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16 「棉作部隊」の記憶(後)

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 明くる一九四四年、昭和一九年、ルソン島での棉作は将来性がないと判断され、ブラカン支部は大幅に縮小となり、フィリピン南部のミンダナオ島での栽培に希望が託された。マニラ支店も業務が縮小され、ミンダナオ島のコロダナル支部を開設するのに合わせ、篠原青年の叔父は要員として現地に派遣されることが決まった。一〇〇以上の言語があり、一つ山を越えれば方言が著しく異なると言われるフィリピンで、タガログ族出身のグリセリアがミンダナオ島のマラナオ語やマギンダナオ語などを通訳できるはずはなく、会社としては長期のいとまを出すことになった。グリセリアは、マニラ近郊の実家に帰って行った。
 篠原青年は、ミンダナオ島に旅立つ叔父から出発の前日まで内地への帰還を勧められた。が、当時、「軍国青年」だった篠原五郎は、これを強く拒絶。マニラ近郊南方のニコラス飛行場で滑走路を整備する土木工事の勤労奉仕に励む道を選んだ。
 明けて一九四五年、昭和二〇年二月初旬の昼下がり、国民服姿の篠原青年が、滑走路に落ちている石や木の枝を片付けて載せた手押し車を飛行場の外れに押して行った時のことだ。石捨て場で手押し車を傾けて、石や枝を捨てていると、近くの地面を一つ、二つ、そして三つと、小石が飛行場の敷地の外側から転がって来る。
 篠原青年が石の転がって来る方向を見やると、有刺鉄線の外に立つアカシアの木陰に隠れて、こちらをうかがっている者がある。グリセリアだった。紡績会社のマニラ支店に行って問い合わせ、ここにいることを教えてもらったという。
 グリセリアは、薄汚いワンピースを身に着け、墨で顔を浅黒く塗って醜く見せかけていた。どうしたか尋ねると、妹の一人がこの飛行場から北方のマニラ中心部のフィリピン総合病院にマラリアで入院しているが、容体(ようだい)が快方に向かい、近く市街地が日米の決戦場になりそうなので、背負ってでも、この飛行場から東方にある近隣の実家に連れて帰りたいので、一緒に来てほしい、という。このところ、そして以前からも、日本兵たちによる若い女性の拉致・強姦、婦女暴行の噂が絶えないので、こうして醜い化粧をして来たという。篠原青年が一緒ならば、検問所で日本兵に拘束されることはないだろう、という。グリセリアは、日本人のようにお辞儀をしながら、紡績会社のお給金と見舞金のお陰で、妹が病院に入院できた、とお礼を言い添えた。
 篠原青年は、紡績会社の臨時従業員から外され、学生の身分に戻っていたため、まだ正式な召集を受けておらず、数日後には決められる現地召集組の臨時歩兵大隊のいずれにも配属されていなかったので、今日の勤労奉仕を終えれば、外出が何とか可能だとグリセリアに伝え、今いる樹の下で待つように言った。
 夕方、約束の樹の下でグリセリアと落ち合った。グリセリアは、国民服から普段着に着替えた篠原青年の姿を認めると、相変わらず薄汚いワンピース姿だが、もう大丈夫と思ったのか、布切れで顔を拭いて、以前のように生気あふれる笑顔を見せた。
 飛行場からフィリピン総合病院までの距離は、カレッサ(馬車)なら約三〇分なので、グリセリアの妹を退院させて彼女たちの実家に届けるまでに一時間半も見ればよい。
 北側から通りかかった空きのカレッサの御者(ぎょしゃ)と交渉すると、マニラ北部の焼け跡や市街地の火災、交戦地帯の脇を通り抜けてきて御者自身が自宅に逃げる最中なのと、時間が経つほど本格的な戦闘に巻き込まれる危険が増すので、北上する往路に二倍の料金、復路には三倍の料金がほしい、という。
 篠原青年は、解雇から間もなく現金を使い果たしている。グリセリアが、もはや無価値と化していた日本の軍票ではなく、こんなこともあろうかと用意してきた、なけなしの戦前の実物のペソ札を、まず往路分として数枚渡した。すると、しばらくペソ札を確かめていた御者は行き先から案じて、家族の治療に使え、と言って、一枚をグリセリアに返した。受け取ったグリセリアは、すぐに右手の人差し指で胸の前で十字を切った。
 しっかりつかまれ、と言うや御者は、二人を乗せた馬車を全速力で飛ばした。検問所の手薄な道順を心得ているらしく、ときどき用もなく小路に曲がり込んだりしたが、日本軍の哨兵に呼び止められることなく、二〇分ほどでフィリピン総合病院の外来患者局の病棟の玄関にたどり着いた。砂袋を積み上げ、有刺鉄線を何重にも張ったバリケードが築かれている。
 グリセリアと篠原青年は、復路の頭金としてペソ札一枚を御者に渡し、バリケードを避けて、閉じられている病院の戸をたたいて内側から開けてもらい、内部に進んだ。
 避難民たちでごった返している入り口近くを通り過ぎ、小走りに進んでいると、ただちに日本兵に呼び止められた。病院は、日本軍の部隊に接収されていたのだ。
 篠原青年は、こちらにいる紡績会社の女性従業員の妹さんの退院に付き添いで来た、と正直に説明する。いぶかしげに二人を交互ににらみ付ける哨兵に、グリセリアが紡績会社で仕込まれた丁寧なお辞儀をして、会社の身分証明証を哨兵に差し出した。長期休暇扱いだったので、会社の身分証明証を返却せずに持っていたのだ。哨兵は、初めは半信半疑だったが、記載された会社名が実在の社名で、顔写真とグリセリアの顔が一致したので、行って良い、と身振りで示した。
 一刻の猶予もならない。一階に戦災孤児たちが保護されて集まっている一郭があって、何も手助けできずに心が痛んだが、グリセリアの妹が入院しているという上層の階へと向かう。階段や廊下にも、住民たちが大勢避難していて、家族で身を寄せ合っている。
 階を登るにつれて窓からの眺望が良くなる。西方のマニラ湾に浮かぶ夕陽が、このあとの人々の運命を暗示するかのように、深い赤みを帯びて空を染めている。
 北から遠雷のような響きが伝わってきた。病院の窓から覗き見ると、市街地の中心を東から西にマニラ湾に向かって流れるパシグ川の辺りから、朦々(もうもう)たる煙が上がっている。ここ数日のように日本軍が橋を爆破して落としたな、あるいはアメリカ軍に使わせないため軍需物資を集積していた倉庫にガソリンを撒(ま)いて放火したか、と篠原青年は思った。周囲を覗き見れば、市街地の至る所から、炎や煙が立ち上っている。グリセリアの実家は病院から南東方向なので、そこに立ち寄るのに今のところ支障はないが、事態は北から切迫してきており、先を急ぐ必要がありそうだ。
 あと一階上がれば目的の階に着く、というところで、「妹はすぐ上よ」と嬉しそうな表情を浮かべたグリセリアが階段を駆け登っていく。このとき、篠原青年は、長い笛のような聞き慣れない音を耳にした。嫌な予感がして、グリセリアを呼び止めたが、数週間ぶりに妹に会える嬉しさで、グリセリアはそのまま階段を登り切り、廊下へと曲がって進んで行って姿が見えなくなった。
 異変は、この時に起きた。
 グリセリアが上がった階の病室に砲弾が突入して炸裂する大轟音が響いた。すぐ下の階段にいる篠原青年にも、階段の曲りで勢いが弱められているものの、瓦礫や噴煙、砲弾の細かい無数の破片が降り注ぐ。火薬のにおいが鼻を突く。砲弾の破片で人を殺傷する榴弾(りゅうだん)砲だろうと思った。こんな物量を発揮できるのは、米軍以外に考えられない。
 助けに行かなくては、「グリセリア!」と名を呼びながら、階段を一歩上がろうとした瞬間、またも砲弾が同じ階に飛び込んで来て、大音響と激震を伴って炸裂した。篠原青年は、思わず反射的に背中を向けたが、腰の辺りに大きな硬い塊がぶつかるのを感じ、あまりの激痛で気を失ってしまった……。

 篠原老人は、目を見開くと、一度、深く息を吸い込んで、さらに言葉を継いだ。
 「あれ以来、グリセリアとも、ミンダナオ島に渡って行った叔父貴(おじき)とも会えていない。
 幸か不幸か、けがをしたのが病院だったでの。異状に気付いた看護婦たちがわしを見つけ出し、介抱してくれた。地元住民の患者たちもそうじゃったが、まともな治療には薬品が不足してての。腰の打撲と裂傷の初期治療の悪さで、米軍に病院を接収されてからも、ベッドから起き上がれんかった。意識が戻る前からずっと献身的に面倒を看てくれたのが、当時、日本赤十字から派遣されていた、のちにわしの伴侶となる、サナエじゃった。そう、ナオミ、お前のグランマ(お婆ちゃん)じゃ。三年前、お前はあれの葬儀に参列してくれたのう…。
 戦後、わしはフィリピンでやり掛けた繊維の事業で人々に尽くそうと思い、サナエと手を取り合い、グリセリアの言葉も胸に、東京で身を粉にして働いた。数年で事業は軌道に乗ったが、その理由はひとえに、朝鮮戦争による特需じゃった。
 わしは、自分の娘、セリ、グリセリアから二文字もらったのじゃが、アメリカ人男性に嫁いだお前のママ(母さん)じゃ――に不自由な思いをさせずに育てられる幸運をありがたいと思いながらも、朝鮮半島でもグリセリアのような悲劇に遭っている人が大勢いるんじゃなかろうかと思うと、心が痛んでの。いつか自分の財産を、グリセリアとの約束通り、植物と人間の良い関係に役立つ事業に寄付しようと決めておった。何しろ、故郷・長崎の被曝地では、百年は草木が生えん、という話もあったが、数カ月で大クスに新芽が戻って来た。植物には、計り知れない力があると確信したのじゃ。
 そして三〇年ほど前、『植物可能性研究センター』の構想を抱く草野くんと出逢い、運命が定まったのじゃ」

 夕闇が迫り、篠原老人のところにだけスポットライトが当たっていたが、照明係がそろそろ頃合いだろうと見て、講堂内の天井の照明を点灯させる。ガラス張りの壁面に蛾などの昆虫が引き寄せられないよう、緑色の布のカーテンがスタッフたちの手で引かれた。
 ナオミが着席してしまっているので、たまたまハンドマイクを持っていた女性スタッフが機転を利かせて、「シノハラ名誉所長、貴重なお話をありがとうございました。質問がある方は、いますか」と進行をつないだ。
 尊敬すべき名誉所長の重い個人的な体験を初めて聞いた研究員たちは、質問を考え付くどころか、深く感じ入り、沈黙で答えるよりなかった。
 「グランパ、ありがとう」というナオミの声が講堂内に静かに響いた。
 ここで、静かに右手を挙げる者がある。遥樹だ。スタッフの女性が、小走りに近づいて、ハンドマイクを渡す。
 「篠原名誉所長、ありがとうございました。大きな力に翻弄されているのは、僕ばかりだと思っていましたが、七〇年以上も前には、日本の内外で多くの人たちがさまざまな思惑に巻き込まれて、命までを落としていたのですね。僕の経験など、甘いものだと感じました。植物を扱う研究者の拠って立つべき位地についても、ご示唆をくださいました」
 遥樹は、篠原老人に深くお辞儀をした。次いで、草野勤所長のほうに向き直った。
 「草野所長の口癖は、『都市は森の中に、森は都市の中に』だとお聞きしました。この植物可能性研究センターの構想の中核をなす考え方なのだと思います。どのようなお考えなのか、お聞かせください」
 遥樹が、ちらっとラウラのほうを見る。頬を手でぬぐっていたラウラが、うん、というようにうなずく。
 草野所長が「私は今日は話をする役目ではないので…」と逡巡(しゅんじゅん)する態度を見て、ナオミが気を取り直してステージに上がり、車椅子の篠原老人の脇にしゃがんで一言何か伝えると、演台に近づいてマイクで「今日は新入りの研究員たちも数多く来ています。ぜひ、お願いします。ですが、このあと海外プロジェクト・コンペティションの進行もありますので簡潔に」と所長に促した。
 篠原老人も、「草野くん、君だって老い先が長いとは限らんぞ!」と強い口調で促し、マイケルがこれを通訳して、講堂内のそこここに笑いを誘った。
 「それでは、短めに」と草野所長は言って立ち上がり、演台に進んだ。ナオミがステージ右の椅子に下がる。草野所長が演台の両脇に両手を突く。水差しの水をコップに注いでひと口を飲み下すと、いつもの姿勢で話し出す。
 「私と篠原さんとは、長い付き合いです。この研究センターの理念は、先ほどのお話の中でエッセンスは示されていると思います。国策や軍事目的を優先した植物の品種開発・普及ではなく、民衆を無視した農業でもなく、こうした過去の過ちの反省に立った植物と人間との関わり方に向かう模索の取り組み、と集約できます。
 人類の発祥の地は、アフリカ大陸の森林地帯ですが、森で生まれた人類は、森に還るべきだ、というのが私の持論です。細かくは省きますが、人類は自然災害を憎むがゆえに、長い歴史のなかで、自然を克服すべき敵として相対してきました。農作物の収量の増大に向けた過剰な取り組みも、そうです。飢餓の回避という好ましい側面ばかりだとは言えません。
 篠原さんは、軍の意向によって、戦時中に棉作で失敗をされてますが、私は戦後十数年後のいわゆる『緑の革命』で栄光と挫折を経験しています。稲の収量の増大は、目覚ましいものがありましたが、その半面では灌漑(かんがい)施設の普及と多くの肥料の投入が必要となり、開発途上国の農民に多大な出費を押し付けることになりました。インドでは、このために困窮した農民に餓死者が出たと言われています。
 人類による究極の自然破壊は、人類の揺りかごだった森林の破壊だと私は思っています。天候の変動という要素もありますが、ピラミッド建設の石材運びに使う、ころ用に多くの森林を伐採したエジプト文明も、巨人モアイ像の建造で同じことをしたイースター島の文明も、巨大な神殿や船などの建材を採るためチグリス・ユーフラテス両河川流域の森林を伐り尽くしたメソポタミア文明も、皆、すべて滅んでいきました。
 ロックフェラー財団が推進していたフィリピンの国際稲研究所IRRIに勤務して、『IR―8』という高収性品種の開発・普及に携わりながら、インド農民の餓死事件を報道で知り、植物と文明のあり方を私なりに考え直し、新たな研究施設を立ち上げようという構想を温めていました。そこへ篠原さんが、休暇を利用して寄付先探しの視察に海外を回られていて、国際稲研究所を見学に訪問され、私と出会うことになったのです。新たな研究施設の構想のコンセプトとして、植物の成長力強化による人間文明との勢力均衡、つまり、『都市は森の中に、森は都市の中に』というテーマを私が提示しました。
 大体こんなところですが、ベテランの研究者の皆さんには聞き飽きた話だと思うので、ここでやめにしますが、新人のかたがたには、以上で、わかってもらえたかな」
 講堂内でまばらに起き始めた拍手が、次第に大きな波のようになって鳴り響いた。
 遥樹がハンドマイクを通じて、「十分にわかりました。僕も草野所長のように広い視野を持って、研究活動に取り組みます」と答えると、草野所長と遥樹を祝福するように、包み込むような拍手が鳴り続けた。
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