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消滅する命 とんずらする俺
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目覚めた30分後、聡は愛用の自転車に跨り、勤務する代々木のSE代行サービス「ブレークスルー・システムズ」へ向う通りをひた走っていた。
普段なら朝の通勤時間は聡にとって貴重なストレス解消の一時である。
イタリア製の折り畳み式自転車は、聡の所持品の中で一番の値打ち物であり、車輪が小さくできている割に漕ぐ度、気持ち良く加速する。
だが、今日は腰や膝の痛みが先に立ち、疾走する喜びが感じられなかった。
依然として疲れは全く抜けていない。
それもその筈。
聡は昨夜まで丸一週間、オフィスに泊まり込みで、とある企業の社内ネットワーク用プログラムに取り組み、先に先輩プログラマーが作った部分のデバッグを繰り返していた。
いわゆる「デスマ」と言う奴だ。
使い捨ての二流SE、下っ端プログラマーなら誰もが経験するであろう、過酷な労働の連続。ボロゾーキンの身を晒し、戦場で力尽きるまで終らないデスマーチ=死の行進。
クライアントへの納入期限も極めてシビアだ。
弱小企業の宿命とは言え、無理難題のオファーに応えなければ仕事が続かず、しわ寄せは常に末端社員へ押し付けられる。
限界寸前でケアレスミスが続いた挙句、一仕事終わった打ち上げの後、次の仕事へ入る前に一晩だけ帰宅する許可をチームリーダーの木崎から得た訳だが……
一夜の爆睡程度じゃHPは回復不能。結局、ズタボロのまま戦線復帰するしかない。
「もたねぇよ、このままじゃ、俺」
ブレークスルー・システムズが入居している雑居ビル手前へ来た時、聡のぼやきは、前方から発した悲鳴に遮られた。
「ひ、ひぃっ、畜生、畜生っ! 見えねぇのか、オイ、手前ら、あれが!?」
見ると、アニメキャラのプリントが半ばすり減った黒いTシャツを着込み、フケだらけの長髪を後ろへ束ねた若者がフラフラ舗道をさまよい、大声で喚き散らしている。
この辺りの裏通りに幾つかある下請け動画制作会社のアニメーターだろうか?
アニメの作画は海外発注が増えているらしいが、劣悪な労働環境の零細プロダクションも生き残っており、二流プログラマー同様、彼らはこの街の、食物連鎖最下層に位置する生き物の一種と言えるだろう。
「神隠しだぞ、神隠し! 逃げねぇと、どいつもこいつも、やられちまうぞォ」
その目は血走り、完全にイッていた。
通行人は素知らぬ顔で、極力接近を避け、足早に通り過ぎていく。
あ~あ、多分、こいつもデスマの犠牲者なんだろね。言いたかねぇけど、明日は我が身?
内心、そんな風に同情したのがまずかったようで、気が付いた時には不気味な若者と目が合っていた。
逸らす間もなく、そいつは唇を歪め、ニヤリとこちらへ笑いかけてくる。
あまりの気味悪さに、聡は思わず自転車のブレーキを掛け、その場に静止した。
「……フフ……ほ~ら、ヤバいぜ、あんたの後ろ」
若者が聡の斜め後方を指差す。
ギョッとして振返ると、そこにもギョッとした男の顔がある。
通勤中の中年サラリーマンが、いきなり妙な奴に指差され、すっかり困惑しているようだ。
そして、そのポカンと開いた口が、次の瞬間、消滅した。
サラリーマンの頭部が何の前触れも無く、聡の眼前でフッと消えてしまったのだ。
首無しの胴体は一瞬大きく痙攣したが、綺麗に切断された首の付け根から、何故か血が噴き出してこなかった。
あまりに奇妙で現実離れした光景を目の当たりにし、聡は恐怖を感じる間も無く立ち尽くして……
間も無く、残されたサラリーマンの全身も、その場から消滅してしまった。
「あ? あれっ!?」
何かのトリックと思い、周りを見回しても、サラリーマンは影も形も無い。
一瞬、透明な影みたいなものが蠢いた気もするが、それも朧げで、現実とも幻ともつかない。
「お、良い反応じゃん、あんた。ひょっとして、見えるの?」
若者は、嬉しそうに指先を聡の右方向へ動かす。
「ホラホラ、今度はそっち」
無視して逃げ出したかったが、好奇心には勝てない。
聡の目が若者の指先を追うと、通行人が数人、続けざまに消えるのが見えた。
さっきと同じく何の前触れも無く、フッと……
しかも、他の通行人は誰一人、人間消失の異常事態を気付いていない。若者を気味悪そうに見る奴はいても、それ以上のパニックは起っていなかった。
隣を歩く人間がいなくなったのに、皆、黙々と歩き続けるのみ。
すべからく他人に無関心な昨今の世相とは言え、こいつは少々行き過ぎている。
「……何が起きてンだ、一体!?」
聡は若者に詰め寄った。
プ~ンと生臭い異臭が漂っている所を見ると、こいつ、少なくとも1週間は風呂に入っていない。
「言ったろ? 神隠し」
自分と同じものが見える人間の出現で少しホッとしたようだ。若者は薄笑いを浮べたまま、勢い良く喋り出した。
「俺達が住む星、地球は生きてる」
「はぁっ!?」
「言っとくけどな、こいつぁ例えでも何でも無ぇぞ。星そのものが独自の魂、精神を持つ高次元な存在で、それと深く結び付く自然の精霊が、好き勝手やり放題の人間に、とうとう黙っていられなくなったのさ。
世界中のデーモンは、最早、ソフィアを守護しない。情け容赦無く狩り立てる」
「デーモン? ソフィア? 何だ、そりゃ?」
「知んねぇのか、グノーシスの神話? ファンタジー系のRPGやホラー・コミックに時たま出てくんだろ」
「俺、ホラーは苦手だ」
「デーモンっては日本で言えば物の怪、妖怪さ。奴ら、ずっと俺達の側で身を潜めていた。で、ソフィアというのは全ての人間の本質、肉体の中に囚われた霊性そのものを指す。
今、ここで起っている事が他の奴らにゃ見えないように、デーモン達は妖力で人心を惑わし、巧みに事実を隠蔽してンだよ」
言葉が熱を帯び、瞳孔の散大した目が狂喜を映し出す。
恐れをかなぐり捨て、若者は、己の幻想に入り込んでしまったらしい。
妖怪なんて如何にも有りがちな戯言は多分、今、こいつが関わっているアニメのネタなのだろう。
典型的な中二病?
いや、仕事でとことん壊れ果て、フィクションと現実の境い目がわかんなくなったのかも……
こんな奴ほっといて、ひとまず、会社へ逃げ込むか?
そう腹を決め、聡は自転車を押し始める。
しかし、若者はすかさず車輪の前へ回り込み、尚も、しつこく話し続けた。
「神隠し自体は、昔から何処にでもある話さ。でも元々こんな派手な代物じゃねぇ。人を無闇に狩らない事こそ、これまで奴らの大事なルールだった」
「……ルール?」
「でも今日の朝、『ルール変更のお知らせ』が、インターネット、電子メールといった、あらゆる方法で世界中へ送られて……」
「ああ、あの携帯に割り込んで来た変な緊急警報だろ」
「へぇ~、見たの? そ~なんだ、アンタもアレ、見えちゃったンだ?」
聡が頷くと、若者は嬉しそうに何度も彼の肩を叩く。
「フフ、その内、何もかもハッキリしてくンぜ。で、アンタ、俺と同じに……」
そこまで言って、若者の顔は強張った。
大きく見開かれた瞳は上空へ向けられ、透明な影のような何かが、ゆっくり降下してくるのを見つめている。
聡も目を凝らしてみた。
すると影は少しずつ明確な姿を現し、稲光をまとう巨大な雷雲の形を成す。
「おい、アレも妖怪?」
「た、只の妖怪じゃねぇ。地区担当委員……ホラ、さっきの警報でも言ったろ? この辺りを統べるリーダー格がいるって」
若者は掠れる声を出し、震えだした。
その間にも、不気味な雷雲は急降下。
舗道に接近し、サイクロン式の掃除機が周囲のゴミをグイグイ吸い込む勢いで、通行人を続けざまに消滅させたかと思えば、更に雑居ビルの方向へ向う。
聡は息を呑んだ。
何故なら、そこに出勤途中の同僚達がいて、何も知らずに呑気な談笑を交わしていたからだ。
傲慢を絵にかいたようなチームリーダー・木崎悦治……夢の中で頭を踏んづけやがった奴だ。
その腰巾着で、プログラムの腕不足をオベンチャラで補う堤義雄。若干マシな仕事ぶりをひけらかし、チームの良識派を気取る浅野達郎。
以上、35才で役立たずと言われる新陳代謝の激しいIT業界で、のうのうと生きるアラフォー3人に加え、派遣社員として外部から参加している江田舞子と三ツ矢香の紅二点。
特に、聡にとって、飛び切り重要な存在が江田舞子だった。
言うならば、誰にでも好かれる天使の頬笑みを秘めた職場の花って奴だ。
八方美人の趣はあるものの、辛い事ばかりの日々を聡が何とか持ちこたえ、転職サイトの誘惑に耐えてきたのは、彼女の存在があればこそだと言える。
はっきり言って、惚れていた。
舞子が配属されてきた日、挨拶の途中で目と目が合って、ニコッと微笑んでくれたその瞬間から……。
どうせ相手にされちゃいない。
そんな虚しい自覚はあるが、せめて一度告白するまで、彼女を失う訳にはいかない。
「逃げろっ! 舞子さん、香さん……みんな、今すぐそこから逃げてくれ!!」
大声で喚きながら、聡は雑居ビルの方へ自転車で突っ込む。
「バケモノだ! バケモノが来る」
「何だ、葛岡? お前、徹夜続きで頭イカレちまったの?」
「木崎さん、あいつ、元からアホっすよ」
おどけた木崎と堤の言葉に、舞子や香までがつい調子を合せて笑い、口元を押さえる。
良いさ、馴れてるよ、俺。
最近、いつもこの調子。職場のピエロで、噛ませ犬。
でも、今はそんな事に構っている場合じゃない。
彼らには見えていない雷雲が通りの向いに迫り、一気に全員飲み込む勢いだ。
何故か、透明な怪物を目視する力が徐々に増してきたようで、聡にはポッカリ開いた雷雲に吸い込まれる人々の末路が見えた。
巨大な鉛筆削りへ頭から突っ込まれたようにガリガリと削られ、血と肉と頭蓋骨の破片を辺りへ一瞬まき散らせて、忽ち消滅していく。
「うわぁぁ!」
聡は咄嗟に自転車を飛び降り、怒号と悲鳴が相半ばする叫びをあげながら、軽い自転車の車体を担ぎ上げ、力任せに雷雲目がけて投げつけた。
激突寸前、聡の愛車は雲の裂け目から生じた激しい稲光に打たれ、木っ端微塵に砕けてしまう。
「うわっ!? 何だ?」
「カミナリが落ちたの? 空は晴れてるのに」
「冗談じゃねぇぞ。そこら中、まっ黒焦げじゃねぇか」
ビビって尻餅をついた聡と若者以外、何が起ったか理解できた者はいない。
だが、その際に生じた爆風や大音響は、流石に妖力やら魔力やらの隠蔽パワーでも誤魔化しきれないらしい。
一時的に雷雲は進路を変えたが、飛び散った破片は辺りのガラス窓を砕き、けが人も出て、大騒ぎになっている。
その中央で呆然と立ち竦む舞子達に、聡は駆け寄り、強引にビルの玄関ドアへ押し込んだ。
全員がフロアに座り込み、ひとまず安堵の溜息をつく。少なくとも、外にいるより安全だと思ったのだ。
その時はまだ……
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