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アルフェンの旅立ち

129.別れた道

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 「さっきの子、なんだったのかしら……?」
 「気にすることは無いさ。お前が可愛いから狙っているのかもしれない」
 「あは、まさか! でも……あの声……とても懐かしい感じがしたのよ。もう一度会えないかな? もしかしたら記憶を失う前の私を知っているのかも……」
 「そ、そのことはもう追及しないと誓っただろう? さ、ウェイが待っている家に帰ろう」
 「ええ……」

 夫にせがまれて自宅へ向けて歩き出す。
 だけど、さっきの子供がどうしても気になり、顔だけ後ろを振り返る。

 私には過去の記憶が無い。
 どこかからか流されて海岸沿いに打ち上げられていたらしい。
 発見される前の日は大雨で上流の川や海が荒れていたそうなので、記憶を失ったとはいえ背中に傷もあった私が助かったのは奇跡に近いとまで言われた。
 
 ……その時に着ていた服はメイドが着用するもので、もしかしたら私はどこかの貴族に仕えていたかもしれない。
 だけどその記憶はなく、近くの領地ではメイドが居なくなった話も無かったそう。
 世を儚んでの自害とも考えたけれど、今となってはさっぱり分からないのだ。
 
 そんな不安な中、私を発見して助けてくれた夫のハーリィと結婚したのは三年前。
 最初は記憶も身寄りも無い私にそんな資格は無いと断っていた。
 だけど彼の献身的な支えによって立ち直ることができたので、こんな私で良ければと受け入れたのだ。
 今では息子のウェイも二歳で、漁師をしている彼の妻として尽くしている。

 だけど……

 「マイヤという名前を聞いて胸が苦しくなった……。私を知っているのは、あの子……?」

 もう一度だけ話がしたい。
 そう思わずにはいられないほどに胸の鼓動が早く脈打っていた――


 ◆ ◇ ◆


 「――ってわけ。そっとしておいてくれないかねえ?」
 「……別に連れて帰るわけじゃないからいいけど、記憶は取り戻せるならとは思うけどな。話だけでもしたいんだ」
 「ハーリィが嫌がると思うよ? さっきの剣幕からして、記憶を取り戻したら居なくなっちまうんじゃないかって」
 「そんなことは……」

 無い、とは言い切れない。
 だけど結婚して子供もいるならライクベルンへ戻る理由も無いのだ。
 母親であるメリーヌも恐らく生きてはいないだろう。
 黒い剣士を殺すまで旅を続けるなら、ここで静かに暮らしてもらう方がいい。
 
 おばちゃんの言葉に、あの惨劇の記憶を思い出すのも酷かとも思い始めていた。

 「……わかった。とりあえず追わないことにするよ」
 「訳ありみたいだけど……すまないねえ……」
 『いいのか? 大事な人だったのではないか?』
 『俺達の会話、理解していたんだ。……まあ、産まれた時から一緒だったからね。だけどいいさ。幸せなら』
 
 俺がそう言うとグラディスは俺を抱え上げて肩に乗せ、おばちゃんに頭を下げて店を出た。気を使ってくれているのだろう、何も言わずにいてくれるのがちょっと嬉しかった。

 とりあえずマイヤのことは一旦置いてグラディスと共に豪勢な晩飯を食らい、焼き魚と意外にもフライがあり、メインの料理をたらふく食べてから宿へ。
 
 「……」
 
 グラディスとは別の部屋なので、俺はベッドに寝転がり考える。
 もちろんマイヤのことだ。
 本は大きくなったら会えると書いていたが、一年で大きくなったといえるか?

 「『ブック・オブ・アカシック』はなにかを知っているか……?」

 本を開いて問うてみる。すると、この前バグっていた文字が今日は鮮明に映し出された。

 ‟……もうマイヤと出会ったのだな。予定より早すぎるがこれもエリベールやツィアルを救ったずれによるものだろう。記憶は取り戻せないから、暖かく見守るだけでそこから立ちさるといい”

 やはり『ずれ』か?
 というか随分冷たい言い方をしてくれる。俺の幼少時代にはマイヤも家族に入っているくらい世話になっているのに。

 ‟気を悪くしたのなら謝罪するが、お前の目的はマイヤではないはず。足手まといを連れて帰る理由もないだろう”

 「いちいちうるさい奴だな……!!」
 <アル様……>

 本を床に叩きつけて激怒しているのを見たリグレットが呟く。
 足手まといにはなると思うが、そんな理由で家族を連れて帰らないなんてことは、ない。もし望むなら俺はライクベルンまで連れて帰る心づもりがある。

 それにしても記憶が戻らない、か……。

 俺は身体を起こすと本を床に放置したまま外へ出る。
 ……もう一度だけマイヤの顔を見たいと思い家を探しに。

 「窓から見えたりしないか……? 家も多いし、無理か……」
 <……国が平和になって、みんな幸せそうですね>
 「そうだな」

 それとなくカーテンの無い家の中をそれとなく見たり、声を聞いたりしているとリグレットの言うように皆、幸せに生きていると感じる。
 
 そんな夜の町を歩いていると、不意にマイヤの声が聞こえてきた。
 俺は急いで窓に駆け寄ると――
 
 「今日はニンジンとじゃがいもが安かったからシチューにしたわ。ミルクをタンロさんに分けてもらったし」
 「お、久しぶりに魚じゃないな! はは、ウェイ良かったな!」
 「しちゅーすきぃ」
 「ふふ、よく噛んで食べるのよ」
 「マイヤ……」

 ――笑顔を夫と息子に向けるマイヤは、俺が小さいころにもらっていた笑顔と同じだった。席についたマイヤは夫に顔を向けて口を開く。

 「昼間に会った子、やっぱりもう一度会いたいわ」
 「……もう、いいじゃないか。あんな姿で打ち上げられていたんだぞ? もしかしたらお前をそんな目に合わせたやつの仲間かもしれない」
 「それは言い過ぎよ。私を知っている風だったわ」
 「……いいからもう過去のことは忘れるんだ!」

 怒気を強めた夫に顔を顰めるマイヤ。
 昼にも思ったが、この男は勝手なことを言う。命の恩人かもしれないが、怒ることはないと思う。
 こういう身勝手なことを言われるとマイヤはよく怒っていたが、

 「……はいはい、ハーリィは心配性ね、記憶が戻っても私の家はここ。どこにもいかないわ」
 「……すまん。怖いんだ……君の記憶が戻って、俺の前から居なくなってしまうのが……不安がっていたのは知っているが……」
 「大丈夫だから、ね?」

 今は窘めることなく微笑みながら肩を落とす夫に寄り添っていた。

 ああ、そうかと、俺は気づく。

 頭ではこのまま幸せに暮らして欲しいと思っているのに、マイヤに俺を認識して欲しいという考えが同時にあるのは……

 「あの笑顔が、もう俺や俺達に向けられることがないのが……寂しいんだな」
 <……>

 泣いて呟く俺に、リグレットはなにも言わなかった。
 頭ん中はおっさんだが、生きている身体は子供だ。精神が別れているという感覚はないのだが外で感じたことはそのまま受け止める形になることが多い。子供は子供らしく。
 きっと今の俺と同じ年齢になるまでこの差が埋まることはないだろう。
 しばらく家の壁に背を預けて泣いていると、頭に柔らかいものが乗せられる。

 「ひっく……グ、グラディス……?」
 「……こんなところに居たのか。帰ろう、明日は早いんだろ」
 「あ、ああ、ぐす……か、帰ろ――」
 「ん? 誰か居るの?」

 いつから見ていたのかグラディスが困った顔で笑いながら俺の頭を撫でていたのだ。
 みっともないところを見せたなと思いつつ立ち上がろうとしたところで家の中からマイヤが出てきた。

 「あ、君は昼間の……ついて来たの?」
 「……! お前、こんなところまで! 消えろ!」
 「マテ、アルフェン、ハナシ、アル」
 「ま、魔人族……」

 俺にくってかかろうとした夫にグラディスが立ちはだかり壁になってくれる。
 男もでかいが、グラディスはさらにでかいので流石に怯んでいた。

 「待ってハーリィ! この子、泣いているわ……えと、君は私を知っているの?」
 「……うん。けど、もういいんだ。マイヤはこの町で旦那さんと幸せに暮らしているし、子供も居る。ここから連れて行こうとは思わない」
 「……」
 
 ハーリィと呼ばれた夫は渋い顔で俺を睨むが、最後に、俺の我儘と通そうと思う。

 「思い出す必要はない。けど、最後に言わせて欲しい。あなたの本当の名前はマイヤ。ライクベルン王国のイオネア領に住む貴族、ゼグライド家にイリーナという母と一緒に仕えていたメイドだったんだ。俺はそのゼグライド家の子でアルフェン。
 俺は……マイヤを姉のように慕って、ぐす……いたよ」
 「ゼグライド……アルフェン……うぐ……」
 「フォーラ!?」
 「だ、大丈夫……続けて……」

 頭を抑えて俺の顔を見るマイヤに、俺は泣き笑いながら返す。

 「それだけ。俺と一緒に激流に流されたマイヤが生きていて良かった……最後に顔を見たかったんだ。行こう、グラディス」
 「アア」
 「あ、ま、待って……! 他にも、お母さんのこととか――」
 「ごめん……これは俺の我儘だったんだ。困惑させた。本当にごめん……だけど知っていて欲しかったんだ」

 そう言って俺はふと足を止めて夫の方に歩き、目の前に立つ。

 「……マイヤを幸せにしてくれよ。もし、次来た時に不幸な目に合っていたら――」
 「……! ど、どこから……」
 「俺はあんたを許さない」
 「や、止めてアルフェン君!?」
 「……それじゃ、いつかまた」
 「アルフェン君……」

 俺はグラディスを伴いその場を去る。
 もしかしたら俺はマイヤに恋をしていたのかもしれない。だけど、この先、守ってくれる人は居る。
 それでいいじゃないか。

 俺は振り返らずに、身勝手な我儘でマイヤの家をかき乱してその場を去った。
 酷いヤツだと思ってくれれば、この先、思い出すこともないだろうと思いながら――
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