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「……え~、それじゃあと2万、いや、3万円足せば指輪を返してもらえます?」
史子は自分の財布を取出し、中を覗き込んで、ハッと息を呑んだ。
有り金1万3千円、それに3割方1円玉の小銭が少々。
少しでも生活費を切り詰める為、電子マネーが使えない最寄りの直売市場で見切り品を漁り続けた結果なのだが……。
やばい。足りね~。どうしよう?
パンダの鋭い視線や、アライグマの嘲笑が恐ろしい。場の空気も重過ぎ、まともに顔を上げられない。
イロをつけて払う所ではなかった。ドップリ落ち込んだ情けな~い気持ちが、大厄の年の暗~い記憶へ自ずと結びつく。
誰に問われるまでもなく、史子はポツリポツリと語り出した。
「……4年前、私ねぇ……サラ金に追込み食らって、お先真っ暗だったの」
あまりの唐突さに面食らったか、アライグマはツッコミを入れない。カメのオルガンも止まったままで、場内は静寂に包まれ、史子の声だけ大きく響く。
「自己破産を考えたけど、失業中で履歴に傷はつけたくなかったし。フフッ、人手不足のご時世で、未だに派遣の仕事しかありつけない有様だからさ。今考えると破算なんて、ど~って事無いのに」
フッと目頭が熱くなった。成す術無く実家へ泣き付いた時の、娘を見る玉代の眼差しは胸に焼き付き、今も忘れられない。
「性懲りもなく、又、火中の栗を拾っちゃったのねぇ、あなた」
そう呟き、呆れた様にも達観した様にも見える微笑を浮べた母は、三日後には60万円ちょいの大金を手渡してくれた。
あまりにいつものノリだったから、父の残した財産がまだ残っているんだろうと史子は思った。
でも、そうではない。
年金暮らしの玉代にはすぐ動かせる金が無かった。所有していた株にせよ、発行会社のリコール騒動で大暴落、紙屑同然の有り様だ。
やむなく着物やら、古い貴金属アクセサリーやら、家中でかき集め、買い取り業者へ売り飛ばしたり、質屋へ持ち込む事で、なけなしの金を用意したらしい。
文字通り、血の滲むような60万だった訳だが、
「まさか、父さんとの結婚指輪まで質入れしたとは思わなかったわ。それに指輪の分だけ見ると、僅かなお金にしかなっていない。母さんはすぐ取戻すから大丈夫だって笑ったけど……」
でも、そうはいかなかった。
当分、店へ留め置く約束だったのに、カモになりそうな買い手を見つけるや否や、質屋のタヌキ親父は速攻で売りに出してしまった。
その危険を、当時の母が何故、予見できなかったのか?
行き辺りばったりの史子とは違い、状況をキッチリ見極めた上、先の先まで見通しを立てて動く計算高さが玉代の信条だ。
もし本当に先行きを楽観して指輪を質入れしたとしたら、それは今に至る痴呆の前触れだったのではと、史子には思える。
「もうすぐ父との結婚記念日なのよ。母さん、私の顔を見る度、指輪をなくしたから、一緒に探して欲しいって言う。思い出せないの、自分で質に入れた日の事……」
「つまり、ボケちまった訳か?」
パンダに問われ、史子は無言で頷いた。
わずか数か月で急速に悪化した物忘れに驚き、病院で診てもらおうと勧めても、玉代は頑として首を縦に振らない。
認知症は早期発見すれば、薬の服用で進行をかなりの所まで食い止められるらしい。でも、そこまで行くのは意外と難しい。
他の家庭だと、どうしているのだろう?
脳の検査なんて誰もやりたがらない。仮にだまして連れ出したとしても、病院の門前でこちらの意図に気付いてしまう。
認知症と言っても、その日の体調によって患者は以前の明晰さを取り戻すし、言葉の裏を鋭く見抜く場合だってあるのだ。どういう訳か、冴えてほしくない時に限って、一番冴えてしまうもの。
なら、どうする? 首に縄でも巻き付け、親を医者の所までズルズルと無理矢理引っ張って行けば良いのか?
そんな荒業、史子にはできなかった。
代りに必死で指輪を探す。
まず質屋を訪ね、質流れした先はわからないと言われて、興信所へ依頼してみようかとも思った。
サラ金の借金を完済してから、史子は地道に生活を建て直し、最近は僅かだが月々の貯金もできている。
今こそ恩返し!
そう覚悟を決めたある日、玉代自身が偶然に大きな手掛かりを見つけてくれた。
赤羽駅東口の商店街が発行するタウン誌を知人から貰ったそうで、取り上げられた『ザ・中の人』の特集記事を、史子に見せたのだ。
「ホラ、この子達の指輪、私のにソックリでしょ?」
嬉々として示す雑誌には、顔だけ隠したメンバーのアップ写真が見開きで載っており、ピースサインを突き出すパンダとウサギの左手の薬指に、質入れされた物と同型の指輪が光っている。
二十才位の若いカップルに売ったと言う質屋の話とも矛盾は無く、その後、史子はバンドの情報をネットで集めまくった。
そして、パンダとウサギの『中の人』が四年前に質屋近くで暮らしていた事。
今日、「スペシャルなイベント」とやらを、赤羽のライブハウスで行う事まで突きとめ、取戻すべく乗り込んで来たのである。
史子は自分の財布を取出し、中を覗き込んで、ハッと息を呑んだ。
有り金1万3千円、それに3割方1円玉の小銭が少々。
少しでも生活費を切り詰める為、電子マネーが使えない最寄りの直売市場で見切り品を漁り続けた結果なのだが……。
やばい。足りね~。どうしよう?
パンダの鋭い視線や、アライグマの嘲笑が恐ろしい。場の空気も重過ぎ、まともに顔を上げられない。
イロをつけて払う所ではなかった。ドップリ落ち込んだ情けな~い気持ちが、大厄の年の暗~い記憶へ自ずと結びつく。
誰に問われるまでもなく、史子はポツリポツリと語り出した。
「……4年前、私ねぇ……サラ金に追込み食らって、お先真っ暗だったの」
あまりの唐突さに面食らったか、アライグマはツッコミを入れない。カメのオルガンも止まったままで、場内は静寂に包まれ、史子の声だけ大きく響く。
「自己破産を考えたけど、失業中で履歴に傷はつけたくなかったし。フフッ、人手不足のご時世で、未だに派遣の仕事しかありつけない有様だからさ。今考えると破算なんて、ど~って事無いのに」
フッと目頭が熱くなった。成す術無く実家へ泣き付いた時の、娘を見る玉代の眼差しは胸に焼き付き、今も忘れられない。
「性懲りもなく、又、火中の栗を拾っちゃったのねぇ、あなた」
そう呟き、呆れた様にも達観した様にも見える微笑を浮べた母は、三日後には60万円ちょいの大金を手渡してくれた。
あまりにいつものノリだったから、父の残した財産がまだ残っているんだろうと史子は思った。
でも、そうではない。
年金暮らしの玉代にはすぐ動かせる金が無かった。所有していた株にせよ、発行会社のリコール騒動で大暴落、紙屑同然の有り様だ。
やむなく着物やら、古い貴金属アクセサリーやら、家中でかき集め、買い取り業者へ売り飛ばしたり、質屋へ持ち込む事で、なけなしの金を用意したらしい。
文字通り、血の滲むような60万だった訳だが、
「まさか、父さんとの結婚指輪まで質入れしたとは思わなかったわ。それに指輪の分だけ見ると、僅かなお金にしかなっていない。母さんはすぐ取戻すから大丈夫だって笑ったけど……」
でも、そうはいかなかった。
当分、店へ留め置く約束だったのに、カモになりそうな買い手を見つけるや否や、質屋のタヌキ親父は速攻で売りに出してしまった。
その危険を、当時の母が何故、予見できなかったのか?
行き辺りばったりの史子とは違い、状況をキッチリ見極めた上、先の先まで見通しを立てて動く計算高さが玉代の信条だ。
もし本当に先行きを楽観して指輪を質入れしたとしたら、それは今に至る痴呆の前触れだったのではと、史子には思える。
「もうすぐ父との結婚記念日なのよ。母さん、私の顔を見る度、指輪をなくしたから、一緒に探して欲しいって言う。思い出せないの、自分で質に入れた日の事……」
「つまり、ボケちまった訳か?」
パンダに問われ、史子は無言で頷いた。
わずか数か月で急速に悪化した物忘れに驚き、病院で診てもらおうと勧めても、玉代は頑として首を縦に振らない。
認知症は早期発見すれば、薬の服用で進行をかなりの所まで食い止められるらしい。でも、そこまで行くのは意外と難しい。
他の家庭だと、どうしているのだろう?
脳の検査なんて誰もやりたがらない。仮にだまして連れ出したとしても、病院の門前でこちらの意図に気付いてしまう。
認知症と言っても、その日の体調によって患者は以前の明晰さを取り戻すし、言葉の裏を鋭く見抜く場合だってあるのだ。どういう訳か、冴えてほしくない時に限って、一番冴えてしまうもの。
なら、どうする? 首に縄でも巻き付け、親を医者の所までズルズルと無理矢理引っ張って行けば良いのか?
そんな荒業、史子にはできなかった。
代りに必死で指輪を探す。
まず質屋を訪ね、質流れした先はわからないと言われて、興信所へ依頼してみようかとも思った。
サラ金の借金を完済してから、史子は地道に生活を建て直し、最近は僅かだが月々の貯金もできている。
今こそ恩返し!
そう覚悟を決めたある日、玉代自身が偶然に大きな手掛かりを見つけてくれた。
赤羽駅東口の商店街が発行するタウン誌を知人から貰ったそうで、取り上げられた『ザ・中の人』の特集記事を、史子に見せたのだ。
「ホラ、この子達の指輪、私のにソックリでしょ?」
嬉々として示す雑誌には、顔だけ隠したメンバーのアップ写真が見開きで載っており、ピースサインを突き出すパンダとウサギの左手の薬指に、質入れされた物と同型の指輪が光っている。
二十才位の若いカップルに売ったと言う質屋の話とも矛盾は無く、その後、史子はバンドの情報をネットで集めまくった。
そして、パンダとウサギの『中の人』が四年前に質屋近くで暮らしていた事。
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