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 父にとって、自分は出来が悪い不肖の息子に過ぎない。
 
 小柄で病弱な上に勉強も不得意な息子が4一つで5は無し、3ばかり目立つ通信簿を学期末に持ち帰ると、
 
「まぁ、こんなもんか」

 と情けなさそうに舌打ちし、
 
「お前なりに頑張ったんだろ。で、結果がこの様じゃ、これ以上を望むのは無理なんだろうな」

 と言ったきり、後のお説教は俶子まかせ。好幸の方を見もしない。今なら考えられない子育ての丸投げだが、あの頃はあれで普通だった。
 
 幹夫の誕生日は1941年、昭和で言えば16年の5月10日。
 
 太平洋戦争が始まった年に生を受け、敗戦から高度経済成長期、バブル崩壊、デフレへ至る荒波を社会の最前線で体験してきた世代だ。
 
 いわゆるモーレツ社員を地で行く生き方を父は貫いた。
 
 身を粉にして働き、およそ家族を顧みる事無く、それが家族の為だと信じ切れた時代の典型と言えるのかもしれない。
 
 かくして昭和のビジネス戦士はとことん人生を会社へ捧げ、定年間近で肩書ばかりの部長待遇を得る所まで実績を積み重ねた。
 
 それで一層張り切った末、いきなりプッツンと頭の血管が切れ、定年まで職場復帰さえ叶わない身の上となったのだ。





「親父が脳溢血で倒れた時、俺はすぐ病院へ駆けつけなかった。薄情な息子だと思ったかい?」

 訊ねても、病床の父から答えは返ってこない。

 当時、父が勤めていた保険会社の本社は千代田区丸の内にあり、緊急手術を受けた御茶ノ水の総合病院から母が震える声で電話を掛けてきたのは2000年、即ち平成12年の6月20日だ。
 
 好幸は当時27才。
 
 水道橋の中堅食品メーカーに職を得ており、三鷹の狭い賃貸アパートで妻と二人暮らしをしていた。千葉郊外にリタイア生活用の家を買ったばかりの父とは疎遠……いや、殆ど絶縁状態である。
 
 不仲のきっかけは、その時から更に5年遡る1995年。好幸が東京都内の私立大学に通っていた頃の、円との学生結婚だ。
 
 今、思い返せば引っ込み思案な性格に育ち、ずっと幹雄に頭が上がらなかった好幸が、初めて本気で父へ逆らった瞬間でもある。





「性格とか、物の考え方とか、こんなに自然と心が通い合う人は始めてなんだ」

 あの日の夕方、幹雄と俶子が住んでいた世田谷の借り上げ社宅へ押しかけ、二人の前に正座して、オーバーヒート気味の物言いをする若き日の好幸の隣に、緊張で身を固くしたままの円がいた。
 
「なぁ、わかるだろ? 俺と彼女、よく似てるんだよ」

「似てる? 見た目じゃそうは思えんがな」

「外見じゃない。もっと本質的な問題。彼女となら俺、ずっと友達でいられる。そんな特別な夫婦になれる気がする」

「特別な夫婦? ずっと友達? お前なぁ、寝言は寝て言え」

 不機嫌そうに横目で睨んだ、その時の幹雄の表情は今でも忘れられない。
 
「夫婦ってモンの根っこを全然わかってねぇよ、お前。見込みが甘すぎる。ママゴトは所詮、行き詰って終わりだ」

「親父の時代の常識はそうでも、俺達の時代は違う」

「男女の仲の大本なんざぁ、今も昔も大して変わりゃしない。なぁ、母さんだってそう思うだろ」

 俶子は俯き、何も言わなかった。その本音が何処にあるのか、好幸には判らない。
 
 ただ無言で夫に付き従うだけ。自分の気持ちを晒そうとしない生き方へ逃避している感じで、父とは違う違和感を好幸は母に感じていた。
 
 率直でマイペース、良く笑う円へ惹かれたのは、両親のような夫婦にはなりたくないという気持ちの発露だったかもしれない。
 
「良いさ、元々、親父達に祝って貰えるなんて思っちゃいない。俺、家を出て、彼女と暮らすよ」

「ほう、就職はどうする?」

「中小企業の中途採用なら、ゼミの先生に頼めば紹介してくれると思う。円も働くって言ってるし、俺、二人一緒ならどんな苦労だって」

「あ~ぁ、やっぱり、甘ぇ。多分、その甘さを自覚する事さえ、今のお前には無理なんだろうな」

 ふっと憐れむいつもの眼差し、決まり文句が父から飛んできた。いつも通りなのに、この時は何故か荒ぶる気持ちが止められなかった。
 
 父の冷笑と母の沈黙と……
 
 目を逸らした好幸の頭の芯が熱く灼け、勢い任せに立ち上がる。当惑する円の右手を掴み、強引に引っ張って、そのまま家を飛び出した。
 
 結婚の許しを得る、只、それだけの為に親の家までついて来てくれた円は何を感じていたのだろうか。
 
 路地に出てもひた走り、握り続けた彼女の華奢な手が、普段より冷たく強張っていたのを良く覚えている。
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