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第2章

挿話・5 王子の友人

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 スピネル・ブーランジェは、7歳の時に第一王子エスメラルドの従者になった。
 王子は2歳年下。通例上第一王子と呼ばれているが、現在のところ一人っ子だ。
 現国王はあまり身体が丈夫な方ではなく、一昨年にも大きな病をしたため、これ以上子を作るのは難しいと大人達が話しているのを聞いた。
 つまりスピネルの主となった小さな少年は、将来この国の王となる事が決まっている人間だった。

 従者に決まったと聞いた時、スピネルは内心で「面倒くさいな」と思った。
 自分は四男で、将来はどこぞに騎士として仕えるか、息子がいない貴族家の婿養子になるくらいしか選択肢がないという。
 それが突然王子の従者という栄転の道に乗ることになったのは恐らくとても幸運なのだとは思うが、まだ7歳で遊びたい盛りのスピネルには今ひとつぴんと来なかった。

 王都は華やかで楽しいが、王宮の中はいかにも窮屈そうだ。知らない沢山の大人に囲まれて生活するというのも気が重い。
 王子と共に教育を受けるとなれば、きっとずいぶん厳しく指導されることになるだろう。
 剣の稽古は好きだが、勉強はあまり好きではない。

 しかし、普段は厳しくしかつめらしい顔ばかりの父が珍しくずいぶんと喜んでおり、母は感涙せんがばかりだ。
 兄たちも、口々に「やったな」「名誉なことだ」と言ってくる。
 妹は「すごーい!」と拍手してくれたが、本当に分かっているのか怪しい。

 スピネル自身は別に嬉しくもなかったが、真面目くさって「はい!がんばります!」と応えた。
 周囲に望まれるように振る舞うのは、割と得意なのだ。


 王子は金髪に翠の瞳の無口な少年だった。
 一度面接で会った際にもほとんど話はしていない。表情に乏しく、何を考えているのか分からない子供、というのがスピネルの印象だった。
 その何に対しても無感動な様子は、これで本当に王様など務まるのだろうかと心配になるくらいだ。
「この方がお前の生涯の主だ」などと言われても全く実感がないし、父や母が見せていたような感動など湧いてこない。

 そして王子はなかなか扱いにくかった。あれこれ話しかけてみたが、反応は芳しくない。
 ブーランジェ家の剣術の話には少し興味を示したように見えたが、まだ基礎の基礎くらいしかやっていないスピネルに語れることなど大してない。あっという間に話題が途切れてしまう。
 スピネルの妹は王子と同い年なので年下の扱いは分かるつもりだったが、おしゃまで元気いっぱいの妹と無口な王子とでは全く違い何の参考にもならなかった。

 だからスピネルは、王子と仲良くなろうという努力を早々に諦めた。
 大人達の言うように生涯の付き合いになるのなら、今焦っても仕方ないだろう。ぼちぼちやればいい。

 それに、仮にこのまま仲良くなれず従者失格となっても構わないと思っていた。
 別になりたくて従者になった訳ではない。
 自分を選んだのは大人達なのだ。なら大人達が責任を取ればいい。



 そもそも「真面目に従者をやる」つもりなど大してなかったスピネルは、すぐにさぼる事を覚えた。
 王子には必要な時だけ話しかけて、あとは基本放置だ。
 授業や稽古の時間以外でも一応目の届く範囲にはいるが、適当にぼんやりしたり剣を振ってみたりして好きに過ごしている。
 王子もそれで別に文句はないらしい。大人達に告げ口することもない。

 王子は一人遊びが好きなようだ。遊びというか、だいたいいつも庭に出て草木やら地面やらを観察している。
 特に池が好きらしいというのはすぐに分かった。暇さえあれば、裏庭の池のあたりにいる。
 万一落ちたりしたら困るので、池周辺にいる時は多少真面目に様子を見る事になる。

「殿下はカエルが好きなんですか?」

 ただ見ているのは暇なので、ある日何となく話しかけてみた。
 王子は昨日も熱心にカエルの姿を追いかけているようだったからだ。
 王子は少し迷った後でこくりとうなずいた。そして尋ね返す。

「スピネルはカエルはすきか?」
「いや別に。好きでもきらいでもないですね」

 スピネルは正直に答えた。興味はないが、嫌悪感があるわけでもない。

 …ここで「好き」と言えば、少しは仲良くなれたかもしれない。
 ちらりとそう思ったが、もう言ってしまったので仕方がない。

 しかし王子は特に残念そうな様子もなく普通に「そうか」と言っただけだった。
 王子は俺に興味なんかないか…とスピネルは思ったが、王子は意外なことを言った。

「スピネルはしょうじきだな」
「え?」
「へんなわらい方をするよりいい」

 変な笑い方。少し考えて、すぐに分かった。
 王子に「カエルが好きか?」と言われた人間が一番多く取るだろう態度、それは「そうですね」という愛想笑いだ。
 困惑かごまかし、あるいは追従を含んだ笑い。それが「変な笑い方」に見えるのだろう。

 今まで話しかけても反応が良くなかったのは、もしかして自分が王子に取り入ろうとしてるのを勘付いていたからか。
 この無口な王子は周囲の人間に興味などなさそうに見えたが、そういう訳でもないらしい。

 それ以来、王子は少しスピネルに心を開いたようだった。
 たまに話しかけて来るし、スピネルから話しかけた時も前よりは長い返事が返ってくる。相変わらず何を考えているのかは分かりにくいが。
 スピネルもほんの少しだが、王子のことを気に入り始めていた。
 本人は自覚していないが、実は彼は結構面倒見のいい性格なのだった。



 やがて従者になって数ヶ月が経った頃。
 スピネルは歴史の授業時間を前にして、すでに幾度目かになるさぼりを実行しようとしていた。
 歴史は嫌いだ。あれこれただ覚えるだけというのはつまらない。興味も持てない。
 だが、こっそり逃げ出そうとした所を王子に見つかってしまった。

「スピネルは今日もさぼりか」

 スピネルは最初ごまかそうとし、すぐに面倒くさくなって正直に「そうです」と答えた。
 この王子なら余計な事は言わずにいてくれるだろうという打算もある。

「歴史はつまらなくてきらいなんですよ」
「ぼくもすきじゃない」

 あれ、そうなのか、とスピネルは思った。
 王子はいつも真面目に授業を受けているので意外だったが、単に顔に出していなかっただけらしい。

「殿下もさぼりますか?」

 何の気もなしにそう尋ねてみると、王子はスピネルの予想を裏切り、迷わずに大きくうなずいた。


「いつもはさぼって何をしているんだ?」
「まあ色々。ひるねしたり、侍女と話したり、庭師のしごとを見に行ったり」
「ほう」

 どこに行こうか、スピネルは王子を連れて歩きながら考える。人が来た時は、物陰に隠れてやりすごすことも忘れない。
 窓から外を見ると、白い雲がぽつぽつ浮かぶ青空が広がっていた。
 昼寝もいいが、今日は王子がいるし、天気も良い。

「外に行きましょう」
「わかった」


 やって来たのは、城の裏庭だ。ただ、王子がいつも行く池とは反対側にある。
 高い木がいくつも生えていて身を隠しやすいし、日当たりが良くぽかぽかとして結構気に入っている場所だ。
 それにここには、あれがいる。
 小さな鳴き声が耳に届き、王子はぴたりと足を止めた。

「…ネコ?」
「そうです。…ああ、ほら、あそこに」

 茂みから虎毛の小さな猫が顔を覗かせていた。

「このしろにネコがいたのか」
「まよい込んだのか、だれかが飼ってるのかは知りませんけどね」

 王子は猫に向かって手招きをする。だが、警戒しているのか近寄ってこようとはしない。

「こうやるんですよ」

 スピネルはその場にしゃがみ込むと、にゃあ~と猫の鳴き真似をした。軽く指を振りながらそのまま待つ。
 とことこと歩いてスピネルの手の中に収まった猫に、王子は目を輝かせた。

「すごい」


 種を明かしてしまえば、スピネルはすでにこの子猫を餌付けしていただけである。
 今日は王子がいるので警戒してなかなか出てこなかったが、いつもは呼んだだけですぐに出てくる。
 スピネルは胸ポケットからクッキーを取り出して王子に手渡した。

「小さくして、手のひらにのせてみてください」
「こうか」

 王子は砕いたクッキーを乗せた手のひらを地面へと近付けた。
 スピネルの手から下ろされた子猫が王子の手のクッキーへと食いつく。

「おお…」

 王子は感動したらしく、嬉しそうにしている。いつもより表情豊かなその様子にスピネルは少し笑った。

「あんまりおかしをあげるのは良くないらしいですけどね。一度えさをあげたから、次からは殿下がよんでも出てくるかも」

 本当は肉か魚をやれれば良いのだが、生肉や生魚を懐に入れて持ってくるのはちょっと難しい。
 でも、一度慣れてしまえば特に餌をやらなくても遊ぶくらいはできるだろう。
 人懐っこいし毛艶が良いので、恐らく城内の誰かが飼っているか餌をやっている猫なのだろうとスピネルは考えている。


 そのまましばらく猫と遊んで、二人は城内に戻った。
 きっと教育係は怒っているだろうと思ったが、いざ戻ってみると教育係はスピネルの想像の5倍くらい激しく怒っていた。
 一人ならまだしも、二人揃ってのさぼり。しかも今まで一度も授業に文句を言わなかった王子が突然さぼった事がショックだったらしい。

「貴方が殿下を唆したのですね!全くなんてことを…!」

 きいきいと金切り声を上げる教育係にうんざりしつつ、スピネルは表面上いかにも反省した様子で肩を落とす。

「すみませんでした…」
「謝って済む問題ではありません!!」

 しおらしい表情を作り謝ってみても、教育係の怒りは収まらない。
 この手であと1~2回は許されると思っていたのだが、王子を巻き込んだので通用しなくなってしまったようだ。

「どうして殿下を連れて行ったのですか!殿下は貴方とは違うのですよ!!」

 …ああ、面倒だな。
 そう思った時、隣で怒られていた王子が声を上げた。

「ちがう。ぼくがスピネルにつれて行ってくれとたのんだ」

 スピネルは驚いて王子を見た。
 突然の口答えに教育係も驚いたようだが、すぐにまた金切り声を上げる。

「嘘を言ってはいけません!殿下はいつも良い子でしたでしょう!自分から勉強をさぼる訳がありません!!」

 王子は一瞬言葉に詰まり、それから何か思いついたように教育係を見る。

「ぼくはスピネルにべんきょうをおしえてもらっていたんだ」
「…は?勉強を?一体何の勉強です?」

 怪訝に眉を寄せた教育係に、王子は真面目な表情で答えた。

「ネコとあそぶほうほう」

 結局二人は一時間以上にわたって説教をされた。



「あーくそ…ひどい目にあった」

 げっそりとした顔で廊下を歩くスピネルに、王子は少し落ち込んだ顔になる。

「すまない。ぼくのせいで」
「いや、殿下をさそったのは俺でしょ。だいたい、殿下は俺をかばってくれたじゃないですか」
「ぜんぜん信じてもらえなかった…」

 そりゃ猫と遊ぶ勉強じゃなあ…と、スピネルは内心苦笑する。
 それから、気になっていた事を尋ねてみた。

「何でかばってくれたんですか?」

 王子はしばし黙り込んだ。それからスピネルを見上げて口を開く。

「…スピネルがあんまりはんせいしたら、もうさぼりにつれて行ってくれないかと思って」

 その返答に、スピネルは目を丸くしぱちくりと瞬かせた。
 笑いがこみ上げ、思わず爆笑する。

「ははっ!そうか!俺が反省したら困るのか!」

 そう来るとは思わなかった。
 てっきり罪悪感からやったのかと思ったけれど、想像よりもずっとちゃっかりした理由だった。
 腹を抱えて笑うスピネルに、王子は首をかしげる。

「そうかそうか。じゃあ、反省はやめとくか」

 笑いすぎて目尻から出てきた涙を拭いながら、スピネルは王子を見下ろした。

「次はまた別の所に連れてってやるよ」

 王子は目を輝かせた。この王子の表情も、大分読み取れるようになってきた気がする。

「そういえば、スピネル」
「うん?」
「そんなしゃべり方だったのか」

 言われてみれば、いつの間にか敬語がすっ飛んでしまっていた。でもまあいいか、と思う。

「別にいいだろ。友達なんだから、敬語つかう方がおかしいんだよ」
「…友だち」

 今度は王子が目を丸くする番だった。ほんの少し頬を紅潮させ、口元を緩ませる。
 その様子を見下ろしながら、スピネルもまた口元を緩ませた。
 この少し変わった王子の従者というのも、なかなか悪くないかもしれない。
 面倒くさいとは、もう思わなかった。
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