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クロスライン 1
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志賀進の乱入と自滅から1時間余りが過ぎ、午後4時30分を過ぎたラボには能代臨が一人で残っている。
もうすっかり慣れた手つきで備品のパソコンを起動。
『タナトスの使徒』のアドレスを入力し、しばらく更新されていないのを確認してから、隠されたポップアップ・スイッチを作動させる。
一度、手を止め、深呼吸。ここまではいつもの手順で『隅 心療内科クリニック』のHPが表示されるのもいつも通りだ。
だが、この先に進めない。
入口となっている絵が飾られた回廊から、より深い階層、或いはリンク先にある情報へアクセスする手段が相変わらず掴めない。
ITには臨より詳しい増田文恵がお手上げだったのだから、悪あがきだとわかっちゃいるが、
「やるっきゃない! 他に手がかり無いんだ」
臨は志賀のメモを手に、三つのパスワードを睨んだ。
乱入者の口から『隅』の名が出たのは確かだし、パスワードの謎を解く重要度は一層大きくなった。
絶対、解く!
改めて気合を入れなおし、試していない入力方法が無いか頭を捻る内、耳障りな電子音がする。
見ると背広姿の男が二人、ラボの扉の前に立ち、ドア・チャイムを押していた。
臨がインターホンで応答すると、痩せた中年の方が警察手帳を示して見せる。
ラボは入室管理がしっかりしていて、内側からドアを開くか、9桁のパスワードを入力しない限り、中へ入れないのだ。
そう言えばさっき、あの不気味な男は何で入室できたんだろ?
ゲスト用のパスワードが支給されてる訳無いし、高槻君の別人格が教えたなんて事、ホントにあり得る?
考える程にどつぼへはまる不毛な疑惑を振り払い、臨はドアのロックを解いた。
「警視庁捜査一課の富岡と言います。こっちは相棒の笠松」
中年に紹介され、若い方の刑事が頭を下げる。
「陸奥大学、全学教育課程二年の能代臨です」
「あの……ここ、来栖晶子先生の研究室ですよね?」
「はい」
「通用門近くで交通事故に遭った男・志賀進がここへ来て、暴行騒ぎを起こしていた件、大学の事務局で伺いましてね、先生も負傷されたという事なので、事情をお聞きしようかと」
富岡が部屋の中を見回し、貧相な顔で愛想笑いを作った。
「ご指摘の通り、先生は御怪我をし、気分が悪いという事なので帰宅されました」
臨は幼い頃の嫌な思い出もあり、警察官と言う人種がどうも苦手だ。そのせいか、自然に言葉がつっけんどんになる。
「それでは高槻守人さんは? 元々、我々は或る事件の捜査で彼と会う為、こちらへ伺った次第でして」
「いません! 今、友達が探してますけど、何処にいるやら」
守人の身柄をまだ警察に渡したくないと臨は思った。
乱入者に対する過激な反応を思うと不安は募るが、今、拘束され、厳しい尋問を受けた場合、不安定な彼の精神がどう転ぶかわからない。
「申し訳ない。お取込み中の所、ご迷惑なのは承知の上です。しかし、緊急を要する件なので」
富岡と言う刑事の話しぶりは温厚で控え目だった。仕事上の駆け引きと言うより、ごく普通に恐縮している。
「実は私、高槻君とは長い付き合いでね……ずっと気にかけてた存在なんです。だから、今はまず、彼の無事を確認したかった」
富岡はそう言いながら、デスクトップパソコンの液晶画面に目を止め、表示されたHPに表情を変えた。
「笠松君、これ!」
富岡に促され、画面を見た笠松の目も鋭く光る。
「あぁ、『隅 心療内科クリニック』。五十嵐さんの話に出てきた隅亮二の個人医院に間違いありませんね」
「あの……このサイトの事、何か御存じなんですか?」
臨に訊ねられ、富岡と笠松は顔を見合わせた。言うまでも無く捜査情報を部外者には明かせないが、
「もしかして『タナトスの使徒』ってサイトについても、調べてるんですか?」
臨からストレートに問われ、ぐう、と富岡の喉が鳴った。
「やっぱり」
「あのですね……何故、あなたがそのサイトについて知っているのか、聞きたいのは我々の方ですよ」
「じゃ、ギブ・アンド・テイクで」
「へ?」
「あたし、しばらく前からこの『隅 心療内科クリニック』と『タナトスの使徒』のHPを調べてるんです。その情報を提供しますので富岡さん達が知っている事も教えて下さい」
眉をしかめる富岡の耳に笠松が囁く。
「何か、五十嵐さんの時と流れが似てきましたね。上に内緒で情報交換なんて、これ以上は命取りっすよ」
「そりゃまぁ、君の出世にね」
「……頼むから、巻き込まんで下さい」
切実な笠松の口調に苦笑しつつ、富岡は臨にこれまでの経緯をかいつまんで話した。
臨も、守人に不利な部分を慎重にぼかし、晶子の公開講義で起きた事、『タナトスの使徒』のパスワードを書いたメモの事、志賀がここへ乗り込んでくるまでの経緯、撃退した志賀を追う様に守人が去った現状を打ち明ける。
「う~ん、二重人格かぁ。もう調べれば調べるだけ、話が妙な方向へ転がってくなぁ」
笠松のぼやきは、普段の彼らしからぬ疲労感を漂わせていた。
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