緋の残像 伝説の殺人鬼が恋人の心の奥で蘇る

ちみあくた

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CURTAIN CALL 5

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「ある意味、幽霊より厄介な化け物が出たかも」

 会話に割り込む富岡も、この時はいつもの軽い口調ではなく、重苦しい懸念を含む声音だった。

「もっとって、どんな?」

「例えばAI」

 臨はきょとんと眼を丸くする。
 
 だが、富岡と五十嵐は至って真剣で、

「今回、『タナトスの使徒』に関わったスポンサーは、その正体が何にせよ、日本を舞台に多種多様な実験を同時並行で行っていた。その中にサイコパスの精神をAIで再現する試みも含まれていたかも知れない」

「勿論、仮定の話じゃ。誰かが隅の姿をCGで作り上げ、役割を演じていただけかも知れん」

「その場合、顔だけ隅のコピーで、中の人がちゃんといる訳ですね」

 少しほっとする臨へ五十嵐が肩を竦めて見せた。

「中の人、はどうかな? 生憎、わしも刺される直前にこの目で見ておる。動画ウィンドウの邪悪極まる『隅』を」

「えっ!?」

「わしとの思い出話を始めたり、過去を語って己を嘆いて見せたり、えらく芝居がかっておった。反面、わしが真贋を見極められるか、確かめておった気もする」

「つまり、五十嵐さんを相手にAIの実験をしたんですか?」

「ん~、ちょっとしたチューリング・テストだね。人間を人工知能と対話させ、相手が人では無い事を隠し通す……AIの優秀さを試す実験としては古典的な代物だよ」

「大学で画面に現れたのも、その一環かもしれんな。まぁ、正体がどうあれ、わしゃ、このまま放っておけん」

 五十嵐の言葉に富岡は大きく頷いた。

「聞いた通りだ。俺達は、この後も隅の遺産を追い続けるつもりだよ」

「でも、捜査本部はもう解散したんじゃ」

「それは警察の都合、俺達には俺達の都合がある」

「……そうですか」

 富岡と五十嵐の気持ちは臨にも理解できた。

 だが密かに進めるという捜査について、見舞いに来ただけの自分へ打ち明けた理由がわからない。

「それでね、え~……もし良かったらという話なんだが、君……あぁ、どうも言いにくいな」

「何です?」

「高槻守人について、この先も、日頃の振舞いとか気になった行動について、俺達にこっそり教えてくれないか?」

「あたしに彼を見張れと言うんですか!?」

 臨は思わず大声になった。ようやく事件の決着がつき、守人も精神的に安定してきて、拘置所出所の日付が決まったばかりの頃である。

 蒸し返す富岡の口振りが、臨にはどうにも腹立たしい。
 
「やっと普通の彼に戻れたんですよ。事件の事を忘れたのが解離性健忘なら、それだけ辛い記憶って事じゃないですか。ほっといてあげて下さい」

 彼女の動揺を見越したように、五十嵐が言う。

「本当に『赤い影』の意思が消え失せたんなら、それが一番だとわしも思う。だが、わしゃ昔の隅を知っとるんじゃ。あいつが高槻守人に託した願いも想像がつく」

「死んでいく自分のコピーを作ろうとした事でしょ? その目論見は完全な失敗に終わった筈です」

「本当に失敗か、それが問題なのさ、能代さん」

 諭すように富岡が言う。

「現状、警察の調査じゃ判らない事ばかりだ。大学内で増田さん達を襲った赤い仮面の一団にせよ、正体も消息も掴み切れていない。ダークウェブ版『タナトスの使徒』については、サイバー犯罪対策課が会員の身元を明らかにしようとして、結局空振り」

「ま、公的機関でも追跡困難なのが、ダークウェブの本質じゃからな」

「となると、警察としては高槻守人を泳がせ、場合によっては協力を依頼して、次の事件の発生に備えなきゃならない」

「高槻君に、捜査協力を?」

「彼の記憶が戻った場合の話だが、今回、かなり早目に釈放が決まった事でも想像がつくだろ。ウチの上層部は本気で考えてるよ」

 呆れた顔で富岡が笑い、五十嵐は苦虫を噛み潰した。

「元々、隅亮二という男は暴力や殺人、それのみに飢え、拘泥する生来のシリアルキラーじゃねぇ。むしろ、自身を含めた人と言う生物の探求こそ望みだった。だとすると手の内を隠したまま、警察組織と適度な距離を置けるポジションが一番心地良いんじゃあるまいか」

「元々、警察の協力者だった時期がある男ですからね。もし、高槻君が記憶を失ったふりをし、警察の懐へ入ろうとしているなら……『赤い影』としての人格統合を完成させていた場合、文字通り、隅の後継者たり得るでしょう」

「今の彼の穏やかさは、嘘だって言うんですか?」

「その可能性は否定できないよ」

「ネットに潜むAIの『隅』、バックアップする『スポンサー』……そして来栖晶子が育てた『隅』の残像と『サイコパス・ネットワーク』……両者が共に生き延び、何時の日か、真っ向から喰らい合う事態こそ、わしゃオリジナルの隅が仕掛けた最も危険な実験だと思えてならん」

 五十嵐の言葉と上目遣いの鋭い眼差しは、まだ何も終わっていない可能性を否応なく突きつけて来た。

 臨は守人に刺された瞬間の来栖晶子の悲鳴を思い出す。

 あれが全てあらかじめ隅亮二の立てた計画、守人と臨が二人とも生き残った場合に対応する『プランB』だったなんて、本当に有り得るのだろうか?

「考えておいてくれんかね、嬢ちゃん?」

「能代さん、心の底では、君だってわかっている筈だよ」

 静寂に包まれた病院の特別室で、一言一言、問い質す様に言う富岡の言葉に、臨は戸惑いつつも頷いていた。





「『私』の顔がどうかしたか?」

 前を歩いていた守人が、ふとこちらを振り返る。

「え、いや、別に……」

 そこまで言って、臨は守人が自分をさりげなく『私』と呼んでいた事に気付き、息を呑んだ。

 頬に浮かぶ冷笑は、消えた筈のもう一つの人格を思い出させ、一瞬、仮面とレインコートをまとう『赤い影』の面影が重なって見える。

「高槻君、あなた……」

「能代さん、今日はちょっとおかしいよ。僕、何か変な事をしたかな?」

「……ううん、何でも無い」

「ホラ、前に面白いDVDを貸すって言ったでしょ。一つ良いのを思いついたんだ」

「何?」

「リドリー・スコット監督の『ハンニバル』。『羊たちの沈黙』の続編で、それなりにメジャーなんだけど、原作小説とラストが違うんだよね」

 『羊たちの沈黙』なら臨も観ている。

 でも『ハンニバル』はまだだった。サスペンスと言うより、ホラー要素の強い宣伝をしていた気がする。

「シリアルキラーのハンニバル・レクターと、クラリスというFBI捜査官が主役でさ。追い、追われる攻防を繰り返す内、二人の気持ちが近づいて行く。そして、ハンニバルはクラリスへ『一緒に行こう』と誘うんだ」

「つまり、FBI捜査官を罪人の側へ堕とそうとしたの?」

「そう。そして映画版でクラリスは拒否し、ハンニバルに拳銃を向ける。でも原作小説では、クラリスはハンニバルと共に警察の監視網を潜り抜け、逃走に成功して、世界を恐怖へ陥れるんだ」

 話し続ける守人の口元に、『私』の冷ややかな笑みが戻り、試す眼差しを臨へ向けてくる。

「君なら、どうする?」

「えっ!?」

「もし君がクラリスの立場なら、どちらの道を選ぶのかな?」

 映画を見てから判断する、そう肩透かしを食わせられる雰囲気ではない。

「君なら、どちらの結末を選ぶ?」





 そういうあなたは『どちら』なの?





 声にならない質問を臨は守人へ投げていた。

 『僕』の質問か? 『私』の質問か? それとも、どちらでもない統合された『誰か』に答えなければならないのか?

 それに本当の所、あたしはどうしたいのだろう?

 来栖晶子に記憶を操作され、守人に関心を持つよう強いられた過去の成り行きを思えば、今の守人に対する気持ちが何なのか、自分でも良く判らない。

 これも来栖先生の仕業? それとも……

「あ~、今、映画なんて見る気分じゃないかな。うん、特にシリアルキラーが出るサスペンスなんて、勧める方が間違ってるよね」

 即座に反省を口にし、草食系の善良さ丸出しで守人はしょげてしまう。

 その口元から冷笑は完全に消えていた。

 現れては消え、交錯する二つの顔。それは臨の錯覚なのか、それとも富岡や五十嵐が危惧する隅亮二の再来なのか。
 
 臨は首を強く横へ振った。

 何にせよ、路は一つだ。人の心の中に怪物はいない。あたしは何度でもそう叫ぶ。
 
 所詮、理解不能……そんな風に異質な精神の全てを切り捨て、仮初めの安心へ縋り付いた所で何になるだろう?

 理解できなくても、彼らはそこにいる。

 脅威の根絶が不可能である以上、どれ程困難でも、同じ一人の人間として捉える道を模索しない限り、迷宮の出口は見えない気がした。何せ、この迷宮には、扉を開くパスワードなんて何処にも有りはしないのだ。

 人の心の闇が高価な商品になる時代、だからこそ、あたしはまだ、迷宮の途中であがきたい。

 自分で決めた事よ。あの人に……他人に植え付けられた感情なんか関係ない!

「ねぇ、能代さん、何か言ってよ」

 躊躇いがちな守人の声を聞き、臨はもう一度、強く首を振る。

 路は一つ。

 どんな事があろうと、何時の日か高槻守人の真実を見つけ出すんだ。それまで、あたしは彼から離れない。

 割り切ってしまうと、足取りは少し軽くなった。

 そして……

 守人が『私』と言った時、ほんの少しだけ高鳴った胸の鼓動に、今は気付かない振りをする。

 小走りで追いつき、彼のすぐ隣へ並んで、12月にしては穏やかな日差しを浴びながら、能代臨はキャンパスを歩き続けた。


                              (終)
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