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混血の放浪者 4-1

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放浪者の瞼が静かに開いた。僅かに休めた眼差しは、まだ光差さぬ木工所の暗闇を見て取る。暗視で視る色の無い暗色の世界は、いまだ夜の中に在る。

傍らで眠るシェイガンは、静かに寝息をたてている。器用な事に、どんな場所でも安眠を得られるのが、この男の特技の一つのようだ。

夜明けまでは、あとどれぐらいだろうか。放浪者は腕を組みなおし檻の中で凝った姿勢を弛緩させた。もう一度、夢を見ることが出来るか試してみよう。

静かに閉じようとした眼が、すぐに開いた。

「カ……カーヤ!こんな遅くにどうしたんだい!?あっ!だめだよ、中に入っちゃ!恐ろしいやつが居るから、あぁ……っ!」

眼差しの先で勢いよく、木工所の扉が押し開かれた。木工所の闇に差し込む焚火の光が、放浪者の視界を僅かに遮った。その眩さを和らげるように少女の影が伸びる。

放浪者は身を乗り出し格子を掴んだ。一心不乱に駆け寄る少女の姿を見て、何かあったのだと悟った。

「おじさん……ッ……ダヤンが……ダヤンが……ッ!」

「……何があった」

慌てて後を追って来た村人が、ぎょっとしてこちらを見ていた。ピッチフォークを持つ手が震えている。少女を引きはがすようにゆっくりと近づいて来たが、放浪者の睨む眼光に息を飲みこみ、その場を引き返した。

「……ゆっくりで良い、どうした。ダヤンに何かあったのか?」

檻ごしにへたり込んだカーヤは、堰を切ったように泣きじゃくった。言葉が出てくる度に詰まる息に放浪者はその落ち着きを待った。

「おいおい……なんだァ?折角よォ美女がオレの頬に手を触れたってのによォ、夢の向こうに逃げちまったじゃねェか……」

「……おっと……お邪魔だったかい」

気だるそうに眠りから覚めたシェイガンは、恨みがましく呟いたが。傍らのやり取りを目にしてぽりぽりと頬を掻いた。ただならぬ空気に沈黙するしかなかったのだ。

カーヤはひとしきり泣き落ち着いた所で、事の顛末を語り始めた。
ハッバンの家で起きた事、ダヤンの身に起きた事。そして……助けを求めに来た事を。

「……もう、おじさんしか頼りが居ないの。この村じゃあ、誰もあいつに敵わない。私とダヤンは生まれる前の出来事だったから、あいつの事を知らなかった。あいつが……この村をこんなふうにしただなんて……わたしの父ちゃんを……!」

「……そうか」

放浪者はカーヤを静かに見つめた。握りこんだ鉄格子はその悲痛な声に応えるように軋みを挙げる、そのカーヤを憐れむ眼の奥には、急速に燃え上がる炎の色が塗りこめられていった。

「なるほど、どうりで臭う訳だ……」

静かにシェイガンが口を開く。色を携えたまま放浪者は痩躯の男に問いかけるように視線を向けた。その眼差しに肩をすくめ冷静にシェイガンは続けた。

「ようするに、奴は自分に暗示をかけ、究極に隠匿された変装をしていた訳だ。一種のトリックだよ、秘術を用いちゃ居るが……詐欺師の常とう手段の一つさ。だが、そいつが纏う臭ェものってのは隠しようがねェ。プンプン香るのさ、下衆な野郎の臭いってのはな」

「だが……お前はあいつに会っていないだろう、気を失っていたはずだ」

シェイガンは自慢げに親指で自分の胸を叩いて見せた。そのしぐさに放浪者は目を細め、鼻で笑って見せた。

「なるほど……途中から目が覚めていたのか。まさに詐欺師だな」

「生きる術ってヤツよ旦那ァ。オレみたいな奴らにとっちゃ、騙しは武器さ」

「ともあれ。クセェのはこの敷藁だけじゃあねえって事だ。……となれば善は急げだな、まぁ最もオレは悪党だから、この言葉は適切じゃあねえがよッ」

落ち着きを取り戻したカーヤが顔を上げる、泣きはらした顔をシェイガンに向けて、懐をあさる仕草を不思議そうに見た。

「で……でも、結局鍵は手に入れられなかったのよ、おじさん達を頼りに来たけど。この中じゃあ」

「はっはっはァ、お嬢さん。オレを見くびってもらっちゃァ……困るぜ」

キザっぽくシェイガンは指を振って見せ、そして手品のように二本の針金を取り出して見せた。カーヤと放浪者は目をぱちくりと丸くした。抜け目ない男は鍵開け道具を秘密の場所に隠し持っていたのだ。秘密の場所については、聞かないでおこう。

「ほいほい、じゃあどいたどいた。どれどれェ……この程度の檻なんざオレ様の手に掛かれば。高級娼婦を鳴かすぐらい朝飯前よ」

その言い回しに放浪者は目で咎めたが。気にする様子もなく、痩躯の男は檻の内側から鍵穴にするりと手を回しその技を披露しようとした。

「さぁどれどれ……君はどんな寝巻きを羽織ってっているのかな、一枚ずつ衣を剥がして……」

「……」

「……あれ…」

「…………」

「……あぁ、ちょっと待ってくれ……こいつじゃねェな、ン~……」

「………………」

しばらくしても鍵が開く様子が無い。痩躯の男の顔に焦りの色が見える。放浪者はしびれを切らし「どけ……」と一言言い放ち、シェイガンを押しのけた。

「カーヤ、離れて居ろ」

「えッ……?」

少女は慌てて飛びのくようにして言われたようにした。放浪者はぐっと背中を格子扉の反対側に付けて、屈めた足を万力を混めて放った。

檻が揺れ、格子扉が吹き飛び、木工所に響く轟音。格子扉がその勢いに負けて勢い良くはじけ飛び、木工所の入り口から飛び出した。扉は硬質音を立てて土煙を挙げその役目を終えた。
……再び静かになった木工所の中を、村人がおっかなびっくりでそっと覗き込んで、あんぐりと口を開けていた。傍らのシェイガンとカーヤもその感情を共有して。

「……『』ね、旦那……てか最初から開けれるなら、さっさと言ってくれりゃ良いじゃねえかッ!」

バツが悪くなったシェイガンは、鍵開け道具を引っ込めて。先に出た放浪者に続き檻の外に出た、恨みがましくその大きな背を見上げながら。

カーヤは、慌てて立ち上がり、涙を拭いた。放浪者はその少女の肩に手を置き力強く頷いた、その少女の勇気に賛じて。カーヤはその頷きに、決意を込めて同じく返した。感謝を込めて。

「ダヤンを探しに行くぞ、カーヤ導いてくれ」

「……わかった!こっちよ、荷物を忘れないでね……!」

「おいおい、誰も一緒に行くとは言ってねェが……まぁ良い、乗りかかった船だ。おっこちんなよお嬢ちゃん」

入口付近の装備をそれぞれが身にまとい、準備を万端にする。放浪者は木工所に置かれていた手斧を借り、それをベルトに差した。

「あ……えぇ…あ、あの……」

木工所の番人が何かを言いたげに目をぱちくりとさせ、放浪者を見上げていた。その姿に放浪者は悟り。その手に金貨を数枚握らせた。手斧の代金と、壊した檻の修理代として。そして村人が塞ぐ入口の向こうを視線で示した。

「構わんか……?」

見下ろすハーフオークの姿に村人はたじろぐ、その言葉にはどこか威圧感を感じて居た。放浪者自身にはそのつもりはなくとも、状況的に見て村人はそう受け取るしかなかった。

「あ……あッハイ。構いませんとも、エヘヘヘ……ど、どうぞ、旦那がた……」

自ら塞いでいた道を開けざるを得なかった。愛想笑いを向けて、手で外を示してくれてまで。
自らの職務を放棄した責任は後で問われるだろうが、今はこの男達を通すことが最優先だと悟った。
そのまま通り過ぎる面々を見送り、村人はその背が見えなくなるころに。ハッとした……脱走をしたのだ、囚人が。

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