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パーティナイト 3
しおりを挟む陸奥大学と飲食街を繋ぐ通りには、キンモクセイやクチナシなどの常緑樹を植えたプロムナードがある。
現在、観光資源として活用する為の実験的運用中で、週末の夜にはカラーLEDの設置により秋らしい情緒を演出するライトアップが施されており、隣を歩く臨の横顔を美しく照らし出す。
守人には信じられないシチュエーションだった。
昼間にぶらついた事は何度もある路だが、夜間のこんな詩的な風景の中で、可愛い女の子と一緒に歩くだなんて……
「夢なら醒めないで」
口の中で呪文のように繰返す守人に反応し、臨が「何?」と言う風に首を傾げる。
動揺しっぱなしの守人は何も言えない。しばらく互いに無言で歩いた後、又、臨の方から話しかけてきた。
「能ある鷹は爪を隠す」
「え?」
「聞いたよ。入試、トップで合格した事」
「ああ……」
守人は苦笑し、肩を竦めた。
「それ、何かの間違いだと思う」
「あたし、確かな筋から聞いて、ちゃんと確かめたんだよ」
「それも眉唾。本人が言うんだから間違いないよ」
きっぱり言い切られ、臨は目を丸くして守人を見つめる。
あまり嬉しくない話題だが、守人としても一応事情を説明せざるを得なかった。
「高い点が取れる筈なんて無いんだ。だってあの時、試験が難し過ぎて、僕は途中で投げたんだから」
「投げた?」
「つまり、その……諦めたって事さ。考えるのを止め、試験の終了時間が来るまで、机に顔を伏せてボ~ッとしてた」
「でも、高槻君、合格したじゃない」
「ん~、不思議だよね。世の中に奇跡ってあるんだな~、とつくづく思いました」
「入試でマグレ当たりとか、普通ありえない。でも、それでも答えは全部書けたんだよね?」
「そりゃまぁ、適当に空欄埋めたよ。でも、何しろボーっとしてたモンで」
「……ボ~っと?」
「正直、良く覚えてない。その……もしかしたら、ボケてたと言うより、ちょっと居眠りしちゃってたかも」
「いくら何でも入試中に居眠りって」
「あり得ないよね、やっぱり。でも僕、そういう変な癖が時々出ちゃうというか」
臨は立ち止まり、組んだ両手の指先で尖った顎を支えた。深く考え込む時の、彼女の癖であるらしい。
あまり真剣な顔をするので守人は困惑し、彼なりに精一杯おどけた声を出してみた。
「奇跡っちゃ奇跡。ボケる事と居眠りにかけちゃ、僕、陸奥大学でトップ爆走中かも」
臨は吹き出した。
笑ってくれて嬉しかったが、単に調子を合わせてくれただけかもしれない。
守人は自分の身の上話をするのが嫌いだ。
真面目に話そうとしても、大抵信じてもらえないし、笑い飛ばされた経験も何度かある。何より自分自身、曖昧にしか思い出せない事柄を話すのは辛かった。
「要するにさ、取り柄も無ければ、特筆すべき過去も無い凡人なんだよ、僕は」
吐き出すように言う言葉は、臨を驚かせたようだった。
「特筆すべき過去が無い? 嘘でしょ? 高槻君、本気でそう思っているの?」
尋ねる臨の表情は、半ば呆気にとられている。
「何だよ? 僕、何か変な話、した?」
聞き返す守人の声も戸惑いに溢れていた。
「……子供の頃の、あの事件は?」
臨の問いかけは、曖昧な記憶の最深部、心の内で最も濃い闇の領域に関わる物だ。
「高槻君、9才の頃、東京に住んでたんだよね」
守人は頷いた。
関東出身である事は大学の知人なら皆知っているが、過去、それも幼い時分の出来事となると、誰にも話していない。
話す気も無かった。
何故、それを彼女が知っていて、わざわざ持ち出してくるのか、戸惑いは大きくなるばかりだ。
口火を切って勢いがついたのだろう。臨は前のめり気味で、更に踏み込んできた。
「その頃、ある殺人事件の目撃者になった事、覚えてない?」
「殺人事件?」
呟いた直後、強烈な眩暈が襲い、守人はよろめいた。
覚えている。
そう、高槻家の家庭崩壊の原因になった事件だから、覚えてはいるが、振り返るのを極力避けていた記憶だ。
その断片が唐突に、鮮やかな形で蘇り始める。問う臨の声が細い針となって胸の奥へ食い込み、深く穿っていく。
「2008年1月21日、東京都江戸川区の郊外で友達と遊んだ帰り道、あなたは古い高架橋の下で……」
時間軸に沿う整理された記憶ではない、断片的で、色褪せたモノクロームの情景。
説明不能な恐怖を感じ、思い出したくない守人の意識と裏腹に記憶の中の景色が脳裏へ再生されていく。
そう、あれは殆ど人通りのない寂れた路地だった。
目の前の風景が素早く流れていくから……あぁ、僕は自転車に乗っていたんだな。
サドルが硬くて、馴染んでいない感じがする。誕生日に買ってもらったばかりの、新品の自転車だったっけ。
大通りを避けて、横道に逸れ、高速道路の高架橋に沿った裏道を走る。
一応、近道だけど、そんなに距離は違わないから、そこを通ったのは僕がそうしたかったからだ。
子供って、安全な道より何故か薄暗い道や辺鄙な路地を通りたがるものだろ。
大抵はろくな事にならないのに。
そして、その日の夕方、僕は見慣れた高架橋の下、薄暗い資材置き場の中に見慣れない光景を見つけた。
停車中の小型車の傍ら、誰かが誰かを、コンクリートの柱へ押し付けている。
赤い服……まるでビニール袋か何かで作ったてるてる坊主のような光沢のある服を着ている。
思わず自転車を止めた。振り上げ、何度も振り下ろす手の中に、夕日に映え、鈍く光るものが見えた。
あれは何だろう?
すぐ逃げ出せば良いのに、まだ相手は気付いていなかったのに、体の芯が凍り付いて動けない。
動かない代わりに目を凝らし、僕は『赤いてるてる坊主』が握っている物が大きな金槌であるのを確かめた。
逃げなきゃ。
あいつが気が付く前に、早くここから……
焦ったのが、まずかったと思う。力一杯漕ぎ出そうとした足がペダルから外れ、勢いで自転車が真横へ倒れる。
僕は痛みで声を上げ……『赤いてるてる坊主』が、ゆっくり、こちらを振り返った。
コンクリートの柱に押し付けられていた誰かの体が、ずるずると崩れ落ちていく。
それは、まだ若い女の人に見えた。
てるてる坊主の着ている服より、もっと暗い色合いの、血糊の赤が彼女の顔を染め、影になって良く見えない部分は……見えなくて良かったと思う。
金槌の殴打で、酷く潰れていたみたいだから。
「やめて、来ないで!」
僕が悲鳴を上げた直後、『赤いてるてる坊主』はゆっくりした足の運びを疾走に変え、気が付くともう目の前へ迫っていた。
僕の肩を掴む。
資材置き場の方へ連れ込まれる。
倒れたまま、カタカタ回る自転車のペダルの音がすごく遠くに感じられた。
そして、間近から覗き込んできた奴の顔は……
丸く真っ赤な仮面に覆われ、僕を先程の犠牲者と同じ様に柱へ押し付けた後、右手の金槌を振り上げて……
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