14 / 46
遭遇
しおりを挟む
その姿を眺めながら、ルーカスは反射的にごくりと喉を鳴らしていた。
一目見ただけで、その身に強大な力が蓄えられているのが分かる。
これがワイバーンかと思いながら、勝手に震える身体を叱咤し抑えた。
そうして、ゆっくりと剣を抜き放つと、構える。
幸いにしてワイバーンは寝ているようだが、だからこそ焦らず慎重にいく必要があった。
母も当然理解しているようで、杖を取り出すと構え……だがルーカスがそこで僅かに戸惑ったのは、父だけが動く気配を見せなかったからだ。
父は眉をひそめながら、何かを観察するようにジッとワイバーンの姿を見つめていた。
「……父上?」
「……いや、何でもない。それよりも、気を抜くな」
「えっ……?」
疑問の声を発したのと、父が動いたのはほぼ同時であった。
加速したその身体が瞬く間にワイバーンとの距離を詰め、その間に剣まで抜き放っている。
父の腕前は知ってはいるが、相変わらずさすがの動きだ。
しかし、その勢いのままに振り下ろされた剣が奏でたのは、甲高い音であった。
まるで金属同士がぶつかったかのような音に父が僅かに顔を歪め、ルーカスは驚愕の表情を浮かべる。
「なっ……まさか、目覚めて……!?」
父の斬撃は、直前で持ち上げられたそれの爪によって防がれていたのだ。
しかし魔物だろうと何だろうと、寝起き直後に最適な行動を取るのは不可能なはずである。
つまりそれは最初から寝てはいなかったということであり、父はそれに気付いていたからこそ、待つのは愚策と先手を取るべく仕掛けた、ということか。
事前に得た情報と横たわっているという状況から寝ていると判断してしまった自分の未熟さを恥じながら、だがルーカスはすぐさま気を取り直す。
反省は後だ。
父の後に続くべく駆け出すと、ルーカスもまたワイバーンの懐へと飛び込んだ。
ただ、ルーカスは父ほどの技量はまだもってはいない。
正面は父に任せ、自身は横や後ろへと回り込む。
とはいえ、そこが安全だというわけでもない。
突如旋回してくることもあれば、相手には尻尾もあるのだ。
一瞬足りとも油断は出来なかった。
そしてそんな二人の攻撃の合間を縫うように、母の魔法が叩き込まれる。
降り注ぐ氷の礫が、相手の注意を逸らし、攻撃の出を潰し、その動きを阻害していく。
その連携を、さすがは家族だと自画自賛しつつ、だが事実でもあると思う。
ワイバーンはまともに攻撃に移ることすら出来ず、一方的にこちらだけが攻撃を加え続けているのだ。
明らかにこちらが優勢な状況であった。
もっとも、これはこの三人だからこそ出来たことだ。
一人で戦ったらきっと、あっという間に殺されてしまっていたはずである。
互いに互いを補うように動いているからこそ、ここまでの有利を取れているのだ。
特に大きいのは、やはりワイバーンに絶対やらせてはならないことを全員が正確に理解し、常にその手を誰かしらが潰していることだろう。
空を飛ばれるということ。
これが現在最もやられてはいけないことであった。
森の中であることは理由にならない。
その程度の不利は、空という手の届かない場所へと向かわれてしまうことに比べれば何ということはないのだ。
空に飛ばれてしまったら、上空から強襲されるということに加え、単純に攻撃手段が増える。
今は両前足と尻尾しか使われていないが、これに後ろ足まで加わるのだ。
さらには、地上にいるせいか上手く翼を使えていないようだが、これもまた加わるだろう。
そして何よりも、こちらの攻撃は届かずに一方的に攻撃されることとなってしまう。
一人だったらあっという間に殺されてしまうだろうというのもそれが理由であり、それをさせていないからこその現状なのだ。
ただ、そうして一方的に有利な状況の中、我武者羅に足を動かし、腕を振り下ろしながら、ルーカスは一つの確信を得ていた。
この戦いに、勝ち目がないということが、だ。
父や母の牽制のおかげで、先ほどから十はワイバーンの身体へと斬撃を叩き込めているし、父はその倍は叩き込んでいる。
母の魔法に至っては数え切れないほどで……だというのに、まるで効いている気がしない。
いや、おそらくは実際に効いていないのだ。
手に伝わってくる感覚と、何よりも傷一つ付いていない鱗が、その事実を証明している。
ワイバーンとは、これほどの存在なのかと思い、ふと父が語った言葉を思い出す。
父ほどの人物が二度と見たくないなど、少し大袈裟に言っているだけだと思っていたが……もしくはその言葉ですら控え目だったのかもしれないと、今更のように思う。
頭をよぎるのは、先ほどからずっと同じ言葉だ。
こんなものを相手に、勝ち目などあるわけがない。
しかし、それが分かっても――
「っ――ルーカス!」
「――なっ!?」
ほんの一瞬のことであった。
気を抜いてはいない。
ただ少しだけ、勝てなくても負けるわけにはいかないと思い、力んでしまっただけである。
だがその直後、まるでそれを狙っていたかのように、振り上げられたワイバーンの爪が少しだけ傾けられた。
それは本当にほんの少しだけだ。
振り下ろした剣が空を切るほどではなく、しかし打ち付けるはずだった刃が、その傾きのままに滑り降りる。
本来ならば、そんなことにはならなかっただろう。
多少傾きが加わったところで、その分軌道を修正すればいいだけだ。
だが少しだけ力が余分に加わってしまったせいで、軌道の修正が間に合わなかったのだ。
偶然では、有り得まい。
狙って、受け流されたのである。
ワイバーンにそんなことが出来る知能が、と思ったのと、流れきった身体に尻尾が叩き込まれたのは同時であった。
「ごっ……!?」
物凄い衝撃を腹部に感じ、そのまま吹き飛ばされる。
一瞬で景色が流れ、地面に激突し、しかしすぐに立ち上がった。
「っ……!」
瞬間、腹部と背中に激痛が走ったが、そんなことを言っている場合ではない。
そもそも激痛で済んでいるのは、攻撃を食らう直前に母が氷の障壁を作ってくれたからだ。
それがなければ、きっとあの一撃で死んでしまっていたに違いない。
だが、そんな一撃を軽減するほどの魔法だ。
いくら魔導士とはいっても、一朝一夕に使えるようなものではない。
間違いなく次の魔法はすぐには放てず、そう思ってワイバーンの方を見れば、やはり父だけが戦っていた。
その向こう側に肩で息をしている母の姿が見え、何とか杖を構えてはいるものの、魔法が発動してはいない。
そしてそうなれば、もたないことなど分かりきっていたことであった。
だから即座に向かおうとしたのであり……しかしそんなルーカスの行動を嘲笑うかのように、ワイバーンが翼を広げる。
「っ、させ――がっ!?」
それをさせじと父が飛びかかり、だが逆に尻尾で吹き飛ばされた。
その光景を見てルーカスが唇を噛み締めたのは、やはりと思ったからだ。
今ワイバーンが翼を広げたのは、飛ぶためではなく、父に飛びかからせるためであった。
離れたところから目にしていたルーカスには、そのことがはっきりと分かったのだ。
いや、あるいは父も分かっていて、それでも敢えて飛び込んだのかもしれない。
そうしなければ、どの道ワイバーンは空を飛ぶだけだからだ。
選択肢など始めからなかったのである。
しかし今重要なのは、そんな駆け引きをワイバーンがしたということではなく、このままでは結局ワイバーンが空を飛ぶことに違いはないということだ。
知能があろうとなかろうが、空にいかれてしまえば同じことである。
何としてでもとめなければならなかった。
だが、今からルーカスが向かったところで、確実に間に合うまい。
頼みの父も母も、頼れる状況にない。
だから、その行動をしたのは半ば反射的なものであった。
もう無理だと分かった瞬間、腕を振り被っていたのである。
吹き飛ばされようとも離さなかった剣の感触を確かめながら、そのまま腕を振り抜いた。
投げ放たれた剣が向かうのは、広げられた翼であり……しかし、ワイバーンはそんなものは意に介さぬとばかりに、ゆっくりと空へと浮かび上がり始める。
分かっていたことだ。
今やったことはただの悪足掻きで、意味などはない。
剣は真っ直ぐに広げられた翼へと向かっているが、傷一つ負わすことは出来ずに叩き落されるだけだ。
そんな、予想するまでもない結末を、それでもルーカスは睨みつけるように見つめ――直後に、呆然とした呟きを漏らした。
「……は?」
『――グギャアアアアアァァァァァアアア!!!!』
絶叫を放ちながら、ワイバーンの身体が地に沈む。
飛来した剣が、その片翼を断ったからだ。
有り得ないことであった。
剣を放った自分自身が、それが有り得ないということを一番よく分かっている。
だが、現実にワイバーンの片翼は斬り落とされたのだ。
何故、と思い――ふと頭に浮かんだのは、妹の姿であった。
無論妹はこの場にきてはいない。
というか、そもそも本来妹は今回のことに同行するはずですらなかったのだ。
当然のことである。
妹はまだ魔導士の杖すらも与えられてはおらず、何よりも欠落者なのだ。
来たところで意味などあるはずがない。
しかしそんな妹を同行するよう進言したのは、ルーカスであった。
あの色々な意味で有り得ざる魔法を目にしたからだ。
きっと誰に話したところで、幻覚でも見ていたのだろうと言われるに違いない。
そもそも漠然とこれは誰にも話してはいけないものだろうと感じたために誰にも話すつもりなどはないのだが……父から話を聞き、父が死を覚悟しているということを理解した時に、どうしてか頭に浮かんだのはそのことだった。
そして、ふと思ったのだ。
もしも、死が避けられないような状況になったとしても、妹が近くにいれば、また有り得ざる何かを引き起こしてくれるのではないだろうか、と。
色々と父には理由を語ったものの、ルーカスが妹を同行させようとした理由は、そんなものであった。
現実逃避から生じたただの誇大妄想だろうか。
そうだと言われたら否定することは出来ないが、そう思ってしまったのは事実なのである。
その果てに起こったのが、これだ。
これもまた妄想だろうか。
あるいは都合のいいこじ付けか。
だが妄想だろうが何だろうが、事実としてあるのはワイバーンの片翼は斬り落とされたということである。
そしてならば、ルーカスは呆然としている場合ではなかった。
ワイバーンは片方の翼が失われただけで、まだ健在なのだ。
どうすればいいかなど決まっており、次の瞬間にはルーカスは地を蹴っていた。
「っ……!」
腹部と背中から断続的に激痛が走るが、知ったことではない。
ワイバーンまでの距離を数歩で詰め、そのまま飛びかかる。
剣はない。
しかし、攻撃する方法がないわけではない。
それほど得意ではなくとも、ルーカスにはまだ魔法があった。
現代魔法は、基本的に殺傷能力に乏しいと言われている。
だが街中でないならばルーカスの攻撃魔法でもそれなりの威力にはなるし、また理由は分かっていないのだが、攻撃魔法は特定の条件下では威力が向上する事が知られていた。
その条件とは、相手が深い眠りに落ちている時か、あるいは、意識が混濁している時など――たとえば、片方の翼を斬り落とされ、激痛にのた打ち回っている時だ。
「――フレイムエッジ!」
叫ぶように魔法の名を唱えた瞬間、眼前に炎の斬撃が走る。
それで、のた打ち回っているワイバーンの首を――
「――なっ!?」
しかしその次の瞬間、ワイバーンの口が開かれた。
噛み付かれる!? と瞬間思い、だがそうではないことにすぐに気付く。
その程度では済まないことに。
その口内に、炎の揺らめきが見えたからだ。
――ブレス!?
瞬間脳裏をよぎった言葉は、知識として知っているだけのものであったが、おそらくは間違いない。
一部の魔物や上位種のみが可能とする、圧縮した魔力による砲撃。
莫大な威力を秘めた必殺技であり、ものによっては大きな街ですら一撃で消し飛ぶという。
ワイバーンに使えたものではなかったはずだが、言っている場合ではない。
かわせるタイミングではなく、また自分では防げるようなものでもない。
母の魔法でもきっと、不可能だろう。
そもそもこのタイミングでブレスを使うということは、まさかのた打ち回っていたのすら演技であったというのか。
完璧なタイミングで反撃し、翼を斬り落とした憎き敵を、確実に殺すために。
高速化した思考の中でそんなことを考えるが、意味はない。
最早ルーカスに出来ることは、何もないのだ。
ブレスが放たれるよりも先に魔法は叩き込まれるだろうが、意識が混濁していないのであれば、傷一つ付けることすら出来まい。
無意味な炎の斬撃が、ワイバーンの首に触れ――そのまま、その首を斬り落とした。
「――」
何が起こったのか分からず、ただ呆然と目の前の光景を眺め、直後に、鈍い音が響く。
斬り落とされた頭部が、地面に落下した音であった。
その口内で揺らめいていた炎は霧散し、目から光は失われてる。
何が起こったのかは理解が出来ないが、結果だけは分かった。
ワイバーンは、死んだのだ。
呆然としたまま、ただその事実だけは受け入れる。
細く、長い息を吐き出した。
果たしてこれもまた、妄想の産物なのだろうか。
――あるいは。
「……まあとりあえずは、リーンにお礼は言っておこうかな」
そんなことを思い、呟きながら、ルーカスは再度大きな溜息を吐き出すのであった。
一目見ただけで、その身に強大な力が蓄えられているのが分かる。
これがワイバーンかと思いながら、勝手に震える身体を叱咤し抑えた。
そうして、ゆっくりと剣を抜き放つと、構える。
幸いにしてワイバーンは寝ているようだが、だからこそ焦らず慎重にいく必要があった。
母も当然理解しているようで、杖を取り出すと構え……だがルーカスがそこで僅かに戸惑ったのは、父だけが動く気配を見せなかったからだ。
父は眉をひそめながら、何かを観察するようにジッとワイバーンの姿を見つめていた。
「……父上?」
「……いや、何でもない。それよりも、気を抜くな」
「えっ……?」
疑問の声を発したのと、父が動いたのはほぼ同時であった。
加速したその身体が瞬く間にワイバーンとの距離を詰め、その間に剣まで抜き放っている。
父の腕前は知ってはいるが、相変わらずさすがの動きだ。
しかし、その勢いのままに振り下ろされた剣が奏でたのは、甲高い音であった。
まるで金属同士がぶつかったかのような音に父が僅かに顔を歪め、ルーカスは驚愕の表情を浮かべる。
「なっ……まさか、目覚めて……!?」
父の斬撃は、直前で持ち上げられたそれの爪によって防がれていたのだ。
しかし魔物だろうと何だろうと、寝起き直後に最適な行動を取るのは不可能なはずである。
つまりそれは最初から寝てはいなかったということであり、父はそれに気付いていたからこそ、待つのは愚策と先手を取るべく仕掛けた、ということか。
事前に得た情報と横たわっているという状況から寝ていると判断してしまった自分の未熟さを恥じながら、だがルーカスはすぐさま気を取り直す。
反省は後だ。
父の後に続くべく駆け出すと、ルーカスもまたワイバーンの懐へと飛び込んだ。
ただ、ルーカスは父ほどの技量はまだもってはいない。
正面は父に任せ、自身は横や後ろへと回り込む。
とはいえ、そこが安全だというわけでもない。
突如旋回してくることもあれば、相手には尻尾もあるのだ。
一瞬足りとも油断は出来なかった。
そしてそんな二人の攻撃の合間を縫うように、母の魔法が叩き込まれる。
降り注ぐ氷の礫が、相手の注意を逸らし、攻撃の出を潰し、その動きを阻害していく。
その連携を、さすがは家族だと自画自賛しつつ、だが事実でもあると思う。
ワイバーンはまともに攻撃に移ることすら出来ず、一方的にこちらだけが攻撃を加え続けているのだ。
明らかにこちらが優勢な状況であった。
もっとも、これはこの三人だからこそ出来たことだ。
一人で戦ったらきっと、あっという間に殺されてしまっていたはずである。
互いに互いを補うように動いているからこそ、ここまでの有利を取れているのだ。
特に大きいのは、やはりワイバーンに絶対やらせてはならないことを全員が正確に理解し、常にその手を誰かしらが潰していることだろう。
空を飛ばれるということ。
これが現在最もやられてはいけないことであった。
森の中であることは理由にならない。
その程度の不利は、空という手の届かない場所へと向かわれてしまうことに比べれば何ということはないのだ。
空に飛ばれてしまったら、上空から強襲されるということに加え、単純に攻撃手段が増える。
今は両前足と尻尾しか使われていないが、これに後ろ足まで加わるのだ。
さらには、地上にいるせいか上手く翼を使えていないようだが、これもまた加わるだろう。
そして何よりも、こちらの攻撃は届かずに一方的に攻撃されることとなってしまう。
一人だったらあっという間に殺されてしまうだろうというのもそれが理由であり、それをさせていないからこその現状なのだ。
ただ、そうして一方的に有利な状況の中、我武者羅に足を動かし、腕を振り下ろしながら、ルーカスは一つの確信を得ていた。
この戦いに、勝ち目がないということが、だ。
父や母の牽制のおかげで、先ほどから十はワイバーンの身体へと斬撃を叩き込めているし、父はその倍は叩き込んでいる。
母の魔法に至っては数え切れないほどで……だというのに、まるで効いている気がしない。
いや、おそらくは実際に効いていないのだ。
手に伝わってくる感覚と、何よりも傷一つ付いていない鱗が、その事実を証明している。
ワイバーンとは、これほどの存在なのかと思い、ふと父が語った言葉を思い出す。
父ほどの人物が二度と見たくないなど、少し大袈裟に言っているだけだと思っていたが……もしくはその言葉ですら控え目だったのかもしれないと、今更のように思う。
頭をよぎるのは、先ほどからずっと同じ言葉だ。
こんなものを相手に、勝ち目などあるわけがない。
しかし、それが分かっても――
「っ――ルーカス!」
「――なっ!?」
ほんの一瞬のことであった。
気を抜いてはいない。
ただ少しだけ、勝てなくても負けるわけにはいかないと思い、力んでしまっただけである。
だがその直後、まるでそれを狙っていたかのように、振り上げられたワイバーンの爪が少しだけ傾けられた。
それは本当にほんの少しだけだ。
振り下ろした剣が空を切るほどではなく、しかし打ち付けるはずだった刃が、その傾きのままに滑り降りる。
本来ならば、そんなことにはならなかっただろう。
多少傾きが加わったところで、その分軌道を修正すればいいだけだ。
だが少しだけ力が余分に加わってしまったせいで、軌道の修正が間に合わなかったのだ。
偶然では、有り得まい。
狙って、受け流されたのである。
ワイバーンにそんなことが出来る知能が、と思ったのと、流れきった身体に尻尾が叩き込まれたのは同時であった。
「ごっ……!?」
物凄い衝撃を腹部に感じ、そのまま吹き飛ばされる。
一瞬で景色が流れ、地面に激突し、しかしすぐに立ち上がった。
「っ……!」
瞬間、腹部と背中に激痛が走ったが、そんなことを言っている場合ではない。
そもそも激痛で済んでいるのは、攻撃を食らう直前に母が氷の障壁を作ってくれたからだ。
それがなければ、きっとあの一撃で死んでしまっていたに違いない。
だが、そんな一撃を軽減するほどの魔法だ。
いくら魔導士とはいっても、一朝一夕に使えるようなものではない。
間違いなく次の魔法はすぐには放てず、そう思ってワイバーンの方を見れば、やはり父だけが戦っていた。
その向こう側に肩で息をしている母の姿が見え、何とか杖を構えてはいるものの、魔法が発動してはいない。
そしてそうなれば、もたないことなど分かりきっていたことであった。
だから即座に向かおうとしたのであり……しかしそんなルーカスの行動を嘲笑うかのように、ワイバーンが翼を広げる。
「っ、させ――がっ!?」
それをさせじと父が飛びかかり、だが逆に尻尾で吹き飛ばされた。
その光景を見てルーカスが唇を噛み締めたのは、やはりと思ったからだ。
今ワイバーンが翼を広げたのは、飛ぶためではなく、父に飛びかからせるためであった。
離れたところから目にしていたルーカスには、そのことがはっきりと分かったのだ。
いや、あるいは父も分かっていて、それでも敢えて飛び込んだのかもしれない。
そうしなければ、どの道ワイバーンは空を飛ぶだけだからだ。
選択肢など始めからなかったのである。
しかし今重要なのは、そんな駆け引きをワイバーンがしたということではなく、このままでは結局ワイバーンが空を飛ぶことに違いはないということだ。
知能があろうとなかろうが、空にいかれてしまえば同じことである。
何としてでもとめなければならなかった。
だが、今からルーカスが向かったところで、確実に間に合うまい。
頼みの父も母も、頼れる状況にない。
だから、その行動をしたのは半ば反射的なものであった。
もう無理だと分かった瞬間、腕を振り被っていたのである。
吹き飛ばされようとも離さなかった剣の感触を確かめながら、そのまま腕を振り抜いた。
投げ放たれた剣が向かうのは、広げられた翼であり……しかし、ワイバーンはそんなものは意に介さぬとばかりに、ゆっくりと空へと浮かび上がり始める。
分かっていたことだ。
今やったことはただの悪足掻きで、意味などはない。
剣は真っ直ぐに広げられた翼へと向かっているが、傷一つ負わすことは出来ずに叩き落されるだけだ。
そんな、予想するまでもない結末を、それでもルーカスは睨みつけるように見つめ――直後に、呆然とした呟きを漏らした。
「……は?」
『――グギャアアアアアァァァァァアアア!!!!』
絶叫を放ちながら、ワイバーンの身体が地に沈む。
飛来した剣が、その片翼を断ったからだ。
有り得ないことであった。
剣を放った自分自身が、それが有り得ないということを一番よく分かっている。
だが、現実にワイバーンの片翼は斬り落とされたのだ。
何故、と思い――ふと頭に浮かんだのは、妹の姿であった。
無論妹はこの場にきてはいない。
というか、そもそも本来妹は今回のことに同行するはずですらなかったのだ。
当然のことである。
妹はまだ魔導士の杖すらも与えられてはおらず、何よりも欠落者なのだ。
来たところで意味などあるはずがない。
しかしそんな妹を同行するよう進言したのは、ルーカスであった。
あの色々な意味で有り得ざる魔法を目にしたからだ。
きっと誰に話したところで、幻覚でも見ていたのだろうと言われるに違いない。
そもそも漠然とこれは誰にも話してはいけないものだろうと感じたために誰にも話すつもりなどはないのだが……父から話を聞き、父が死を覚悟しているということを理解した時に、どうしてか頭に浮かんだのはそのことだった。
そして、ふと思ったのだ。
もしも、死が避けられないような状況になったとしても、妹が近くにいれば、また有り得ざる何かを引き起こしてくれるのではないだろうか、と。
色々と父には理由を語ったものの、ルーカスが妹を同行させようとした理由は、そんなものであった。
現実逃避から生じたただの誇大妄想だろうか。
そうだと言われたら否定することは出来ないが、そう思ってしまったのは事実なのである。
その果てに起こったのが、これだ。
これもまた妄想だろうか。
あるいは都合のいいこじ付けか。
だが妄想だろうが何だろうが、事実としてあるのはワイバーンの片翼は斬り落とされたということである。
そしてならば、ルーカスは呆然としている場合ではなかった。
ワイバーンは片方の翼が失われただけで、まだ健在なのだ。
どうすればいいかなど決まっており、次の瞬間にはルーカスは地を蹴っていた。
「っ……!」
腹部と背中から断続的に激痛が走るが、知ったことではない。
ワイバーンまでの距離を数歩で詰め、そのまま飛びかかる。
剣はない。
しかし、攻撃する方法がないわけではない。
それほど得意ではなくとも、ルーカスにはまだ魔法があった。
現代魔法は、基本的に殺傷能力に乏しいと言われている。
だが街中でないならばルーカスの攻撃魔法でもそれなりの威力にはなるし、また理由は分かっていないのだが、攻撃魔法は特定の条件下では威力が向上する事が知られていた。
その条件とは、相手が深い眠りに落ちている時か、あるいは、意識が混濁している時など――たとえば、片方の翼を斬り落とされ、激痛にのた打ち回っている時だ。
「――フレイムエッジ!」
叫ぶように魔法の名を唱えた瞬間、眼前に炎の斬撃が走る。
それで、のた打ち回っているワイバーンの首を――
「――なっ!?」
しかしその次の瞬間、ワイバーンの口が開かれた。
噛み付かれる!? と瞬間思い、だがそうではないことにすぐに気付く。
その程度では済まないことに。
その口内に、炎の揺らめきが見えたからだ。
――ブレス!?
瞬間脳裏をよぎった言葉は、知識として知っているだけのものであったが、おそらくは間違いない。
一部の魔物や上位種のみが可能とする、圧縮した魔力による砲撃。
莫大な威力を秘めた必殺技であり、ものによっては大きな街ですら一撃で消し飛ぶという。
ワイバーンに使えたものではなかったはずだが、言っている場合ではない。
かわせるタイミングではなく、また自分では防げるようなものでもない。
母の魔法でもきっと、不可能だろう。
そもそもこのタイミングでブレスを使うということは、まさかのた打ち回っていたのすら演技であったというのか。
完璧なタイミングで反撃し、翼を斬り落とした憎き敵を、確実に殺すために。
高速化した思考の中でそんなことを考えるが、意味はない。
最早ルーカスに出来ることは、何もないのだ。
ブレスが放たれるよりも先に魔法は叩き込まれるだろうが、意識が混濁していないのであれば、傷一つ付けることすら出来まい。
無意味な炎の斬撃が、ワイバーンの首に触れ――そのまま、その首を斬り落とした。
「――」
何が起こったのか分からず、ただ呆然と目の前の光景を眺め、直後に、鈍い音が響く。
斬り落とされた頭部が、地面に落下した音であった。
その口内で揺らめいていた炎は霧散し、目から光は失われてる。
何が起こったのかは理解が出来ないが、結果だけは分かった。
ワイバーンは、死んだのだ。
呆然としたまま、ただその事実だけは受け入れる。
細く、長い息を吐き出した。
果たしてこれもまた、妄想の産物なのだろうか。
――あるいは。
「……まあとりあえずは、リーンにお礼は言っておこうかな」
そんなことを思い、呟きながら、ルーカスは再度大きな溜息を吐き出すのであった。
3
お気に入りに追加
3,435
あなたにおすすめの小説
婚約破棄され森に捨てられました。探さないで下さい。
拓海のり
ファンタジー
属性魔法が使えず、役に立たない『自然魔法』だとバカにされていたステラは、婚約者の王太子から婚約破棄された。そして身に覚えのない罪で断罪され、修道院に行く途中で襲われる。他サイトにも投稿しています。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
【完結】6歳の王子は無自覚に兄を断罪する
土広真丘
ファンタジー
ノーザッツ王国の末の王子アーサーにはある悩みがあった。
異母兄のゴードン王子が婚約者にひどい対応をしているのだ。
その婚約者は、アーサーにも優しいマリーお姉様だった。
心を痛めながら、アーサーは「作文」を書く。
※全2話。R15は念のため。ふんわりした世界観です。
前半はひらがなばかりで、読みにくいかもしれません。
主人公の年齢的に恋愛ではないかなと思ってファンタジーにしました。
小説家になろうに投稿したものを加筆修正しました。
余命半年のはずが?異世界生活始めます
ゆぃ♫
ファンタジー
静波杏花、本日病院で健康診断の結果を聞きに行き半年の余命と判明…
不運が重なり、途方に暮れていると…
確認はしていますが、拙い文章で誤字脱字もありますが読んでいただけると嬉しいです。
私は魔法最強の《精霊巫女》でした。〜壮絶な虐めを受けてギルドをクビにされたので復讐します。今更「許してくれ」と言ってももう遅い〜
水垣するめ
ファンタジー
アイリ・ホストンは男爵令嬢だった。
しかし両親が死んで、ギルドで働くことになったアイリはギルド長のフィリップから毎日虐めを受けるようになった。
日に日に虐めは加速し、ギルドの職員までもアイリを虐め始めた。
それでも生活費を稼がなければなかったため屈辱に耐えながら働いてきたが、ある日フィリップから理不尽な難癖をつけられ突然ギルドをクビにされてしまう。
途方に暮れたアイリは冒険者となって生計を立てようとするが、Aランクの魔物に襲われた時に自分が《精霊巫女》と呼ばれる存在である事を精霊から教えられる。
しかも実はその精霊は最強の《四大精霊》の一角で、アイリは一夜にしてSランク冒険者となった。
そして自分をクビにしたギルドへ復讐することを計画する。
「許してくれ!」って、全部あなた達が私にしたことですよね? いまさら謝ってももう遅いです。
改訂版です。
無能と呼ばれたレベル0の転生者は、効果がチートだったスキル限界突破の力で最強を目指す
紅月シン
ファンタジー
七歳の誕生日を迎えたその日に、レオン・ハーヴェイの全ては一変することになった。
才能限界0。
それが、その日レオンという少年に下されたその身の価値であった。
レベルが存在するその世界で、才能限界とはレベルの成長限界を意味する。
つまりは、レベルが0のまま一生変わらない――未来永劫一般人であることが確定してしまったのだ。
だがそんなことは、レオンにはどうでもいいことでもあった。
その結果として実家の公爵家を追放されたことも。
同日に前世の記憶を思い出したことも。
一つの出会いに比べれば、全ては些事に過ぎなかったからだ。
その出会いの果てに誓いを立てた少年は、その世界で役立たずとされているものに目を付ける。
スキル。
そして、自らのスキルである限界突破。
やがてそのスキルの意味を理解した時、少年は誓いを果たすため、世界最強を目指すことを決意するのであった。
※小説家になろう様にも投稿しています
私の代わりが見つかったから契約破棄ですか……その代わりの人……私の勘が正しければ……結界詐欺師ですよ
Ryo-k
ファンタジー
「リリーナ! 貴様との契約を破棄する!」
結界魔術師リリーナにそう仰るのは、ライオネル・ウォルツ侯爵。
「彼女は結界魔術師1級を所持している。だから貴様はもう不要だ」
とシュナ・ファールと名乗る別の女性を部屋に呼んで宣言する。
リリーナは結界魔術師2級を所持している。
ライオネルの言葉が本当なら確かにすごいことだ。
……本当なら……ね。
※完結まで執筆済み
『特別』を願った僕の転生先は放置された第7皇子!?
mio
ファンタジー
特別になることを望む『平凡』な大学生・弥登陽斗はある日突然亡くなる。
神様に『特別』になりたい願いを叶えてやると言われ、生まれ変わった先は異世界の第7皇子!? しかも母親はなんだかさびれた離宮に追いやられているし、騎士団に入っている兄はなかなか会うことができない。それでも穏やかな日々。
そんな生活も母の死を境に変わっていく。なぜか絡んでくる異母兄弟をあしらいつつ、兄の元で剣に魔法に、いろいろと学んでいくことに。兄と兄の部下との新たな日常に、以前とはまた違った幸せを感じていた。
日常を壊し、強制的に終わらせたとある不幸が起こるまでは。
神様、一つ言わせてください。僕が言っていた特別はこういうことではないと思うんですけど!?
他サイトでも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる