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しおりを挟む数秒後、聖堂だった場所から高僧も衛兵も消え、景色が完全に様変わりしている。
ガリレオは周りを見回し、電子機器を多数備えた六角形の部屋にいて、分厚い金属壁に囲まれているのを知った。
「……何処だ、ここは?」
「僕とシンプリチオが所属する、EU統合科学省のラボさ」
「……EUって何だ? そんなの聞いたこともない」
「イタリア半島を含む国の集合体だよ。20世紀にヨーロッパはその形でまとまり、21世紀のイギリス離脱、ロシアによる隣国への侵略をきっかけにして一旦分裂するが、第三次世界大戦後、辛うじて生き残った人々の手で再統合を果す」
「……それじゃ、やっぱり君達、未来の人間なんだね?」
頷くサグレドとシンプリチオの衣装は、如何にも科学者らしい純白のボディスーツに変っている。
そしてガリレオ自身、何時の間にか66才から18才の、本来の姿へ戻っていた。
「あ、僕、老けてない!?」
「そう、単に暗示をかけていただけだからな。高齢者の体で、時間旅行には耐え切れん」
シンプリチオが穏やかに答える。かなりの強面でサグレドより年上に見えるが、素顔は気さくな男であるらしい。
「サグレド、あの審問会は何?」
「ちょっとした座興さ」
「この部屋は三次元映像を壁に投射し、どんな光景でも作り出す事ができる。人の姿や声も思うがままに、な」
シンプリチオが指を鳴らすと、その外観は枢機卿、異端審問官へ瞬時に変り、また元の姿へ戻る。
「ドゥオモ広場の騒ぎは? あれも幻?」
「いや、現実に起きた事だよ」
らしからぬ自嘲がサグレドの口元を歪めた。
「ちょっとしたイレギュラー。僕の計算違いだけど、お陰でガリレオ君を25世紀へ連れて来られた。結果オーライ、さ」
「あのなぁ、お前の耳から煙が出た時は慌てたぞ。咄嗟に審問官を名乗り、民衆を鎮めたから良い様なものの」
「感謝してます、シンプリチオ殿」
二人の会話から耳を背け、ガリレオは近くの椅子へ座って、溜息を漏らす。異常な展開に疲れ、投げ遣りな心境になっているのであろう。
その心境を察し、サグレドは壁際にあるスイッチを押した。
「ご覧あれ。君が切り開いた科学の、行き付く先がここにある」
金属壁がスライド。
四囲に開いた大きな窓から、部屋の外が見えてくる。
そこに青空は無かった。
暖色系の光を放つカクテルライトと、穏やかなカーブを描く天井が広がるのみだ。
どうやら三人のいる部屋は巨大なドーム状建築物の内部にあり、シャンデリアさながら中央の天頂部より吊られているらしい。
下方へ視線を移すと、差し渡し1㎞を超える楕円形の人造湖があり、水面上で何か長い物が蠢いていた。
興味を惹かれたガリレオは、窓へ顔を押し付け、思い切り目を凝らす。
それは機械仕掛けの伸縮する触手で、半透明のカプセルを湖の各所へ異動させ、半濁の水中へ沈めたり、取り出したりを繰り返している様だ。
「サグレド、あの容器は?」
「ん~、君、一度見ている筈だけど」
サグレドが自ら頭のスイッチを押すと、開いていく隙間からカプセルが覗いた。
同時に、ガリレオの口から小さな悲鳴が漏れる。
カプセルにはプールと同じ色の溶液が満ち、中に浮かぶ物体は、生きた人間の脳髄だったのである。
「僕達の体で自前の部分は脳だけ。後はお察しの通り、機械で出来ている」
頭を閉じ、サグレドは平然と言った。
「……君達の時代の人間は、皆、こうなっているの?」
「いや、全人類ではないぞ。あくまで自ら志願し、厳しい選抜を通過した科学者のみである」
呆然自失のガリレオを落ち着かせようと、シンプリチオが静かに語りかけた。
「我々の脳は、体から取り外しが可能。そして、神経細胞のパルスを伝達するに適した水質の人造湖へ沈める事で、25世紀最大の有機コンピューターと接続できる」
「……こんぴゅうたぁ?」
「人の考える力を補う機械とでも言おうか」
「あの湖全体が?」
「脳へBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)と呼ばれるデバイスを埋め込み、外部機器と情報をやり取りする実験が始まったのは2023年で、その進化の至る先があの湖だ。人のDNAを構成する四つの塩基を、演算素子として利用する仕組みになっている」
シンプリチオの声は高らかに響き、サグレドも誇らしげに言葉を継いだ。
「この場所は科学という僕らの神に己を捧げる場所、言わば聖堂なんだよ。繋がると、それまで理解できなかった全てが見える。時間や空間の広がりさえ、明確な実体として把握する事ができるのさ」
人造湖を見下ろすガリレオの瞳は、何時しか恐怖から憧れの光を湛え始めていた。
「……それにしても、25世紀の科学者は、何故ここまでやるの?」
「君が突破口を穿つ科学は、17世紀以降、驚異的な進歩を遂げる。宗教を乗り越え、倫理のタブーを祓い、遂には言語の壁さえ破壊してしまう」
「言葉の上に重なる言葉で?」
「そう、メタ言語。しかも、言葉の再創造は一度で終わらなかった。二度、三度……言語の上にメタ言語を乗せ、そのまた上にメタメタ言語を乗せ……」
「それ、切りが無い」
「ああ、思考ツールとしての言語は幾らでも多層化でき、その度に思考の領域は拡大されたが、残念ながら人の脳が扱えるのは一層のメタ言語で精一杯なんだ。
君さ、たとえば不慣れな外国語を話す時、まず自国語で考え、頭の中で外国語へコンバートするだろ?」
「ああ」
「思考内容のメタ変換は、言うなれば、それの数百倍複雑な作業を脳内でこなさなきゃ駄目だからねぇ。まったくもって楽じゃない」
サグレドの視線を追い、人造湖の外縁へ目をやると、棺状の寝床が数えきれないほど設置されており、中に横たわる男女の姿も確認できた。
皆、頭が中央で割れている。
「脳とコンピューターとの相互リンクは、科学の進歩の過程において、いずれは至るべき必然。古い器を乗り越えるという意味じゃ、君達の時代の、宗教と科学の対立にも似た現象と言えるだろう」
ガリレオには、眠る異形の体がとても安らかで自信に満ち溢れている様に思えた。
それに比べて、ピサ大学の授業に飽き、退学まで考えている己の現状がひどく惨めに感じられた。
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