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第8話 元聖女、人助けをする
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何とか平静を取り戻した女性に先導されるような形で、セーナは村の中を歩いていた。
先ほど約束した通り、宿へと案内してもらうためだ。
というか、正確にはその約束を理由に平静を取り戻してもらった、といったところではあるのだが。
何が目的で傷を癒したのか、とか言われたので、宿に案内してもらうと約束したからだと答えたのだ。
それで納得したわけではなさそうであったが、本当にそれだけなんだろうねと何度も確認され、その後ようやくこうして案内してもらえることとなったのである。
ただし、引き続き警戒されているらしいのは、その背中を見るだけでも分かる通りだ。
初めて会った直後の方が無警戒だったぐらいであり……だがだからこそ、セーナは首を傾げる。
何故そこまで警戒しているのかが、まるで分からなかったからだ。
傷を癒し、治癒士志望だと告げた直後に豹変したことを考えれば、間違いなくそこに原因があるのだろうが――
「んー……以前騙されたことがある、とかなのでしょうか?」
大金をせびるとか言っていたし、そういうことなのかもしれない。
出来れば色々と話を聞いてみたいところではあったのが……さすがにこの様子では無理そうか。
どうしてそんな態度を取るのか、ということもそうだが、出来れば単純に色々な話を聞いてみたかったのだが。
何せセーナは、正直この世界のことをよく知らない。
暇があれば色々な本を読んでいたし、姉達から色々と話も聞いていたため、常識を知らない、というほどではないはずだが、逆に言えば本に書かれていたことと姉達が話してくれたことしか知らないのだ。
だからこそ、色々と話を聞いてみたかったのだが……まあ、この調子では諦めるしかあるまい。
とはいえ、どうせしばらく旅は続くのだ。
目的地は一応決めてあるものの、そこまではおそらく一月ほどはかかる。
その間に幾つか村に寄ることになるだろうし、そこまで焦る必要はないだろう。
と、そんなことを考えていると、不意に女性が足を止めた。
その前にあるのは、周囲にあるのと比べ少しだけ大き目の二階建ての建物だ。
それを眺めながら、セーナはなるほどと頷く。
確かにこれならば、宿屋がどれなのか一目で分かるというものであった。
「さ、着いたよ。で、これであたしの役目も終わりってことでいいね?」
「あ、はい、ありがとうございました」
これ以上関わりたくない、と女性は全身で訴えかけてきていたが、ここまで案内してもらったのは確かである。
礼と共に頭を下げると、女性は何とも言えないような顔をしてきたが、顔をそらし、この場から立ち去るべく歩き出す。
と、その時のことであった。
「――ああ、ヴィルマ! こんなところにいやがったのか!?」
酷く焦った様子で、女性と同年代ぐらいだろう男が現れたのだ。
肩で息をしており、その顔は妙に青い。
「あん? デニスじゃないかい。どうしたんだい、そんな焦って? ……まさか、カールの馬鹿が何か迷惑をかけたんじゃないだろうね?」
「い、いや……その逆だ。カールは……魔物から、オレを庇って……!」
「なっ……!? カールは今どこにいるんだい……!?」
「今は……オレの畑のすぐ傍に……すまねえっ……」
「っ……!」
そんな会話を交わすと、女性は慌てて何処かへと駆け出していった。
男もすぐ後を追い、セーナだけがその場に取り残される。
正直なところ状況はよく分からないが――
「魔物から庇った、という言葉が聞こえましたね……?」
もしかしたら、魔物に襲われて、その上動かせない状況、ということなのだろうか。
二人の様子から考えると、その可能性は高そうである。
もっとも、セーナは完全な部外者だ。
話をしっかり聞いたわけでなければ、助けを求められたわけでもない。
「……とはいえ、さすがに見てみぬ振りをするわけにもいきませんしね」
また先ほどのように警戒され、恐怖に強張った顔を向けられるのかもしれないが、その時はその時だ。
寝覚めの悪いことになるよりはマシだろうと、セーナも二人の後を追って駆け出すのであった。
女性が向かった先には、小さな人だかりが出来ていた。
例外なくその顔は沈痛なものであり、カールという名を叫びながら女性はその中へと飛び込んだ。
僅かに遅れて、女性の悲痛が叫びがその場に響く。
セーナがその場に到着したのは、それからさらに遅れてだ。
人だかりの隙間からその先を除き、目を細める。
そこには血だるまになった十歳ぐらいの男の子が横たわっており、女性がカールと叫びながらその身体にしがみ付いていた。
どうやら、予想が当たってしまったらしい。
「カール……! しっかりおしよ、カール……!?」
「……本当にすまねえ。ホーンラビットが二匹、畑に迷い込んできてな。油断してたわけじゃねえんだが、一匹を追い出そうとしてる間に、もう一匹が突進してきてよ。……カールが庇ってくれなかったから、風穴があいてたのはオレのどてっぱらだったろうに」
「……謝るなんて、よしとくれよ。この馬鹿息子が、勝手にやったことだろ。いっつもろくなことしないこの馬鹿が、人様の役に立ったんだ。わざわざあんたのとこに手伝いにいかせた甲斐があるってもんさ……」
そうだろうと思ってはいたが、やはりあの男の子は女性の息子だったらしい。
そして口にした言葉が強がりであるのは、その声が震えていることからも明らかだ。
お腹に大きな穴が開いてしまった男の子の身体を必死に抑えながら、何かを堪えるようにその口を閉ざす。
しかし、セーナはそんな女性と男の子のことを眺めながら、ふと首を傾げた。
男の子の容態は気になるものの、先ほどからもう一つ気になっていたことがあったからだ。
確かに男の子の身体に出来た傷は、普通では考えられないようなものである。
魔物に襲われたというのは本当のことなのだろうが――
「魔物に襲われた、ということは、この近くに魔物が出る、ということですよね……?」
「ああ? なんだあんた、見ねえ顔だな。旅人かなんかか? つかんなこと聞くまでもねえことだろ?」
「だな。なんか十年ぐらい前から目にする機会は減ったが、魔物なんて何処にでもいるもんだろ」
「……そうなんですか」
そう言われてもまったく実感はないものの、こういう場所で暮らしている人達が言うことなのだから正しいのだろう。
ということは、単にセーナの運がよかった、ということなのだろうか。
というのも、街を出てからここに辿り着くまで、セーナは結局一度も魔物と遭遇する事がなかったのだ。
魔物はそこら中にいる、ということは知識としては知っていたものの、そういう状況だったため、この周辺にはいないのではないかと思ったのである。
だがそういうわけではないらしい。
まあ、実際にこうして魔物に襲われたという男の子がいるのだから、間違っているのはセーナの認識の方なのだろう。
やはり色々と話を聞きたいと思いつつも、意識を切り替える。
今はそれよりも、男の子のことを優先すべきであった。
とはいえ、実のところ今まで何もしていなかったわけではない。
男の子の傷を目にした瞬間から、既に治療は始めていたのだ。
治癒の力は、多少は慣れた場所からでも届かせることが可能なのである。
そんなことをしたのは、やはり出来るならば警戒されたり恐怖の顔を向けられたくなかったからだ。
こっそりと治療出来るのであればそれに越したことはなく……しかし、どうやら無理そうであった。
女性は男の子に覆い被さるようにして傷口を押さえており、それ自体は確かに有効なのだが、ぶっちゃけ遠距離から治療を施すには邪魔なのだ。
まあ、諦めるしかなさそうである。
無論のこと、警戒されたり恐怖の顔を向けられてしまうことを、だ。
最初から男の子を見捨てる選択肢はないのだから。
「あの……すみません。その子のことはわたしに任せてもらえませんか?」
「えっ……?」
そうして覚悟を決め、女性と男の子の方へと歩き出したセーナに向けられたのは、懐疑の目であった。
お前は一体何を言っているんだと言わんばかりであり、その声に振り返った女性の顔に何とも言えないものが浮かぶ。
だが直後、睨みつけるようにして見つめてきた。
「あんた……何しに来たんだい? 任せるって……まさか、この子のこともどうにか出来るなんていうんじゃないだろうね……!?」
「え? はい、治すつもりですが……?」
「治す、だって……!? こんな酷い傷が治せるわけがないだろう……!? あたしは騙されないよ……!?」
当然のことなので頷いただけなのだが、何故か女性はさらに睨みつけてきた。
これは本当に酷く騙されたのかもしれないと、そんなことを思っているとにわかに周囲がざわめき始める。
「ヴィルマ、その娘のことを知ってるのか? というか、治すって……もしかして……」
「ああ。その娘は、治癒士なんだってさ」
「なっ……!?」
あくまでも志望でしかないと言ったはずなのだが……訂正出来る雰囲気ではなかった。
まだ何もしていないというのに、周囲の人々の顔には女性と同じような憎しみの顔が浮かんでいたからだ。
「えっと……あの……?」
「治癒士……!? こんな場所に一体何の用で……見ての通り奪えるようなもんなんて何もねえぞ……!?」
「いえ、あの、ただ一晩泊めてもらえないかと立ち寄っただけなのですが……」
「ふんっ、そんなこと言って、あたしは騙されないって言ってんだろ! 出来もしないことを言いながら、何を騙し取るつもりだい!?」
これはもしかして、あの女性だけではなく、この村全体が騙されたりしたのだろうか。
そうとしか思えないような状況ではあるが……ふと女性の言葉に、そういえばと思う。
男の子の傷を治すのはいいが、対価とするものを決めていなかったのだ。
前世で様々な傷やら何やらを見てきたために、セーナはこれでも目にしたものを観察し分析することには自信がある。
女性が治せるわけがないと言うのも分かるぐらいには、確かに男の子の傷は致命傷であった。
放っておいたらそう長くはもたないだろう。
とはいえ、当然と言うべきかセーナは治せるし、だが傷が傷だけあって対価は相応のものが必要だ。
何がいいだろうかと考え、ふと思い至った。
「……そうですね、騙すつもりは本当にないのですが、確かに対価を求めるつもりはあります。その子の傷を治す代わりに、隣の村までの行き方を教えてはいただけませんか?」
この世界では地図というのは未だ軍事機密だ。
ということは、身も知らぬ相手に近隣の情報を教えるというのもきっと相応に価値のあることなはずである。
これならば多分吊り合うことだろう。
そう思ったのだが、女性の顔に浮かんだのは怪訝そうな表情であった。
「……は? 隣村までの行き方?」
「あ、もちろん領主様のいる街ではなく、ですよ? ああそれとも、こちらの提示するものが足りませんでしたかね? とはいえ、他の大きな怪我とかをしている人はいないみたいですし……」
「…………分かったよ。あんたがそれでいいってんならいいさ。……ただし、もしこれで駄目だったとか言ってみな。ただじゃおかないからね……!」
「はいっ、任せてください!」
人を殺そうとでもするかのような顔を女性は向けてきたが、それだけ子供のことが大事だということだろう。
もちろん絶対に助けるつもりなので、セーナはしっかりと頷いた。
そのまま男の子のところへと近付いていくも、女性はその場から退くつもりはないようだ。
もっとも、直接触れて治療をするのであれば問題はない。
男の子のすぐ傍にしゃがみ込むと、その身体へと手を伸ばした。
至近距離で睨みつけてくる女性のことも、周囲で憎しみのこもった顔で見つめてくる人々のことも頭から一旦追い出し、ただ傷を癒すことのみに意識を向ける。
そして。
「――『癒しを』」
告げた瞬間、眩い光がその場に満ちた。
先ほど女性の手を治した時のものとは、比べ物にならない。
さすがに致命傷を癒すには、相応のものが必要なのである。
だがその甲斐あってしっかり治す事が出来たようだ。
光が収まった時には、土気色だった男の子の顔色は血色のいいものへと戻っており、女性の手だけでは塞ぎきれなかった穴もしっかりとなくなっている。
そのことを確認し、セーナは安堵の息を吐き出した。
絶対治すつもりだったし、治せると思ってはいたものの、今生ではここまでの傷を癒すのは初めてだったので、少しだけ緊張したのだ。
それから、これでもう大丈夫だということを告げるために顔を上げ――瞬間、声が爆発した。
「おいっ、今の光……! それに、傷が……!?」
「ああっ、本当に治ってやがるぞ……!?」
「奇跡だ……奇跡が起きたよ……!?」
「あの嬢ちゃん、一体何者だ……!?」
「え? えっと……あの……?」
先ほどまでとは一転、引くぐらいの喜びようであった。
それほど信じていなかったということなのかもしれないが……さすがに少々大袈裟すぎるのではないだろうか。
特に奇跡とかは完全に言い過ぎた。
いや、確かに前世でもよく言われていたことではあるが、それは瀕死な上に手足の再生までした時とか、死病に冒され今にも死にそうな人を治した時のことである。
この程度のことで奇跡扱いをしていたら、奇跡の大安売りになってしまう。
と、そんなことを考えていたら、両手をがっしりと掴まれた。
反射的に顔を向けると、目の前の女性が必死の形相で睨みつけてきている。
怒られるようなことはしていないはずだが、と思っていると……女性の頭が勢いよく下げられた。
「あんたのことを疑うようなことを言って、失礼なことを言って、すまなかったね……! それと……息子の命を救ってくれて、ありがとう……! あんたは、女神様だよ……!」
「い、いえ、わたしは当たり前のことをしただけですし……それに、女神様はさすがにちょっと大袈裟かと……」
「なるほど……女神様か……!」
「ああ、確かにな! こんな奇跡を起こせるんだ! 女神様にちがいねえや!」
否定の言葉は、周囲の喧騒に掻き消されてしまった。
この様子では、何を言っても無駄そうである。
いつの間にかセーナは聖女から格上げされてしまったらしい。
まあとはいえ、どうせ一時の熱狂だろう。
明日になれば、何事もなかったかのようなことになっているに違いない。
しかしそれでも、皆が喜び笑顔になっていることは事実でもある。
ならば、セーナのやったことは正しかったということだろう。
折角成人を迎え、初めて旅に出た日だったのだ。
陰鬱な空気を払うことが出来てよかったと、そんなことを思いながら、セーナもまたゆっくりその顔に笑みを浮かべていくのであった。
先ほど約束した通り、宿へと案内してもらうためだ。
というか、正確にはその約束を理由に平静を取り戻してもらった、といったところではあるのだが。
何が目的で傷を癒したのか、とか言われたので、宿に案内してもらうと約束したからだと答えたのだ。
それで納得したわけではなさそうであったが、本当にそれだけなんだろうねと何度も確認され、その後ようやくこうして案内してもらえることとなったのである。
ただし、引き続き警戒されているらしいのは、その背中を見るだけでも分かる通りだ。
初めて会った直後の方が無警戒だったぐらいであり……だがだからこそ、セーナは首を傾げる。
何故そこまで警戒しているのかが、まるで分からなかったからだ。
傷を癒し、治癒士志望だと告げた直後に豹変したことを考えれば、間違いなくそこに原因があるのだろうが――
「んー……以前騙されたことがある、とかなのでしょうか?」
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出来れば色々と話を聞いてみたいところではあったのが……さすがにこの様子では無理そうか。
どうしてそんな態度を取るのか、ということもそうだが、出来れば単純に色々な話を聞いてみたかったのだが。
何せセーナは、正直この世界のことをよく知らない。
暇があれば色々な本を読んでいたし、姉達から色々と話も聞いていたため、常識を知らない、というほどではないはずだが、逆に言えば本に書かれていたことと姉達が話してくれたことしか知らないのだ。
だからこそ、色々と話を聞いてみたかったのだが……まあ、この調子では諦めるしかあるまい。
とはいえ、どうせしばらく旅は続くのだ。
目的地は一応決めてあるものの、そこまではおそらく一月ほどはかかる。
その間に幾つか村に寄ることになるだろうし、そこまで焦る必要はないだろう。
と、そんなことを考えていると、不意に女性が足を止めた。
その前にあるのは、周囲にあるのと比べ少しだけ大き目の二階建ての建物だ。
それを眺めながら、セーナはなるほどと頷く。
確かにこれならば、宿屋がどれなのか一目で分かるというものであった。
「さ、着いたよ。で、これであたしの役目も終わりってことでいいね?」
「あ、はい、ありがとうございました」
これ以上関わりたくない、と女性は全身で訴えかけてきていたが、ここまで案内してもらったのは確かである。
礼と共に頭を下げると、女性は何とも言えないような顔をしてきたが、顔をそらし、この場から立ち去るべく歩き出す。
と、その時のことであった。
「――ああ、ヴィルマ! こんなところにいやがったのか!?」
酷く焦った様子で、女性と同年代ぐらいだろう男が現れたのだ。
肩で息をしており、その顔は妙に青い。
「あん? デニスじゃないかい。どうしたんだい、そんな焦って? ……まさか、カールの馬鹿が何か迷惑をかけたんじゃないだろうね?」
「い、いや……その逆だ。カールは……魔物から、オレを庇って……!」
「なっ……!? カールは今どこにいるんだい……!?」
「今は……オレの畑のすぐ傍に……すまねえっ……」
「っ……!」
そんな会話を交わすと、女性は慌てて何処かへと駆け出していった。
男もすぐ後を追い、セーナだけがその場に取り残される。
正直なところ状況はよく分からないが――
「魔物から庇った、という言葉が聞こえましたね……?」
もしかしたら、魔物に襲われて、その上動かせない状況、ということなのだろうか。
二人の様子から考えると、その可能性は高そうである。
もっとも、セーナは完全な部外者だ。
話をしっかり聞いたわけでなければ、助けを求められたわけでもない。
「……とはいえ、さすがに見てみぬ振りをするわけにもいきませんしね」
また先ほどのように警戒され、恐怖に強張った顔を向けられるのかもしれないが、その時はその時だ。
寝覚めの悪いことになるよりはマシだろうと、セーナも二人の後を追って駆け出すのであった。
女性が向かった先には、小さな人だかりが出来ていた。
例外なくその顔は沈痛なものであり、カールという名を叫びながら女性はその中へと飛び込んだ。
僅かに遅れて、女性の悲痛が叫びがその場に響く。
セーナがその場に到着したのは、それからさらに遅れてだ。
人だかりの隙間からその先を除き、目を細める。
そこには血だるまになった十歳ぐらいの男の子が横たわっており、女性がカールと叫びながらその身体にしがみ付いていた。
どうやら、予想が当たってしまったらしい。
「カール……! しっかりおしよ、カール……!?」
「……本当にすまねえ。ホーンラビットが二匹、畑に迷い込んできてな。油断してたわけじゃねえんだが、一匹を追い出そうとしてる間に、もう一匹が突進してきてよ。……カールが庇ってくれなかったから、風穴があいてたのはオレのどてっぱらだったろうに」
「……謝るなんて、よしとくれよ。この馬鹿息子が、勝手にやったことだろ。いっつもろくなことしないこの馬鹿が、人様の役に立ったんだ。わざわざあんたのとこに手伝いにいかせた甲斐があるってもんさ……」
そうだろうと思ってはいたが、やはりあの男の子は女性の息子だったらしい。
そして口にした言葉が強がりであるのは、その声が震えていることからも明らかだ。
お腹に大きな穴が開いてしまった男の子の身体を必死に抑えながら、何かを堪えるようにその口を閉ざす。
しかし、セーナはそんな女性と男の子のことを眺めながら、ふと首を傾げた。
男の子の容態は気になるものの、先ほどからもう一つ気になっていたことがあったからだ。
確かに男の子の身体に出来た傷は、普通では考えられないようなものである。
魔物に襲われたというのは本当のことなのだろうが――
「魔物に襲われた、ということは、この近くに魔物が出る、ということですよね……?」
「ああ? なんだあんた、見ねえ顔だな。旅人かなんかか? つかんなこと聞くまでもねえことだろ?」
「だな。なんか十年ぐらい前から目にする機会は減ったが、魔物なんて何処にでもいるもんだろ」
「……そうなんですか」
そう言われてもまったく実感はないものの、こういう場所で暮らしている人達が言うことなのだから正しいのだろう。
ということは、単にセーナの運がよかった、ということなのだろうか。
というのも、街を出てからここに辿り着くまで、セーナは結局一度も魔物と遭遇する事がなかったのだ。
魔物はそこら中にいる、ということは知識としては知っていたものの、そういう状況だったため、この周辺にはいないのではないかと思ったのである。
だがそういうわけではないらしい。
まあ、実際にこうして魔物に襲われたという男の子がいるのだから、間違っているのはセーナの認識の方なのだろう。
やはり色々と話を聞きたいと思いつつも、意識を切り替える。
今はそれよりも、男の子のことを優先すべきであった。
とはいえ、実のところ今まで何もしていなかったわけではない。
男の子の傷を目にした瞬間から、既に治療は始めていたのだ。
治癒の力は、多少は慣れた場所からでも届かせることが可能なのである。
そんなことをしたのは、やはり出来るならば警戒されたり恐怖の顔を向けられたくなかったからだ。
こっそりと治療出来るのであればそれに越したことはなく……しかし、どうやら無理そうであった。
女性は男の子に覆い被さるようにして傷口を押さえており、それ自体は確かに有効なのだが、ぶっちゃけ遠距離から治療を施すには邪魔なのだ。
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無論のこと、警戒されたり恐怖の顔を向けられてしまうことを、だ。
最初から男の子を見捨てる選択肢はないのだから。
「あの……すみません。その子のことはわたしに任せてもらえませんか?」
「えっ……?」
そうして覚悟を決め、女性と男の子の方へと歩き出したセーナに向けられたのは、懐疑の目であった。
お前は一体何を言っているんだと言わんばかりであり、その声に振り返った女性の顔に何とも言えないものが浮かぶ。
だが直後、睨みつけるようにして見つめてきた。
「あんた……何しに来たんだい? 任せるって……まさか、この子のこともどうにか出来るなんていうんじゃないだろうね……!?」
「え? はい、治すつもりですが……?」
「治す、だって……!? こんな酷い傷が治せるわけがないだろう……!? あたしは騙されないよ……!?」
当然のことなので頷いただけなのだが、何故か女性はさらに睨みつけてきた。
これは本当に酷く騙されたのかもしれないと、そんなことを思っているとにわかに周囲がざわめき始める。
「ヴィルマ、その娘のことを知ってるのか? というか、治すって……もしかして……」
「ああ。その娘は、治癒士なんだってさ」
「なっ……!?」
あくまでも志望でしかないと言ったはずなのだが……訂正出来る雰囲気ではなかった。
まだ何もしていないというのに、周囲の人々の顔には女性と同じような憎しみの顔が浮かんでいたからだ。
「えっと……あの……?」
「治癒士……!? こんな場所に一体何の用で……見ての通り奪えるようなもんなんて何もねえぞ……!?」
「いえ、あの、ただ一晩泊めてもらえないかと立ち寄っただけなのですが……」
「ふんっ、そんなこと言って、あたしは騙されないって言ってんだろ! 出来もしないことを言いながら、何を騙し取るつもりだい!?」
これはもしかして、あの女性だけではなく、この村全体が騙されたりしたのだろうか。
そうとしか思えないような状況ではあるが……ふと女性の言葉に、そういえばと思う。
男の子の傷を治すのはいいが、対価とするものを決めていなかったのだ。
前世で様々な傷やら何やらを見てきたために、セーナはこれでも目にしたものを観察し分析することには自信がある。
女性が治せるわけがないと言うのも分かるぐらいには、確かに男の子の傷は致命傷であった。
放っておいたらそう長くはもたないだろう。
とはいえ、当然と言うべきかセーナは治せるし、だが傷が傷だけあって対価は相応のものが必要だ。
何がいいだろうかと考え、ふと思い至った。
「……そうですね、騙すつもりは本当にないのですが、確かに対価を求めるつもりはあります。その子の傷を治す代わりに、隣の村までの行き方を教えてはいただけませんか?」
この世界では地図というのは未だ軍事機密だ。
ということは、身も知らぬ相手に近隣の情報を教えるというのもきっと相応に価値のあることなはずである。
これならば多分吊り合うことだろう。
そう思ったのだが、女性の顔に浮かんだのは怪訝そうな表情であった。
「……は? 隣村までの行き方?」
「あ、もちろん領主様のいる街ではなく、ですよ? ああそれとも、こちらの提示するものが足りませんでしたかね? とはいえ、他の大きな怪我とかをしている人はいないみたいですし……」
「…………分かったよ。あんたがそれでいいってんならいいさ。……ただし、もしこれで駄目だったとか言ってみな。ただじゃおかないからね……!」
「はいっ、任せてください!」
人を殺そうとでもするかのような顔を女性は向けてきたが、それだけ子供のことが大事だということだろう。
もちろん絶対に助けるつもりなので、セーナはしっかりと頷いた。
そのまま男の子のところへと近付いていくも、女性はその場から退くつもりはないようだ。
もっとも、直接触れて治療をするのであれば問題はない。
男の子のすぐ傍にしゃがみ込むと、その身体へと手を伸ばした。
至近距離で睨みつけてくる女性のことも、周囲で憎しみのこもった顔で見つめてくる人々のことも頭から一旦追い出し、ただ傷を癒すことのみに意識を向ける。
そして。
「――『癒しを』」
告げた瞬間、眩い光がその場に満ちた。
先ほど女性の手を治した時のものとは、比べ物にならない。
さすがに致命傷を癒すには、相応のものが必要なのである。
だがその甲斐あってしっかり治す事が出来たようだ。
光が収まった時には、土気色だった男の子の顔色は血色のいいものへと戻っており、女性の手だけでは塞ぎきれなかった穴もしっかりとなくなっている。
そのことを確認し、セーナは安堵の息を吐き出した。
絶対治すつもりだったし、治せると思ってはいたものの、今生ではここまでの傷を癒すのは初めてだったので、少しだけ緊張したのだ。
それから、これでもう大丈夫だということを告げるために顔を上げ――瞬間、声が爆発した。
「おいっ、今の光……! それに、傷が……!?」
「ああっ、本当に治ってやがるぞ……!?」
「奇跡だ……奇跡が起きたよ……!?」
「あの嬢ちゃん、一体何者だ……!?」
「え? えっと……あの……?」
先ほどまでとは一転、引くぐらいの喜びようであった。
それほど信じていなかったということなのかもしれないが……さすがに少々大袈裟すぎるのではないだろうか。
特に奇跡とかは完全に言い過ぎた。
いや、確かに前世でもよく言われていたことではあるが、それは瀕死な上に手足の再生までした時とか、死病に冒され今にも死にそうな人を治した時のことである。
この程度のことで奇跡扱いをしていたら、奇跡の大安売りになってしまう。
と、そんなことを考えていたら、両手をがっしりと掴まれた。
反射的に顔を向けると、目の前の女性が必死の形相で睨みつけてきている。
怒られるようなことはしていないはずだが、と思っていると……女性の頭が勢いよく下げられた。
「あんたのことを疑うようなことを言って、失礼なことを言って、すまなかったね……! それと……息子の命を救ってくれて、ありがとう……! あんたは、女神様だよ……!」
「い、いえ、わたしは当たり前のことをしただけですし……それに、女神様はさすがにちょっと大袈裟かと……」
「なるほど……女神様か……!」
「ああ、確かにな! こんな奇跡を起こせるんだ! 女神様にちがいねえや!」
否定の言葉は、周囲の喧騒に掻き消されてしまった。
この様子では、何を言っても無駄そうである。
いつの間にかセーナは聖女から格上げされてしまったらしい。
まあとはいえ、どうせ一時の熱狂だろう。
明日になれば、何事もなかったかのようなことになっているに違いない。
しかしそれでも、皆が喜び笑顔になっていることは事実でもある。
ならば、セーナのやったことは正しかったということだろう。
折角成人を迎え、初めて旅に出た日だったのだ。
陰鬱な空気を払うことが出来てよかったと、そんなことを思いながら、セーナもまたゆっくりその顔に笑みを浮かべていくのであった。
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リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
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姉の陰謀で国を追放された第二王女は、隣国を発展させる聖女となる【完結】
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幼少期から魔法の才能に溢れ、百年に一度の天才と呼ばれたリーリエル。だが、その才能を妬んだ姉により、無実の罪を着せられ、隣国へと追放されてしまう。
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【完結】追放された生活錬金術師は好きなようにブランド運営します!
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(全151話予定)世界からは魔法が消えていっており、錬金術師も賢者の石や金を作ることは不可能になっている。そんな中で、生活に必要な細々とした物を作る生活錬金術は「小さな錬金術」と呼ばれていた。
カモミールは師であるロクサーヌから勧められて「小さな錬金術」の道を歩み、ロクサーヌと共に化粧品のブランドを立ち上げて成功していた。しかし、ロクサーヌの突然の死により、その息子で兄弟子であるガストンから住み込んで働いていた家を追い出される。
落ち込みはしたが幼馴染みのヴァージルや友人のタマラに励まされ、独立して工房を持つことにしたカモミールだったが、師と共に運営してきたブランドは名義がガストンに引き継がれており、全て一から出直しという状況に。
そんな中、格安で見つけた恐ろしく古い工房を買い取ることができ、カモミールはその工房で新たなスタートを切ることにした。
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毎日15:10に1話ずつ更新です。
この作品は小説家になろう様・カクヨム様・ノベルアッププラス様にも掲載しています。
侯爵令嬢に転生したからには、何がなんでも生き抜きたいと思います!
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侯爵令嬢に生まれた私。
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