朱に交われば

ちみあくた

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「こんばんは、木谷主任」

 そっと背後に歩み寄っていた尚の声で、亜津子は全身を強張らせた。

「平田君……まさか、君」

「会社で初めて会ってから、藤巻君、何かと僕をいじり、パシリ扱いしてまして」

 尚の声はいつも通り抑揚が無い。

「二週間前、限度を超えたから、仲間が怒っちゃったんです」

「君、藤巻君しか友達いない筈じゃ……」

「見えませんか? このコンテナに皆、いますよ」

 亜津子は、震えの止まらぬ指でLEDの光を左右へ振った。

 確かに死体は一つではない。

 古い物と新しい物が6体ほど横の壁へ凭れており、その内、最も古そうな白骨は一回り小さい。

 中学生くらいの体格に見えた。





「僕、昔から酷い苛められっ子でね」

 尚の乾いた声が狭い空間で反響し、その周囲の闇を一層濃くしていく。

「死にたいって思ったけど、その前に一番嫌いな奴へ復讐したんです」

「ここで、それを?」

「はい、穢れた場所って聞いたので」

「穢れ……つまり、呪われてるとか……」

「昔、ここの会社が潰れた時に社長と奥さんが首を吊り、土地を買った人は次々と早死にしたそうです」

「あ、ありがちな都市伝説じゃない!」

 開き直って笑い飛ばそうとしたが、亜津子の首筋はまだ鳥肌が立ったままだ。代わりに思いついた疑問を口にする。

「君が子供の頃なら十年くらい前よね。警察の捜査は?」

「死人に協力してもらったんです」

「え?」

「いじめっ子を殺した後、僕も死ぬつもりだったのに、そいつの声が、何処かから聞こえて来て」

 普段無口な尚が饒舌に語る。

 熱っぽい口調は、重ねた孤独の深さと秘めた狂気を物語っていた。

「それ……罪の意識から来る幻聴よ」

「でも僕を助けるって言うんだ、仲間を増やしてくれるなら」

「仲間?」

「寂しいらしいです、こんな所にいたら死人でも」

 尚は軽く首を傾げ、コンテナの亡骸へ優しく微笑みかける。

「だから、時々、仲間になれそうな人を僕が探し、ここへ連れて来て……」

 尚の話は亜津子の想像を絶していた。

 幾つかの死に彩られたこの地、そこで命を奪われた者は、呪いに取り込まれてしまうのだと言う。

「被害者自身の協力があれば、殺人の偽装なんて簡単です。例えば、その人の家族に手紙やメールを出して、本人しか知らない秘密を付け加えたら、誰も死んだと思わない」

 亜津子は、戦慄に震えながらスマホの着信履歴を見つめた。





 なら、この藤巻のLINEは?

 彼の呪霊から届いたとでも言うの?





「あなたも仲間になって下さい」

 尚が梱包用のテープを手首に巻き付け、ゆっくり近づいて来た。

「いやっ!」

「亜津子さんも前に言ったじゃないですか、朱に交われば赤くなる」

 悲鳴をあげ、逃げようとして、藤巻の体に躓いた。

 床へ両手をつくと、すぐ目の前に頭蓋骨の眼窩がある。

 眼球が腐り落ちた穴の奥底に、見つめ合ったあの夜の、懐かしい眼差しを感じた。





 あたしを呼んでる。求めてる。





 恐怖の余り、頭蓋骨を押しのけた時、頭頂部の陥没に触れた。

 干からびた脳漿が指先につく。

 冷蔵庫に常備したチョコシューの中身と何処か似ている、その色、感触……

「いゃぁぁあっ!」

 腰が抜けたまま、亜津子はもがき、のたうち回った。

 他の死体も絡みつく。
 
 みんな、彼女を求めてる。
 
 もがけばもがくほど、死体の渦の奥へ呑み込まれていく。
 
「本来善良な精神が、悪い環境に堕ち、他の邪な心に影響されて変質する事は良くあるんですよね?」

 身動き取れない亜津子の喉に尚がテープを巻き、力を込めた時、傍らに佇む「仲間」が見えた。

「ホラ、みんなも喜んでる。同じ色に染まれば良いんです」

 陽気に片手をヒラヒラさせ、亜津子を招く藤巻のにやけた笑顔も闇に浮かぶ。

「……大丈夫……大丈夫」

 尚の声が繰り返される度、亜津子の視界がぼやけていく。

 得体の知れない泥濘へ自分の心が何処までも沈み、溶けていくのを感じて……





 翌日の午後六時、平田尚はいつも通りに席を立ち、狭いロッカー室で、アーバンエステイトの制服を脱いだ。

 残業を正社員に任せ、表通りへ出ると、

「よっ、ヒサシ、お疲れちゃん!」

 何時の間にかス~ッと……藤巻が背後に立ち、尚の肩を叩く。

 今日の彼は御機嫌だ。

 年上の彼女が仲間に加わったばかりで、その肩を抱き、仲の良さを見せつけてくる。

「平田君、私の後始末、ちゃんとやっといてくれた?」

 ビジネス用の優美な笑みで、彼女が尚へ問いかけた。

「はい、木谷さんが教えてくれた社内のパスワードを使い、業務用のLINEに、依願退職する旨を書き込んでおきました」

 亜津子は満足げに肯き、藤巻に身を寄せてキスをねだる。

 人前だろうと、もう誰にも気を使う必要は無い。
 
 どうせ死霊は誰にも見えはしない。

 全ての柵から解放された喜びを、今、彼女は堪能していた。尚に憑りついていれば、地縛霊の限界から逃れ、一晩中、何処ででも遊べる。

 どうせ死霊は誰にも咎められない。

 あぁ、何と言う解放感……





「さぁ、行こうぜ。仲間が待ってる」

 藤巻に急かされ、進む先にいつもの悪友が屯していた。

 最初のメンバー、中学のいじめっ子がニッと歯をむき出して笑う。

 札付きの不良だった彼を含め、行方不明になろうとも、ろくすっぽ探して貰えない奴ばかりだ。

 それもその筈。獲物には家族と縁遠いか、見放された人間を主に選び、捜索の危険を減らしてきた。

 その過程で社会から孤立している寂しい魂がどれほど多いか、改めて感じる。

 でも、大丈夫。

 これからどれだけ「仲間」が増えようと、心に巣食う闇で紡がれる絆が傷つく恐れは無いだろう。

「で、次は誰を狙うの? どんな人をあの場所へ?」

 繁華街に向う道すがら、藤巻に甘えながら、亜津子が訊ねた。

 尚は首を傾げる。

 いつも仲間が望むまま、気乗りしないプランに付き合ってきたが、これから先はそうもいかない。





 藤巻君のゴリ押しで客の女へトライしてみたけど、チクられちゃったしな。
 
 やっぱ、店じゃ揉めたくない。
 
 拉致してあのコンテナへ連れ込む手間もあるんだ。今度こそ慎重に計画を立て、確実に息の根を止めないと……





「別に慌てる必要ねぇさ、この世で一番正しい方法で決めれば良い」

 藤巻の言葉に尚は小さく肯いた。

 それが彼と死者達による多数決であるのは、今更、言うまでも無い事だった。
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