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7 絶海孤島の銃撃(後)

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 マイケル青年のトランシーバーが鳴った。篠原老人からのようだ。「Hello!〈ハロー!〉」(はい!)  勢い良く応答したマイケル青年だったが、すぐに声を落とし、姿勢も低くし、鷹田教授にも頭を低くするように、身振りで示した。ロープで傾けたフタバナヒルギの豊かな枝葉の間に、三人は潜り込んだ。
 「何が起きてる」 鷹田教授が小声で尋ねると、マイケル青年が「Law voice〈ロー・ボイス〉」(小さな声で)と言ってトランシーバーを鷹田に渡した。篠原老人の声が聞こえる。
 「鷹田くんか。小型の、おそらく無人タイプじゃろうが、ヘリコプターが北小島に接近しとる。有人なら、こちらの飛行艇に気付いてもおかしくないが、一切、関心を示さん。GPS誘導で北小島にピンポイントで飛んで来たんじゃろう。何とか、ヘリに見つからんようにして、飛行艇に戻るのじゃ」
 「来てるのは、無人ヘリだけではありません。何者かが糸鋸(いとのこ)でフタバナヒルギの枝を切っている音が聞こえます。飛行艇からは反対側なので、そちらからは見えないでしょうが…」
 ここで、さらに信じがたい事態が生じた。操縦席の窓がない全長七メートルほどの白い機体の無人ヘリは、下部から突き出た機関銃から、円形コンクリート・ブロックの淵に並ぶフタバナヒルギの茂みに向かって、断続的に、一周するように発砲を始めたのだ。糸鋸の使い手を援護するかのようだ。
 「ほ、本気か?! 民間人だぞ、われわれは。しかも、戦争放棄の憲法を世界に誇るニッポン人だぞ」 鷹田教授がうなる。遥樹も、すっかり自己を取り戻し、むしろ意気が昂(こう)じる具合になっている。
 「先生、無人機ならば、これはあらかじめプログラムされた機械的な発砲です。ですが、遠隔操作でオペレーターがカメラ映像を見ているなら、最後に、この横たわった樹にも撃って来るでしょう。それまでに、何とかしなければ…」
 無人ヘリは、糸鋸の使い手がいる辺りを除いてフタバナヒルギの根元を射撃しながら、北小島の円形コンクリート・ブロックの周囲を一周すると、倒れたフタバナヒルギに反応し、根元の直上一五メートルほどでホバリング態勢に移った。根元を確認するかのように、高度を五メートルほど下げた。機体の上部で回転するプロペラが両脇のフタバナヒルギの梢(こずえ)に接しかねないほどの低さだ。機種の下部から突き出たポッドが回転しており、カメラが前後左右を盛んに撮影している様子がはっきりと見える。
 無人攻撃ヘリは、機体の軸線を、まさに倒れたフタバナヒルギの幹に合わせようと、機体の向きの修正に入った。マイケル青年がホルスターから拳銃を抜いて、枝葉の陰から無人ヘリを狙っている。無人とはいえ、装甲の厚い軍用ヘリを拳銃で撃って、落とせるとは考えにくい。
 するとマイケル青年は、何かに打たれたように顔を上げると、横倒しになっているフタバナヒルギの枝葉の下を幹の梢のほう、北小島の中央に向かって、腰を低くしたまま駆け出した。
 「そうか、いいぞ、マイケルくん!」 鷹田教授がマイケル青年の背後から呼びかける。
 無人武装ヘリの機首下部のポッドが目まぐるしく動き、梢の先に飛び出したマイケル青年の背中を照準に収めるころには、マイケル青年の右手が北小島のチタン製のふたの網に結び付けてある縄に届いていた。引き止め結びだから、結び目から出た縄の端を引いた途端に、縄が解けた。
 横倒しになっていたフタバナヒルギの幹が、しなった鞭(むち)のように勢い良く無人武装ヘリのほうに向かって立ち上がっていく。孟宗竹(もうそうちく)の遺伝子を組み込んでスーパー・プラント化した特殊なフタバナヒルギだけに、竹のように強くしなる。幹の上部が、鞭のように無人武装ヘリの機首の下部を直撃した。発砲が開始されたが、機首が上向き、左右に振れ、弾道が円形コンクリート・ブロックの周囲方向に逸れる。かえって、糸鋸の使い手のいる場所にも着弾している。
 幹が立ち上がった勢いで鷹田教授が結び付けた縄も宙を舞っており、無人武装ヘリの上からプロペラにかぶさっていく。縄は、回転するプロペラのローター軸に近い箇所に引っかかり、巻き込まれていく。悲しげな金属音に続いて、プロペラの回転数が急激に少なくなっていくのが見て取れる。ついに無人武装ヘリはプロペラの回転を停止し、金属製の消波ブロックの連なりの上に墜落し、金属的な破裂音を大きく響かせた。
 「おお――っ!  樹が、武器に勝ったっ!」
 「I made it!〈アイ・メイディット!〉」(やったぞ!) 
 「専守防衛を思い知ったか! 集団的自衛権なんか、関係ねえ!」
 三人がそれぞれ感情を爆発させている。時に三人は、フタバナヒルギの枝葉による覆いを失っており、はたとわれに返った。丸見えだ。糸鋸の使い手は武装しているのではないか? 今度こそ、撃たれる?
 恐るおそる、三人が糸鋸の音の聞こえていた方向に顔を向ける。
 一〇メートルほどに育ったフタバナヒルギのうち一本、そのタコ足状の根元に、体格ががっしりした長身のウェットスーツ姿の男が、枝の一本に黒い紐のようなものを引っ掛け、片方の端を右手、もう片方を左手で握り締めた状態で立ち尽くしている。紐(ひも)のようなものは、両端がグリップになっている金属製のチェーン型の糸鋸で、アメリカ軍が野戦でよく使う携帯用のチェーンソーだった。
 度胸一発、マイケル青年が、やあ、といった雰囲気で、右手を振る。無人武装ヘリを撃墜しておいて、やあ、もへったくれもない。
 よく観察すると、男は右目に黒いアイパッチを着けており、ウェットスーツから唯一のぞける目の周囲の皮膚は、日焼けした黄色人種のものだ。目つきは当然のごとく、にこりともしない。
 だが、驚いたのは、ウェットスーツ姿の男も同じだ。無人のはずの北小島に、いきなり三人の男が現れた。無人武装ヘリを迎撃するために、巧みに罠(わな)まで用意していた。さっき足元に着弾した銃撃は、無人武装ヘリからの流れ弾だったかもしれないが、正確にこちらの場所を察知して三人のうちの誰かが撃ち込んできたものかもしれない。しかも、こちらを恐れている気配が薄い。無人武装ヘリを落とした直後の彼らの反応は、およそ軍人らしくないが…
 危険だ。
 ウェットスーツ姿の屈強な男は、すでに切り取ったタコ足状の支柱根の一部と胎生種子から伸びた茎の一部を束ねて背中に袈裟(けさ)懸(が)けに括り付けると、腰のベルトのポーチに携帯用チェーンソーを収め、額まで上げていた水中ゴーグルを下げて両目を覆い、シュノーケルを口にくわえた。アルファベットのKの文字を大きくして銃身を長くしたような形の黒いカービン銃「コルトM4A1」を左腕で軽々と抱え、躊躇(ちゅうちょ)なく後ろを振り向いた。体のバランスを崩すことなく、消波ブロックの連なりを乗り越えていく。間もなく海中に姿を消し去った。
 「Maybe, Navy Seals〈メイビー・ネイビー・シールズ〉. It's cool!〈イッツ・クール!〉」(きっと、米海軍の特殊部隊シールズだ。かっこいいぜ!)  のんきにマイケル青年が感じ入っている。鷹田教授は、急に緊張がほぐれて、放心気味だ。遥樹は、コンクリートの上に片ひざを突き、両手を地面に着けた姿勢のまま動けない。
 「熱ちちっ」 遥樹は、またもコンクリートからの熱を感じて、今度は手からだが、正気を取り戻した。
 フタバナヒルギの枝葉がざわざわと音を立て始めた。南風だ。鷹田教授が持っているトランシーバーが鳴った。
 「鷹田くん、派手にやったようじゃが、何をしとる。台風が近い。長居(ながい)は無用じゃ。早く戻ってこい」
 鷹田教授は、篠原老人から連絡があったことを伝え、マイケル青年と遥樹を促して、救命ゴムボートに乗り込んだ。マイケル青年の操舵で飛行艇ボンバルディアCL―415に乗り付け、鷹田教授、遥樹、マイケル青年の順に搭乗する。マイケル青年は、手際良く救命ゴムボートを機内に回収すると、急いで操縦席に座り、素早く安全ベルトを締めると、エンジンを始動した。
 「篠原さん、お陰で見つかりました。彼が私の教え子の楠木(くすのき)くんです」
 マイケル青年の右隣の助手席に着いた鷹田教授が、すぐ左後ろの篠原老人を振り返って、老人の脇に立っている遥樹を紹介した。遥樹が頭を下げる。
 「初めまして。僕が楠木遥樹です。ご迷惑をおかけしています」
 老人が目を細めて、ひざの間に立てた杖の上に両手を置いた先ほどの姿勢のまま、斜め下から遥樹をちらりと見上げる。
 「若いのう。挨拶(あいさつ)はよい、早く座りなさい。いったん、グアムに来るんじゃ。その後のことも考えておる」
 「僕、パスポートを持ってません。これって、この、僕の場合、密出国じゃ…」
 機体はすでに東方の東小島のほうに向きを変えて前進を始め、浮上準備態勢に入っている。
 篠原老人がにんまりと笑う。「ことの成り行きから見て、今は表に出ないほうが得策じゃろ。お前さんは、経緯を知り過ぎておる。当局は、相当お前さんの言動を警戒するはずじゃ。ことによると、〝隔離〟以上の措置も考えられる。漂流していて、偶然、民間機に救出されたことにすれば良いだけのことじゃ。しばらく様子を見るのじゃ」
 鷹田教授も遥樹の顔を見て、うなずいている。
 老人のすべてを見透かしたような説得に、遥樹は老人の右隣の席に座り、安全ベルトを締める。ここまで来れば、俎板(まないた)の上の鯉(こい)だ、と思うのは、わずか二四時間ばかりのうちに二回目だ、と遥樹は思う。
 「マイケル、糸鋸使いの男が特殊部隊員ならば、近くに一味の重武装した攻撃用ボートが来ているはずじゃ。万一の時には、あれを使え」
 どこまで老人は関知しているのだろうか。マイケル青年が左手を上げて親指を立てた。
 飛行艇ボンバルディアCL―415は、一キロメートルほど海上を突き進むと、十分な速度を稼いで、海面から浮かび上がった。東小島を越えて、東西に長く五キロメートル近く広がる環礁の中ほどまで飛行すると、左側の翼から何かが連続して当たる金属的な異音が伝わってきた。
 「環礁の東外れに攻撃ボートが先回りしている! こちらを機関銃で撃っている!」 鷹田教授が叫ぶ。篠原老人が黙想するように目を閉じる。
 「マイケル!」
 マイケル青年が右手で操縦桿をわずかに左に向け、武装ボートの直上へと機体を進めていく。
 「今じゃ!」 老人の掛け声に反応してマイケル青年が左手でレバーを引く。真っ白な煙の滝が火山の噴火を思わせる広がりをもって、武装ボートに向かって落下し、勢い良く、広く覆いかぶさっていく。
 「これは、いったい…」 鷹田教授と遥樹は、言葉を失う。
 「お前さんたちは、知らなかったかな。この飛行艇、ボンバルディアCL四一五番機は、山火事を鎮(しず)めるための消火剤投下専用の飛行艇じゃ。マイケルは、グアムの消防署お抱えのパイロット。マイケル、化学消火剤を混ぜておいたかの」
 マイケル青年が、また左手を上げ、力強く親指を立てる。
 「奴(やっこ)さんたち、今頃は息をするにも、目を開けるにも、ひと苦労しとるじゃろうて」
 機体内部のタンクに取り込んであった六〇〇〇リットル以上の海水を、強力な化学消火剤とともども一気に噴出して捨て去った飛行艇ボンバルディアCL―415は、身軽になって速力を増し、東南方向へと洋上を突き進んでいく。
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