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虚ろなる羊の内に 3

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 まず気になったのは、赤いてるてる坊主が出現した後、大きな半月状の口を開けて笑い出す演出だ。

 又、背景にあしらわれた絵の額も強い印象を与える。
 
 美術に疎い文恵や臨は作者を知らなかったが、有名な絵画の流用画像なら、その組み合わせに意図があるのかもしれない。
 
 思い付くまま、文恵はてるてる坊主のCGをマウスポインタで追い、赤い仮面が笑い出すタイミングでクリックすると、キャラまるごとドラッグ操作で動かせる事を発見した。

「マウスで移動させられるなら、多分、行く先は……」

 回廊の奥、最も目立つ位置に一際大きい横長の額縁がある。そこだけ額の内側が黒塗りになっていて、どんな絵が飾られているか判らない。

 文恵がドラッグしたてるてる坊主を、その額縁の黒塗りの中へ移動させると、途中から吸い込まれるように消え、三つの小さな入力用ウィンドウが開いた。

 入る文字数はそれぞれ三文字ずつだ。
 
「如何にもパスワードを入れてくれって感じね」

 臨が何か思いついた様子で、持ち歩いている大きめのショルダーバックを開き、中をまさぐる。

「前に変な奴から貰ったメモ、そっちに書かれていたパスワードも三つなのよ」

 取り出したクシャクシャの小さな紙は、合コンの夜、正体不明のヒッピー男が守人へ渡したメモだ。

 『GWAW』『WAW』『FCWDW』、下手な字で走り書きされたパスワード。

 今では開くことができない「タナトスの使徒」の特殊な画面上で一度入力し終え、陰惨な殺人動画を視聴しているから、既に役目を果たしたとも言えるのだが、臨はメモを捨てられずにいた。

 まだ、ここに何か隠されている。そう思えてならない。

「入力用のウィンドウは三つでどれも三文字。紙のパスワードも三つで四文字、三文字、五文字。確かに窓の数は合うてるけど、文字数が違うがな」

「看板屋の息子でしょ? 絵とか、詳しくないの?」

「俺がそんな柄じゃないの、見りゃ判るっしょ。まだガキの頃、オヤジに目を肥やせと言われて、ヨーロッパの美術館行脚につき合った事なら有るけど」

「海外旅行? へぇ、浪速のお坊ちゃんなのね、あんたって」

「姉さんは黙っとき」

「で、そんな伊藤君にもピンと来るものは無い訳?」

「ん~、確かに回廊とか、額の感じとか、何処かで見た気はするけどな」

 正雄が臨から渡されたメモを睨み、お手上げ状態で文恵へ渡す。

「よっしゃ、私にまかせとき!」

「関西弁、真似すな」

 正雄のささやかな抗議を笑ってスルー、文恵は入力の工夫を始める。

 静まり返った部屋にキーボードを叩く音が響き、臨は緊張した面持ちで友の奮戦を見つめた。





 診察室でも、守人と晶子が張りつめた空気の中で対峙している。

「……ありえるんですか、もう一つの人格が罪を犯しても、僕が全然気付かない事」

「交代人格が出ている時、主人格がその間の記憶を失う事なら有りうるわ」

 守人は肩を落とした。裏サイトの殺人動画と彼自身の悪夢が一致する事実は、その理屈でしか説明できない様に思える。

「気持ちはわかるけど、結論を急がないで」

「でも、もし僕が犯人なら、これ以上の犠牲者を出さない為に」

「警察へ自首する?」

「他にどうしようもないじゃないですか」

「その結論はまだ早い。私は有りうると言っただけ。矛盾する点もあります」

 矛盾、という言葉に反応し、守人は縋る眼差しで晶子を見た。

「多くの場合、交代人格は主人格……つまりあなたに対し、己の存在を何らかの方法でアピールしてくる。主人格が交代人格の存在を全く気付いていないとしたら、割とレアなケースなのよ」

「人格同士でアピール? 元は同じ人間なのに」

「だから、複数の人格間で意思疎通を図る事が重要なの。医師を仲介役にし、どうしたいのか、分離した人格にそれぞれ意見を出し合ってもらい、話し合う。
そして共通する願望や意思を軸とし、最終的に人格を一つへ統合していくのが目標となるのです」

 晶子の落ち着いた口調は一つ一つ言葉の節々を区切り、スローにすら感じられる。極力、相手を追いつめず、じっくり考える時間を与えようとしているらしい。

 自分の中に相争う別人がいる。それは守人にとって受け入れがたい事実だが、何処かしら腑に落ちる部分もある。
 
 物心ついてから孤独な少年時代を通し、彼はどうしても自分を好きになれずにいた。
 
 優柔不断で成り行き任せ。

 変化する状況に何一つ抗わず、流されっぱなしのダメな奴と思い続けてきた。

 そんな自己嫌悪が膨らみ、別の人格として心の奥に巣食うとしたら、意外と自然な成り行きなのかもしれない。
 
「仮に、高槻君の中に別人格が存在しているとして、君と彼の一致する心の接点を見つけ出し、統合による治療を目指せば良い」

「治るんですか、僕?」

「元々ね、トラウマで苦しむ主人格を助ける為に交代人格は生まれるの。必要に応じ、人格が三百名を超えたケースもある」

「三百!?」

「敵と決めつけなくて良いし、別人格を恐れすぎる必要は無いわ。それに何より」

 晶子は冷静な口調を変え、優しく言った。

「理解して欲しいのは、仮に主人格と全く違う個性が現れたとしても、それはあなたの一部でしかないという事」

「僕……自分が信用できないんです」

「私は信用してるよ!」

 強く肩を叩かれ、守人は驚いた顔で晶子を見る。

「しばらくあなたを見てきて、確信しました。あなたが裏切れないものは、きっとあなたの一部も裏切らない」

「だと、良いんですけど」

「交代人格の存在が確認できていない時点でこれを言うのは早計だけどね。恐れず踏み出せば、道はきっと開けます」

 晶子の差し出す手を見つめ、守人はこの人を信じたいと思った。例え、これから挑む療法がどんな結果を導くとしても。
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