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第2章
第20話 新たな友情
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その日の夜。
私は小さなノックの音を聞き、そっと自室のドアを開けた。
「…スピネル様」
「…悪い。ちょっといいか?」
彼が訪ねてくるような気はしていたので、私は黙ってうなずいた。
「どうぞ」と中へ入って椅子に座るように促す。
だが、スピネルは部屋に入ってすぐのところで止まってしまった。
彼が「女性の部屋で二人きりになる時は、疑われないようドアを少し開けておくべし」という騎士の教えを守るべきか迷っている事に気付いた私は、思わず少し笑ってしまった。
人に聞かれたくない話だからこんな夜中に訪ねて来たのだろうに。意外とこういう場には慣れていないらしい。
「貴方のことは信用していますから、ドアを閉めて下さって大丈夫ですよ」
「……」
スピネルは気まずそうに扉を閉めると、私の向かいの椅子へと座った。
「まず、先に謝っておく。本当に済まなかった。お前を助けられなかったのは俺の力不足だ」
「もういいと言っているでしょう。私にも落ち度はありましたし」
「お前は悪くないだろ」
「いいえ。…それに、貴方もずいぶん辛い思いをしたでしょう?」
今朝、戻ってきた私を見た時のスピネルの泣きそうな顔が忘れられない。
それにスピネルは夜になって捜索が一旦打ち切られた後も、お兄様達と一緒に岩の側で待っていてくれたそうなのだ。
名目上はお兄様の護衛だが、間違いなく彼自身の意志で私を待っていてくれたのだと思う。きっと責任を感じての行動だろうが…。
一縷の望みをかけ、行方不明になった妹を待つ憔悴した兄。
近くにいたにも関わらず、その妹を助けられなかった(私自身がそう望んだからなのだが)男。
…そこに流れた空気は、想像するだに地獄である。
お兄様は優しいのでスピネルを責めたりはしなかったと思うが、その方がよほど辛かったに違いない。
一緒にいたという騎士たちも針のむしろだっただろうな…。後で名前を聞いてお礼を言っておこう…。
「俺のことは別に…いや、それはいいんだ。それより、もう一つ謝る事がある」
スピネルはそう言って口をつぐんだ。
「謝る事とは?」
「……」
言いにくそうに視線をさまよわせ、しばらく黙り込む。
それから意を決したように顔を上げ、はっきりと私の目を見た。
「…殿下には、ああ言ったが。…もしもまた同じことが起きた時、俺はやっぱり、殿下を助ける」
沈黙が部屋の中に落ちる。
「…わざわざそれを言いに?」
あえて冷ややかに言ってみせる。だが、スピネルは私から目を逸らさなかった。
「そうだ。もちろん、今度は必ず二人共助けられるように努力する。もっと鍛えるし、もっと強くなる。…だけど、本当にどちらかしか選べないなら、俺は次も殿下を…俺の主を選ぶだろう。だから、すまない」
一つため息をつく。
…こんな事を、わざわざ私に言う必要などないのだ。
誰が何と言おうと殿下を守る事は彼の責務であり、使命だ。私にはそれを咎める資格などないし、咎めるつもりもない。
殿下は未来の王、この国の将来を背負うべき方なのだから当たり前だ。
だが、彼はあえて私にそれを告げた上で、私に謝ろうとする。
…それを誠実と言わずして、なんと言うだろう。
「正直、助かりました」
「え?」
スピネルが怪訝な顔をする。
「本当は、私の方から貴方に釘を刺しておくつもりだったんです。殿下の命令を聞く必要はないと」
「…お前…」
スピネルはわずかに目を瞠った。
「殿下は…あの方は、あのままで良いのです。あの強く真っ直ぐな魂が、私にはとても尊い」
私は目を閉じる。
今でも鮮やかに蘇る、我が主との大切な思い出。…それはもう、私の胸の中にしか残っていない。今の殿下は、彼の主だ。
「たとえ命令に反することになっても、貴方には殿下を守ってもらいたい。次も必ず、殿下の手を引く事を選んで欲しい。
それで私が死んだとしても、私は決して貴方を責めませんし、貴方が悔やむ必要もありません。私が望んだ事ですから」
ようやく確信できた。スピネルならば、何があっても必ず殿下を守ってくれる。
彼は殿下の友人で、好敵手で、何よりも臣下なのだと、そう分かった。
スピネルは少し辛そうな顔でしばらく沈黙をしていたが、もう一度力強く私を見ると、立ち上がって騎士の礼をした。
「承った。スピネル・ブーランジェ、一命を賭して必ず殿下をお守りすると誓う」
その迷いのない鋼色の瞳に、私は微笑む。
「貴方が、殿下の従者で良かった」
私ではなく彼が従者になった事には、きっと意味があるのだ。
「…でも、私も死にたくはないので。次はできれば頑張って私の事も助けて下さいね。期待しております」
わざとおどけながら言うと、スピネルもわざとらしく顔をしかめた。
「お前があまり無茶をしなければ俺ももっと楽になるんだが?」
「いいじゃないですか。か弱いご令嬢を助けるのも騎士の仕事でしょう」
「どこにか弱いご令嬢がいるんだ」
「そういう事言いますか?殿下に言いつけますよ?」
「おいやめろ」
私はくすくすと笑うと、「そうだ」とふと思いついてスピネルを見た。
「貴方にもう一つお願いがあるんですが」
「なんだ?言ってみろ。お前には借りができたしな」
「騎士って借りとかなんとかそういう考え方するの好きですよねえ…。まあそれはいいです。…スピネル様、私と友人になって下さい」
そう言いながら、スピネルへと向かって右手を差し出す。
スピネルは信用できる人間だし、とても強い。心も、身体もだ。これからもっと強くなるだろう。
だけど、多分それだけでは足りないのだ。もし彼が殿下を助けられたとしても、その時彼が無事でいられるとは限らない。
殿下には彼が必要だ。失う訳にはいかない。だから、私が助けにならなければ。
殿下のためにも、彼のためにも、私は私にやれる事をやる。
…例え誰にも、殿下自身にすら認めてもらえなくても。私は今でも、殿下の臣下なのだから。
そのためにはもっとスピネルと親しくなり、彼の事を知っておくべきだろう。
そう考えての「友人になろう」という提案だったのだが、スピネルは何故か物凄く残念なものを見る目で私を見た。
「俺は、お前が今まで俺を友人だと思っていなかった事にショックを受けているんだが」
「えっ!?」
思わず慌てる。
「えっ、いや、親しくしてくれてるとは思ってましたよ!?でもほら、殿下からは『これから仲良くしてくれ』ってはっきり言われましたけど、貴方とはそういうの特に無かったじゃないですか!」
「お前本当に友達いないんだな…」
憐れまれた。
「…さ、最近は少しできましたし…!」
思わず呻くと、スピネルは肩を揺らしておかしそうに笑った。
そして、私の方へ片手を差し出す。
「本当にお前って奴は…。いいさ、じゃあ改めてって事で。…これからもよろしく、リナーリア」
「…はい!これからもよろしくお願いします、スピネル!」
私は嬉しくなって、笑顔でその手を握り返した。
「でも俺は前からお前を友人だと思ってたから、借りはそのままだな」
「別に貸しだとは思ってませんし、返済も必要ありませんが?それに、私は今まで貴方に結構助けられてると思うんですが」
ダンス教師を紹介してもらったり、ご令嬢と仲良くなる方法を教えてもらったりとか。
「いいから黙ってツケとけ。返して欲しくなったらいつでも言え」
ううむ、本当に律儀な男だ。
前世では軽薄な奴だと思っていたけれど、人は見かけによらないものだ。それともやはり、殿下と出会って変わったのだろうか。
「じゃ、俺は戻るわ。明日も視察だし」
「あー…私は行けないんですよね…残念です」
地震と転移事件とで危うく中止になりかけた視察だが、一日遅れでそのまま続けるとすでに決まっていた。
私は半日ほどで無事に戻ってきたし、それについての箝口令も敷かれている。
また、不思議なことに地震はあの温泉地以外ではさほど大きなものではなく、領内への被害もほぼなかったらしい。視察に支障はないと判断された。
だが遺跡に閉じ込められ魔力切れ状態でやっと帰ってきた私は、さすがに屋敷で休んでいるべきだろうと満場一致で決まったのである。
「大丈夫、そのうちまた機会があるさ。じゃ、おやすみ」
スピネルはひらりと手を振ると部屋を出ていった。
機会かあ…。あるといいんだけどな。
翌々日、視察を終えた殿下御一行はジャローシス領を去っていった。
その姿を見送り、私は青い空を見上げる。
前世の殿下は、13歳の時この領に来ることはなかった。
古代神話王国の遺跡が見つかったりもしなかったし、この時期に大きな地震があったような覚えもない。
私の記憶の中の世界とこの世界とでは、どんどんずれ始めているのかも知れないと私は思った。
私は小さなノックの音を聞き、そっと自室のドアを開けた。
「…スピネル様」
「…悪い。ちょっといいか?」
彼が訪ねてくるような気はしていたので、私は黙ってうなずいた。
「どうぞ」と中へ入って椅子に座るように促す。
だが、スピネルは部屋に入ってすぐのところで止まってしまった。
彼が「女性の部屋で二人きりになる時は、疑われないようドアを少し開けておくべし」という騎士の教えを守るべきか迷っている事に気付いた私は、思わず少し笑ってしまった。
人に聞かれたくない話だからこんな夜中に訪ねて来たのだろうに。意外とこういう場には慣れていないらしい。
「貴方のことは信用していますから、ドアを閉めて下さって大丈夫ですよ」
「……」
スピネルは気まずそうに扉を閉めると、私の向かいの椅子へと座った。
「まず、先に謝っておく。本当に済まなかった。お前を助けられなかったのは俺の力不足だ」
「もういいと言っているでしょう。私にも落ち度はありましたし」
「お前は悪くないだろ」
「いいえ。…それに、貴方もずいぶん辛い思いをしたでしょう?」
今朝、戻ってきた私を見た時のスピネルの泣きそうな顔が忘れられない。
それにスピネルは夜になって捜索が一旦打ち切られた後も、お兄様達と一緒に岩の側で待っていてくれたそうなのだ。
名目上はお兄様の護衛だが、間違いなく彼自身の意志で私を待っていてくれたのだと思う。きっと責任を感じての行動だろうが…。
一縷の望みをかけ、行方不明になった妹を待つ憔悴した兄。
近くにいたにも関わらず、その妹を助けられなかった(私自身がそう望んだからなのだが)男。
…そこに流れた空気は、想像するだに地獄である。
お兄様は優しいのでスピネルを責めたりはしなかったと思うが、その方がよほど辛かったに違いない。
一緒にいたという騎士たちも針のむしろだっただろうな…。後で名前を聞いてお礼を言っておこう…。
「俺のことは別に…いや、それはいいんだ。それより、もう一つ謝る事がある」
スピネルはそう言って口をつぐんだ。
「謝る事とは?」
「……」
言いにくそうに視線をさまよわせ、しばらく黙り込む。
それから意を決したように顔を上げ、はっきりと私の目を見た。
「…殿下には、ああ言ったが。…もしもまた同じことが起きた時、俺はやっぱり、殿下を助ける」
沈黙が部屋の中に落ちる。
「…わざわざそれを言いに?」
あえて冷ややかに言ってみせる。だが、スピネルは私から目を逸らさなかった。
「そうだ。もちろん、今度は必ず二人共助けられるように努力する。もっと鍛えるし、もっと強くなる。…だけど、本当にどちらかしか選べないなら、俺は次も殿下を…俺の主を選ぶだろう。だから、すまない」
一つため息をつく。
…こんな事を、わざわざ私に言う必要などないのだ。
誰が何と言おうと殿下を守る事は彼の責務であり、使命だ。私にはそれを咎める資格などないし、咎めるつもりもない。
殿下は未来の王、この国の将来を背負うべき方なのだから当たり前だ。
だが、彼はあえて私にそれを告げた上で、私に謝ろうとする。
…それを誠実と言わずして、なんと言うだろう。
「正直、助かりました」
「え?」
スピネルが怪訝な顔をする。
「本当は、私の方から貴方に釘を刺しておくつもりだったんです。殿下の命令を聞く必要はないと」
「…お前…」
スピネルはわずかに目を瞠った。
「殿下は…あの方は、あのままで良いのです。あの強く真っ直ぐな魂が、私にはとても尊い」
私は目を閉じる。
今でも鮮やかに蘇る、我が主との大切な思い出。…それはもう、私の胸の中にしか残っていない。今の殿下は、彼の主だ。
「たとえ命令に反することになっても、貴方には殿下を守ってもらいたい。次も必ず、殿下の手を引く事を選んで欲しい。
それで私が死んだとしても、私は決して貴方を責めませんし、貴方が悔やむ必要もありません。私が望んだ事ですから」
ようやく確信できた。スピネルならば、何があっても必ず殿下を守ってくれる。
彼は殿下の友人で、好敵手で、何よりも臣下なのだと、そう分かった。
スピネルは少し辛そうな顔でしばらく沈黙をしていたが、もう一度力強く私を見ると、立ち上がって騎士の礼をした。
「承った。スピネル・ブーランジェ、一命を賭して必ず殿下をお守りすると誓う」
その迷いのない鋼色の瞳に、私は微笑む。
「貴方が、殿下の従者で良かった」
私ではなく彼が従者になった事には、きっと意味があるのだ。
「…でも、私も死にたくはないので。次はできれば頑張って私の事も助けて下さいね。期待しております」
わざとおどけながら言うと、スピネルもわざとらしく顔をしかめた。
「お前があまり無茶をしなければ俺ももっと楽になるんだが?」
「いいじゃないですか。か弱いご令嬢を助けるのも騎士の仕事でしょう」
「どこにか弱いご令嬢がいるんだ」
「そういう事言いますか?殿下に言いつけますよ?」
「おいやめろ」
私はくすくすと笑うと、「そうだ」とふと思いついてスピネルを見た。
「貴方にもう一つお願いがあるんですが」
「なんだ?言ってみろ。お前には借りができたしな」
「騎士って借りとかなんとかそういう考え方するの好きですよねえ…。まあそれはいいです。…スピネル様、私と友人になって下さい」
そう言いながら、スピネルへと向かって右手を差し出す。
スピネルは信用できる人間だし、とても強い。心も、身体もだ。これからもっと強くなるだろう。
だけど、多分それだけでは足りないのだ。もし彼が殿下を助けられたとしても、その時彼が無事でいられるとは限らない。
殿下には彼が必要だ。失う訳にはいかない。だから、私が助けにならなければ。
殿下のためにも、彼のためにも、私は私にやれる事をやる。
…例え誰にも、殿下自身にすら認めてもらえなくても。私は今でも、殿下の臣下なのだから。
そのためにはもっとスピネルと親しくなり、彼の事を知っておくべきだろう。
そう考えての「友人になろう」という提案だったのだが、スピネルは何故か物凄く残念なものを見る目で私を見た。
「俺は、お前が今まで俺を友人だと思っていなかった事にショックを受けているんだが」
「えっ!?」
思わず慌てる。
「えっ、いや、親しくしてくれてるとは思ってましたよ!?でもほら、殿下からは『これから仲良くしてくれ』ってはっきり言われましたけど、貴方とはそういうの特に無かったじゃないですか!」
「お前本当に友達いないんだな…」
憐れまれた。
「…さ、最近は少しできましたし…!」
思わず呻くと、スピネルは肩を揺らしておかしそうに笑った。
そして、私の方へ片手を差し出す。
「本当にお前って奴は…。いいさ、じゃあ改めてって事で。…これからもよろしく、リナーリア」
「…はい!これからもよろしくお願いします、スピネル!」
私は嬉しくなって、笑顔でその手を握り返した。
「でも俺は前からお前を友人だと思ってたから、借りはそのままだな」
「別に貸しだとは思ってませんし、返済も必要ありませんが?それに、私は今まで貴方に結構助けられてると思うんですが」
ダンス教師を紹介してもらったり、ご令嬢と仲良くなる方法を教えてもらったりとか。
「いいから黙ってツケとけ。返して欲しくなったらいつでも言え」
ううむ、本当に律儀な男だ。
前世では軽薄な奴だと思っていたけれど、人は見かけによらないものだ。それともやはり、殿下と出会って変わったのだろうか。
「じゃ、俺は戻るわ。明日も視察だし」
「あー…私は行けないんですよね…残念です」
地震と転移事件とで危うく中止になりかけた視察だが、一日遅れでそのまま続けるとすでに決まっていた。
私は半日ほどで無事に戻ってきたし、それについての箝口令も敷かれている。
また、不思議なことに地震はあの温泉地以外ではさほど大きなものではなく、領内への被害もほぼなかったらしい。視察に支障はないと判断された。
だが遺跡に閉じ込められ魔力切れ状態でやっと帰ってきた私は、さすがに屋敷で休んでいるべきだろうと満場一致で決まったのである。
「大丈夫、そのうちまた機会があるさ。じゃ、おやすみ」
スピネルはひらりと手を振ると部屋を出ていった。
機会かあ…。あるといいんだけどな。
翌々日、視察を終えた殿下御一行はジャローシス領を去っていった。
その姿を見送り、私は青い空を見上げる。
前世の殿下は、13歳の時この領に来ることはなかった。
古代神話王国の遺跡が見つかったりもしなかったし、この時期に大きな地震があったような覚えもない。
私の記憶の中の世界とこの世界とでは、どんどんずれ始めているのかも知れないと私は思った。
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