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第27話 元聖女、ようやく現状の一端に気付く
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淡い光がゆっくりと消えていくのを確認し、セーナは息を一つ吐き出した。
治せるという確信はあったものの、離れた場所からの治癒は随分と久しぶりだったため、少し力が入ってしまったのだ。
もっとも、そのこと自体に文句はない。
エルフが親しい者以外に身体を触らせないということは知っていたからだ。
いやむしろ経験済みだと言った方がいいかもしれない。
今生でエルフを見るのはエルザが初めてであったが、前世で見たことはあったし、会ったことも治療したこともあったのだ。
ただ、その治療の時に少し問題が発生し……当時手伝ってくれた人が無造作にエルフの人のことを触ってしまい、軽い騒動となってしまったのである。
何せナイフを取り出すや否や、そのまま自分の胸に突き刺してしまったのだから。
慌てて治療をしたから事なきを得たが、あの時は本当に驚いた。
その場面を目の当たりにしていたため、念のために触れずに治療を行ったのだが……そのことを伝えたらその人はホッとした様子だったので、直接触れて治療をしたらそこでもまた騒動が発生していたのかもしれない。
ともあれ、そういうわけでエルフのことは多少分かっているので、触れないで治療することそのものは問題なかったのである。
「さて、もう大丈夫だと思いますが……まだ痛いところとかはありませんか? 毒も残っていないと思うんですが……」
「…………え? え、ええ……そう、ね……少なくとも、痛みはないわ。毒は、完全に抜けたのかは分からないけど……少なくとも、自覚する限りでは問題なさそう……かしら」
「そうですか……それはよかったです。ようやくわたしも自分の役目が果たせましたね! あ、いえ、喜んでいいことではないんですが……」
しかし、と先ほどのことを思い返しながら、セーナは確信する。
やはり自分が冒険者としてやっていくには、他の誰かの力を借りる必要がありそうだ、と。
先ほどはエルザよりも先にゴブリンのことには気付いていたというのに、エルザに警告を発するだけで精一杯だったのだ。
あのゴブリンが現れたのが自分の近くにある壁からだったら、きっと何も出来ずに刺されていたに違いない。
まあ、刺されたところですぐ治せるし、毒も無毒化出来るが、それは死なないだけである。
それだけで倒せるわけではないし、見ている限り倒せるとも思えない。
その役目は、誰かに任せるしかなさそうだ。
エルザ達は……さて、どうだろうか。
道中でのことを考えれば頼もしいというのは分かっているのだが、その道中での態度が相変わらずだったのだ。
仕方ないことだと分かってはいるのだが、だからこそ余計に自分が受け入れられる道が見えない。
こうして役に立てるということは示せたわけだし、これで何かが変わってくれればいいのだが……と、そんなことを考えていると、前衛の二人が戻って来た。
どうやらゴブリンを倒し終わったらしい。
エルザが数を減らしていたとはいえ、まだゴブリンはそこそこ残っていたはずだが、やはりと言うべきか、彼女達はそれなり以上の冒険者であるようだ。
こちらで起きたことを理解しているのか、その顔には焦りのようなものがあった。
「エルザ、大丈夫!? なんか、ゴブリンに襲われてたように見えたけど……!?」
「……まあ、そうね。でも、見ての通りよ」
「返り討ちにした?」
「その言い方はちょっと正しくないわね。刺された後で倒したから……まあ、いいとこ相打ちじゃないかしら。毒も塗ってあったし」
「毒!? え、本当に大丈夫なの!? でもとてもそうは見えないけど……毒は毒でも弱い毒だった、ってこと?」
「刺されたにしては、傷が見当たらないのも妙。ポーションではそこまで急速に治ることはない。……見えにくい場所で、浅かった?」
「あっ、それは毒も怪我もわたしが治したからです!」
ここはしっかり自分が役目を果たしたことを主張すべきだろうと、勢いよくそう告げるも、何故か二人からは胡散臭いものを見るような目で見られた。
はて……事前に治癒士であることは伝えてあるはずだが、何ゆえそんな目で見られねばならないのか。
「…………キミが? 彼女の傷を癒した、って……そう言いたいの?」
「言いたいも何も、その通りなのですが……そうですよね?」
「……そうね。正直未だに信じられないんだけど、その通りよ」
「……嘘でも冗談でも、ない?」
「…………へえ。なるほど……今回はそういう趣向でくるんだ? 本物の治癒の力を持っているって……そう騙るってわけだね?」
「……え? え、っと……?」
騙るも何も、事実でしかないし、今見せた通りなのだが……と思ったところで、黒髪の女性は見ていなかったことに気付く。
とはいえ、この状況でどうにかして騙すのは無理なのではないかと思うのだが、それとも何かそういった手段に心当たりでもあるのだろうか。
だがその言葉に疑問を覚えたのは、セーナだけではなかった。
エルザも水色の髪の少女も、不思議そうな顔で黒髪の女性のことを見つめていたのだ。
まあ、疑問に思ったところは、セーナとは違うところではあったが。
「本物の、って……どういうことよ? 確かに、以前は治癒士なんて名乗りながらも何も出来ない詐欺師がはびこってたとは聞くけど……それが偽の治癒の力っていうのは違うでしょうし」
「どういうことも何も、そのままの意味だよ? 本物の治癒の力は、その名の通りに傷を癒す事が出来る力だ。傷を悪化させずその状態のまま停滞させる、なんていう紛い物とは違ってね」
「初耳。噂にすら聞いたことはない」
「まあ、最後にその力が確認されてから、もう百年は経つからね。今じゃ伝説の力扱いされてるはずだし、普通の人は知らないと思うよ? 知ったところで意味ないし」
「……逆に何であんたはそんなのを知ってんのよ」
「これでも、そこそこ長いこと冒険者やってるからね。そういう知識は無駄に入ってくるんだよ」
そんな話を耳にしながら、セーナは顔が引きつっていた。
脳裏を埋め尽くすのは、もしかしてやってしまったのではないかという疑念である。
つまりは、三百年前は当たり前にあった傷を癒す力というのは、今では珍しいどころかセーナの他にいない、ということだろうか?
あのままあの家にいたらどうなっていた、ということを考えると本当にあの決断は素晴らしかったと自画自賛する思いだが……さて、問題は、既に起こってしまったことの方である。
あるいは、やらかしてしまったことの方か。
道理であそこまで喜ばれていたものだと、道中の村々での出来事を思い返すが、後の祭りだ。
だが、それに関してはまだ何とでもなる。
今後近付かなければいいだけだし、万が一どこかで出会うような事があっても知らないふりをすればいい。
しかし、この三人には最早言い訳は利かないだろう。
何せエルザにはその身で体験させたし、他の二人には自白したのだ。
今更なかったことには出来まい。
まあ別にそれで何の問題も発生しない、というのであれば構わないのだが……何せ伝説の力とか言われているらしいのだ。
何も起こらないと考えるのは楽天的過ぎる考えだろう。
それに、まだセーナが抱いた疑問は解消されていない。
傷を癒すことが出来る力が伝説扱いされているのは分かったが、何故それでセーナがそれを騙っているということになるのか。
いや、確かに普通ならば伝説の力を使えるなどと言い出したらそれは騙りだろうと判断するだろうが、既にエルザの傷を癒した後なのだ。
にもかかわらず騙り扱いされているのは何故だろうかと首を捻るも、疑問を口にするよりも先に、黒髪の女性が、さて、と呟いた。
「ま、正直色々と気になるし、聞きたい事は山ほどあるけど、ここは迷宮の中だからね。それはここから出てからかな」
獲物を見るような目で見られ、冷や汗が流れ出るも、それはそれで望むところかとも思う。
セーナからも聞きたい事は色々とあるのだ。
どうにも思っていた以上に、セーナの常識とこの世界の常識とには乖離がある気がする。
特にこの力と治癒士というものに関しては。
話し合いの場を設けてくれるというのならば、この際色々と聞いてしまった方がいいかもしれない。
その結果どうなるかは分からないものの……とりあえずは、今考えても仕方ないことだろう。
「……そうね。ゴブリンしか出ないとはいえ、気を抜いたらしたらどうなるかってのは、あたしが身を以て証明したばっかだし」
「異論ない。ただそれは、私の責任でもある」
「そうだね……厳密にはボク達の、だけど。しっかり周囲の地形を把握するのも、前衛の役割だからね。見落としてごめん。ただ……言い訳ってわけじゃないんだけど、ちょっと気になる事があるかな。エルザは毒を受けたんだよね? ゴブリンから」
「ええ。あの感じは間違いないと思うわ」
「えっと……わたしも間違いないかと思います」
セーナがその辺を間違えることはない。
相手がどんな状況なのかを見定める程度の事が出来なければ、相手のどこをどれだけ治せばいいのかなど分かるわけがないからだ。
とはいえ、自信はあっても受け入れられるかはまた話が別だが、一応ここは意見を言っておくべきではあるだろう。
と、何故だか先ほどまで以上に警戒に満ちた目が三人から向けられたが、とりあえずその意見は通ったらしい。
「……そっか。まあとりあえずは、ゴブリンが毒を使った可能性は高いってことかぁ……んー」
「何か変? ゴブリンが毒を使うのは、おかしくないはず」
「そうだね、それ自体はおかしくないんだけど……実は迷宮でゴブリンが毒を使うようになるのは、主に第四階層以降のはずなんだよね。第三階層で毒を使うっていうのは、ないとは言わないまでもかなり珍しい。あとは、ゴブリンの数も、かな」
「数? 数がどうしたのよ? 確かに多いとは思ったけど……」
「んー、これもまた確信は持てないんだけど、ちょっと多すぎる気がするんだよね。幾ら光源があって魔法でちょっと派手な音がしたとはいえ、ここはそれなりに広い。二十以上のゴブリンが連続で、ってのはちょっとおかしいかな、って。まあ、ボクも話に聞いたことがあるだけだから、実際にはよくあることなのかもしれないけどね」
「つまり? 結局何が言いたいのかが不明」
「うん、だから、今日はとりあえずここで切り上げないかな、って提案をしようかと思ってさ。このまま進むにはちょっと不可解な様子が多い。最低限の目標は達成したでしょ?」
「まあ、第三階層まで来れたんだから、初回としては十分ではあるけど……次は第十階層あたりまでいけそうな自信もついたし」
「確かに。次は油断しないでしっかり周囲を警戒する」
「同意を得られそうで何よりだよ。ボクも同感だしね。ここで無理をする必要はない。無理をした結果、自分達の手に余る事態に巻き込まれる、なんてことはよく聞く話だしね。ここは――」
黒髪の女性が何かを言いかけた、その時のことであった。
途中で言葉を止めると、勢いよくその視線が前方へと向けられたのである。
しかも、それだけではない。
その頬は引きつり、びっしりと冷や汗が流れているのが、傍目からもよく分かる。
何かが起こったのだということなど聞くまでもなく、だがそのことを理解しているのは黒髪の女性だけのようだ。
セーナはもちろんのこと、他の二人も訝しげにその顔を見つめていた。
「ちょっと、突然どうしたのよ? 何か感じでもしたの?」
「そう、だね……うん、多分謎が解けちゃった、ってところかな? おそらくだけど、この下あたりで何か無茶なことでもやってたんだろうね。その結果、魔物が下から逃げてきた。実際、時折そういうことがあるからね。で……きっと、やりすぎた。あるいは、上手くいきすぎた、のかな? それこそ、時間を忘れちゃうぐらいに」
「分かりづらいわよ!? 結局何なのよ! 要点だけ言いなさい要点だけ!」
「何かよくないことが起こってる、ってことだけは分かる」
「うん、そうだね、よくないこと……これは、考えられる中で最悪な事態だ。ああ、もう、くっそ、どうして……」
「ちょっと、だから一体何なのよ……!? あたし達にも分かるように言いなさいってば……!」
「その必要はないよ。どうせ、すぐに分かるからね」
そう告げられた、直後のことであった。
凄まじいほどの轟音と共に足元が揺れ、それと同時に小さな、それでもはっきりとした音が耳に届く。
それは、悲鳴であった。
「ひ、ひぃぃいいいい……!?」
そしてこちらへと走ってくる、一つの人影。
顔はまだ見えない。
だが慌てているということと……何かに恐怖を覚えているということだけは、何故かはっきりと分かり――
「あっ……!? た、助け――」
そうして向こうもこちらのことに気付いた、次の瞬間であった。
その上半身が消し飛んだのだ。
どう見ても即死である。
あれではセーナの力を使ってもどうにもならない。
しかしそのことをどうこう考える暇はなかった。
それよりも先に、もう一つの影が現れたからだ。
それもまた人の影をしており……だが、人ではないということは一目で分かった。
同時に、理解する。
黒髪の女性が何故そんな怯えるような様子だったのかを、何を言いたかったのかを、何が起こっているのかを。
初めて目にする存在であるはずのそれの名と共に、理解出来てしまったのだ。
「…………死神」
誰かの口から、その名がポツリと呟かれた。
治せるという確信はあったものの、離れた場所からの治癒は随分と久しぶりだったため、少し力が入ってしまったのだ。
もっとも、そのこと自体に文句はない。
エルフが親しい者以外に身体を触らせないということは知っていたからだ。
いやむしろ経験済みだと言った方がいいかもしれない。
今生でエルフを見るのはエルザが初めてであったが、前世で見たことはあったし、会ったことも治療したこともあったのだ。
ただ、その治療の時に少し問題が発生し……当時手伝ってくれた人が無造作にエルフの人のことを触ってしまい、軽い騒動となってしまったのである。
何せナイフを取り出すや否や、そのまま自分の胸に突き刺してしまったのだから。
慌てて治療をしたから事なきを得たが、あの時は本当に驚いた。
その場面を目の当たりにしていたため、念のために触れずに治療を行ったのだが……そのことを伝えたらその人はホッとした様子だったので、直接触れて治療をしたらそこでもまた騒動が発生していたのかもしれない。
ともあれ、そういうわけでエルフのことは多少分かっているので、触れないで治療することそのものは問題なかったのである。
「さて、もう大丈夫だと思いますが……まだ痛いところとかはありませんか? 毒も残っていないと思うんですが……」
「…………え? え、ええ……そう、ね……少なくとも、痛みはないわ。毒は、完全に抜けたのかは分からないけど……少なくとも、自覚する限りでは問題なさそう……かしら」
「そうですか……それはよかったです。ようやくわたしも自分の役目が果たせましたね! あ、いえ、喜んでいいことではないんですが……」
しかし、と先ほどのことを思い返しながら、セーナは確信する。
やはり自分が冒険者としてやっていくには、他の誰かの力を借りる必要がありそうだ、と。
先ほどはエルザよりも先にゴブリンのことには気付いていたというのに、エルザに警告を発するだけで精一杯だったのだ。
あのゴブリンが現れたのが自分の近くにある壁からだったら、きっと何も出来ずに刺されていたに違いない。
まあ、刺されたところですぐ治せるし、毒も無毒化出来るが、それは死なないだけである。
それだけで倒せるわけではないし、見ている限り倒せるとも思えない。
その役目は、誰かに任せるしかなさそうだ。
エルザ達は……さて、どうだろうか。
道中でのことを考えれば頼もしいというのは分かっているのだが、その道中での態度が相変わらずだったのだ。
仕方ないことだと分かってはいるのだが、だからこそ余計に自分が受け入れられる道が見えない。
こうして役に立てるということは示せたわけだし、これで何かが変わってくれればいいのだが……と、そんなことを考えていると、前衛の二人が戻って来た。
どうやらゴブリンを倒し終わったらしい。
エルザが数を減らしていたとはいえ、まだゴブリンはそこそこ残っていたはずだが、やはりと言うべきか、彼女達はそれなり以上の冒険者であるようだ。
こちらで起きたことを理解しているのか、その顔には焦りのようなものがあった。
「エルザ、大丈夫!? なんか、ゴブリンに襲われてたように見えたけど……!?」
「……まあ、そうね。でも、見ての通りよ」
「返り討ちにした?」
「その言い方はちょっと正しくないわね。刺された後で倒したから……まあ、いいとこ相打ちじゃないかしら。毒も塗ってあったし」
「毒!? え、本当に大丈夫なの!? でもとてもそうは見えないけど……毒は毒でも弱い毒だった、ってこと?」
「刺されたにしては、傷が見当たらないのも妙。ポーションではそこまで急速に治ることはない。……見えにくい場所で、浅かった?」
「あっ、それは毒も怪我もわたしが治したからです!」
ここはしっかり自分が役目を果たしたことを主張すべきだろうと、勢いよくそう告げるも、何故か二人からは胡散臭いものを見るような目で見られた。
はて……事前に治癒士であることは伝えてあるはずだが、何ゆえそんな目で見られねばならないのか。
「…………キミが? 彼女の傷を癒した、って……そう言いたいの?」
「言いたいも何も、その通りなのですが……そうですよね?」
「……そうね。正直未だに信じられないんだけど、その通りよ」
「……嘘でも冗談でも、ない?」
「…………へえ。なるほど……今回はそういう趣向でくるんだ? 本物の治癒の力を持っているって……そう騙るってわけだね?」
「……え? え、っと……?」
騙るも何も、事実でしかないし、今見せた通りなのだが……と思ったところで、黒髪の女性は見ていなかったことに気付く。
とはいえ、この状況でどうにかして騙すのは無理なのではないかと思うのだが、それとも何かそういった手段に心当たりでもあるのだろうか。
だがその言葉に疑問を覚えたのは、セーナだけではなかった。
エルザも水色の髪の少女も、不思議そうな顔で黒髪の女性のことを見つめていたのだ。
まあ、疑問に思ったところは、セーナとは違うところではあったが。
「本物の、って……どういうことよ? 確かに、以前は治癒士なんて名乗りながらも何も出来ない詐欺師がはびこってたとは聞くけど……それが偽の治癒の力っていうのは違うでしょうし」
「どういうことも何も、そのままの意味だよ? 本物の治癒の力は、その名の通りに傷を癒す事が出来る力だ。傷を悪化させずその状態のまま停滞させる、なんていう紛い物とは違ってね」
「初耳。噂にすら聞いたことはない」
「まあ、最後にその力が確認されてから、もう百年は経つからね。今じゃ伝説の力扱いされてるはずだし、普通の人は知らないと思うよ? 知ったところで意味ないし」
「……逆に何であんたはそんなのを知ってんのよ」
「これでも、そこそこ長いこと冒険者やってるからね。そういう知識は無駄に入ってくるんだよ」
そんな話を耳にしながら、セーナは顔が引きつっていた。
脳裏を埋め尽くすのは、もしかしてやってしまったのではないかという疑念である。
つまりは、三百年前は当たり前にあった傷を癒す力というのは、今では珍しいどころかセーナの他にいない、ということだろうか?
あのままあの家にいたらどうなっていた、ということを考えると本当にあの決断は素晴らしかったと自画自賛する思いだが……さて、問題は、既に起こってしまったことの方である。
あるいは、やらかしてしまったことの方か。
道理であそこまで喜ばれていたものだと、道中の村々での出来事を思い返すが、後の祭りだ。
だが、それに関してはまだ何とでもなる。
今後近付かなければいいだけだし、万が一どこかで出会うような事があっても知らないふりをすればいい。
しかし、この三人には最早言い訳は利かないだろう。
何せエルザにはその身で体験させたし、他の二人には自白したのだ。
今更なかったことには出来まい。
まあ別にそれで何の問題も発生しない、というのであれば構わないのだが……何せ伝説の力とか言われているらしいのだ。
何も起こらないと考えるのは楽天的過ぎる考えだろう。
それに、まだセーナが抱いた疑問は解消されていない。
傷を癒すことが出来る力が伝説扱いされているのは分かったが、何故それでセーナがそれを騙っているということになるのか。
いや、確かに普通ならば伝説の力を使えるなどと言い出したらそれは騙りだろうと判断するだろうが、既にエルザの傷を癒した後なのだ。
にもかかわらず騙り扱いされているのは何故だろうかと首を捻るも、疑問を口にするよりも先に、黒髪の女性が、さて、と呟いた。
「ま、正直色々と気になるし、聞きたい事は山ほどあるけど、ここは迷宮の中だからね。それはここから出てからかな」
獲物を見るような目で見られ、冷や汗が流れ出るも、それはそれで望むところかとも思う。
セーナからも聞きたい事は色々とあるのだ。
どうにも思っていた以上に、セーナの常識とこの世界の常識とには乖離がある気がする。
特にこの力と治癒士というものに関しては。
話し合いの場を設けてくれるというのならば、この際色々と聞いてしまった方がいいかもしれない。
その結果どうなるかは分からないものの……とりあえずは、今考えても仕方ないことだろう。
「……そうね。ゴブリンしか出ないとはいえ、気を抜いたらしたらどうなるかってのは、あたしが身を以て証明したばっかだし」
「異論ない。ただそれは、私の責任でもある」
「そうだね……厳密にはボク達の、だけど。しっかり周囲の地形を把握するのも、前衛の役割だからね。見落としてごめん。ただ……言い訳ってわけじゃないんだけど、ちょっと気になる事があるかな。エルザは毒を受けたんだよね? ゴブリンから」
「ええ。あの感じは間違いないと思うわ」
「えっと……わたしも間違いないかと思います」
セーナがその辺を間違えることはない。
相手がどんな状況なのかを見定める程度の事が出来なければ、相手のどこをどれだけ治せばいいのかなど分かるわけがないからだ。
とはいえ、自信はあっても受け入れられるかはまた話が別だが、一応ここは意見を言っておくべきではあるだろう。
と、何故だか先ほどまで以上に警戒に満ちた目が三人から向けられたが、とりあえずその意見は通ったらしい。
「……そっか。まあとりあえずは、ゴブリンが毒を使った可能性は高いってことかぁ……んー」
「何か変? ゴブリンが毒を使うのは、おかしくないはず」
「そうだね、それ自体はおかしくないんだけど……実は迷宮でゴブリンが毒を使うようになるのは、主に第四階層以降のはずなんだよね。第三階層で毒を使うっていうのは、ないとは言わないまでもかなり珍しい。あとは、ゴブリンの数も、かな」
「数? 数がどうしたのよ? 確かに多いとは思ったけど……」
「んー、これもまた確信は持てないんだけど、ちょっと多すぎる気がするんだよね。幾ら光源があって魔法でちょっと派手な音がしたとはいえ、ここはそれなりに広い。二十以上のゴブリンが連続で、ってのはちょっとおかしいかな、って。まあ、ボクも話に聞いたことがあるだけだから、実際にはよくあることなのかもしれないけどね」
「つまり? 結局何が言いたいのかが不明」
「うん、だから、今日はとりあえずここで切り上げないかな、って提案をしようかと思ってさ。このまま進むにはちょっと不可解な様子が多い。最低限の目標は達成したでしょ?」
「まあ、第三階層まで来れたんだから、初回としては十分ではあるけど……次は第十階層あたりまでいけそうな自信もついたし」
「確かに。次は油断しないでしっかり周囲を警戒する」
「同意を得られそうで何よりだよ。ボクも同感だしね。ここで無理をする必要はない。無理をした結果、自分達の手に余る事態に巻き込まれる、なんてことはよく聞く話だしね。ここは――」
黒髪の女性が何かを言いかけた、その時のことであった。
途中で言葉を止めると、勢いよくその視線が前方へと向けられたのである。
しかも、それだけではない。
その頬は引きつり、びっしりと冷や汗が流れているのが、傍目からもよく分かる。
何かが起こったのだということなど聞くまでもなく、だがそのことを理解しているのは黒髪の女性だけのようだ。
セーナはもちろんのこと、他の二人も訝しげにその顔を見つめていた。
「ちょっと、突然どうしたのよ? 何か感じでもしたの?」
「そう、だね……うん、多分謎が解けちゃった、ってところかな? おそらくだけど、この下あたりで何か無茶なことでもやってたんだろうね。その結果、魔物が下から逃げてきた。実際、時折そういうことがあるからね。で……きっと、やりすぎた。あるいは、上手くいきすぎた、のかな? それこそ、時間を忘れちゃうぐらいに」
「分かりづらいわよ!? 結局何なのよ! 要点だけ言いなさい要点だけ!」
「何かよくないことが起こってる、ってことだけは分かる」
「うん、そうだね、よくないこと……これは、考えられる中で最悪な事態だ。ああ、もう、くっそ、どうして……」
「ちょっと、だから一体何なのよ……!? あたし達にも分かるように言いなさいってば……!」
「その必要はないよ。どうせ、すぐに分かるからね」
そう告げられた、直後のことであった。
凄まじいほどの轟音と共に足元が揺れ、それと同時に小さな、それでもはっきりとした音が耳に届く。
それは、悲鳴であった。
「ひ、ひぃぃいいいい……!?」
そしてこちらへと走ってくる、一つの人影。
顔はまだ見えない。
だが慌てているということと……何かに恐怖を覚えているということだけは、何故かはっきりと分かり――
「あっ……!? た、助け――」
そうして向こうもこちらのことに気付いた、次の瞬間であった。
その上半身が消し飛んだのだ。
どう見ても即死である。
あれではセーナの力を使ってもどうにもならない。
しかしそのことをどうこう考える暇はなかった。
それよりも先に、もう一つの影が現れたからだ。
それもまた人の影をしており……だが、人ではないということは一目で分かった。
同時に、理解する。
黒髪の女性が何故そんな怯えるような様子だったのかを、何を言いたかったのかを、何が起こっているのかを。
初めて目にする存在であるはずのそれの名と共に、理解出来てしまったのだ。
「…………死神」
誰かの口から、その名がポツリと呟かれた。
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そんな少年の物語。
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