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1話「雨が呼んでいる」
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それは、俺とある少年の昔話。
その日、友達との喧嘩に負けた俺は、雨の下を傘もささずに駆けていた。
水たまりが跳ねて足が汚れるとか、傷口に雨が染みるとか、そんなことは気にしない。
むしゃくしゃした思いに身を任せて、いつもとは違う道を通って、少しだけ遠回りの冒険をして帰るつもりだった。
目に滲んだ涙なんて、この雨の中では誰も気づかないだろう。
疲れて息を切らし、早歩きになった俺のすぐ横には大きなお屋敷があった。
ふと、鉄門の隙間を覗き込んだ。
理由があったわけじゃない。
見慣れないものがあれば確認したくなるのが好奇心というものだろう。
「?」
そこには一人の少年が居た。
綺麗な赤い薔薇が咲いた庭の中で、傘をさして俯いていた。
彼の視界の先には、きっとその薔薇が映っているのだろう。
でも、どうしてぼーっとしているのだろう?
「ねえ」
「……?」
俺はその少年に声をかけた。
「そんなところで、何してるの?」
「え、えっと……」
少年は、戸惑ったような、困ったような顔でこちらを見ている。
何か、変なことでも言ってしまったのだろうか?
「……」
「……」
気まずい。声をかけるべきじゃなかった。
少年の視線が外れたことを確認して、俺はその場から立ち去ろうとする。
「あ、待って!」
「な、何?」
少年は、先ほどまでよりも遥かに大きな声で俺を呼び止めた。
今度はそれに驚いた俺が、たじたじな返事をする。
「君、雨に濡れてる……。
よ、よければ……うちで休んでいきなよ!
その、傘も……あるから……」
こういう時、なんて返すのが正しいのだろう?
とはいえ、断る理由もない俺はその提案を受け入れ、屋敷に上がらせて貰うことにした。
「君、名前は?」
「ユンだよ」
「ユン! 僕はね、朔(さく)って言うんだ!」
「朔か。えっと……よろしく?」
「うん、よろしくね!」
そんなぎこちない出会いが、俺たちの始まりだった。
*****
朔は、この屋敷の一人息子らしい。
言ってしまえば、ボンボンとかそういうやつだろうか?
お人形さんみたいな、フリルのついたシャツに着られている姿は男のくせに変に可愛らしい。
俺は応接室とかではなく、朔の部屋に案内されて雨で濡れた髪を拭いていた。
できるだけ、絨毯が敷かれた床を汚さないようにと気を遣いながら。
俺だって、こんなお屋敷を汚せるほど図太い神経は持ち合わせていない。
(それにしても……)
俺は、朔の部屋を不思議そうに見渡していた。
棚が整然と並んでいるのだが、そのうちの3つほどは本棚だった。
机には今時らしくない羽根ペンとインク壺。
そして、何か分厚い本が開きかけのまま置かれていた。
なんというか、子供の部屋っぽくない感じがした。
いかにも西洋のお坊ちゃまが出て来そう、とでも言えば伝わるだろうか。
「ねえ、ユン! ほら、紅茶とクッキーを持ってきてもらったよ! えっとね、それから……」
「あ、ありがとう……? あの、それ何……?」
紅茶とクッキーは確かにあるが、それ以外にもやけに大きな荷物を持って朔が戻って来た。
黒くて、ほどよく柔らかい感じがするそれを見て、少し嫌な予感がした。
「その服のまま帰ったら、きっとお母さんに怒られちゃうよ」
朔はそう言いながら、持ってきた荷物を広げ、ヒラヒラと見せびらかす。
それは、朔が着ているものとそっくりな服。
違う部分があるとすれば……色が黒いことか。
「えっと……」
「ほらほら、早く着替えて!」
もう、ここまで来たら朔の勢いは止められなかった。
心が押し負けるように、俺は渋々とその服に着替える。
フリルのついた、黒いシャツ。
ある意味、この服の方を着て帰る方が怖い。
「あはは、よく似合ってる!」
「さ、朔……。さすがにこれは悪いから……」
「大丈夫! お父さんにはちゃんと言ってあるから!」
そういう問題じゃない。
だけど、それを言い出せる程度の勇気も俺にはなかった。
鏡の前に案内され、朔と並ぶ。
突然ペアルックを強要され、どことなく髪型も身長も似ている俺たちは、知らない人が見ればまるで双子のようだった。
俺は無言で、ただこの服装は拒否したいという思いを訴えかけるように朔を見つめ返した。
「……ねえ、ユン?」
「な、何?」
ああ、次は何を要求されるのだろうか。
泥だらけの服に今生の別れを告げながら、俺の思考はぐるぐると回る。
「僕と、友達になってくれる?」
「……え?」
多方面に対する恐怖心が頭を埋め尽くさんとしていたところに、突然のしおらしい願い事。
思考が追い付かないまま、俺は返答してしまう。
「何言ってるんだよ。もう、友達だろ?」
「えっ……本当?」
次の瞬間、朔の瞳が何故か潤んだ気がした。
そのまま、俺の背中に顔を隠して、聞き取りづらい声で言う。
「ユン……ありがとう」
「えっと……どういたしまして?」
新しい友達は、どうやら少し泣き虫らしい。
俺は気の利いた言葉の一つもかけられないまま、そっと、朔が泣き止むまで見守っていた。
*****
「朔、おはよう」
「ユン! 来てくれたんだね」
あれ以来、俺は朔の家に毎週のように遊びに行くようになった。
特に用事があるわけでもない。
だけど、友達なのだから理由なんて要らないだろう。
朔は極端なインドア派で、外に出ることは滅多に無かった。
というか、屋敷の庭に出ている姿くらいしか見たことがない。
だから俺と朔は、彼の部屋で二人きりの時間を過ごすことが多かった。
「それで、朔。この間書いてた物語はどうなったんだ?」
「ああ、あれはね……えーっと……確か……気弱な英雄の物語、だっけ?」
「そうそう、主人公が最後はどうなるのかなって!」
朔は空想好きなところがあり、いつも自作の物語を書いていた。
天性の才能とでも言うべきか、朔の描く物語はどれも独創的で興味を惹くものばかりだった。
だから、朔はたくさんの物語を書いていた。
たくさんの世界を創っていた。
ただ一つ、変わっている部分があるとすれば……
「最後はね、大きな怪物が世界を丸呑みにしちゃうんだ!」
「えっ」
朔の物語は、悲劇で終わることが大半だった。
今回も、そうだった。
それを聴いた俺は、ぽつりと呟く。
「なんだか、悲しいな……」
「そうかなあ?」
俺の言葉に、朔は首をかしげる。
「生きていられる時間を精一杯頑張ること。
それができるなら、僕はどんな最期も綺麗なものだと思うけどな?」
「……たとえ、願いが叶わなかったとしても?」
「そうだよ。僕はそういう物語が好きだな」
朔は迷いのない声色で、そう言った。
それを聞いていると、確かにそんな気がすると思えてきた。
「そっか。大丈夫、俺も朔の物語が大好きだよ」
「本当? ありがとね、ユン!」
今日も二人はお揃いのシャツを着ていた。
あの日以来、朔の家に遊びに来る時はいつもそうしている。
並んでいる姿は、この屋敷の使用人にすら「双子みたい」と言わしめた程だ。
正直、俺はそれが嬉しかった。
なんというか、気の合う兄弟ができたような気分だった。
だから俺は、朔ともっと仲良くなりたくて……ある時、お揃いの懐中時計をプレゼントした。
『えっ!? これ、本当にいいの?』
『うん、朔にあげる』
気恥ずかしかったので、俺は顔を逸らしながら答える。
朔は驚きながらもそれを受け取って、腰にぶら下げてくれた。
二人の時間が一緒に進んでいく様子を見て、朔はまた、涙ぐみながら笑っていた。
「それでね、ユン?」
「何?」
朔はいつも通り、少しもじもじとしながら話を切り出す。
「僕……ユンの物語を書いてみようと思うんだ」
「俺の?」
「そう、たくさんの友達がユンを待っている。
その世界で、ユンはたくさん冒険をするんだ!」
俺が興味を示したことを察知したのか、朔は笑顔になって話し始めた。
その様子に、俺も隠し切れない嬉しさを見せながら答える。
「朔が作る俺の物語か、楽しみだな! ……その、ありがとう」
「どういたしまして! そうと決まれば、まず、物語のユンをカッコいい感じにしないとね!」
「え、そこは今の俺でもいいんじゃ……」
「ダメだよ。これは、ユンがヒーローになる物語なんだから!」
そのまま朔の話をうんうんと聴き続け、俺たちは日が暮れるまで夢中になった。
これから始まる物語に、二人で無邪気に心躍らせながら。
その日、友達との喧嘩に負けた俺は、雨の下を傘もささずに駆けていた。
水たまりが跳ねて足が汚れるとか、傷口に雨が染みるとか、そんなことは気にしない。
むしゃくしゃした思いに身を任せて、いつもとは違う道を通って、少しだけ遠回りの冒険をして帰るつもりだった。
目に滲んだ涙なんて、この雨の中では誰も気づかないだろう。
疲れて息を切らし、早歩きになった俺のすぐ横には大きなお屋敷があった。
ふと、鉄門の隙間を覗き込んだ。
理由があったわけじゃない。
見慣れないものがあれば確認したくなるのが好奇心というものだろう。
「?」
そこには一人の少年が居た。
綺麗な赤い薔薇が咲いた庭の中で、傘をさして俯いていた。
彼の視界の先には、きっとその薔薇が映っているのだろう。
でも、どうしてぼーっとしているのだろう?
「ねえ」
「……?」
俺はその少年に声をかけた。
「そんなところで、何してるの?」
「え、えっと……」
少年は、戸惑ったような、困ったような顔でこちらを見ている。
何か、変なことでも言ってしまったのだろうか?
「……」
「……」
気まずい。声をかけるべきじゃなかった。
少年の視線が外れたことを確認して、俺はその場から立ち去ろうとする。
「あ、待って!」
「な、何?」
少年は、先ほどまでよりも遥かに大きな声で俺を呼び止めた。
今度はそれに驚いた俺が、たじたじな返事をする。
「君、雨に濡れてる……。
よ、よければ……うちで休んでいきなよ!
その、傘も……あるから……」
こういう時、なんて返すのが正しいのだろう?
とはいえ、断る理由もない俺はその提案を受け入れ、屋敷に上がらせて貰うことにした。
「君、名前は?」
「ユンだよ」
「ユン! 僕はね、朔(さく)って言うんだ!」
「朔か。えっと……よろしく?」
「うん、よろしくね!」
そんなぎこちない出会いが、俺たちの始まりだった。
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朔は、この屋敷の一人息子らしい。
言ってしまえば、ボンボンとかそういうやつだろうか?
お人形さんみたいな、フリルのついたシャツに着られている姿は男のくせに変に可愛らしい。
俺は応接室とかではなく、朔の部屋に案内されて雨で濡れた髪を拭いていた。
できるだけ、絨毯が敷かれた床を汚さないようにと気を遣いながら。
俺だって、こんなお屋敷を汚せるほど図太い神経は持ち合わせていない。
(それにしても……)
俺は、朔の部屋を不思議そうに見渡していた。
棚が整然と並んでいるのだが、そのうちの3つほどは本棚だった。
机には今時らしくない羽根ペンとインク壺。
そして、何か分厚い本が開きかけのまま置かれていた。
なんというか、子供の部屋っぽくない感じがした。
いかにも西洋のお坊ちゃまが出て来そう、とでも言えば伝わるだろうか。
「ねえ、ユン! ほら、紅茶とクッキーを持ってきてもらったよ! えっとね、それから……」
「あ、ありがとう……? あの、それ何……?」
紅茶とクッキーは確かにあるが、それ以外にもやけに大きな荷物を持って朔が戻って来た。
黒くて、ほどよく柔らかい感じがするそれを見て、少し嫌な予感がした。
「その服のまま帰ったら、きっとお母さんに怒られちゃうよ」
朔はそう言いながら、持ってきた荷物を広げ、ヒラヒラと見せびらかす。
それは、朔が着ているものとそっくりな服。
違う部分があるとすれば……色が黒いことか。
「えっと……」
「ほらほら、早く着替えて!」
もう、ここまで来たら朔の勢いは止められなかった。
心が押し負けるように、俺は渋々とその服に着替える。
フリルのついた、黒いシャツ。
ある意味、この服の方を着て帰る方が怖い。
「あはは、よく似合ってる!」
「さ、朔……。さすがにこれは悪いから……」
「大丈夫! お父さんにはちゃんと言ってあるから!」
そういう問題じゃない。
だけど、それを言い出せる程度の勇気も俺にはなかった。
鏡の前に案内され、朔と並ぶ。
突然ペアルックを強要され、どことなく髪型も身長も似ている俺たちは、知らない人が見ればまるで双子のようだった。
俺は無言で、ただこの服装は拒否したいという思いを訴えかけるように朔を見つめ返した。
「……ねえ、ユン?」
「な、何?」
ああ、次は何を要求されるのだろうか。
泥だらけの服に今生の別れを告げながら、俺の思考はぐるぐると回る。
「僕と、友達になってくれる?」
「……え?」
多方面に対する恐怖心が頭を埋め尽くさんとしていたところに、突然のしおらしい願い事。
思考が追い付かないまま、俺は返答してしまう。
「何言ってるんだよ。もう、友達だろ?」
「えっ……本当?」
次の瞬間、朔の瞳が何故か潤んだ気がした。
そのまま、俺の背中に顔を隠して、聞き取りづらい声で言う。
「ユン……ありがとう」
「えっと……どういたしまして?」
新しい友達は、どうやら少し泣き虫らしい。
俺は気の利いた言葉の一つもかけられないまま、そっと、朔が泣き止むまで見守っていた。
*****
「朔、おはよう」
「ユン! 来てくれたんだね」
あれ以来、俺は朔の家に毎週のように遊びに行くようになった。
特に用事があるわけでもない。
だけど、友達なのだから理由なんて要らないだろう。
朔は極端なインドア派で、外に出ることは滅多に無かった。
というか、屋敷の庭に出ている姿くらいしか見たことがない。
だから俺と朔は、彼の部屋で二人きりの時間を過ごすことが多かった。
「それで、朔。この間書いてた物語はどうなったんだ?」
「ああ、あれはね……えーっと……確か……気弱な英雄の物語、だっけ?」
「そうそう、主人公が最後はどうなるのかなって!」
朔は空想好きなところがあり、いつも自作の物語を書いていた。
天性の才能とでも言うべきか、朔の描く物語はどれも独創的で興味を惹くものばかりだった。
だから、朔はたくさんの物語を書いていた。
たくさんの世界を創っていた。
ただ一つ、変わっている部分があるとすれば……
「最後はね、大きな怪物が世界を丸呑みにしちゃうんだ!」
「えっ」
朔の物語は、悲劇で終わることが大半だった。
今回も、そうだった。
それを聴いた俺は、ぽつりと呟く。
「なんだか、悲しいな……」
「そうかなあ?」
俺の言葉に、朔は首をかしげる。
「生きていられる時間を精一杯頑張ること。
それができるなら、僕はどんな最期も綺麗なものだと思うけどな?」
「……たとえ、願いが叶わなかったとしても?」
「そうだよ。僕はそういう物語が好きだな」
朔は迷いのない声色で、そう言った。
それを聞いていると、確かにそんな気がすると思えてきた。
「そっか。大丈夫、俺も朔の物語が大好きだよ」
「本当? ありがとね、ユン!」
今日も二人はお揃いのシャツを着ていた。
あの日以来、朔の家に遊びに来る時はいつもそうしている。
並んでいる姿は、この屋敷の使用人にすら「双子みたい」と言わしめた程だ。
正直、俺はそれが嬉しかった。
なんというか、気の合う兄弟ができたような気分だった。
だから俺は、朔ともっと仲良くなりたくて……ある時、お揃いの懐中時計をプレゼントした。
『えっ!? これ、本当にいいの?』
『うん、朔にあげる』
気恥ずかしかったので、俺は顔を逸らしながら答える。
朔は驚きながらもそれを受け取って、腰にぶら下げてくれた。
二人の時間が一緒に進んでいく様子を見て、朔はまた、涙ぐみながら笑っていた。
「それでね、ユン?」
「何?」
朔はいつも通り、少しもじもじとしながら話を切り出す。
「僕……ユンの物語を書いてみようと思うんだ」
「俺の?」
「そう、たくさんの友達がユンを待っている。
その世界で、ユンはたくさん冒険をするんだ!」
俺が興味を示したことを察知したのか、朔は笑顔になって話し始めた。
その様子に、俺も隠し切れない嬉しさを見せながら答える。
「朔が作る俺の物語か、楽しみだな! ……その、ありがとう」
「どういたしまして! そうと決まれば、まず、物語のユンをカッコいい感じにしないとね!」
「え、そこは今の俺でもいいんじゃ……」
「ダメだよ。これは、ユンがヒーローになる物語なんだから!」
そのまま朔の話をうんうんと聴き続け、俺たちは日が暮れるまで夢中になった。
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