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第3章
挿話・7 黒髪の貴公子
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パイロープ公爵子息アーゲンは、帰りの馬車に揺られながら「失敗したなあ」と呟いた。
「彼女が国王陛下から声をかけられたと知っていたら、ダンスを譲ったりはしなかったんだけど」
その呟きに、アーゲンの向かいに座るストレングは太い眉を上げる。
ストレングはパイロープ公爵家に代々仕える騎士の息子で、アーゲンの腹心である。
そのがっちりとした体格はまだ15歳とは思えないほどだ。腕力なら大人にも負けない。
「リナーリア嬢ですか」
「うん。彼女をびっくりさせようとして策を弄したのが裏目に出てしまったね。最初から約束をしておけばよかった」
アーゲンが今日パーティー会場に遅れて行ったのは、リナーリアを驚かせた上で確実にダンスを踊れる状況を作ろうと思ったからだ。
アーゲンが誰ともファーストダンスの約束をしていない事は、知っている者なら知っている。
早めに会場に行けば、僅かなチャンスを狙って予定をキャンセルしてでもアーゲンと踊ろうと寄ってくるご令嬢が間違いなく現れるだろう。
それが鬱陶しかったからわざとギリギリに行ったのだが、そのおかげでアーゲンはリナーリアが国王陛下との挨拶の際に特別に声をかけられた事を知らなかった。
「彼女はちっとも本心を明かそうとしないから、不意を突けば少しは読めるかと思ったんだけどね…。スピネル・ブーランジェに邪魔をされてしまったね。彼と踊っている間にすっかり態勢を立て直されてしまった」
「…あの男、まさかアーゲン様に向かって譲れなどと言うとは」
ストレングはやや不快そうに言った。身分を弁えない行動がストレングは嫌いだ。
「そうだね。彼は本当によくできた従者だ。上手く立ち回っている」
「…?」
アーゲンの言葉の意味が理解できず、ストレングは疑問を顔に浮かべる。
「彼はリナーリアと約束はしていなかった。彼ならいつでも誘えただろうに、彼女はあの瞬間まで兄と踊る予定だったんだ。
…なのに、僕がリナーリアを誘おうとすると慌ててやってきて、わざわざ割り込んでまで彼女のファーストダンスの相手になった。これはどういう事だと思う?」
「…『彼女はまだ婚約者候補として認められてはいないが、他の男に唾を付けさせるつもりもない』という王子からの牽制」
ストレングは答える。これは誰の目にも明らかだった事のはずだ。
もしもダンスに誘ったのがアーゲンではなく、彼女と同格か格下程度の家の子息だったならスピネルも黙って見ていたかもしれない。
王子にとってはその程度の相手、大した問題にならないからだ。
だがアーゲンは次期公爵で、新入生の中でも王子に継ぐ地位がある人間だ。
それが他の令嬢たちを差し置いてファーストダンスを踊ったとなれば、彼女は周囲から「王子の友人」から「パイロープ公爵家が目をかけている令嬢」という目で見られるようになる。
当然、アーゲンの派閥の者たちも彼女に近付こうとするだろう。
それを防ぎ自分の側に彼女を留めるために、王子は従者のスピネルを動かしたのだと、ストレングはそう考えた。
…だがストレングの主は、スピネルの行動の意味はそれだけではないと思っているようだ。
どこか面白がるような表情で言葉を続ける。
「でも彼はさっき、わざわざパーティー会場の真ん中で彼女をテラスに誘ったよね。これはどんな風に見えた?」
「え?そうですね…仲睦まじい様子でしたし、まるで恋人のような…。…あ」
「そういう事だよ」
彼女と親しげな様子を見せれば、先程の行動はまた別の意味が出てくる。
割り込んだのは王子の意思を受けたからではなく、彼自身が彼女のファーストダンスの相手をしたかったからだ、という解釈もできてしまうのだ。
なぜ事前に誘わなかったのかという疑問は残るが、王子に遠慮して言い出せなかっただとかいくらでも理由はつけられる。
「つまり彼はわざと、どちらとも取れるようにしたのさ」
「…なるほど」
「あえて自分の存在を目立たせる事で、周囲からの憶測を曖昧にした。まあ、あの様子を見れば王子の心がどこにあるのかは明らかだと思うけど…。結局彼女については分からず仕舞いだったね。ついでに、スピネル・ブーランジェの本心も」
「その割に、アーゲン様は楽しそうですが」
ストレングの指摘にアーゲンはにこりと笑う。
「楽しいね。とても面白い。彼女は王子との関係について尋ねられても、いつも『恐れ多い』『私などふさわしくない』の一点張りだ。
あれほど親しげにしているのに、驚くほどに謙虚な態度だよね。どうして王子との仲を周りに誇示し、他の令嬢を牽制しようとしないのか…よほど自信でもあるのかな?それとも、本当に王子に興味がない?
かと言って、あの従者と恋仲だとも絶対に言わない。…僕には、彼女はとても強かなように見える」
ストレングにはよく分からない。ストレングの目には彼女はいかにも大人しそうな、ただ普通より少し美しいだけの令嬢にしか見えない。
だが、アーゲンがそう言うのならそうなのだろう。
「けれど、あの従者ときたら騎士というよりまるで彼女の保護者だね。放って置いても彼女は自分で自分の身を十分に守れそうに見えるけど…彼の目には、僕とは全く違う彼女が映っているらしい。
王子が彼女に対して遠慮がちなのも分からないな。欲しければ手に入れればいいのにね。
…極めつけは国王陛下だ。彼女を王子妃にと望むなら王妃様が声をかければ良いのに、どうして陛下が声をかけたんだろうね?いくら彼女が優秀な魔術師でも、まだ学院入学前の子供にそこまで期待するものかな」
そうつらつらと挙げられると、確かに不自然なことばかりだ。
突如として、あの少女が何かを企む魔女のように思えてくる。
「…少し彼女にちょっかいをかけてみるだけのつもりだったけど、思ったよりずっと面白くなった。それに、スピネル・ブーランジェに貸しを作れたのは収穫だったかな」
アーゲンは再び笑うと、馬車の窓から外へと視線をやった。
「入学が楽しみだな。面白い学院生活が送れそうだ」
ストレングは黙って首肯した。
何にせよ、彼は主の命に従うだけだ。
それが分を弁えた臣下の取るべき行動だと、ストレングは信じていた。
「彼女が国王陛下から声をかけられたと知っていたら、ダンスを譲ったりはしなかったんだけど」
その呟きに、アーゲンの向かいに座るストレングは太い眉を上げる。
ストレングはパイロープ公爵家に代々仕える騎士の息子で、アーゲンの腹心である。
そのがっちりとした体格はまだ15歳とは思えないほどだ。腕力なら大人にも負けない。
「リナーリア嬢ですか」
「うん。彼女をびっくりさせようとして策を弄したのが裏目に出てしまったね。最初から約束をしておけばよかった」
アーゲンが今日パーティー会場に遅れて行ったのは、リナーリアを驚かせた上で確実にダンスを踊れる状況を作ろうと思ったからだ。
アーゲンが誰ともファーストダンスの約束をしていない事は、知っている者なら知っている。
早めに会場に行けば、僅かなチャンスを狙って予定をキャンセルしてでもアーゲンと踊ろうと寄ってくるご令嬢が間違いなく現れるだろう。
それが鬱陶しかったからわざとギリギリに行ったのだが、そのおかげでアーゲンはリナーリアが国王陛下との挨拶の際に特別に声をかけられた事を知らなかった。
「彼女はちっとも本心を明かそうとしないから、不意を突けば少しは読めるかと思ったんだけどね…。スピネル・ブーランジェに邪魔をされてしまったね。彼と踊っている間にすっかり態勢を立て直されてしまった」
「…あの男、まさかアーゲン様に向かって譲れなどと言うとは」
ストレングはやや不快そうに言った。身分を弁えない行動がストレングは嫌いだ。
「そうだね。彼は本当によくできた従者だ。上手く立ち回っている」
「…?」
アーゲンの言葉の意味が理解できず、ストレングは疑問を顔に浮かべる。
「彼はリナーリアと約束はしていなかった。彼ならいつでも誘えただろうに、彼女はあの瞬間まで兄と踊る予定だったんだ。
…なのに、僕がリナーリアを誘おうとすると慌ててやってきて、わざわざ割り込んでまで彼女のファーストダンスの相手になった。これはどういう事だと思う?」
「…『彼女はまだ婚約者候補として認められてはいないが、他の男に唾を付けさせるつもりもない』という王子からの牽制」
ストレングは答える。これは誰の目にも明らかだった事のはずだ。
もしもダンスに誘ったのがアーゲンではなく、彼女と同格か格下程度の家の子息だったならスピネルも黙って見ていたかもしれない。
王子にとってはその程度の相手、大した問題にならないからだ。
だがアーゲンは次期公爵で、新入生の中でも王子に継ぐ地位がある人間だ。
それが他の令嬢たちを差し置いてファーストダンスを踊ったとなれば、彼女は周囲から「王子の友人」から「パイロープ公爵家が目をかけている令嬢」という目で見られるようになる。
当然、アーゲンの派閥の者たちも彼女に近付こうとするだろう。
それを防ぎ自分の側に彼女を留めるために、王子は従者のスピネルを動かしたのだと、ストレングはそう考えた。
…だがストレングの主は、スピネルの行動の意味はそれだけではないと思っているようだ。
どこか面白がるような表情で言葉を続ける。
「でも彼はさっき、わざわざパーティー会場の真ん中で彼女をテラスに誘ったよね。これはどんな風に見えた?」
「え?そうですね…仲睦まじい様子でしたし、まるで恋人のような…。…あ」
「そういう事だよ」
彼女と親しげな様子を見せれば、先程の行動はまた別の意味が出てくる。
割り込んだのは王子の意思を受けたからではなく、彼自身が彼女のファーストダンスの相手をしたかったからだ、という解釈もできてしまうのだ。
なぜ事前に誘わなかったのかという疑問は残るが、王子に遠慮して言い出せなかっただとかいくらでも理由はつけられる。
「つまり彼はわざと、どちらとも取れるようにしたのさ」
「…なるほど」
「あえて自分の存在を目立たせる事で、周囲からの憶測を曖昧にした。まあ、あの様子を見れば王子の心がどこにあるのかは明らかだと思うけど…。結局彼女については分からず仕舞いだったね。ついでに、スピネル・ブーランジェの本心も」
「その割に、アーゲン様は楽しそうですが」
ストレングの指摘にアーゲンはにこりと笑う。
「楽しいね。とても面白い。彼女は王子との関係について尋ねられても、いつも『恐れ多い』『私などふさわしくない』の一点張りだ。
あれほど親しげにしているのに、驚くほどに謙虚な態度だよね。どうして王子との仲を周りに誇示し、他の令嬢を牽制しようとしないのか…よほど自信でもあるのかな?それとも、本当に王子に興味がない?
かと言って、あの従者と恋仲だとも絶対に言わない。…僕には、彼女はとても強かなように見える」
ストレングにはよく分からない。ストレングの目には彼女はいかにも大人しそうな、ただ普通より少し美しいだけの令嬢にしか見えない。
だが、アーゲンがそう言うのならそうなのだろう。
「けれど、あの従者ときたら騎士というよりまるで彼女の保護者だね。放って置いても彼女は自分で自分の身を十分に守れそうに見えるけど…彼の目には、僕とは全く違う彼女が映っているらしい。
王子が彼女に対して遠慮がちなのも分からないな。欲しければ手に入れればいいのにね。
…極めつけは国王陛下だ。彼女を王子妃にと望むなら王妃様が声をかければ良いのに、どうして陛下が声をかけたんだろうね?いくら彼女が優秀な魔術師でも、まだ学院入学前の子供にそこまで期待するものかな」
そうつらつらと挙げられると、確かに不自然なことばかりだ。
突如として、あの少女が何かを企む魔女のように思えてくる。
「…少し彼女にちょっかいをかけてみるだけのつもりだったけど、思ったよりずっと面白くなった。それに、スピネル・ブーランジェに貸しを作れたのは収穫だったかな」
アーゲンは再び笑うと、馬車の窓から外へと視線をやった。
「入学が楽しみだな。面白い学院生活が送れそうだ」
ストレングは黙って首肯した。
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