5 / 12
5
しおりを挟む
「……え~、それじゃあと2万、いや、3万円足せば指輪を返してもらえます?」
史子は自分の財布を取出し、中を覗き込んで、ハッと息を呑んだ。
有り金1万3千円、それに3割方1円玉の小銭が少々。
少しでも生活費を切り詰める為、電子マネーが使えない最寄りの直売市場で見切り品を漁り続けた結果なのだが……。
やばい。足りね~。どうしよう?
パンダの鋭い視線や、アライグマの嘲笑が恐ろしい。場の空気も重過ぎ、まともに顔を上げられない。
イロをつけて払う所ではなかった。ドップリ落ち込んだ情けな~い気持ちが、大厄の年の暗~い記憶へ自ずと結びつく。
誰に問われるまでもなく、史子はポツリポツリと語り出した。
「……4年前、私ねぇ……サラ金に追込み食らって、お先真っ暗だったの」
あまりの唐突さに面食らったか、アライグマはツッコミを入れない。カメのオルガンも止まったままで、場内は静寂に包まれ、史子の声だけ大きく響く。
「自己破産を考えたけど、失業中で履歴に傷はつけたくなかったし。フフッ、人手不足のご時世で、未だに派遣の仕事しかありつけない有様だからさ。今考えると破算なんて、ど~って事無いのに」
フッと目頭が熱くなった。成す術無く実家へ泣き付いた時の、娘を見る玉代の眼差しは胸に焼き付き、今も忘れられない。
「性懲りもなく、又、火中の栗を拾っちゃったのねぇ、あなた」
そう呟き、呆れた様にも達観した様にも見える微笑を浮べた母は、三日後には60万円ちょいの大金を手渡してくれた。
あまりにいつものノリだったから、父の残した財産がまだ残っているんだろうと史子は思った。
でも、そうではない。
年金暮らしの玉代にはすぐ動かせる金が無かった。所有していた株にせよ、発行会社のリコール騒動で大暴落、紙屑同然の有り様だ。
やむなく着物やら、古い貴金属アクセサリーやら、家中でかき集め、買い取り業者へ売り飛ばしたり、質屋へ持ち込む事で、なけなしの金を用意したらしい。
文字通り、血の滲むような60万だった訳だが、
「まさか、父さんとの結婚指輪まで質入れしたとは思わなかったわ。それに指輪の分だけ見ると、僅かなお金にしかなっていない。母さんはすぐ取戻すから大丈夫だって笑ったけど……」
でも、そうはいかなかった。
当分、店へ留め置く約束だったのに、カモになりそうな買い手を見つけるや否や、質屋のタヌキ親父は速攻で売りに出してしまった。
その危険を、当時の母が何故、予見できなかったのか?
行き辺りばったりの史子とは違い、状況をキッチリ見極めた上、先の先まで見通しを立てて動く計算高さが玉代の信条だ。
もし本当に先行きを楽観して指輪を質入れしたとしたら、それは今に至る痴呆の前触れだったのではと、史子には思える。
「もうすぐ父との結婚記念日なのよ。母さん、私の顔を見る度、指輪をなくしたから、一緒に探して欲しいって言う。思い出せないの、自分で質に入れた日の事……」
「つまり、ボケちまった訳か?」
パンダに問われ、史子は無言で頷いた。
わずか数か月で急速に悪化した物忘れに驚き、病院で診てもらおうと勧めても、玉代は頑として首を縦に振らない。
認知症は早期発見すれば、薬の服用で進行をかなりの所まで食い止められるらしい。でも、そこまで行くのは意外と難しい。
他の家庭だと、どうしているのだろう?
脳の検査なんて誰もやりたがらない。仮にだまして連れ出したとしても、病院の門前でこちらの意図に気付いてしまう。
認知症と言っても、その日の体調によって患者は以前の明晰さを取り戻すし、言葉の裏を鋭く見抜く場合だってあるのだ。どういう訳か、冴えてほしくない時に限って、一番冴えてしまうもの。
なら、どうする? 首に縄でも巻き付け、親を医者の所までズルズルと無理矢理引っ張って行けば良いのか?
そんな荒業、史子にはできなかった。
代りに必死で指輪を探す。
まず質屋を訪ね、質流れした先はわからないと言われて、興信所へ依頼してみようかとも思った。
サラ金の借金を完済してから、史子は地道に生活を建て直し、最近は僅かだが月々の貯金もできている。
今こそ恩返し!
そう覚悟を決めたある日、玉代自身が偶然に大きな手掛かりを見つけてくれた。
赤羽駅東口の商店街が発行するタウン誌を知人から貰ったそうで、取り上げられた『ザ・中の人』の特集記事を、史子に見せたのだ。
「ホラ、この子達の指輪、私のにソックリでしょ?」
嬉々として示す雑誌には、顔だけ隠したメンバーのアップ写真が見開きで載っており、ピースサインを突き出すパンダとウサギの左手の薬指に、質入れされた物と同型の指輪が光っている。
二十才位の若いカップルに売ったと言う質屋の話とも矛盾は無く、その後、史子はバンドの情報をネットで集めまくった。
そして、パンダとウサギの『中の人』が四年前に質屋近くで暮らしていた事。
今日、「スペシャルなイベント」とやらを、赤羽のライブハウスで行う事まで突きとめ、取戻すべく乗り込んで来たのである。
史子は自分の財布を取出し、中を覗き込んで、ハッと息を呑んだ。
有り金1万3千円、それに3割方1円玉の小銭が少々。
少しでも生活費を切り詰める為、電子マネーが使えない最寄りの直売市場で見切り品を漁り続けた結果なのだが……。
やばい。足りね~。どうしよう?
パンダの鋭い視線や、アライグマの嘲笑が恐ろしい。場の空気も重過ぎ、まともに顔を上げられない。
イロをつけて払う所ではなかった。ドップリ落ち込んだ情けな~い気持ちが、大厄の年の暗~い記憶へ自ずと結びつく。
誰に問われるまでもなく、史子はポツリポツリと語り出した。
「……4年前、私ねぇ……サラ金に追込み食らって、お先真っ暗だったの」
あまりの唐突さに面食らったか、アライグマはツッコミを入れない。カメのオルガンも止まったままで、場内は静寂に包まれ、史子の声だけ大きく響く。
「自己破産を考えたけど、失業中で履歴に傷はつけたくなかったし。フフッ、人手不足のご時世で、未だに派遣の仕事しかありつけない有様だからさ。今考えると破算なんて、ど~って事無いのに」
フッと目頭が熱くなった。成す術無く実家へ泣き付いた時の、娘を見る玉代の眼差しは胸に焼き付き、今も忘れられない。
「性懲りもなく、又、火中の栗を拾っちゃったのねぇ、あなた」
そう呟き、呆れた様にも達観した様にも見える微笑を浮べた母は、三日後には60万円ちょいの大金を手渡してくれた。
あまりにいつものノリだったから、父の残した財産がまだ残っているんだろうと史子は思った。
でも、そうではない。
年金暮らしの玉代にはすぐ動かせる金が無かった。所有していた株にせよ、発行会社のリコール騒動で大暴落、紙屑同然の有り様だ。
やむなく着物やら、古い貴金属アクセサリーやら、家中でかき集め、買い取り業者へ売り飛ばしたり、質屋へ持ち込む事で、なけなしの金を用意したらしい。
文字通り、血の滲むような60万だった訳だが、
「まさか、父さんとの結婚指輪まで質入れしたとは思わなかったわ。それに指輪の分だけ見ると、僅かなお金にしかなっていない。母さんはすぐ取戻すから大丈夫だって笑ったけど……」
でも、そうはいかなかった。
当分、店へ留め置く約束だったのに、カモになりそうな買い手を見つけるや否や、質屋のタヌキ親父は速攻で売りに出してしまった。
その危険を、当時の母が何故、予見できなかったのか?
行き辺りばったりの史子とは違い、状況をキッチリ見極めた上、先の先まで見通しを立てて動く計算高さが玉代の信条だ。
もし本当に先行きを楽観して指輪を質入れしたとしたら、それは今に至る痴呆の前触れだったのではと、史子には思える。
「もうすぐ父との結婚記念日なのよ。母さん、私の顔を見る度、指輪をなくしたから、一緒に探して欲しいって言う。思い出せないの、自分で質に入れた日の事……」
「つまり、ボケちまった訳か?」
パンダに問われ、史子は無言で頷いた。
わずか数か月で急速に悪化した物忘れに驚き、病院で診てもらおうと勧めても、玉代は頑として首を縦に振らない。
認知症は早期発見すれば、薬の服用で進行をかなりの所まで食い止められるらしい。でも、そこまで行くのは意外と難しい。
他の家庭だと、どうしているのだろう?
脳の検査なんて誰もやりたがらない。仮にだまして連れ出したとしても、病院の門前でこちらの意図に気付いてしまう。
認知症と言っても、その日の体調によって患者は以前の明晰さを取り戻すし、言葉の裏を鋭く見抜く場合だってあるのだ。どういう訳か、冴えてほしくない時に限って、一番冴えてしまうもの。
なら、どうする? 首に縄でも巻き付け、親を医者の所までズルズルと無理矢理引っ張って行けば良いのか?
そんな荒業、史子にはできなかった。
代りに必死で指輪を探す。
まず質屋を訪ね、質流れした先はわからないと言われて、興信所へ依頼してみようかとも思った。
サラ金の借金を完済してから、史子は地道に生活を建て直し、最近は僅かだが月々の貯金もできている。
今こそ恩返し!
そう覚悟を決めたある日、玉代自身が偶然に大きな手掛かりを見つけてくれた。
赤羽駅東口の商店街が発行するタウン誌を知人から貰ったそうで、取り上げられた『ザ・中の人』の特集記事を、史子に見せたのだ。
「ホラ、この子達の指輪、私のにソックリでしょ?」
嬉々として示す雑誌には、顔だけ隠したメンバーのアップ写真が見開きで載っており、ピースサインを突き出すパンダとウサギの左手の薬指に、質入れされた物と同型の指輪が光っている。
二十才位の若いカップルに売ったと言う質屋の話とも矛盾は無く、その後、史子はバンドの情報をネットで集めまくった。
そして、パンダとウサギの『中の人』が四年前に質屋近くで暮らしていた事。
今日、「スペシャルなイベント」とやらを、赤羽のライブハウスで行う事まで突きとめ、取戻すべく乗り込んで来たのである。
10
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

【完結】共生
ひなこ
ミステリー
高校生の少女・三崎有紗(みさき・ありさ)はアナウンサーである母・優子(ゆうこ)が若い頃に歌手だったことを封印し、また歌うことも嫌うのを不審に思っていた。
ある日有紗の歌声のせいで、優子に異変が起こる。
隠された母の過去が、二十年の時を経て明らかになる?
授業
高木解緒 (たかぎ ときお)
ミステリー
2020年に投稿した折、すべて投稿して完結したつもりでおりましたが、最終章とその前の章を投稿し忘れていたことに2024年10月になってやっと気が付きました。覗いてくださった皆様、誠に申し訳ありませんでした。
中学校に入学したその日〝私〟は最高の先生に出会った――、はずだった。学校を舞台に綴る小編ミステリ。
※ この物語はAmazonKDPで販売している作品を投稿用に改稿したものです。
※ この作品はセンシティブなテーマを扱っています。これは作品の主題が実社会における問題に即しているためです。作品内の事象は全て実際の人物、組織、国家等になんら関りはなく、また断じて非法行為、反倫理、人権侵害を推奨するものではありません。

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―
至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。
二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。
彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。
信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。
歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。
幻想、幻影、エンケージ。
魂魄、領域、人類の進化。
802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。
さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。
私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。
virtual lover
空川億里
ミステリー
人気アイドルグループの不人気メンバーのユメカのファンが集まるオフ会に今年30歳になる名願愛斗(みょうがん まなと)が参加する。
が、その会を通じて知り合った人物が殺され、警察はユメカを逮捕する。
主人公達はユメカの無実を信じ、真犯人を捕まえようとするのだが……。
支配するなにか
結城時朗
ミステリー
ある日突然、乖離性同一性障害を併発した女性・麻衣
麻衣の性格の他に、凶悪な男がいた(カイ)と名乗る別人格。
アイドルグループに所属している麻衣は、仕事を休み始める。
不思議に思ったマネージャーの村尾宏太は気になり
麻衣の家に尋ねるが・・・
麻衣:とあるアイドルグループの代表とも言える人物。
突然、別の人格が支配しようとしてくる。
病名「解離性同一性障害」 わかっている性格は、
凶悪な男のみ。
西野:元国民的アイドルグループのメンバー。
麻衣とは、プライベートでも親しい仲。
麻衣の別人格をたまたま目撃する
村尾宏太:麻衣のマネージャー
麻衣の別人格である、凶悪な男:カイに
殺されてしまう。
治療に行こうと麻衣を病院へ送る最中だった
西田〇〇:村尾宏太殺害事件の捜査に当たる捜一の刑事。
犯人は、麻衣という所まで突き止めるが
確定的なものに出会わなく、頭を抱えて
いる。
カイ :麻衣の中にいる別人格の人
性別は男。一連の事件も全てカイによる犯行。
堀:麻衣の所属するアイドルグループの人気メンバー。
麻衣の様子に怪しさを感じ、事件へと首を突っ込んでいく・・・
※刑事の西田〇〇は、読者のあなたが演じている気分で読んで頂ければ幸いです。
どうしても浮かばなければ、下記を参照してください。
物語の登場人物のイメージ的なのは
麻衣=白石麻衣さん
西野=西野七瀬さん
村尾宏太=石黒英雄さん
西田〇〇=安田顕さん
管理官=緋田康人さん(半沢直樹で机バンバン叩く人)
名前の後ろに来るアルファベットの意味は以下の通りです。
M=モノローグ (心の声など)
N=ナレーション
【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~
紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。
行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。
※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。
月夜のさや
蓮恭
ミステリー
いじめられっ子で喘息持ちの妹の療養の為、父の実家がある田舎へと引っ越した主人公「天野桐人(あまのきりと)」。
夏休み前に引っ越してきた桐人は、ある夜父親と喧嘩をして家出をする。向かう先は近くにある祖母の家。
近道をしようと林の中を通った際に転んでしまった桐人を助けてくれたのは、髪の長い綺麗な顔をした女の子だった。
夏休み中、何度もその女の子に会う為に夜になると林を見張る桐人は、一度だけ女の子と話す機会が持てたのだった。話してみればお互いが孤独な子どもなのだと分かり、親近感を持った桐人は女の子に名前を尋ねた。
彼女の名前は「さや」。
夏休み明けに早速転校生として村の学校で紹介された桐人。さやをクラスで見つけて話しかけるが、桐人に対してまるで初対面のように接する。
さやには『さや』と『紗陽』二つの人格があるのだと気づく桐人。日によって性格も、桐人に対する態度も全く変わるのだった。
その後に起こる事件と、村のおかしな神事……。
さやと紗陽、二人の秘密とは……?
※ こちらは【イヤミス】ジャンルの要素があります。どんでん返し好きな方へ。
「小説家になろう」にも掲載中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる