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KEEP OUTの内側で 1
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警視庁捜査一課・特殊捜査班第四係の富岡刑事、笠松刑事が田島茜の部屋を訪ねたのは、猥褻なストリーミング実況を能代臨らが目撃した5日後の9月29日、土曜日の昼下がりである。
過去に『赤い影』が関わったとされる事件につき、関東の所轄署を渡り歩いて保管庫に残るデータベース未入力の文献を発掘、東北へ戻った矢先の事だ。
五十嵐武男の協力を得、『タナトスの使徒』管理人・志賀進が仙台市内に住んでいるのを突き止めていたから、まずそこへ行ったのだが、留守で帰宅する気配が無い。
志賀は家族や知人と断絶状態にある為、他者との繋がりと言えば交際している女性一人だけ。
で、その女性の居所を調べ、志賀の部屋からさして遠くない榴ヶ岡のワンルームマンションまで来てみたものの、玄関の呼び鈴を押しても反応は無い。
「富岡さん、これ……この匂いって」
居留守か否か確かめる為、廊下壁面の電気メーターを調べた際、換気口から漏れる異臭に笠松が気付いた。
刑事なら嗅ぎ分けられる匂い。
あの荒生岳で嗅いだのと良く似た生臭さだ。換気扇の隙間から蠅も数匹這い出している。
富岡は宮城県警庁舎の合同捜査本部に連絡を取り、鑑識の派遣を要請した後、マンションの管理人に頼んで茜の部屋の鍵を開けてもらった。
到着した鑑識が『KEEP OUT』のテープを張り、野次馬が立ち入らないよう現場を封鎖。その採証の頃合いを見計らい、部屋の中へ踏み込むと異臭は凄まじいばかりだ。
鑑識の邪魔にならないよう重々配慮しつつ、二人は部屋の中へ立ち入った。
折り畳み式のベッドと24型の液晶テレビ、それに電子レンジと冷蔵庫くらいしか置かれていない。
そのベッドの上に、投げ出される形で若い女性の遺体があり、毛布が被せられていた。田島茜だと思われるが、顔が鈍器による殴打で半ば潰れており、人相が判りにくい。
殴られているのは首から上だけの様だ。
鋭い刃物による切創が頸部にあり、そこから流れ出た夥しい血がスーツを浸している為、直接の死因が判明するのは検死後になりそうだった。
「これ、金槌を使ってるな」
遺体の損傷を見つめ、富岡が呟く。
「荒生岳の事件と同じですね。アレも金槌で膝を打ってから、首を絞めて止めを刺したんだ」
「いや、アレとは随分様子が違う」
意見を即座に否定され、笠松は不満そうに富岡を見た。
「荒生岳では被害者の動きを止める為に金槌を使った。かつてのテッド・バンディのやり口と同じく残酷だが合理的。遺体周辺の状況にせよ、荒生岳は妙に整っていて、遺体の損壊の酷さとアンバランスな印象だったろ」
「こっちは滅茶苦茶に散らかってますね」
「前の奴は秩序型。対して、この現場には計画性が感じられない。制御不能の欲動に基づく無秩序型じゃないかな」
「なるほど」
「それに多くの場合、女の顔を壊すのは男の執着の裏返しだが、そこまでやっておきながら遺体の顔に毛布を被せている。荒生岳では遺体を目立つ形で晒していたから、その点も違う」
「遺体の顔を隠すのはホシが被害者に対して犯行後、同情や罪悪感を持つ……以前から顔見知りのケースが多いんですよね」
「そう、身内を重点的に調べるのが常道となる。先入観抜きで慎重にやらないと」
捜査本部の指示を仰いだ後、現場は鑑識に任せ、二人は手分けして周辺の聞き込みを始める。
この賃貸マンションの場合、空き室が多い上、レンタルオフィス用途が入居の半ばを閉めており、住民の数は少ない。おかげで聞き込みは夕方までに一段落。
『KEEP OUT』のテープを潜って富岡が遺体発見現場へ戻った時には、鑑識の作業がほぼ終わった部屋で笠松が待っていた。
一足先に部屋へ戻った後、駆け付けた所轄の刑事と情報交換をしていたのだと言う。
「富岡さん、決定的な証拠が見つかりましたよ!」
勇んで報告する笠松の顔は若干上気し、声も普段より上ずって聞こえた。
「へぇ、早いね。流石、笠松君」
「ちゃかさないで下さい。四日前の夜、玄関の防犯カメラに志賀進が写ってたんです。しかも悪趣味と言うか、不気味と言うか……ちょっとあり得ない格好で」
「あり得ない? 変装でもしてた?」
「むしろ仮装のノリっスね。ほら、五十嵐さんの所で見た『タナトスの使徒』、あのサイトの中に赤いテルテル坊主みたいなキャラが使われてたでしょ?」
「例の『赤い影』をモデルにしたCGだね」
「あのキャラとそっくり同じ格好で、あいつ、このマンションに現れたんですよ」
流石に意外だったらしく、富岡は目を丸くした。
「エレベーターの監視カメラには、金槌を使って田島茜を襲う様子まで入ってました」
「……やはり、ここのホシは志賀で決まりか」
「茜が入居する際の保証人も志賀だったそうです。不動産屋で物件を探す時、わざと入居者が少ない所を選んだんじゃないスか?」
「何か、如何わしい目的で?」
「空き部屋が多いとセキュリティ管理は甘くなりがちだし、合鍵を持ってた可能性も高いと思います」
「なら、彼女の部屋に押入る事もできた訳だ」
「カメラの映像は全部、ここのビル管理室で保管してますが」
「じゃ、そいつは後でじっくり拝見するとして……」
部屋の奥を見ると、ベッドの遺体は既に運び出された後である。血がしみ込んだ毛布やシーツも撤去され、遺体があった位置を示すラインが引かれている。
残された家具のあちこちに拳型の痕があり、壁に穴が開いている箇所もあった。その幾つかに血が付着しており、茜を殺した後、犯人が感情の赴くまま、血塗れの手で暴れた結果らしい。
「正気の沙汰じゃないな、こりゃ」
「そこの化粧箱から薬物の錠剤が見つかってます。ラリって暴れたんじゃないスか」
笠松が指さす先、可愛らしい柄の子供っぽいケースがあり、イミテーションの宝石指輪が幾つか入っていた。
錠剤は見当たらないから、鑑識が回収したのだろう。
「気仙沼の絞殺現場に落ちてたPCPかもな。アレには正体不明の化学物質も混入していたそうだが」
「志賀って奴、クスリで完全にイカレてますね」
「だが、この現場を見ていると、俺が気になるのは犯行の異常性、残虐性よりむしろ模倣性だ」
富岡は部屋の隅に置かれている小さな冷蔵庫を開いた。
特に荒らされた様子は無く、スィーツの容器や食べ残しのコンビニ弁当が入っている程度で隙間ばかり目立つが、
「これ、鑑識で優先的に調べて貰おう」
白手袋をつけた指先で富岡が指したのは、既に開封されているドリンクヨーグルトの瓶だ。中身は半分呑まれていて、白いヨーグルトの中心に溶けきれない赤い濁りが渦巻いている。
「あ!?」
何かに気が付いた様子の笠松は、反射的に口を押えた。
「君も思い出したか? リチャード・トレントン・チェイスを模倣した快楽犯について、五十嵐さんから聞いた話」
「模倣の模倣っスか。あの事件じゃ、ヨーグルトの中に犯人は被害者の血を……」
「こっちでもゴックンしたかな」
「うっ……」
笠松は吐き気を我慢できず、富岡の前で回り右して部屋の外へ飛び出していった。
ここのトイレを使えりゃ楽なんだが、犯行現場だからねぇ、お気の毒。
何処で吐いたのか、落ち着いた顔で戻ってきた笠松の肩を叩き、富岡は鑑識に事情を話して牛乳瓶を託す。
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