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君が深淵を覗く時 6

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 助けて、誰か……鬱蒼とした森の中で、か細いライトの光条を浴び、守人は恐怖と絶望にのたうっていた。

 もう悪夢と現実を見分けられない。

 以前に見た夢の光景がデジャブとなって現実を上書きし、先程、ホテルのバスルームに現れた自身の幻と同じ言葉を、目の前の殺人鬼が発している。

 立ち上がろうとしても満足に動けない。

 ヒッチハイカーの亡骸が体に絡みつき、足元に溜まった血の泥濘で滑った。
 
「我々は何処から来たのか?」

 仮面の口から機械的な声がし、何とか起き上がった守人の上体を力任せに蹴り飛ばす。

 仰向けに倒れた傍らにヒッチハイカーの首があり、薄く開いた目の瞳孔へ守人の顔が映り込んだ。

 誰かの笑う声が聞こえる。立ちはだかる赤い仮面からではない。

 周囲の枝に仕掛けられたペンライトが放つ光条と同数、いや、それより遥かに多くの眼差しが守人へ突き刺さり、あざ笑っているのが感じられた。

 これはショーなのだ。守人も、目の前の赤い仮面の男さえ、与えられた役をこなしているに過ぎない。

「我々は何者か?」

 最早、聴き慣れた台詞が木魂する。

 その勿体ぶった台詞回しと、大袈裟で、芝居がかった身のこなしのせいだろうか。現実感が薄れていく。

 何処かから、大いなる拍手と喝采が聞こえるようだ。
 
「我々は何処へ行くのか?」

 赤い仮面の奥から覗く目が笑っていた。守人の鼻筋へ狙いをつけて握りしめた金槌を振り上げる。

 死の恐怖の代りに、奇妙な感慨が生じた。

 何か、ひどく懐かしい。

 晶子にも、臨に対してさえ感じた事の無い深い共感……いや、一体感と言うべきか?
 
 それは強烈な歓喜を含み、守人の口元が自然と歪んでいく。

 あぁ、心が溶ける。

 歪んだ唇から乾いた笑い声が生じ、抑えきれない高揚感と相まって、徐々に調子っぱずれの哄笑が大きくなっていく。





「高槻君、そいつに心を委ねちゃ駄目っ!」

 臨は携帯電話の送話口へ叫んだ。

 守人が示す他者への異常なシンクロは、回を追うごとに一層深みへ嵌っている。

 ヒッチハイカーの死体を挟んで向合い、合せ鏡の様に笑う『赤い影』と守人に、臨は戦慄した。
 
 彼女の叫びは届いたのか、否か?

 それを確かめる前にモニター画面から惨劇の動画ウィンドウが消失した。数秒後、PCは完全にフリーズする。

「あ……」

「消えちゃった」

 黒い画面を見つめ、臨も晶子も暫く放心状態だった。

 その後、無駄と知りつつ、守人への連絡を試みる。

 携帯電話の方は通話が途切れており、呼び出しは可能だから壊れていないらしいが、応答は無い。
 
「まぁ……これで、一つはっきりしたわね」

 肩を落とす臨へ晶子が言った。

「高槻君が、得体のしれない奴の手に落ち、あたしには手も足も出ないって事ですか?」

 投げやりに言い返す臨の言葉から普段の覇気は感じられない。

「いいえ、『奴』じゃない。『奴ら』よ」

 臨は首を傾げて、晶子を見た。

「死んだ志賀進の他、少なくとも三人以上、おそらく相当の人数が今回の件に関わっていると思う」

「あの犯人……『赤い影』の協力者ですか?」

「ええ、仮面を被っていた男が主犯かどうかは判らないけれど、あの動画、何度か画面が切り替わったでしょ。動く被写体を追うだけならオートで出来る。でも、カメラを変えて演出するには誰かの操作が必要だから」

「撮影を仕切った人間が現場にいる、と?」

「それと『タナトスの使徒』のサイトを通じ、ストリーミング配信を仕掛けた奴。死んだ志賀進の役割を受け継ぐ誰か」

「絶妙のタイミングでオンエアしましたもんね」

「つまり犯人は一人じゃなく、グループなのよ。その中心にいるのが『赤い影』を名乗る人物」

「やっぱり高槻君、罠に掛かっただけなんだ」

 臨はほっと胸を撫で下ろす。

 動画で見た守人の変貌は、ラボで志賀を傷つけた時と似ており、彼がヒッチハイカーに危害を加えた可能性は無視できなかったのだが、これで真犯人の存在を彼女も信じる事ができる。

 しかし、晶子は首を横に振った。

「警察にその言い分は通らない。別の犯人がいる証拠は、直接動画を見た私達の証言を除けば、何も無いでしょ」

「……嘘をついていると言われたら、反論できませんね」

「他の証拠が必要よ。PCのデータの中に何か無いかしら?」

 臨はもう一度パソコンを起動。

 ブラウザを立ち上げ、『タナトスの使徒』のサイトへ繋げてみる。通常のブラウザ、TORブラウザで其々試し、サイト自体は表示できた。

 サーフェイス・ウェブ版の『タナトスの使徒』でストリーミング放送が行われたと判明したが、先程の動画は出せない。

 OSへウィルススキャンを掛けてみると、トロイの木馬タイプのコンピューターウィルスに感染しており、ネットを通じて外部からコントロール可能な状態……いわゆるゾンビ・コンピューターになっていたのが判った。

 勝手に動いた点はそれで説明できる。但し感染経路は不明。

 ネット・サーフィン中に感染するワームでは無く、誰かがUSBメモリか何かの形でウィルスを研究室へ持ち込み、感染させた可能性が高い。

「来栖先生、外部の人間がこのパソコンに触れますか?」

「完全な部外者が入り込むのは無理だと思う。セキュリティ、しっかりしてるからね」

「でも、何と言うか、特別なコネを持つ犯罪者がいたら……」

 奥歯に物が挟まったような臨の言い方に、その胸の内を晶子は察した。

 ゼミ生が犯人という疑惑自体、あまり考えたくないだろうが、彼女の心配はそこではあるまい。

 守人こそ感染源では、と臨は危ぶんでいるらしい。
 
 確かにこの所、守人がラボへ入る機会は多かった。もし彼の意識が「もう一つの人格」に支配されていたら……?

 高槻家の物置に赤い仮面とメスが隠されていたように、外部の協力者がウィルスを用意。それを守人が研究室へ持ち込んでパソコンへ感染させたとしてもおかしくはない。

 志賀進がラボへ乱入した時、ドアのパスワードを誰が教えたのかという疑問についても、それで氷解するのだ。

「何にせよ、私達の手に余るわ、能代さん。すぐ通報しよう。この先の究明は警察に任せた方が良い」

「でも、高槻君が犯人にされてしまいます」

「だからこそ、あなたが信用できると思う刑事さんへ最初に連絡して、事情を聞いてもらうの」

 うな垂れたまま、臨は応えない。

「事は一刻を争うわ。ホテルの死体が見つかり、彼への容疑が固まったら私達の言い分なんて全く通らなくなる」

「……はい」

「どうしても、あなたに出来ないなら」

 晶子が自分のスマホを取り出し、ダイヤルしようとすると臨がその手を抑えた。

「私が通報します」

「後の事、警察に任せるのね」

「通報はしますが、あたしも……五十嵐さんの資料を検討して気付いた事があるんです。昔の事件と今回の関わりについて」

「能代さん、いい加減にしなさい!」

 晶子に睨まれても腹を決めた臨は引き下がらない。一歩前に出たイノシシ娘を止められる物など何もない。

「もう……ホント、厄介な娘ね」

 晶子は処置無し、という風に両手を上げて見せた。

「大学の指導者としては、首に縄をつけても止めたいんだけど」

「すみません」

「何をするにせよ、これからは逐一、私に報告ね。五十嵐って人と会うなら私も同行します。もう暴走なんて許さないから」

 臨は晶子へ最敬礼し、先程まで守人の声が聞こえていた携帯電話を手に取って、富岡刑事の番号をダイヤルし始める。
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