38 / 247
第3章
挿話・8 青い薔薇
しおりを挟む
「…殿下への罰ゲーム、ですか?」
「そうだ。この前、賭けをしただろう」
エスメラルドとスピネルと二人でリナーリアに問題を出し、間違えたらリナーリアが罰ゲーム。
全問正解だったらエスメラルドとスピネルが罰ゲームという賭けだ。
「何でも言うことを聞くという約束だ。スピネルは説教をやめる代わりに罰ゲームはなしになったが、俺はまだ何もしていない」
「そう言えばそうでしたね。うーん…でも殿下に罰ゲームというのは…」
「何かして欲しい事はないのか?」
「特にないですね」
「…そうか…」
あっさりとないと言い切られ少し落ち込んだエスメラルドに、スピネルがフォローを入れる。
「全くないって事はないだろ。あんまり無茶言わなけりゃ何でも良いんだぞ」
「ま、待って下さい、今考えます。ええと…」
リナーリアは目を閉じて首を捻り、しばらく考え込む。
そして、ぱっと顔を上げて言った。
「そうだ!裏庭の薔薇園、また連れて行って下さいませんか?」
裏庭の薔薇園と言えば、彼女が初めて城を訪れた時に3人で一緒に歩いた場所だ。
スピネルが妙ににやにやした顔になる。
「ほう、お前にしてはずいぶんまともなお願いだな。良いじゃないか」
「どういう意味ですか」
「てっきりもっと突飛な事を言い出すと思った」
「言ってくれますね。私、薔薇は好きなんですよ」
「そうだったのか」
彼女は植物全般に興味を示すので、特に薔薇が好きとは知らなかった。
覚えておこう、とエスメラルドは思う。
「でも、もう何度も足を運んでいるだろう?本当にそれでいいのか?」
「はい。少し気になっていることがあって…よろしければ、ぜひ」
「分かった。案内しよう」
「お時間のある時で構いませんので。よろしくお願いします」
それから2週間ほど後、エスメラルドはリナーリアを城の薔薇園へと招いた。
今日はスピネルは実家の用事があるとかで不在だ。城内なので護衛も必要なく、珍しくリナーリアとエスメラルドの二人きりである。
薔薇園は今、早咲きの薔薇が咲いている。長い期間花が楽しめるよう、この薔薇園は咲く時期をずらした薔薇がたくさん植えられているのだ。
リナーリアはニコニコとしながら薔薇を眺めつつ歩いていた。
心なしかいつもより足取りが軽いようで、柔らかそうな青みがかった銀の髪がさらさらと揺れている。
そんな彼女に、エスメラルドもまた微笑ましい気持ちになった。
やがてリナーリアは薔薇園の隅の一角で足を止め、そこに咲いている薔薇をまじまじと見つめた。
ごく淡い青のような、薄紫のような、少し変わった色合いの大輪の薔薇だ。
「あの、殿下…実はお願いがあるのですが」
リナーリアがおずおずと口を開く。
「なんだ?」
「この薔薇園を管理している庭師に、会わせていただけませんか?」
その申し出は予想外のものだったが、特に断る理由もない。
エスメラルドは「分かった」と言うと、リナーリアと共に近くの管理棟へと向かった。
温室が併設された、この小屋へと入るのは初めてだ。中には庭師らしき男がいて、王子が入ってきた事にとても驚いた様子だった。
「薔薇園の管理を担当している者はいるか?」
「は、はい!…ボラックスさん!ちょっと来て下さい!」
庭師が声を上げると、ややあってから奥の扉が開いた。
眠たそうな目をした、背の低い壮年の男が出てくる。
「一体何……お、王子殿下!?」
ボラックスと呼ばれた男はぎょっとして目を見開いた。
「仕事中にすまない。…こちらは俺の友人のリナーリアだ。ここの薔薇に興味があるらしい。少し話を聞かせてもらえないか」
「初めまして、リナーリア・ジャローシスと申します」
ボラックスは状況が理解できないらしく、目を白黒させている。
王子や貴族令嬢がこのような場所を訪れる事など、普通はないからだろう。
「あの、あそこの…東端にあった薄青の薔薇。あれは、魔術で遺伝子操作を試みている薔薇ではありませんか?」
「…そ、そうだが。何故それを」
「やっぱりそうですよね!あの色は通常の自然交配では出ないものです。それに僅かですが構成の残滓が見えました。できるだけ自然の形のままで、色だけに干渉しようとしているのではないかと…。魔術を使用したのは貴方ですよね」
「…ああ。そうだ」
「とても素晴らしい技術です…!良かったらもう少しお話をお聞かせ願えませんか」
それから彼女はボラックスという庭師と話し込み始めた。
ベースになった薔薇の品種やら色の出し方やら、かなり専門的な話のようだ。
呆気に取られて見ていると、はっと気が付いたようにリナーリアがこちらを振り向いた。
「す、すみません殿下!ご案内、本当に有難うございました。私はもう少しここにいるので、殿下はお帰りいただいても大丈夫です」
「いや、構わない。今日は特に予定はない。近くで適当に時間を潰しているから、好きなだけ話をするといい」
「でも…」
「気にするな。ここの近くには池もあるしな」
暗にカエルを見ているから大丈夫だと言うと、リナーリアはやっと納得したようだ。
「わかりました」
「ああ、お嬢さん、良かったらそこに座ってくれ。今、お茶を持ってこさせますから」
「ありがとうございます。お気遣いなく」
再び話し込み始めたリナーリアの横顔を、エスメラルドは少し離れたところから見つめる。
話の内容は更に難しくなっていて、いよいよさっぱり理解出来ない。かろうじて分かるのは、魔術の構成について話しているという事くらいだ。
だが、ボラックスと話す彼女の目は生き生きと輝いている。
薔薇自体も好きなのだろうが、このような専門的な、魔術を使った研究の話がよほど好きなのだろう。
彼女はよくスピネルから「令嬢らしくない」と叱られているけれど、もしかしたら魔術師としての姿こそが彼女の本来の在り方なのではないか、とエスメラルドはふと思った。
…だとしたら「貴族令嬢」という肩書きは、彼女にとってひどく窮屈なものなのかも知れない。
だから、危険な職業だと分かっていても王宮魔術師になりたがるのだろうか。
その考えは、複雑な気分をエスメラルドにもたらした。
その後池に行ってしばらく時間を潰したエスメラルドは、再び管理棟へと戻った。
「な、なるほど…!こうすれば、ネモフィラから必要な遺伝子だけを抽出して移植する事ができる…!」
「はい!まだ理論だけなので、実践してみて逐次調整していく必要がありますが…」
「いや、大丈夫だ。それこそが俺たちの本領を発揮する部分だ。いくらでも試行してやる」
何やらボラックスがかなり興奮している。
「ありがとう、お嬢さん…!いや、リナーリア様だったか。あんたのお陰で、一気に研究が捗りそうだ」
「いいえ。お役に立てたならば幸いです」
「良かったら、いつでもここを訪ねてきてくれ。研究の進み具合を見て欲しい」
「ぜひ!私、王宮魔術師団の所に通っていますので、そのついでにでも寄らせていただきます」
その言葉に、ボラックスは一人納得した顔になる。
「ああ、王宮魔術師のところに…。なるほど、どうりで優秀なわけだ…」
「とんでもない。たまたまご縁があっただけです」
「謙遜することはない。話を聞いているだけで分かる、あんたはすごい魔術師だ。…何年後になるかは分からんが、もしこの薔薇が完成したら、あんたが名前を付けてくれ」
「いいえ、そんな…」
そう言いかけたところで、リナーリアは背後のエスメラルドに気付いたようだった。
「あっ、殿下!すみません、お待たせしてしまって…」
「いや、たった今戻ってきたところだ。それで…」
「あ、はい、用事は済みました。…ボラックスさん、今日は本当に有難うございました」
「こちらこそ、いくら感謝しても足りない。また来てくれ」
「はい!」
リナーリアは嬉しそうににっこりと笑った。
「殿下、今日は有難うございました。おかげ様で目的が果たせました」
改めてリナーリアが頭を下げる。満足げなその様子に、エスメラルドは「ああ」とうなずいた。
歩き出しながら、隣のリナーリアへと問いかける。
「俺にはよく分からなかったが、ボラックスは一体どんな薔薇を作ろうとしているんだ?」
「青い薔薇、です」
青い薔薇。言われてみれば、ここの薔薇園でそんな色の薔薇を見たことはない。
赤や白、黄色などはあるが、青系のものは全く無かったと思う。せいぜい、あの東端にあった青とも言えないような薄青の薔薇だけだ。
「青い薔薇は昔から、薔薇を育てる者にとっての夢なんです。でも薔薇は青色の遺伝子を全く持っていないので、いくら交配しても青い薔薇を作り出す事はできなくて」
「遺伝子?」
聞き慣れない単語に、エスメラルドは首を傾げる。
「ええと、つまり、生まれついての素質みたいなものですね。例えば、いくら色々なオタマジャクシを育てても、その中から翼の生えたカエルが生まれてきたりはしないでしょう?そんなカエルはこの世に存在しませんから。
それと同じで、生まれつき青い色を持った薔薇というのは存在しないんです。白い薔薇を染料や魔術を使って染める事はできますけどね」
「なるほど」
分かりやすい例えだ。翼が生えて空を飛べるカエルというのもなかなか心躍る想像ではあるが。
「ボラックスさんの研究は、全く違う種類の青い花から魔術を使ってその素質を分けてもらい、生まれつき青い薔薇を作り出すものです。…私は昔、その話を聞いたことがあって。それで少し思いついた事があったんですけど、話す機会がないままで、ずっと気になっていて…」
リナーリアはなぜか、とても遠い目をして空を見上げた。
彼女は時折そういう目をしている事があるのだが、どうかしたのかと聞いても笑ったり誤魔化すばかりで絶対に話そうとしない。
その事を、エスメラルドは少し寂しく思っている。
「…青い薔薇か。きっと、とても美しいのだろうな」
「そうですね。理論上は、完成すればすごく鮮やかな青い色を出せるはずなんです。ボラックスさんならきっとできると思います」
「その時は君が名前を付けるんだろう?」
「いえ、そんな…私なんてちょっと助言しただけですし、そんなの悪いですよ」
「別にいいじゃないか。青い薔薇はきっと君によく似合う」
リナーリアの青みがかった銀の髪と青い瞳には、鮮やかな青い薔薇がぴったり合いそうだ。
薔薇だって、そんな彼女から名付けられれば喜ぶはずだ。
「そ、そうですか…?うーん…」
「ああ。…そうだな、何だったら俺が名前を付けても良い」
「え、本当ですか?殿下に名付けていただけるなら、ボラックスさんも絶対喜びますよ!とても光栄だって」
リナーリアがはしゃぎ、エスメラルドもその笑顔につられて笑う。
「こういうのって結果が出るまで十数年もかかったりするんですが、ボラックスさんなら意外と早く完成させてくれそうな気がするんですよね」
「そうだな。とても楽しみだ」
ぜひ、早く見てみたいものだ。エスメラルドは未だ見ぬ青い薔薇へと思いを馳せた。
…その時はその薔薇に、リナーリアと名付けよう。
「そうだ。この前、賭けをしただろう」
エスメラルドとスピネルと二人でリナーリアに問題を出し、間違えたらリナーリアが罰ゲーム。
全問正解だったらエスメラルドとスピネルが罰ゲームという賭けだ。
「何でも言うことを聞くという約束だ。スピネルは説教をやめる代わりに罰ゲームはなしになったが、俺はまだ何もしていない」
「そう言えばそうでしたね。うーん…でも殿下に罰ゲームというのは…」
「何かして欲しい事はないのか?」
「特にないですね」
「…そうか…」
あっさりとないと言い切られ少し落ち込んだエスメラルドに、スピネルがフォローを入れる。
「全くないって事はないだろ。あんまり無茶言わなけりゃ何でも良いんだぞ」
「ま、待って下さい、今考えます。ええと…」
リナーリアは目を閉じて首を捻り、しばらく考え込む。
そして、ぱっと顔を上げて言った。
「そうだ!裏庭の薔薇園、また連れて行って下さいませんか?」
裏庭の薔薇園と言えば、彼女が初めて城を訪れた時に3人で一緒に歩いた場所だ。
スピネルが妙ににやにやした顔になる。
「ほう、お前にしてはずいぶんまともなお願いだな。良いじゃないか」
「どういう意味ですか」
「てっきりもっと突飛な事を言い出すと思った」
「言ってくれますね。私、薔薇は好きなんですよ」
「そうだったのか」
彼女は植物全般に興味を示すので、特に薔薇が好きとは知らなかった。
覚えておこう、とエスメラルドは思う。
「でも、もう何度も足を運んでいるだろう?本当にそれでいいのか?」
「はい。少し気になっていることがあって…よろしければ、ぜひ」
「分かった。案内しよう」
「お時間のある時で構いませんので。よろしくお願いします」
それから2週間ほど後、エスメラルドはリナーリアを城の薔薇園へと招いた。
今日はスピネルは実家の用事があるとかで不在だ。城内なので護衛も必要なく、珍しくリナーリアとエスメラルドの二人きりである。
薔薇園は今、早咲きの薔薇が咲いている。長い期間花が楽しめるよう、この薔薇園は咲く時期をずらした薔薇がたくさん植えられているのだ。
リナーリアはニコニコとしながら薔薇を眺めつつ歩いていた。
心なしかいつもより足取りが軽いようで、柔らかそうな青みがかった銀の髪がさらさらと揺れている。
そんな彼女に、エスメラルドもまた微笑ましい気持ちになった。
やがてリナーリアは薔薇園の隅の一角で足を止め、そこに咲いている薔薇をまじまじと見つめた。
ごく淡い青のような、薄紫のような、少し変わった色合いの大輪の薔薇だ。
「あの、殿下…実はお願いがあるのですが」
リナーリアがおずおずと口を開く。
「なんだ?」
「この薔薇園を管理している庭師に、会わせていただけませんか?」
その申し出は予想外のものだったが、特に断る理由もない。
エスメラルドは「分かった」と言うと、リナーリアと共に近くの管理棟へと向かった。
温室が併設された、この小屋へと入るのは初めてだ。中には庭師らしき男がいて、王子が入ってきた事にとても驚いた様子だった。
「薔薇園の管理を担当している者はいるか?」
「は、はい!…ボラックスさん!ちょっと来て下さい!」
庭師が声を上げると、ややあってから奥の扉が開いた。
眠たそうな目をした、背の低い壮年の男が出てくる。
「一体何……お、王子殿下!?」
ボラックスと呼ばれた男はぎょっとして目を見開いた。
「仕事中にすまない。…こちらは俺の友人のリナーリアだ。ここの薔薇に興味があるらしい。少し話を聞かせてもらえないか」
「初めまして、リナーリア・ジャローシスと申します」
ボラックスは状況が理解できないらしく、目を白黒させている。
王子や貴族令嬢がこのような場所を訪れる事など、普通はないからだろう。
「あの、あそこの…東端にあった薄青の薔薇。あれは、魔術で遺伝子操作を試みている薔薇ではありませんか?」
「…そ、そうだが。何故それを」
「やっぱりそうですよね!あの色は通常の自然交配では出ないものです。それに僅かですが構成の残滓が見えました。できるだけ自然の形のままで、色だけに干渉しようとしているのではないかと…。魔術を使用したのは貴方ですよね」
「…ああ。そうだ」
「とても素晴らしい技術です…!良かったらもう少しお話をお聞かせ願えませんか」
それから彼女はボラックスという庭師と話し込み始めた。
ベースになった薔薇の品種やら色の出し方やら、かなり専門的な話のようだ。
呆気に取られて見ていると、はっと気が付いたようにリナーリアがこちらを振り向いた。
「す、すみません殿下!ご案内、本当に有難うございました。私はもう少しここにいるので、殿下はお帰りいただいても大丈夫です」
「いや、構わない。今日は特に予定はない。近くで適当に時間を潰しているから、好きなだけ話をするといい」
「でも…」
「気にするな。ここの近くには池もあるしな」
暗にカエルを見ているから大丈夫だと言うと、リナーリアはやっと納得したようだ。
「わかりました」
「ああ、お嬢さん、良かったらそこに座ってくれ。今、お茶を持ってこさせますから」
「ありがとうございます。お気遣いなく」
再び話し込み始めたリナーリアの横顔を、エスメラルドは少し離れたところから見つめる。
話の内容は更に難しくなっていて、いよいよさっぱり理解出来ない。かろうじて分かるのは、魔術の構成について話しているという事くらいだ。
だが、ボラックスと話す彼女の目は生き生きと輝いている。
薔薇自体も好きなのだろうが、このような専門的な、魔術を使った研究の話がよほど好きなのだろう。
彼女はよくスピネルから「令嬢らしくない」と叱られているけれど、もしかしたら魔術師としての姿こそが彼女の本来の在り方なのではないか、とエスメラルドはふと思った。
…だとしたら「貴族令嬢」という肩書きは、彼女にとってひどく窮屈なものなのかも知れない。
だから、危険な職業だと分かっていても王宮魔術師になりたがるのだろうか。
その考えは、複雑な気分をエスメラルドにもたらした。
その後池に行ってしばらく時間を潰したエスメラルドは、再び管理棟へと戻った。
「な、なるほど…!こうすれば、ネモフィラから必要な遺伝子だけを抽出して移植する事ができる…!」
「はい!まだ理論だけなので、実践してみて逐次調整していく必要がありますが…」
「いや、大丈夫だ。それこそが俺たちの本領を発揮する部分だ。いくらでも試行してやる」
何やらボラックスがかなり興奮している。
「ありがとう、お嬢さん…!いや、リナーリア様だったか。あんたのお陰で、一気に研究が捗りそうだ」
「いいえ。お役に立てたならば幸いです」
「良かったら、いつでもここを訪ねてきてくれ。研究の進み具合を見て欲しい」
「ぜひ!私、王宮魔術師団の所に通っていますので、そのついでにでも寄らせていただきます」
その言葉に、ボラックスは一人納得した顔になる。
「ああ、王宮魔術師のところに…。なるほど、どうりで優秀なわけだ…」
「とんでもない。たまたまご縁があっただけです」
「謙遜することはない。話を聞いているだけで分かる、あんたはすごい魔術師だ。…何年後になるかは分からんが、もしこの薔薇が完成したら、あんたが名前を付けてくれ」
「いいえ、そんな…」
そう言いかけたところで、リナーリアは背後のエスメラルドに気付いたようだった。
「あっ、殿下!すみません、お待たせしてしまって…」
「いや、たった今戻ってきたところだ。それで…」
「あ、はい、用事は済みました。…ボラックスさん、今日は本当に有難うございました」
「こちらこそ、いくら感謝しても足りない。また来てくれ」
「はい!」
リナーリアは嬉しそうににっこりと笑った。
「殿下、今日は有難うございました。おかげ様で目的が果たせました」
改めてリナーリアが頭を下げる。満足げなその様子に、エスメラルドは「ああ」とうなずいた。
歩き出しながら、隣のリナーリアへと問いかける。
「俺にはよく分からなかったが、ボラックスは一体どんな薔薇を作ろうとしているんだ?」
「青い薔薇、です」
青い薔薇。言われてみれば、ここの薔薇園でそんな色の薔薇を見たことはない。
赤や白、黄色などはあるが、青系のものは全く無かったと思う。せいぜい、あの東端にあった青とも言えないような薄青の薔薇だけだ。
「青い薔薇は昔から、薔薇を育てる者にとっての夢なんです。でも薔薇は青色の遺伝子を全く持っていないので、いくら交配しても青い薔薇を作り出す事はできなくて」
「遺伝子?」
聞き慣れない単語に、エスメラルドは首を傾げる。
「ええと、つまり、生まれついての素質みたいなものですね。例えば、いくら色々なオタマジャクシを育てても、その中から翼の生えたカエルが生まれてきたりはしないでしょう?そんなカエルはこの世に存在しませんから。
それと同じで、生まれつき青い色を持った薔薇というのは存在しないんです。白い薔薇を染料や魔術を使って染める事はできますけどね」
「なるほど」
分かりやすい例えだ。翼が生えて空を飛べるカエルというのもなかなか心躍る想像ではあるが。
「ボラックスさんの研究は、全く違う種類の青い花から魔術を使ってその素質を分けてもらい、生まれつき青い薔薇を作り出すものです。…私は昔、その話を聞いたことがあって。それで少し思いついた事があったんですけど、話す機会がないままで、ずっと気になっていて…」
リナーリアはなぜか、とても遠い目をして空を見上げた。
彼女は時折そういう目をしている事があるのだが、どうかしたのかと聞いても笑ったり誤魔化すばかりで絶対に話そうとしない。
その事を、エスメラルドは少し寂しく思っている。
「…青い薔薇か。きっと、とても美しいのだろうな」
「そうですね。理論上は、完成すればすごく鮮やかな青い色を出せるはずなんです。ボラックスさんならきっとできると思います」
「その時は君が名前を付けるんだろう?」
「いえ、そんな…私なんてちょっと助言しただけですし、そんなの悪いですよ」
「別にいいじゃないか。青い薔薇はきっと君によく似合う」
リナーリアの青みがかった銀の髪と青い瞳には、鮮やかな青い薔薇がぴったり合いそうだ。
薔薇だって、そんな彼女から名付けられれば喜ぶはずだ。
「そ、そうですか…?うーん…」
「ああ。…そうだな、何だったら俺が名前を付けても良い」
「え、本当ですか?殿下に名付けていただけるなら、ボラックスさんも絶対喜びますよ!とても光栄だって」
リナーリアがはしゃぎ、エスメラルドもその笑顔につられて笑う。
「こういうのって結果が出るまで十数年もかかったりするんですが、ボラックスさんなら意外と早く完成させてくれそうな気がするんですよね」
「そうだな。とても楽しみだ」
ぜひ、早く見てみたいものだ。エスメラルドは未だ見ぬ青い薔薇へと思いを馳せた。
…その時はその薔薇に、リナーリアと名付けよう。
2
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。
ひさまま
ファンタジー
前世で搾取されまくりだった私。
魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。
とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。
これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。
取り敢えず、明日は退職届けを出そう。
目指せ、快適異世界生活。
ぽちぽち更新します。
作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。
脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます
かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール
けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・
だから、この世界での普通の令嬢になります!
↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

【完結】どうやら魔森に捨てられていた忌子は聖女だったようです
山葵
ファンタジー
昔、双子は不吉と言われ後に産まれた者は捨てられたり、殺されたり、こっそりと里子に出されていた。
今は、その考えも消えつつある。
けれど貴族の中には昔の迷信に捕らわれ、未だに双子は家系を滅ぼす忌子と信じる者もいる。
今年、ダーウィン侯爵家に双子が産まれた。
ダーウィン侯爵家は迷信を信じ、後から産まれたばかりの子を馭者に指示し魔森へと捨てた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる