どぶさらいのロジック

ちみあくた

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「ウチの……俺達の会社は危ないネタに蓋をして、無かった事にする気かよ!?」

 己の職場をこよなく愛し、上司を信じて来た男の叫びに哀しみが滲んだ。

「国にも、富武にも、原発は必要だ。復興庁の交付金が四年前に廃止され、県の財政は逼迫してる。これは地域住民の為にもなる事なんだよ」

「結局、俺らを騙すだけだろ!」

 裏切られた思いが堰を切ってしまうと、もう常田には勢いを止められない。

「あんたらにとって、俺達ゃ何よ? いいとこ、放射能のどぶさらいか」

 答えの代りに冷笑を浴びせられ、富田の中で何かが切れた。怒りのまま、綿部の襟首を掴んで力任せに振り回す。

「く、クビにするぞ、お前。いや、警察だ。警察を呼んで逮捕させてやる!」

 常田は右手の拳を握り締めるが、綿部を殴る寸前、後ろから公平が羽交い絞めにして動きを封じた。

「おい、離せ、コラ!」

「仕事の邪魔しないで下さい」

「何っ?」

「僕、そういうの迷惑なんですよ。前に言いましたよね。妹の入院費を、どうしても稼ぎたい」

 吐き捨てる様に言い、羽交い絞めを解いて突き飛ばす。

 床へ膝をつく常田が見上げた若者の顔は、感情を消す仮面、初めて会った時と同じポーカーフェイスに覆われていた。

「公平、お前だって、今のは許せねぇだろ? 妹さんの無念、忘れちまったか!」

「感情的になった所で、国や企業が演出する大きな流れに個人は抗えません」

「……それ、本気で言ってんの!?」

「何より、証拠の裏付けが無いあなたの言葉に誰も耳を傾けない。無駄に職を失い、路頭に迷うのが関の山です」

 元々、口下手の常田には何も言い返せなくなった。滾る怒りが急激に醒めていく。





 強い熱を伴わない、ささやかな絶望。

 優しく、穏やかな時の流れと共に積み重なっていく忘却。

 この国の、どれくらいの人が、似た様な諦めを抱え、時流に流されてきたのだろう?





「常田君、私はさっきの君の言葉を聞かなかった事にする」

 落ち着きを取り戻した綿部に対し、常田の目は虚ろで、半ば光を失っていた。

「この調査について秘密を守ってくれれば、クビにもしない。いずれ、配置転換は受け入れて貰うけどね」

 俯く常田に背を向け、綿部は公平へと向き直る。

「三矢君、私は彼を施設の外へ送っていく。その間、調査を任せていいかい?」

「はい、その代り」

「何?」

「原子炉の損壊部へ近づけば、おそらくロボットは使用不能になります。その補償を現金で請求しますが、構いませんか?」

「良いさ、私が払う訳じゃない」

 どうにもやりきれず、常田は胸に残る最後の怒りを公平へぶつけた。
 
「……お前、手塩にかけた大事なロボットまで、金の為に投げ出すんだな」

「はい」

「それで入院費払って、妹さんが喜ぶのか!」

「余計なお世話です」

 冷たく言い放ち、公平は常田のすぐ側まで歩み寄って、耳元で何か囁いた。
 
「お前……」

 どんな挑発をされたのか、常田は愕然と目を見開き、年下の相棒を見つめる。

「オイ、何時まで睨めっこしてんの? マキで行きましょうよ、マキで」

 綿部に言われるまでも無い。

 常田は公平から目を逸らし、足元の床へ唾を吐いて、上司と共に免震棟の外へ出て行く。





 二人が去った小部屋では、公平がノートパソコンに向い、画面上のアバターへ優しく語り掛けていた。

「さぁ、いよいよ始めるよ」

 アバターが頷くと同時に、ロボットが移動を開始。真っすぐに原子炉へ向うかと思えば、その手前で横へ逸れる。

 しばらく進むと、半壊状態のまま建屋内に放置されている調整室の入り口が見えた。

 素早くドアを潜ると、常田が言っていた「ホッタラカシ」の従来型端末が奥に並んでおり、ロボットのカメラ・アイが入出力部を鮮明に捉える。

 ふっ、と公平は笑った。
 
 彼の真の目的は最初からここなのだ。計画決行のチャンスが、こうも唐突な形で巡って来るとは思わなかったけれど……
 
 プルートゥの頭頂部が変形、細いマニュピレーターがスルスル伸び、端末の電源を補って、起動スイッチを押す。

 二台は反応せず、三台目でやっとОSが立ち上がった。間も無く、昔懐かしいコマンドラインのメッセージが出る。

「よし、この端末は生きてるな。何とか、メインのデータベースへ侵入できそうだ」

 公平の独り言に、アバター少女が頷く。

 すかさずマニュピレーター先端に付いているUSB端子を従来型端末へ挿入。液晶画面に膨大なデータの文字列が現れ、上から下へ高速で流れ始めた。

 放棄された端末だけに、地震以来全く整備できておらず、セキュリティの壁は存在しない。

 お陰で難なく、公平とプルートゥは富武原子力発電所を統べるメインフレームのハッキングに成功した様だ。





 その頃、常田は綿部に連れられ、帰宅用のマイクロバスが停まった駐車場へ歩を進めている。

 免震棟を出る直前、公平が彼の耳元へ囁いた言葉が、今も繰返し胸に響いていた。

「家族がいるあなたは、ここで潰れちゃいけない」

 あの若者は確かにそう言い、綿部から死角になる位置で邪気の無い笑顔を見せたのだ。
 
 あいつ、何か企んでやがる。
 
 金が目当ての守銭奴を演じながら、綿部には知られたくない何かを……
 
「あの、室長さん、休憩所でお茶でも飲まねぇか? 俺、さっきのお詫びも、ちゃんと言いてぇし」

 戸惑う綿部の肩を今度は常田が抱き寄せ、強引に休憩所の方へ向う。

 狙いは、ちょっとした時間稼ぎだ。





 免震棟の小部屋では、建屋の端末から情報を盗む作業をロボットが終えつつあった。

 後はデータを持ち帰り、秘められた真実を世界のマスコミへ向け、発信するだけ。
 
 部外者の公平が原発の極秘データを盗む以上、この行為は内部告発と言えず、悪質極まるサイバーテロに過ぎない。

 即ち、ただの犯罪だ。

 極東電力から協力を打診された時、この計画を思いついたものの実行をずっと躊躇っていた。

 心が決まったのは、病院から麻耶の脳死を知らされ、人工呼吸器を外す同意をした瞬間である。

 公平にとって、憎むべきは人でも企業でも無い。

 長きにわたって、この地を包む情報の淡い霧。真実を隠したまま、全て押し流す曖昧さこそが妹の仇に思えていた。

 だから、どんなデータが見つかるにせよ、そのまんま何一つ脚色は加えない。

 真実だけを武器に戦う。どれだけ時が過ぎようと、妹の死を、哀しみを、忘却に埋もれさせはしない。

 俺の故郷で起きた全て、光と闇を何一つ、無かった事になんかさせてたまるか!





 大量に放射線を被曝し、最早、回収不能のプルートゥに対して、公平は最後にねぎらいの言葉をかけた。

「ありがとう」

 プルートゥの返事もシンプルだ。

 在りし日の妹を再現したアバターが柔らかく微笑み、液晶画面が暗くなっていく。

「おやすみ、コウヘイ」

「おやすみ、麻耶」

 ロボットに託す妹の意思が、この時、二度目の死を迎え、今度こそ安らかに天へ旅立つ事を祈らずにはいられない。

「ご安全に……」

 まだ覚えたばかりの言葉を呟き、公平はノートパソコンを両手に抱えて、暗く、静かな小部屋を出た。
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