8 / 8
8
しおりを挟む「ウチの……俺達の会社は危ないネタに蓋をして、無かった事にする気かよ!?」
己の職場をこよなく愛し、上司を信じて来た男の叫びに哀しみが滲んだ。
「国にも、富武にも、原発は必要だ。復興庁の交付金が四年前に廃止され、県の財政は逼迫してる。これは地域住民の為にもなる事なんだよ」
「結局、俺らを騙すだけだろ!」
裏切られた思いが堰を切ってしまうと、もう常田には勢いを止められない。
「あんたらにとって、俺達ゃ何よ? いいとこ、放射能のどぶさらいか」
答えの代りに冷笑を浴びせられ、富田の中で何かが切れた。怒りのまま、綿部の襟首を掴んで力任せに振り回す。
「く、クビにするぞ、お前。いや、警察だ。警察を呼んで逮捕させてやる!」
常田は右手の拳を握り締めるが、綿部を殴る寸前、後ろから公平が羽交い絞めにして動きを封じた。
「おい、離せ、コラ!」
「仕事の邪魔しないで下さい」
「何っ?」
「僕、そういうの迷惑なんですよ。前に言いましたよね。妹の入院費を、どうしても稼ぎたい」
吐き捨てる様に言い、羽交い絞めを解いて突き飛ばす。
床へ膝をつく常田が見上げた若者の顔は、感情を消す仮面、初めて会った時と同じポーカーフェイスに覆われていた。
「公平、お前だって、今のは許せねぇだろ? 妹さんの無念、忘れちまったか!」
「感情的になった所で、国や企業が演出する大きな流れに個人は抗えません」
「……それ、本気で言ってんの!?」
「何より、証拠の裏付けが無いあなたの言葉に誰も耳を傾けない。無駄に職を失い、路頭に迷うのが関の山です」
元々、口下手の常田には何も言い返せなくなった。滾る怒りが急激に醒めていく。
強い熱を伴わない、ささやかな絶望。
優しく、穏やかな時の流れと共に積み重なっていく忘却。
この国の、どれくらいの人が、似た様な諦めを抱え、時流に流されてきたのだろう?
「常田君、私はさっきの君の言葉を聞かなかった事にする」
落ち着きを取り戻した綿部に対し、常田の目は虚ろで、半ば光を失っていた。
「この調査について秘密を守ってくれれば、クビにもしない。いずれ、配置転換は受け入れて貰うけどね」
俯く常田に背を向け、綿部は公平へと向き直る。
「三矢君、私は彼を施設の外へ送っていく。その間、調査を任せていいかい?」
「はい、その代り」
「何?」
「原子炉の損壊部へ近づけば、おそらくロボットは使用不能になります。その補償を現金で請求しますが、構いませんか?」
「良いさ、私が払う訳じゃない」
どうにもやりきれず、常田は胸に残る最後の怒りを公平へぶつけた。
「……お前、手塩にかけた大事なロボットまで、金の為に投げ出すんだな」
「はい」
「それで入院費払って、妹さんが喜ぶのか!」
「余計なお世話です」
冷たく言い放ち、公平は常田のすぐ側まで歩み寄って、耳元で何か囁いた。
「お前……」
どんな挑発をされたのか、常田は愕然と目を見開き、年下の相棒を見つめる。
「オイ、何時まで睨めっこしてんの? マキで行きましょうよ、マキで」
綿部に言われるまでも無い。
常田は公平から目を逸らし、足元の床へ唾を吐いて、上司と共に免震棟の外へ出て行く。
二人が去った小部屋では、公平がノートパソコンに向い、画面上のアバターへ優しく語り掛けていた。
「さぁ、いよいよ始めるよ」
アバターが頷くと同時に、ロボットが移動を開始。真っすぐに原子炉へ向うかと思えば、その手前で横へ逸れる。
しばらく進むと、半壊状態のまま建屋内に放置されている調整室の入り口が見えた。
素早くドアを潜ると、常田が言っていた「ホッタラカシ」の従来型端末が奥に並んでおり、ロボットのカメラ・アイが入出力部を鮮明に捉える。
ふっ、と公平は笑った。
彼の真の目的は最初からここなのだ。計画決行のチャンスが、こうも唐突な形で巡って来るとは思わなかったけれど……
プルートゥの頭頂部が変形、細いマニュピレーターがスルスル伸び、端末の電源を補って、起動スイッチを押す。
二台は反応せず、三台目でやっとОSが立ち上がった。間も無く、昔懐かしいコマンドラインのメッセージが出る。
「よし、この端末は生きてるな。何とか、メインのデータベースへ侵入できそうだ」
公平の独り言に、アバター少女が頷く。
すかさずマニュピレーター先端に付いているUSB端子を従来型端末へ挿入。液晶画面に膨大なデータの文字列が現れ、上から下へ高速で流れ始めた。
放棄された端末だけに、地震以来全く整備できておらず、セキュリティの壁は存在しない。
お陰で難なく、公平とプルートゥは富武原子力発電所を統べるメインフレームのハッキングに成功した様だ。
その頃、常田は綿部に連れられ、帰宅用のマイクロバスが停まった駐車場へ歩を進めている。
免震棟を出る直前、公平が彼の耳元へ囁いた言葉が、今も繰返し胸に響いていた。
「家族がいるあなたは、ここで潰れちゃいけない」
あの若者は確かにそう言い、綿部から死角になる位置で邪気の無い笑顔を見せたのだ。
あいつ、何か企んでやがる。
金が目当ての守銭奴を演じながら、綿部には知られたくない何かを……
「あの、室長さん、休憩所でお茶でも飲まねぇか? 俺、さっきのお詫びも、ちゃんと言いてぇし」
戸惑う綿部の肩を今度は常田が抱き寄せ、強引に休憩所の方へ向う。
狙いは、ちょっとした時間稼ぎだ。
免震棟の小部屋では、建屋の端末から情報を盗む作業をロボットが終えつつあった。
後はデータを持ち帰り、秘められた真実を世界のマスコミへ向け、発信するだけ。
部外者の公平が原発の極秘データを盗む以上、この行為は内部告発と言えず、悪質極まるサイバーテロに過ぎない。
即ち、ただの犯罪だ。
極東電力から協力を打診された時、この計画を思いついたものの実行をずっと躊躇っていた。
心が決まったのは、病院から麻耶の脳死を知らされ、人工呼吸器を外す同意をした瞬間である。
公平にとって、憎むべきは人でも企業でも無い。
長きにわたって、この地を包む情報の淡い霧。真実を隠したまま、全て押し流す曖昧さこそが妹の仇に思えていた。
だから、どんなデータが見つかるにせよ、そのまんま何一つ脚色は加えない。
真実だけを武器に戦う。どれだけ時が過ぎようと、妹の死を、哀しみを、忘却に埋もれさせはしない。
俺の故郷で起きた全て、光と闇を何一つ、無かった事になんかさせてたまるか!
大量に放射線を被曝し、最早、回収不能のプルートゥに対して、公平は最後にねぎらいの言葉をかけた。
「ありがとう」
プルートゥの返事もシンプルだ。
在りし日の妹を再現したアバターが柔らかく微笑み、液晶画面が暗くなっていく。
「おやすみ、コウヘイ」
「おやすみ、麻耶」
ロボットに託す妹の意思が、この時、二度目の死を迎え、今度こそ安らかに天へ旅立つ事を祈らずにはいられない。
「ご安全に……」
まだ覚えたばかりの言葉を呟き、公平はノートパソコンを両手に抱えて、暗く、静かな小部屋を出た。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
吹きさらし
ちみあくた
ミステリー
大寒波により、豪雪にみまわれた或る地方都市で、「引きこもり状態の50代男性が痴呆症の母を探して街を彷徨い、見つけた直後に殺害する」という悲惨な事件が起きた。
被疑者・飛江田輝夫の取り調べを担当する刑事・小杉亮一は、母を殺した後、捕まるまで馴染みのパチンコ屋へ入り浸っていた輝夫に得体の知れぬ異常性を感じるが……
エブリスタ、小説家になろう、ノベルアップ+、にも投稿しております。
巨象に刃向かう者たち
つっちーfrom千葉
ミステリー
インターネット黎明期、多くのライターに夢を与えた、とあるサイトの管理人へ感謝を込めて書きます。資産を持たぬ便利屋の私は、叔母へ金の融通を申し入れるが、拒絶され、縁を感じてシティバンクに向かうも、禿げた行員に挙動を疑われ追い出される。仕方なく、無一文で便利屋を始めると、すぐに怪しい来客が訪れ、あの有名アイドルチェリー・アパッチのためにひと肌脱いでくれと頼まれる。失敗したら命もきわどくなる、いかがわしい話だが、取りあえず乗ってみることに……。この先、どうなる……。 お笑いミステリーです。よろしくお願いいたします。
蠱惑Ⅱ
壺の蓋政五郎
ミステリー
人は歩いていると邪悪な壁に入ってしまう時がある。その壁は透明なカーテンで仕切られている。勢いのある時は壁を弾き迷うことはない。しかし弱っている時、また嘘を吐いた時、憎しみを表に出した時、その壁に迷い込む。蠱惑の続編で不思議な短編集です。
メタバース魔界の入口
静輝 陽(しずき☼よう)
ミステリー
引っ越した借家で見つけた写真の少年に、真犯人探しを頼まれる。
写真はメタバース魔界の入口であり、変異する画像は引き込まれた者の少年の頃の顔であった。
魔界に消えた者を引き戻すため、闘いの火蓋が切られた。
===とある乞食の少女が謳う幸福論===
銀灰
ミステリー
金銭の単位と同じ名《めい》を名付けられたその少女は、街中を徘徊する乞食であった。
――ある日少女は、葦の群生地に溜まった水たまりで身を清めているところ、一人の身なりの良い貴族とばったり顔を突き合わせる。
貴族は非礼を詫び立ち去ったが――どういうわけか、その後も貴族は少女が水浴びをしているところへ、人目を忍び現れるようになった。
そしてついに、ある日のこと。
少女は貴族の男に誘われ、彼の家へ招かれることとなった。
貴族はどうやら、少女を家族として迎え入れるつもりのようだが――貴族には四人の妻がいた。
反対、観察、誘い、三者三様の反応で少女に接する妻たち。
前途多難な暗雲が漂う少女の行く先だが――暗雲は予想外の形で屋敷に滴れた。
騒然となる屋敷内。
明らかな他者による凶行。
屋敷内で、殺人が発生したのだ――。
被害者は、四人の妻の一人。
――果たして、少女の辿る結末は……?
うつし世はゆめ
ねむていぞう
ミステリー
「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」これは江戸川乱歩が好んで使っていた有名な言葉です。その背景には「この世の現実は、私には単なる幻としか感じられない……」というエドガ-・アラン・ポ-の言葉があります。言うまでもなく、この二人は幻想的な小説を世に残した偉人です。現実の中に潜む幻とはいったいどんなものなのか、そんな世界を想像しながら幾つかの掌編を試みてみました。
お家に帰る
原口源太郎
ミステリー
裕福な家庭の小学三年生、山口源太郎はその名前からよくいじめられている。その源太郎がある日、誘拐犯たちにさらわれた。山奥の小屋に監禁された源太郎は、翌日に自分が殺されてしまうと知る。部屋を脱出し、家を目指して山を下りる。
旧校舎のフーディーニ
澤田慎梧
ミステリー
【「死体の写った写真」から始まる、人の死なないミステリー】
時は1993年。神奈川県立「比企谷(ひきがやつ)高校」一年生の藤本は、担任教師からクラス内で起こった盗難事件の解決を命じられてしまう。
困り果てた彼が頼ったのは、知る人ぞ知る「名探偵」である、奇術部の真白部長だった。
けれども、奇術部部室を訪ねてみると、そこには美少女の死体が転がっていて――。
奇術師にして名探偵、真白部長が学校の些細な謎や心霊現象を鮮やかに解決。
「タネも仕掛けもございます」
★毎週月水金の12時くらいに更新予定
※本作品は連作短編です。出来るだけ話数通りにお読みいただけると幸いです。
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません。
※本作品の主な舞台は1993年(平成五年)ですが、当時の知識が無くてもお楽しみいただけます。
※本作品はカクヨム様にて連載していたものを加筆修正したものとなります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる