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プロローグ
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ひんやりとした空気の満ちる薄暗い夜の森を、彼は一人走っていた。
せり出した枝や生い茂る草に手足を打たれ、あちこちに擦り傷を作りながらも、息を切らし必死で走る。
…他の騎士たちと合流してから追うべきだっただろうか。
そんな考えがちらりと頭をかすめるが、すぐにそれを否定する。
共に捜索に当たっていた騎士たちは、森の入口に仕掛けられていた罠の魔術に捕らわれてしまった。殺傷力はないが、解除に時間がかかるタイプのものだ。
その間に逃げられてしまう可能性の高さと天秤にかければ、一人でも追う危険を冒すしかなかった。
「あっ…!」
突然がくんとつんのめり、大きく体勢を崩す。地面に投げ出されかけたが、何とか手をついて転倒するのを避けた。
おおかた、草葉の陰に木の根でも張り出していて躓いたのだろう。「くそっ!」と悪態をつきながら立ち上がる。
ずれてしまった眼鏡の位置を直すと、手首のあたりに鈍い痛みがあるのが分かった。
手をついた時に痛めたのかもしれない。けれど、構っている暇はなかった。痛めたのが足でなくて幸いだと思いながら、再び走り出す。
絶対に逃がすわけにはいかない。早く彼女に追いつき、捕らえなければ。
その時、前方の茂みががさりと大きな音を立てた。
反射的に足を止めた彼の前に、一人の人影が姿を表す。
「…まさか、一人で追ってくるとは思いませんでしたわ」
「…フロライア…!!」
名前を呼ばれた蜂蜜色の髪女は、にたりと妖艶な笑みを浮かべてみせた。
いつも美しいドレスに包まれていたその肢体は、今は地味な色の旅装に包まれている。今回の事が予め練られた計画であった証だろう。
彼はわずかに息を整えると、絞り出すように女に尋ねた。
「…何故です、フロライア嬢…。何故、どうして、あの方を殺した…!」
「あら?一体何のことかしら?」
「とぼけるなっ!!私はあの方の最後の言葉を聞いた!あのワインを差し出したのは、貴女だったと!」
「そう。殿下は、ちゃんと死んだのね。まあ、あの毒で助かるはずがないのだけれど」
「貴様っ!!」
彼は激昂した。腰の剣に手を伸ばしかけ、だがすんでのところで思いとどまる。
「あら?私を斬らなくていいのかしら?」
「…貴女には訊かなければならない事が山ほどあります。動機。毒の入手先。そして、暗殺を命じた者の正体」
「私が一人でやったとは思わないの?」
ことりと首をかしげてみせる女に怒りがこみ上げるが、その挑発には乗らないと彼は片腕を上げた。
「こんな事が一人でできるものか。…もういい。貴女を捕らえ、城に連れ帰る」
言い捨てて捕縛のための魔術を編みかけた時、女が再び笑った。
まるで闇を覗いたかのようなうつろな笑顔で。
「…最後だから教えてあげますわ。殿下は『天秤を傾ける者』だった。ただそれだけよ」
その瞬間、背筋がぞわりと粟立つのを感じた。
とっさに後ろを振り向く。
そこには月明かりを反射してきらめく、大きく振りかぶられた白刃があった。
せり出した枝や生い茂る草に手足を打たれ、あちこちに擦り傷を作りながらも、息を切らし必死で走る。
…他の騎士たちと合流してから追うべきだっただろうか。
そんな考えがちらりと頭をかすめるが、すぐにそれを否定する。
共に捜索に当たっていた騎士たちは、森の入口に仕掛けられていた罠の魔術に捕らわれてしまった。殺傷力はないが、解除に時間がかかるタイプのものだ。
その間に逃げられてしまう可能性の高さと天秤にかければ、一人でも追う危険を冒すしかなかった。
「あっ…!」
突然がくんとつんのめり、大きく体勢を崩す。地面に投げ出されかけたが、何とか手をついて転倒するのを避けた。
おおかた、草葉の陰に木の根でも張り出していて躓いたのだろう。「くそっ!」と悪態をつきながら立ち上がる。
ずれてしまった眼鏡の位置を直すと、手首のあたりに鈍い痛みがあるのが分かった。
手をついた時に痛めたのかもしれない。けれど、構っている暇はなかった。痛めたのが足でなくて幸いだと思いながら、再び走り出す。
絶対に逃がすわけにはいかない。早く彼女に追いつき、捕らえなければ。
その時、前方の茂みががさりと大きな音を立てた。
反射的に足を止めた彼の前に、一人の人影が姿を表す。
「…まさか、一人で追ってくるとは思いませんでしたわ」
「…フロライア…!!」
名前を呼ばれた蜂蜜色の髪女は、にたりと妖艶な笑みを浮かべてみせた。
いつも美しいドレスに包まれていたその肢体は、今は地味な色の旅装に包まれている。今回の事が予め練られた計画であった証だろう。
彼はわずかに息を整えると、絞り出すように女に尋ねた。
「…何故です、フロライア嬢…。何故、どうして、あの方を殺した…!」
「あら?一体何のことかしら?」
「とぼけるなっ!!私はあの方の最後の言葉を聞いた!あのワインを差し出したのは、貴女だったと!」
「そう。殿下は、ちゃんと死んだのね。まあ、あの毒で助かるはずがないのだけれど」
「貴様っ!!」
彼は激昂した。腰の剣に手を伸ばしかけ、だがすんでのところで思いとどまる。
「あら?私を斬らなくていいのかしら?」
「…貴女には訊かなければならない事が山ほどあります。動機。毒の入手先。そして、暗殺を命じた者の正体」
「私が一人でやったとは思わないの?」
ことりと首をかしげてみせる女に怒りがこみ上げるが、その挑発には乗らないと彼は片腕を上げた。
「こんな事が一人でできるものか。…もういい。貴女を捕らえ、城に連れ帰る」
言い捨てて捕縛のための魔術を編みかけた時、女が再び笑った。
まるで闇を覗いたかのようなうつろな笑顔で。
「…最後だから教えてあげますわ。殿下は『天秤を傾ける者』だった。ただそれだけよ」
その瞬間、背筋がぞわりと粟立つのを感じた。
とっさに後ろを振り向く。
そこには月明かりを反射してきらめく、大きく振りかぶられた白刃があった。
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