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元最強賢者、魔物の話を聞く

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 目的地である場所は、馬車で三日ほど移動した先にあるらしい。
 馬車に揺られながら父がそんな話をしているのを耳にしつつ、しかし正直なところリーンの興味は他のところにあった。
 先ほどから絶えず振動を伝えてきているこの馬車だ。

 リーンは前世の頃にも何度か馬車に乗る機会があったのだが、その時はここまで振動が小さくはなかったはずである。
 今は『クッション』があるために元々軽減されているとはいえ、千年前にあった馬車とは明らかに乗り心地が違う。
 別物であると言ってしまっても過言ではあるまい。

 まあ、原因に関しては大体推測出来ているのだが、などと思っていると不意に視線を感じた。
 大っぴらに馬車の内部を見回しすぎたか、気が付けば父の話は途切れ、その場にいる全員から見られている。

 その顔に浮かんでいる表情は様々だが、苦笑じみたものを浮かべている兄が、代表するように口を開いた。

「馬車のことが気になるのかい?」

「うむ。整備された道を走っているわけでもないのに、快適ですらあるのが気になったのじゃ。あとは、三日かかるというのに、御者は一人だけじゃよな? 休めるような場所もないのじゃし、それも気になったと言えば気になったのじゃ」

「ああ……確かに、何も知らない状態だと、気になるの、かな?」

「ふむ……最初から知らされていたため今まで疑問に思ったことはなかったが、何も知らないとそうなのかもしれんな。だがまあ、不思議なことはない。振動軽減の魔導具が使われているだけだからな」

 いつも通りの厳かな顔付きながら、瞳の中に僅かな苦笑の気配を混じらせた父が告げた言葉に、リーンはなるほどと頷く。
 魔導具を使っているのだろうと思ってはいたが、やはりそうであったらしい。

 魔導具とは、簡単に言ってしまえば魔法の力を宿した道具といったところだ。
 一つにつき一種類の効果しか発揮しないため、あまり汎用性が高いとは言えないが、誰でも使えるという点から言えば使い勝手はいいとも言える。

 だが、予想通りではあったが、同時に僅かな驚きもあった。
 昔の常識が通用しないというのはよく分かっているのだが、千年前には魔導具とは非常に希少な品だったからだ。
 作り出すことは出来なかったこともあって、国宝のように扱われることも珍しくはなく、解禁された書物の中に魔導具は魔法同様現代では身近に使われているという記述を見つけた時は随分と驚いたものであった。

「あとは、疲労軽減の魔導具も使われているのよー? 快適なのはそのおかげもあるし、御者が一人だけでも大丈夫なのも、そのおかげ、というわけねー」

「なるほどなのじゃ」

「それにしても、御者の人のことまで気にするなんて、さすがはリーンちゃんねー」

 補足を付け加えた後、そう言って満面の笑みで水色の髪と同色の瞳を持つ女性がリーンの頭を撫でる。
 ヘレナ・アメティスティ――即ち、母だ。

 こうやって母が何かにつけてリーンのことを褒め、頭を撫でてくるのはいつものことなので、リーンは今更何かを感じるようなことはないのだが、どうやらオリヴィアにとっては割と衝撃的だったようだ。
 何とも言えないような顔をしながら、頭痛でもしたかのようにこめかみの辺りを指で押さえていた。

 まあ、そういった反応をしているのは、リーンの今の状況も関係しているのかもしれない。
 リーンは現在母の膝の上に座り、抱きかかえられているからだ。
 これまたいつものことなのでリーンは特に何かを感じることはないのだが、師と呼んでいた人物が幼女の姿で妙齢の女性に抱きかかえられている状況は、確かに傍から見ればとてもアレなものなのだろう。

 リーンは特に気にせず、母も喜んでいるので、どうにかするつもりはないが。

「……確かに、乗りなれていない馬車に興味を持つことは仕方がないことなのでしょうし、御者の心配をすることはとても素晴らしいことです。しかし、これからわたし達は、とても危険な場所に行こうとしているのですよ? マティアス様が少しでも危険を減らすために状況を説明しているのですから、まずはそちらを聞くべきではないでしょうか?」

 しかし何とか気を取り直したらしいオリヴィアが、そんな忠言めいた言葉を口にしたのに、リーンは肩をすくめて返す。
 確かに、正論と言えば正論だ。

 だが。

「今から話を聞き、身構えたところで、まだ三日もあるのじゃぞ? 今からそんなのでは、逆に疲れるだけじゃろうが。どうせ前日にもう一度確認のために話をするのじゃろうし、しっかり話を聞くのはその時で十分なのじゃ。必要なものは父上達が既に準備しているじゃろうしの」

「あー……うん、確かにリーンの言う通り、かな。正直かなり身構えてたし、このままだったら、三日後に持たなかったかも」

「ふむ……確かに、準備は終えているのだから、今ここで話をする必要はない、か。今から身構えていても意味がないというのは、道理だ」

「確かにそうねー。大変だから頑張らなきゃって思ってたし、今からそんなんじゃ着いた頃には疲れちゃってでしょうねー。さすがはリーンちゃんだわー!」

「そうですね……確かに、その通りです。考えが足らず、申し訳ありませんでした」

 そう言って大人しく引き下がったように見えたオリヴィアだが、そんなオリヴィアへとリーンは軽く溜息を吐き出した。
 千年前と変わっていないように見えて、結構したたかになったようだと思ったからだ。

 リーンが言った程度のことを、オリヴィアが理解していないわけがないのである。
 父や母も、言葉とは裏腹にそれほど身体に力は入っていなかった。
 おそらくは経験から無意識に理解してはいたのだろう。

 しかし、兄だけは、見るからに無駄に緊張をして、身体に力が入りまくっていた。
 きっとあのままならば三日後には疲れ果ててしまっていたことはずだ。

 だがオリヴィアがそのことを指摘しても、兄は力を抜くことは出来なかったに違いない。
 どう見ても意識してのものではなかったからだ。
 むしろ意識させてしまえば、悪化してしまう可能性すらあった。

 だから、オリヴィアはリーンを利用したのである。
 ルーカスはリーンにとってとてもいい兄だ。
 そんな兄が、妹から無駄なことをするのはよせと言外に言われて、逆らうはずがないのである。
 自覚も与えられて、一石二鳥といったところか。

 まったく、生徒への指導のために元師を利用するなど、随分としたたかで……良い教師になったようであった。

「なに、儂らも良い気付きになったようじゃからの。問題はないのじゃ。ああ、ただ、一応一つだけは聞いておいた方がいいかもしれんのじゃな」

「ふむ……何をだ?」

「人里近くに現れたという危険な魔物というのは、一体何なのじゃ?」

 それだけは、一応知っておいた方がいいだろう。
 どうせリーン以外は既に知っているのだろうし、相手次第ではリーンも別個で対策を練っておく必要があるかもしれない。
 父達の実力はまだよく分かっていないのだから、万全を期しておくに越したことはないだろう。

「……確かに、それだけは伝えておいた方がいいか。身構える必要はないが……心構えは必要だ」

 そんな父の言葉や、明らかに緊張を見せた兄の姿を見るに、どうやら相当な相手のようである。
 下手をすれば領土丸ごと滅ぼされる、という話からそれなりのものではあるのだろうと思ってはいたが……もしかしたら、魔物ではないのかもしれない。

 たとえば、ドラゴンは魔物と呼ばれてはいるものの、厳密には幻想種という種族だ。
 本来は魔物とは別種であり、人類と同等どころか上位種とすら呼ぶべき存在なのだが、基本的に人類に対し敵対的であるため、魔物と同じ括りとされてしまうことが多いに過ぎない。
 同じようなものは他にも多くおり、その大半が強大な力を持っている。
 中には相性の問題でリーンも手こずるものもいて、そういったものが相手ならば厄介だ。

 あるいは、魔神などである可能性もある。
 前世の頃であればそれでも何とかなっただろうが、未だこの身体でどれだけの力を振るえるのかは分からないのだ。
 最悪逃げることも考えるべきだろうか、などと思いながら、心して父の言葉へと耳を傾ける。

「……俺達が戦うべき相手は――ワイバーンだ」

「………………ふむ?」

 千年後であることを考えれば、知らない名前の魔物が出てくる可能性もあるかもしれない、とも考えてはいたが、幸いにしてと言うべきか、それは知っている魔物の名であった。

 ワイバーン。
 亜龍の一種とされているが、れっきとした魔物である。

 そう、魔物なのだ。
 かつてリーンはドラゴンをちょっと乱獲したことがあるが、そんなドラゴンと比べてさえ遥かに格下の、はっきり言って雑魚である。
 だからリーンが首を傾げたのは、何故そんな魔物の名を世にも恐ろしげな様子で口にしたのが分からなかったからだ。

 しかしそんなリーンの様子を、兄達は違うものとして見たらしい。

「うん、まあ、リーンが驚くのも当然だとは思う。本来ならば王都の騎士団に任せるべきことだろうからね」

「それも、一匹だけではなく二匹いる可能性があるのよねー」

「確認されたのは一匹だけですけれど、他にも大きな影を見たり、羽ばたくような音を聞いたという報告があったらしいですからね。影の大きさからすると、確認されたものよりも明らかに大きいとか」

「ああ。正直なところ、王都の騎士団に任せるのが賢くはあるのだろう。下手をすれば……いや、上手くいってすら、この中の誰かが死ぬ可能性は、非常に高い。だが、我らは公爵家の者だ。王より、民を守るのに十分な力があると見出されたからこそ、我らは我らの土地を治めることを許されている。で、あるならば、ここを引くわけにはいくまい」

「ふむ……ちなみになのじゃが、ワイバーンを見たことってあるのかの?」

「まさか。この国で最強と呼ばれている騎士団ですら、まともに戦おうとしたら下手したら死者が出るって言われてるんだよ? 目にするような機会があったら、僕はきっと生きてはいないさ」

「私もさすがにないわねー」

「……俺は一度だけある。こう言うのも何だが、正直、もう二度と見かけたくすらないと思ったものだが……まさか戦うことになるとはな。だが、やらねばならぬ。……まあ、念のために騎士団に連絡は入れてある。万が一俺達が失敗したとしても、問題はあるまい」

「ならまあ、気楽にやれるかな? 勿論失敗するつもりもなければ、死ぬつもりもないけど」

「そうね、必ず皆で一緒に帰りましょうねー。ただ……それでも、正直私はリーンちゃんには家で待っていて欲しかったのだけどねー。リーンちゃんは確かに色々と凄いけど、まだ六歳になったばかりなのだもの。……そういえば、誕生日のお祝いも出来ていないわねー」

「まあ、状況が状況ゆえ仕方ないと思うのじゃ。それに、別に帰ってきてからすればいいだけじゃろう? あと、母上は凄い魔導士だと聞いているのじゃからの。きっと儂のことも守ってくれるのじゃろうし、なら儂が行ったところで問題ないじゃろ?」

「……それもそうねー! ええ、見ててね、リーンちゃん。ママがしっかり守ってあげるわー。そして、帰って誕生日のお祝いをしましょうねー」

「うむ、楽しみにしているのじゃ」

 疑問はあったものの、家族の決意に水を差すのも何だろうと思い、家族のノリに合わせて乗る。

 オリヴィアは何かを言いたげな様子ではあったし、リーンも言いたいことはあったが、敢えて言葉をかけることはない。
 その姿を横目に眺めながら、小さく肩をすくめるのであった。
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