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追跡者 2
しおりを挟む山道の入口付近にある木材搬送用の駐車場へ覆面パトカーを停め、杉林を抜けて、目指すブナの伐採場まで歩く。
電子パイプを噛む音が無い代り、笠松の背後から荒い息遣いが聞こえた。慣れない山道歩きに富岡は早くもバテている。
少々大袈裟な呼吸音に「休憩しない?」とのアピールが入っているのを感じつつ、笠松が歩を速めると、ようやく前方の視界が開けた。
伐採したブナ材の集積場だ。大きな切株を中心に「KEEP OUT」の黄色いビニールテープが梢を介して張られ、半径20メートルほどの空間を区切っている。
鑑識はかなり前に臨場、一通り採証を終えた後らしい。
運び出される寸前の遺体がビニールシーツを被せられ、横たわっているのが見えた。特機の面々や所轄の刑事が鑑識を邪魔しない位置に立ち、何かしら言葉を交わしている。
その内の一人、場を仕切っている五十絡みの刑事に笠松が近づくと、富岡が追い抜いて先に声を掛けた。
「御苦労様です。本庁捜査一課の富岡と言います」
「……笠松です」
その声に振返った男は、ずんぐりむっくりの体型に厚手のコートを着こみ、少し驚いたような表情を浮かべた。
「あ、もう本社からおんなすったの?」
「いえ、気仙沼署に別の帳場が立っていまして、八日前からそちらで動いてました」
「気仙沼ってぇと……はぁ、例の、酒場の少年殺し?」
富岡が頷くと、自己紹介がまだなのに気付いたらしい。刑事は空気が抜けたゴムボールのような皺の目立つ丸顔へ東北人らしい純朴な笑みを浮かべ、
「あ、どうも。大崎市警・鳴子署の泉です」
軽く敬礼をする。富岡も敬礼を返し、遺体の方を見た。
「あのホトケさんの様子、見せて貰って良いですか?」
「ああ……けんども、まぁ、ひどいよぉ。俺も長いこと、この仕事やってっけど、こんなんは初めてだわ」
ビニールシーツの周辺は飛び散った血で一面真っ赤だ。
笠松は富岡の横で密かに身を震わせた。あまり現場に出ていない分、一課の刑事の割りに彼は死体に慣れていない。
「あの……仙台のヤマと、この件が何か?」
死体へ近づいていく富岡の背後で、泉が訝しげな声を出した。
「同じホシの可能性があるんかね? もしかして、合同捜査になるんかなや?」
「さぁ、今の所は何とも」
シートをめくった富岡の表情は変わらない。本庁のデスクで書類をめくる時と寸分変わらぬポーカーフェイスで、顔をすぐ傍まで近づけ、遺体を凝視する。
「今朝、遺体さ見つけて通報したのは、荒生岳頂上から夜明けを見ようとしゃれこんだハイカーの一行でな」
「ほぉ、そりゃついてましたね」
「……なして?」
「滅多に人が通らない場所ですし、発見されないまま冬に入れば、雪に埋もれ、そのまま年を越してしまう可能性も少なからず有ったでしょう」
笠松も意を決して富岡の背後から遺体を覗き込んだ。ギョッとして、思わず目を背ける。吐き気が込み上げ、苦い胃液の味が口中に広がった。
「ひどいべ?」
苦笑する泉に弱みを見せたくなくて、笠松は平静を取り繕い、「ええ」と短く答える。
もう一度、遺体へ目をやった。
顔が完全に潰れている。
若く綺麗な女性だったらしいが、生前の美貌はこういう場合、一層の凄惨さに結びつくものだ。鈍器で滅多打ちにされ、鼻孔の上に骨が陥没した黒い穴が開いている。
「ガイシャは腰から下、膝頭などを金槌か何かで砕かれとるって鑑識が言うとりました」
「でも、死因は殴殺じゃないかも知れませんね。この状態だと見わけにくいが瞳の点状出血、首に痣も有る。最終的に犯人は絞殺を選んだのかもしれない」
「ほぉ、あんた、一目でよう判りなさる」
富岡の両目は真っ直ぐ遺体へ吸いつけられていた。
直に触れたい衝動と闘っているのだろう。指先が遺体の手前で漂い、魅入られていると笠松は思った。
惨たらしい遺体に対し、再会した恋人を見るような眼差しを向けている。落ち窪んだ両の瞳を爛々と輝かせる富岡は、普段の昼行燈と似ても似つかぬ迫力だ。
泉にはそれが捜査への熱意に思えたらしい。語る言葉に控えめな敬意が漂っている。
「それが又、ひどい話でなや。膝さ砕いた後、ホシは散々弄ったらしいんですわ」
「弄る?」
泉は不快そうに眉間へ皺を寄せた。
「血の飛散状況から推察できるんですが、ろくに歩けない獲物をわざと逃がし、そこら追い回してやがる」
「……人間を玩具にしたってんですか!?」
笠松は声を荒げた。さきほどの吐き気が、又、こみ上げてきそうだった。
「ええ、ホシは存分に楽しみ、苦しめ抜いてから、殺した」
泉の言葉に頷き、富岡はポツリと呟く。
「……テッド・バンディ」
「はぁ?」
「少なくとも36人を殺し、1989年、電気椅子で処刑されたアメリカのシリアルキラーです。笠松君、知ってるか?」
「名前だけは」
「似てるよ、こいつ、バンディの手口と」
「つまり、犯人は快楽殺人者?」
「おそらくね」
「もしかして富岡さん、犯人に心当たりでも?」
「いや、今の所は……でも、バンディと似てると言う事はつまり、あいつと似ていると言う事でもある」
「……あいつ?」
笠松と泉が声を合わせて問い直したが、先程までの高揚が一気に冷めた面持ちで富岡は口をつぐみ、上空を見上げた。
薄曇りの空から小雨が落ちてきている。遠い雷鳴がし、笠松にはこれから一層不吉な事が起きる前兆に思えた。
先輩は何か予期してここへ来たに違いない。そして、その何かに憑りつかれたかの如き、尋常ならざる拘りを抱いている……
富岡は遺体の上へ優しくビニールシーツを掛け直し、静かに両手を合わせた。
「あぁ、こりゃいかん。山の天気はすぐ変わるで。どしゃ降りになりそうだわ」
泉は慌てて部下の刑事達を急かし始めた。その言葉通り雨は強さを増し、付近に残っていた血痕を、存在していたかもしれない証拠ごと洗い流していく。
帰りの車中、笠松は自ら進んでハンドルを握った。
富岡が口にした「あいつ」について訊ねるきっかけを探そうとして、その間がどうにも掴めない。
時折り電子パイプを噛むのは相変わらずだが、深い思索に沈んだ富岡はそれ以外の物音を立てようとしなかった。
車中が静かで聞きづらい上、少しだけ聞くのが怖い。
自分の引いた貧乏くじが如何なるもので、何処へ彼を導こうとしているのか、その時の笠松は想像する事さえできずにいた。
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