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しおりを挟む徹也の前に立ったカメのオルガン奏者は、身長が彼の肩にも届いておらず、とても小柄で華奢だった。
「ホント、バカな事を考えたもんだねぇ……」
ピンと背筋を伸ばして祭壇の台座へ歩み寄り、皺の目立つ手が発火スイッチを兼ねた僅かな盛り上がり部分を撫でる。
「ライブを生中継している最中、二人同時に死を選ぶ。そうすれば、田宮達もネットで騒がれ、只じゃ済まない。絶望からの逃避とささやかな復讐の両立……それがあなた達の狙いでしょ?」
同時に頷く二人へ、カメが向ける眼差しは厳しかった。
「修理工をやってた分、慣れてるつもりでも、ガソリンなんて使ったら被害は把握しきれない。そうよね?」
「……はい」
俯く徹也の代わりに亜理紗が答える。
「観客にも火傷を負う人が出たかもしれない。あなた達は死んでおしまいでも、その人の人生は続くのよ」
「はい」
「未遂で終わろうと、そんな計画を立てた罪は消えないわ。この先、二人でずっと背負っていかなきゃ……」
顔を上げ、弾けるような勢いで徹也が叫ぶ。
「違う、俺の計画だ! 亜理紗は仕方なく付き合っただけで」
「ううん、死にたいと言ったのはあたしが最初」
亜理紗は首を横に振り、彼の言葉を遮った。
「酔っぱらったあたしをあいつ、強引に……それを拒みきれず、何もかも嫌になってた」
「でも、俺……」
亜理紗はまた首を振り、「同罪」と呟いて、カメの奏者へ向き直る。
「ライブが始まる前から、あたし達の計画、知ってたんですか?」
「まさか、あの子ブタのオバサンもあんたとグル!? 計算づくで動いてたのかよ?」
二人の問いに、カメは肩を竦めて見せた。
「史子は知らない。そもそも今回の仕掛けは、あの子へのサプライズだったんだから」
「……サプライズ?」
「最近、底値だった持ち株が急騰してね。懐が温かくなったから、ちょっとした悪戯を仕掛けてみたの」
「悪戯って、つまり……コブタ……じゃなくて、史子さんへ?」
「生まれ変わった筈なのに恋人へ会いに行く勇気が出ない男とヘソ曲がりな娘を再会させ、指輪奪還を目指す間に絆を深める事、それが初めの狙いだった。日頃、ボケた振りで史子へプレッシャーを掛けておいて、ね」
「それじゃ、カメさんは何時……」
「確信は、昨日まで無かった」
「え!?」
「ライブ・スタッフとしてキリンさんが集めてくれた情報を私なりに吟味する内、あなた達の言動が気になってきたのよ」
「気になったって、俺達の何処が?」
「ただ別れるつもりなら、離婚式なんか必要ない。田宮と出会う前、あなた達、すごく地味で堅実な音楽活動をしていたそうじゃない。似合わないと思ってね、キリンさんに小道具を調べさせたら」
「祭壇の仕掛けを見つけたのか?」
「あの人は他にも見つけてる。ライブ前にネットへ流れた『GO TO HELL!』って物騒な動画、投稿したのは亜理紗さんよね」
「……はい」
えっ、と声を出し、徹也は目を丸くした。
「怖くなって、誰かに止めてほしかった?」
「……迷っていたのは確かです」
徹也が唖然とした表情で亜理紗を見つめていると、受付フロアへ繋がるドアが開き、ライブハウスのスタッフが顔を覗かせた。
「あのぉ、もう残りの機材、カタして良いっすか?」
「あ、今取り込み中」
「予定、もうオーバーしてんだけど」
「悪いわね。あと30分くらい、宜しく」
カメの奏者が両手を合わすと、スタッフは「マキでお願いしますね」とだけ言い、素直にドアの向こうへ引っ込む。ここの『ボス』が彼女である事を実感させる動きだ。
「君達、その物騒な玩具、早く片付けなさい。それが見つかったら、流石に庇いきれない」
「は、はいっ!」
ガソリンの容器とプラグを徹也が祭壇から取り外す間、ステージの隅に残っていたオルガンへカメは腰を下ろし、
「こいつもコレで弾き納め……」
華麗に奏でる調べは、ピアソラのアルゼンチンタンゴから始まり、キャロルの「ファンキー・モンキー・ベイビー」、甲斐バンドの「HERO」等、1970年代の音楽シーンを代表する曲へ移っていく。
オルガン・アレンジであるのを忘れる位、ハイテンポな指の使い方で、
「あの、もしかして、あなたもバンド活動を?」
カメのマスクの下から笑い声が聞こえた。
続いて奏で始めたのは、令和の若者にも馴染みのあるナンバー、サザン・オールスターズのヒットメドレーだ。
「教職に就く前、若気の至りって奴ね。私達の頃にもバンド・ブームはあった。ハラボーのキーボード、同世代だから、すごく憧れてさ」
「その気持ち、わかります……」
「で、バンドマスターをしてたのが、このライブハウスのオーナー。全~部、腐れ縁」
「史子さん、それ、知ってるんですか?」
「まさか! 黒歴史だもの」
「そんなにうまいのに?」
「思い出したくない記憶、数えたらきりが無い。田宮みたいな奴、昔もいたのよ。だから理屈じゃなく、君達の気持ちはわかる」
ふっと溜息をつき、カメの奏者はオルガンから離れ、ゆっくり鍵盤蓋を閉めた。
「互いに相手を裏切ってしまった事が忘れられず、顔を合わす度、トラウマが蘇る。好きだから、大事だから、一緒にいる事が耐えられなくなったのよね」
「……はい」
「でも別れたら、もっと辛いよ。若いモンが道を踏み外しかけた時、止めてやるのが年寄りの役割。違う?」
もう二人には返す言葉も無い。
「私、近所でもうるさ型のお節介で通ってるの。厄介なのに捕まったと思って、観念した方が良いわ」
カメのマスクを被った老女は懐から古い指輪を取出し、掌の上で転がした。
「何より自殺なんかに使われちゃ、この指輪が可哀相でしょう」
「あ、さっき無くなった奴!」
「あなたがそれ、隠したんですか?」
「ええ、ステージで皆が揉めたドサクサに、ね」
古い指輪は、掌から殆ど枠だけになった祭壇の上へ落とされ、転がり落ちそうな一個を亜理紗の右手が掴み取る。
「それ、二人で持っていて」
最後に残った一個を、カメは徹也に握らせた。皺だらけで小さな手なのに指先はとても暖かく、力強く感じられた。
「まだ、この指輪は見つからない事にしておきたいの。うちのバカ娘とキリンさん……仲を取り持つには、あたし、もうしばらくボケた振りしていた方が好都合だから」
戸惑いながら、二人は左手の薬指に指輪を戻した。
放つパールの鈍い光が年輪を表している。
これまで刻まれてきた日々と、これから若い二人が積み重ねていくであろう未来の輝きだ。
「何たって、旦那の思い出に縋って生きるには、私ゃ、まだまだ若すぎるし……」
カメのマスクを脱ぎ捨て、須藤玉代は艶やかに笑った。
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