朱に交われば

ちみあくた

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 一週間後、尚が登録している派遣会社ピポラ・スタッフの営業主任・木谷亜津子は、彼を千葉駅近くの本社へ呼び出した。
 
「え~、仕事の入り、今日は午後からね?」

 間仕切りで囲った一画のソファに座り、尚は「はい」と頷く。

「面倒に思うでしょうけど、面談はすぐ終わりますから」

 亜津子はビジネス仕様の優美な笑みを浮かべた。





 同業の内でも零細なピポラは、本社と言えど、古い雑居ビルに狭い事務所を構えているだけ。

 登録者の心身を見定め、離職を防ぐのは営業の重要な職分だが、同時に派遣先のクレームまで処理しなければならない。





「平田君、毎日、楽しく働けてる? 体の具合が悪いなんて事、ありませんか?」

「大丈夫です」

「職場での不満は? もし何か報告したい事が有るなら」

「……はい、あの……大丈夫」

 とても素直な反面、何を聞いても淡々と、同じ返事が返ってくる。

「平田君、実はね。定期面談だけが、来て貰った理由じゃないの」

 一呼吸おいて溜めを作り、亜津子は本題を切り出した。

「アーバンエステイト西船橋店から調査依頼が来ています。ウチで派遣した者の内、誰か個人情報を外へ漏らしていないか、と」

 尚は微かに頬を強張らせ、俯いた。

「お店の窓口へ来た客に、変なメールが届いたらしいわ」

「変って、どんな?」

「食事につきあえとか、土日に会おうとか、女性を口説く内容だそうです。携帯に表示された相手の名はK・F」

 尚はイニシャルを何度か繰り返し、神経質に髪の毛を指先でかき回した。

「心当たり、ある?」

「……いえ」

 その後はダンマリだが、本当の所、訊ねた亜津子の方に確かな心当たりがある。

「もしかして藤巻勝弘君じゃない?」

 尚は俯いたまま、顔を上げない。

「あなたと彼は同時期にウチへ登録してる。仲が良くて、仕事が終わると良く一緒に遊ぶって聞いたわ」

「聞いた? 藤巻君から?」

「彼とは他の人より沢山面談してる。何せ、かなりのトラブルメーカーだもの」

「……なるほど」

「要領が良くて派遣先の受けは良いのに、悪い噂も絶えない人。あなた、無断欠勤を何度か尻拭いしてるでしょ?」

「……はい」

「以前、彼も西船橋へ派遣されて、正社員と揉め、すぐ辞めてる」

「嫌がらせの為、顧客データを悪用したと言うんですか?」

「今だって仕事を放り出し、二週間も雲隠れしてるしね。藤巻君が何処へ消えたにせよ、いい加減迷惑してます」

 尚は納得した様子で頷く。





 でも、藤巻に関する事情の全てを亜津子が明かした訳では無い。彼女には彼女なりに、口外できない「大人の事情」があるのだ。

 例えば、問題児の派遣社員と面談中、巧みに口説かれた昼下がり、とか……

 心の隙間を見透かされ、いきなり抱き寄せられた一夜、とか……

 逢瀬を重ね、一緒に迎える朝の充実感、とか……

 どれも他愛無い秘め事の記憶。

 若い男の側からすれば、都合の良いセフレかもしれないが、

 出来の悪い子ほど可愛いものよ。このまま終わりにされちゃたまンない。

 そんな心の声を亜津子は噛み殺した。

 藤巻への憤りと、裏腹の恋慕をおくびにも出さず、業務用スマイルで面談を続ける。





「君、被害者なんでしょ? 彼に脅され、情報を持ち出したんじゃない?」

「……いえ」

「朱に交われば赤くなると言ってね」

「はい?」

「本来、善良な精神が悪い環境へ染まり、他の邪な心に影響された結果、変質していく事例は多いわ」

「……そういう事なら、少し分かる気がします」

「分ってるなら、話が早い!」

 バンとテーブルを叩く。
 
 経験上、一丁かますのが、この手の若者には効果的な筈だ。
 
「君の現状を教えて! 藤巻君の居場所も知りたい! ね、悪い様にしないから」

 激しさから一転、最後は優しく、猫なで声で落しに掛かる。

 これまで何度も厄介な契約者を制したチェックメイトの手管だが、

「……大丈夫です」

「はぁ!?」

「僕、大丈夫」

「あのさぁ、君、大丈夫って何!?」

「あの……色々と」

「色々って何!? あなたが無実って事? それとも、ばれないと思ってる?」

 段々、亜津子はキレてきた。

 甘い顔をして見せた分、淡々といなす尚の口調が鼻につく。

「正直に話しなさい! 先方の店長はまだ正社員も疑ってるの。今なら事を荒立てず、処理できるかもしれない」

「あの……ホント、大丈夫なんで……」

 う~、暖簾に腕押しって、こんな感じかしら?

 奮闘虚しく、全て空振り。いくら亜津子が苛立とうと、尚の出勤時間が迫れば、面談を打ち切るより他に無い。
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