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WHO ARE YOU? 1

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 陸奥大学は仙台市内に四つのキャンパスを持っているが、中でも医工学科がある青葉山キャンパスは広く、ちょっとした公園並みの鮮やかな常緑樹の植え込みが路地を彩っていて、しゃれた形のベンチもあちこちにある。

 高槻守人は以前、可愛い女の子と二人きりでそこへ座る光景を何度も夢想し、今、それが実現していた。

 隣に能代臨がいる。

 彼女の膝にはお手製だというサンドイッチも載っていて、守人もご相伴に預かったばかりだ。正直少しショッパかったが、基本的に家庭的な事は不慣れらしい臨が、守人の為に一生懸命作ってくれた気持ちが嬉しい。

 だから意識して明るく振舞っているけれど、気を抜くとすぐ浮かない顔になる。上空の曇天と同じ、暗く、重苦しい気分の中に沈み込んでしまう。

 大型の台風24号が西日本に上陸しており、その影響が出ているらしいが、天気より気がかりなのは宮城県内の連続殺人について各マスコミが詳細な報道をし始めた事だ。

 もし事件の真相に自分が関わっていたら、どれくらい面白おかしく脚色され、電波に乗るのか?

 少年時代のトラウマが有る分、考えると怖い。

 半分かじって、その後が中々進まない守人の卵サンドを、臨はさり気なく見やった。

「そんなに怖がらなくて良いよ、催眠術なんて言っても、これまでの心理テストと大差ない」

 守人は無言で頷く。

 午後一時から来栖准教授の催眠療法を試す事になっており、医工学科ビル4階の研究室・通称『ラボ』へ向かう途中なのだ。

 今日は日曜日で青葉山キャンパスを行きかう学生の数が少なく、ゼミ生も臨以外は来ないので、気兼ねなく施設を使える筈だった。
 
「ほら、先生も言ってたじゃない。仮に二重人格が事実でも、元々一つの心が統合されるだけ」

「そうなのかな……?」

 俯いたまま呟く声は沈痛な響きを帯びていた。

「昨日、大学から戻った後、家の中を調べてみたんだ。僕の部屋だけじゃなく、何処もかしこも徹底的に」

「あの広い家を、一人で?」

「もし僕の中に別の人格がいて、僕の知らない内に行動しているとしたら何か証拠が出てくるかも、と思ってさ」

「ちょっとナーバスになり過ぎ」

「うん、自分でもそう思うけど、でも見つけたんだ、ある筈のない物が、ある筈の無い場所に……隠されてた」

「それ、何?」

「お馴染みの奴さ。薄気味悪い真っ赤な仮面」

 勇気を奮い、顔を上げて守人が告白した時、黒雲の何処かから遠い雷鳴が聞こえた。





 彼はまず家の納戸等を一通り探し、成果が無いまま夜を迎えたのだと言う。

 そして最後に捜索した物置の奥、埃塗れの古道具にまざって、まだ真新しい段ボール箱があるのに気づいた。
 
 宅急便で送られてきた様だが、送り状は剥がされていて、何処から来たのか判らない。受け取った記憶も無い。

 嫌な予感を胸に箱へ向かい、ガムテープを剥がして蓋を開けると、そこには赤い光沢を放つ不気味な仮面と、同色のレインコートが納められていた。

 あの『タナトスの使徒』で一度だけ再生された動画の殺人鬼が着ていた物と酷似、同時に守人が悪夢の中で何度となく身にまとったコスチュームともそっくりな代物だ。





「つまり夢で見たまんまの行動を、物置に隠していた衣装で、僕が実際にやってる可能性は大きくなった」

「そんな!?」

 思わず臨はベンチから腰を上げ、苦し気な守人を見つめる。

「入っていたのは、それだけじゃないよ」

 守人はジャケットの胸ポケットから細長い木製の容器を取り出し、臨に渡す。

 木肌の退色した古い蓋を開くと、中には使い古されたメスが入っている。一応、臨も医者の卵だから、外科医が手術に使う本格的な代物だとわかった。

「何とかに刃物、だよね。もう何もかもヤバイ。でも、一番怖いのは結局、僕が僕じゃ無くなる事」

 抗い難い怒りと焦燥が、守人の眼差しから伝わってきた。

「僕の中に隠れている誰か……その人格は、僕について全部知ってる。こっちは何も知らないのに」

 次第に声が大きくなり、通りすがりの学生達が迷惑そうな視線を投げた。

「大学入試で凄い点を取ったのもそいつだろ? 頭の出来じゃ勝負になんない。こんなんで僕の方がメインって言えるの?」

 守人には目の前の臨しか見えていない。理不尽の連続に耐えきれなくなり、心の糸が切れかけているように見える。

「来栖先生の言う通り、二つの人格を統合したら、今の僕だけ消えてしまうんじゃ……」

 絶句し、天を仰いだ。

 指先につまんだサンドウィッチが握りつぶされ、ベンチの上に卵が垂れる。

「あ、ゴメン! 折角、作ってくれたのに」

 守人は慌てて、垂れた卵をハンカチで拭き、潰れたサンドイッチをちょっと躊躇った後、全部まとめて口へ押し込む。

 臨は、「あぁ、いい人だな」と思った。

 絶望の淵にいながら、些細な事へ気を遣わずにいられない気持ちの弱さが逆に愛おしく感じられた。

 例え、この若者の中にもう一つ別の顔が潜んでいるとしても……
 
「高槻君」

 少しむせて咳き込む守人の肩へ触れ、臨は正面から向き合った。

「あたし、これから凄い気休めを言う。とんでもない綺麗事を言うから覚悟して」

 守人は目を丸くし、臨を見る。

「人の心の中に怪物なんか、いない!」

 元々前のめりに言い切りがちな臨の口調が、この時はいつも以上に力強く響いた。

 先程の守人の怒号を聞いた通行人が、今度は何だと好奇心の視線を投げてきて、恥ずかしくなった臨は守人の隣へ座り直し、サンドイッチの残りをかじる。

 しばらく無言の二人に通行人が興味を失い、行ってしまった頃を見計らって、臨は「綺麗事」の続きを語りだした。

「あのね、あたしがまだ小さい頃、御近所で事件が起きたの」

「泥棒とか、ケンカとか?」

 守人はそう聞き返したが、臨の真剣な表情から、もっと深刻なケースだと察しはつく。

「父は銀行員でね、若い頃は転勤が多かったから会社の借り上げ社宅に住んでたの。で、同僚だった人達もご近所にいた」

「会社の中だけじゃなく、家族ぐるみのつきあいだったんだね」

「うん、中でも父がお気に入りの若い御夫婦がいて、あたしも凄く可愛がってもらった」

「へえ」

「奥さんの方が芸大出身で、結婚前はピアニストを目指してた人だと聞き、あたし、教えてもらったりしてね。大好きな二人だったけど……でも」

 臨は口ごもり、呻くように言った。

「十一年前の二月、旦那さんが奥さんを殺した」

 いつも明るく弾むような口調の臨には珍しく、守人はそんな彼女を始めて見る気がした。
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