スピネルがフォローを入れる。
「全くないって事はないだろ。あんまり無茶言わなけりゃ何でも良いんだぞ」
「ま、待って下さい、今考えます。ええと…」
リナーリアは目を閉じて首を捻り、しばらく考え込む。
そして、ぱっと顔を上げて言った。
「そうだ!裏庭の薔薇園、また連れて行って下さいませんか?」
裏庭の薔薇園と言えば、彼女が初めて城を訪れた時に3人で一緒に歩いた場所だ。
スピネルが妙ににやにやした顔になる。
「ほう、お前にしてはずいぶんまともなお願いだな。良いじゃないか」
「どういう意味ですか」
「てっきりもっと突飛な事を言い出すと思った」
「言ってくれますね。私、薔薇は好きなんですよ」
「そうだったのか」
彼女は植物全般に興味を示すので、特に薔薇が好きとは知らなかった。
覚えておこう、とエスメラルドは思う。
「でも、もう何度も足を運んでいるだろう?本当にそれでいいのか?」
「はい。少し気になっていることがあって…よろしければ、ぜひ」
「分かった。案内しよう」
「お時間のある時で構いませんので。よろしくお願いします」
それから2週間ほど後、エスメラルドはリナーリアを城の薔薇園へと招いた。
今日はスピネルは実家の用事があるとかで不在だ。城内なので護衛も必要なく、珍しくリナーリアとエスメラルドの二人きりである。
薔薇園は今、早咲きの薔薇が咲いている。長い期間花が楽しめるよう、この薔薇園は咲く時期をずらした薔薇がたくさん植えられているのだ。
リナーリアはニコニコとしながら薔薇を眺めつつ歩いていた。
心なしかいつもより足取りが軽いようで、柔らかそうな青みがかった銀の髪がさらさらと揺れている。
そんな彼女に、エスメラルドもまた微笑ましい気持ちになった。
やがてリナーリアは薔薇園の隅の一角で足を止め、そこに咲いている薔薇をまじまじと見つめた。
ごく淡い青のような、薄紫のような、少し変わった色合いの大輪の薔薇だ。
「あの、殿下…実はお願いがあるのですが」
リナーリアがおずおずと口を開く。
「なんだ?」
「この薔薇園を管理している庭師に、会わせていただけませんか?」
その申し出は予想外のものだったが、特に断る理由もない。
エスメラルドは「分かった」と言うと、リナーリアと共に近くの管理棟へと向かった。
温室が併設された、この小屋へと入るのは初めてだ。中には庭師らしき男がいて、王子が入ってきた事にとても驚いた様子だった。
「薔薇園の管理を担当している者はいるか?」
「は、はい!…ボラックスさん!ちょっと来て下さい!」
庭師が声を上げると、ややあってから奥の扉が開いた。
眠たそうな目をした、背の低い壮年の男が出てくる。
「一体何……お、王子殿下!?」
ボラックスと呼ばれた男はぎょっとして目を見開いた。
「仕事中にすまない。…こちらは俺の友人のリナーリアだ。ここの薔薇に興味があるらしい。少し話を聞かせてもらえないか」
「初めまして、リナーリア・ジャローシスと申します」
ボラックスは状況が理解できないらしく、目を白黒させている。
王子や貴族令嬢がこのような場所を訪れる事など、普通はないからだろう。
「あの、あそこの…東端にあった薄青の薔薇。あれは、魔術で遺伝子操作を試みている薔薇ではありませんか?」
「…そ、そうだが。何故それを」
「やっぱりそうですよね!あの色は通常の自然交配では出ないものです。それに僅かですが構成の残滓が見えました。できるだけ自然の形のままで、色だけに干渉しようとしているのではないかと…。魔術を使用したのは貴方ですよね」
「…ああ。そうだ」
「とても素晴らしい技術です…!良かったらもう少しお話をお聞かせ願えませんか」
それから彼女はボラックスという庭師と話し込み始めた。
ベースになった薔薇の品種やら色の出し方やら、かなり専門的な話のようだ。
呆気に取られて見ていると、はっと気が付いたようにリナーリアがこちらを振り向いた。
「す、すみません殿下!ご案内、本当に有難うございました。私はもう少しここにいるので、殿下はお帰りいただいても大丈夫です」
「いや、構わない。今日は特に予定はない。近くで適当に時間を潰しているから、好きなだけ話をするといい」
「でも…」
「気にするな。ここの近くには池もあるしな」
暗にカエルを見ているから大丈夫だと言うと、リナーリアはやっと納得したようだ。
「わかりました」
「ああ、お嬢さん、良かったらそこに座ってくれ。今、お茶を持ってこさせますから」
「ありがとうございます。お気遣いなく」
再び話し込み始めたリナーリアの横顔を、エスメラルドは少し離れたところから見つめる。
話の内容は更に難しくなっていて、いよいよさっぱり理解出来ない。かろうじて分かるのは、魔術の構成について話しているという事くらいだ。
だが、ボラックスと話す彼女の目は生き生きと輝いている。
薔薇自体も好きなのだろうが、このような専門的な、魔術を使った研究の話がよほど好きなのだろう。
彼女はよくスピネルから「令嬢らしくない」と叱られているけれど、もしかしたら魔術師としての姿こそが彼女の本来の在り方なのではないか、とエスメラルドはふと思った。
…だとしたら「貴族令嬢」という肩書きは、彼女にとってひどく窮屈なものなのかも知れない。
だから、危険な職業だと分かっていても王宮魔術師になりたがるのだろうか。
その考えは、複雑な気分をエスメラルドにもたらした。
その後池に行ってしばらく時間を潰したエスメラルドは、再び管理棟へと戻った。
「な、なるほど…!こうすれば、ネモフィラから必要な遺伝子だけを抽出して移植する事ができる…!」
「はい!まだ理論だけなので、実践してみて逐次調整していく必要がありますが…」
「いや、大丈夫だ。それこそが俺たちの本領を発揮する部分だ。いくらでも試行してやる」
何やらボラックスがかなり興奮している。
「ありがとう、お嬢さん…!いや、リナーリア様だったか。あんたのお陰で、一気に研究が捗りそうだ」
「いいえ。お役に立てたならば幸いです」
「良かったら、いつでもここを訪ねてきてくれ。研究の進み具合を見て欲しい」
「ぜひ!私、王宮魔術師団の所に通っていますので、そのついでにでも寄らせていただきます」
その言葉に、ボラックスは一人納得した顔になる。
「ああ、王宮魔術師のところに…。なるほど、どうりで優秀なわけだ…」
「とんでもない。たまたまご縁があっただけです」
「謙遜することはない。話を聞いているだけで分かる、あんたはすごい魔術師だ。…何年後になるかは分からんが、もしこの薔薇が完成したら、あんたが名前を付けてくれ」
「いいえ、そんな…」
そう言いかけたところで、リナーリアは背後のエスメラルドに気付いたようだった。
「あっ、殿下!すみません、お待たせしてしまって…」
「いや、たった今戻ってきたところだ。それで…」
「あ、はい、用事は済みました。…ボラックスさん、今日は本当に有難うございました」
「こちらこそ、いくら感謝しても足りない。また来てくれ」
「はい!」
リナーリアは嬉しそうににっこりと笑った。
「殿下、今日は有難うございました。おかげ様で目的が果たせました」
改めてリナーリアが頭を下げる。満足げなその様子に、エスメラルドは「ああ」とうなずいた。
歩き出しながら、隣のリナーリアへと問いかける。
「俺にはよく分からなかったが、ボラックスは一体どんな薔薇を作ろうとしているんだ?」
「青い薔薇、です」
青い薔薇。言われてみれば、ここの薔薇園でそんな色の薔薇を見たことはない。
赤や白、黄色などはあるが、青系のものは全く無かったと思う。せいぜい、あの東端にあった青とも言えないような薄青の薔薇だけだ。
「青い薔薇は昔から、薔薇を育てる者にとっての夢なんです。でも薔薇は青色の遺伝子を全く持っていないので、いくら交配しても青い薔薇を作り出す事はできなくて」
「遺伝子?」
聞き慣れない単語に、エスメラルドは首を傾げる。
「ええと、つまり、生まれついての素質みたいなものですね。例えば、いくら色々なオタマジャクシを育てても、その中から翼の生えたカエルが生まれてきたりはしないでしょう?そんなカエルはこの世に存在しませんから。
それと同じで、生まれつき青い色を持った薔薇というのは存在しないんです。白い薔薇を染料や魔術を使って染める事はできますけどね」
「なるほど」
分かりやすい例えだ。翼が生えて空を飛べるカエルというのもなかなか心躍る想像ではあるが。
「ボラックスさんの研究は、全く違う種類の青い花から魔術を使ってその素質を分けてもらい、生まれつき青い薔薇を作り出すものです。…私は昔、その話を聞いたことがあって。それで少し思いついた事があったんですけど、話す機会がないままで、ずっと気になっていて…」
リナーリアはなぜか、とても遠い目をして空を見上げた。
彼女は時折そういう目をしている事があるのだが、どうかしたのかと聞いても笑ったり誤魔化すばかりで絶対に話そうとしない。
その事を、エスメラルドは少し寂しく思っている。
「…青い薔薇か。きっと、とても美しいのだろうな」
「そうですね。理論上は、完成すればすごく鮮やかな青い色を出せるはずなんです。ボラックスさんならきっとできると思います」
「その時は君が名前を付けるんだろう?」
「いえ、そんな…私なんてちょっと助言しただけですし、そんなの悪いですよ」
「別にいいじゃないか。青い薔薇はきっと君によく似合う」
リナーリアの青みがかった銀の髪と青い瞳には、鮮やかな青い薔薇がぴったり合いそうだ。
薔薇だって、そんな彼女から名付けられれば喜ぶはずだ。
「そ、そうですか…?うーん…」
「ああ。…そうだな、何だったら俺が名前を付けても良い」
「え、本当ですか?殿下に名付けていただけるなら、ボラックスさんも絶対喜びますよ!とても光栄だって」
リナーリアがはしゃぎ、エスメラルドもその笑顔につられて笑う。
「こういうのって結果が出るまで十数年もかかったりするんですが、ボラックスさんなら意外と早く完成させてくれそうな気がするんですよね」
「そうだな。とても楽しみだ」
ぜひ、早く見てみたいものだ。エスメラルドは未だ見ぬ青い薔薇へと思いを馳せた。
…その時はその薔薇に、リナーリアと名付けよう。
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