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我々は何処へ行くのか? 9
しおりを挟むそれでも曇って泣いてたら、そなたの首をチョンと切るぞ。
メスを振り上げ、這いずりながら逃げる背中へ止めを刺そうとする守人へ「止めてっ!」と臨は叫んだ。
富岡が背後から彼を押え込み、立ち上がって、よろめきながら講堂を出て行く晶子を成す術無く見送る。
「もう良い。早くここから……」
最後まで言えず、富岡は荒い息を吐いた。まだ出血は止まっていない。自力で立っているのも辛そうだ。
「刑事さん、犯人を逃がして良いんですか?」
「君が深手を与えたから遠くへ行けないだろう。それより『赤い影』の仲間が出てきたら厄介だ」
「ここには今、僕と来栖先生しかいない筈ですが」
「だとしても、モタモタしていられない。そこの液晶モニターを見てみろ。陸奥大学の中が映されていて、向うでも事件が起きたらしい。赤い服を着た連中がウジャウジャ湧いてやがる」
研究室と聞き、臨が鋭く反応した。
「今、誰が残っているんですか?」
「俺の相方と、増田さん、それに伊藤君も」
「三人だけ?」
富岡は液晶画面を覗き込み、『イベント』ライブの動画ウィンドウを拡大、「あ」と一言漏らしたきり、激しい驚愕で凍り付く。
続いて画面を見た臨も、その驚きの理由を一瞬で理解した。
複数開いている動画ウィンドウの一つに診察室を想起させる白い部屋が映っており、中央に『赤い影』が座っているのだ。
しかも、仮面を脱いだその顔は、
「隅だ! 隅がライブの指揮をとってる」
「だって、死んだ筈ですよ。来栖先生だって、隅は癌細胞に侵されていたと」
「あぁ、俺も聞いたよ。確かに、そう言った」
見合わせる二人の視線は、自然に守人の方へ向く。
「高槻君、君、二つの意識が統合された今なら『タナトスの使徒』に関わった記憶があるんだろ?」
「あ、はい、一応」
「隅の生存は確かなのか? もし画像が本物でまだ奴が生きているなら、何処にいるのか、教えてくれ」
「それは……すみません。わかりません」
「まだ隠す気?」
臨にまで疑われ、守人は心外そうに眉をひそめた。
「違うんだよ。僕、隅亮二と直接の交流があったのは、小学校を卒業する位まで、でさ。後はネットのやり取りだけだった。それも多分、来栖先生か志賀が代りに受け答えしていたと思う」
「なら、画面の中にいる『隅』へ働きかけて、陸奥大学の『イベント』を止めさせる方法は無いんだな?」
申し訳なさそうに守人が頷く。
富岡は苛立ちを露わにし、侵入者をドアの外へ蹴り飛ばす笠松の奮戦を睨んだ。臨も危機に晒されっぱなしの文恵や正雄を辛そうに見つめるが、
「けど、止める方法なら他にも有ります」
守人はそう言い、祭壇横にあるPCの一台へ駆け寄って、タッチパネルに指先で何かを書き込んだ。
書き終えた途端、『タナトスの使徒』サイトが警告アラームと共に赤く点滅……
複数の場面が一つずつ閉じて行き、画面全体が『イベント終了』のカウントダウン表示で占められていく。
「多分、大学を襲う奴らはこれで引き上げるでしょう」
「奴らの仲間内の合図か、これは?」
「合図と言うより、命令ですね」
「命令!?」
「ええ。今回のライブ中継をコントロールしているのはこの施設に置かれたシステムなんです。どの動画を出し、どれをシャットダウンするか自由に操作できますし、それに」
少し口ごもった守人は、言い難そうな顔で言葉を継いだ。
「その……僕は、ですね。彼らにとって『隅』そのもの、なんです」
「はぁっ!?」
富岡と臨が同時に素っ頓狂な声を上げる。
「今、動画ウィンドウの中にいる『隅』が何者だとしても、『タナトスの使徒』の都市伝説を信奉している連中は、およそ9年間、ダークウェブ上で監視され、育てられてきた僕の中にいる『隅』……その残像の方へより強いシンパシーを感じていて、新たなカリスマと見なしている」
「つまり、君の言う事なら聞く、ってんだな?」
「こちらへ来てから、晶子先生が作ったカリキュラムに沿う毎日を繰り返していたんですけど、その中に、サイコパス・ネットワークを手足として動かす、というレッスンが含まれていまして」
「もう、『命令』を試したのか?」
「はい……脱出できたら、知っている事は全部話します」
晶子が言っていた「能代さんには理解できない複雑な事情」とは、インターネットの中だけで復活した『隅』の正体を指しているんだろうか?
本物は死んでいる。
それは間違いないと思う。
けど、それなら晶子が演じる『赤い影』と、陸奥大学の事件を実況している『隅』はどういう関係なのだろう?
富岡の横で考えをまとめようとし、臨は体のあちこちに鋭い痛みを感じた。晶子の隙をつく為だったとしても、守人から加えられた数発の打撃は強烈過ぎたのだ。
つい出てしまった呻きは守人の耳にも届き、
「ゴメン、能代さん」
青い顔で頭を下げられ、臨の方が答えに困る。
「……良いよ。アレ、来栖先生の隙を突く為だったんでしょ?」
「そうなんだけどさ、爆弾を奪うまであの人を完全に騙しておきたかったから、手加減とかできなくて」
困り切った声を出す守人は、以前の草食系へ戻ったように思える。だが、正直、臨はまだ怖い。微妙に距離を取り、富岡の負傷へ応急処置をする内、パソコン画面のカウントダウンが終わった。
「よしっ、これでもう、ここに留まる理由は無い。とっとと逃げ出そうぜ、高槻君、臨ちゃん」
富岡が急かす声に二人は従い、講堂を出た。
晶子が小学校内に仕掛けていると宣言した爆弾の方も気になるし、一刻も早く離れた方が良い。
多量の出血の為、満足に歩けない様子の富岡へ守人が肩を貸し、三人は渡り廊下から順路を逸れて、小学校の校庭を小走りで進んだ。
進む先にはパールホワイトのセダンが停車したままだ。あれを使えば野犬の群れに襲われる事無く、ここを脱出できるだろう。
「あ~、タバコが吸いたい」
「刑事さん、ダメです。ケガしてんですから」
「ケガさせた当人がそれ、言う? せめて電子パイプでも……あ~、どうか俺に末期の一服を」
「死にませんよ、そんなグチこぼしてる間は!」
この期に及んで脳天気を貫く富岡に、守人は呆れ気味で苦笑を漏らした。
考えてみるとこの二人、交番勤務の警官と犯罪被害者という形で出会って以来、十年間の長い付き合いなのだ。
意外と息のあったやり取りは一見微笑ましいが、すぐ後ろを行く臨の心は揺れていた。
二つの人格が統合した今の高槻守人は、彼女にとっても見知らぬ他人。この間の悪い距離感は一体、いつまで続くのだろうか。
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