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3 樹木園四代目(前)

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 残暑でセミの鳴き声がかまびすしい纐纈(はなぶさ)樹木園には、いつもののどかな午後とはと違ったあわただしさが漂っていた。入り口を慎重にトラックが後ろ向きに入ってくる。荷台には幾何学的な形状の白い重そうな重量物がいくつも載せられている。それは三本足のタコのようにも見えなくもない。
 「まさか、わしの所にこんな風変わりなものが運ばれてくるとはなぁ。あれは海のもんだろ」 纐纈社長が作務衣(さむえ)姿で腕組みして遠巻きに見ている。纐纈社長の隣には、鷹田教授がラフな私服姿で立っている。
 「防波対策の消波ブロックとマングローブのスーパー・プラント化の組み合わせが功を奏しましたね。研究動機として、防災・減災を訴えたのが最終選考を通過した理由ですよ。東日本大震災以降、災害対策は役所が財務省から予算を引き出しやすい理由づけですから。とっさにしては、遥樹もうまく答えたもんです」
停止したトラックの助手席側から、ヘルメットをかぶった遥樹が降りてくる。
 「あ、先生に親方、待っててくださったんですか」
 「まずは、おめでとう」 初老と中年の男性二人の出迎えと祝福に、遥樹がヘルメットを脱いで頭を下げた。
 「ありがとうございます。親方には、無理にフタバナヒルギを園内に植えさせてもらった上に、接ぎ木や根切りの手入れでお手間をかけました。今度は消波ブロックを一時的に置かせてもらいます。鷹田先生には、引き続き、植物工学や樹木医学について、いろいろ教えてもらうことになります」
 「ここ川口で百年続いている樹木園の三代目社長、造園のプロのわしの手にかかれば、何でもないわい」 纐纈社長が豪快に笑う。
 鷹田教授は、「スーパー・プラント化技術は、生命工学を活用した最先端の技術だが、環境への影響との兼ね合いで、まだ社会的に市民権を得ているとは言えない。私の関心は、人間が変えた環境の中にあって弱体化した植物の、生命力の再生という、樹木医学からのスーパー・プラント化技術研究だが、遥樹にはこれまで教えられるものはすべて教えてきたつもりだ。一日も早く一人前の研究者に育ってほしい」と指導教官らしい言葉を贈った。
 「…と言う割には、面接では僕の弱点を存分に突いてきましたね」と遥樹が言いつつ、ヘルメットを小脇に抱えた。
 「身内だからって、依怙贔屓(えこひいき)はできないさ。あと、お前には、緊張感が足りない。遥樹の前にツバル出身のフォウ・イエレミアさんが面接を受けたろう」
 「ああ、黒髪の長い、肌が日焼けした、あの若い女性ですか」 遥樹は、フォウが待ち時間にうつむき加減だったこと、退室ぎわにやや挑戦的とも受け取れる言葉を投げかけてきたことを思い出した。鷹田教授が続ける。
 「あの人はな、ツバルの環境保護リーダーでな。子供の時分に、津波のような高波でご両親を亡くしている。カナダ人の養父母に育ててもらいながら、ツバルのために募金活動をしたり、ツバルの状況をカナダに伝えたりして、その一方では、日本の科学技術に期待感を持って日本語を勉強しながら高校時代を過ごし、大学進学とともに交換留学で日本の大学に入学したんだ」
 「そんなことが…」 遥樹も、纐纈社長もつぶやく。
 「当然、今回、農水省の研究プロジェクト助成制度に応募した案件は、地球温暖化の抑制に関するものでな…。もう選考も終わったことだから、内々なら言ってもいいだろう。海水による二酸化炭素吸収を促進するための、海洋性植物プランクトンの成長促進技術、さらに浅瀬の海で高波を軽減するための防波堤としてのサンゴの成長促進技術の研究だ」
 「成長促進技術…。遥樹くんの研究と似ているな」 纐纈社長が分厚い右手で自分のあごをしごいた。
 「それで、彼女の選考結果は」 遥樹が待ちきれないというように尋ねた。
 「不採択だった」 鷹田教授がきっぱり言う。
 「そんな…」
  遥樹はフォウを自分の足で踏みにじった感覚にとらわれた。
 「俺としては、お前を贔屓しなかったし、フォウさんの研究案件も推したのだがな。ほかの面接担当委員が言うには、バイオ技術で改変した植物性プランクトンが自然界に放出された場合、微小すぎて捕まえられないだろう。サンゴの幼生の場合も同じことが言える。一方、マングローブの胎生種子はドでかいからな。万が一、変な場所に胎生種子が流れ着いて、あっという間に生長したとしても、伐採してしまえば一件落着だ。それに…」
 鷹田教授が、樹木園の奥に入って停車して、荷台に備え付けの小型クレーンで消波ブロックを降ろし始めたトラックのほうを指さした。「あれって、安いんだろ?」
遥樹は、はっとした。そこが、いざという場合の切り札だったのだ。
 「わしは詳しくないが、何とかブロック、っていうのは、いくらなんだ」 纐纈社長が興味を示した。遥樹が答える。
 「消波ブロックというのは、出来合いの製品で売られているんじゃないんです。金属製の型枠が元会社から貸し出されるんですが、この賃貸料が〇・五トンサイズのものなら、一個につき二カ月二千数百円ほどです。流し込むコンクリート代を入れても一個五〇〇〇円ちょいです。作れば作るほど、一個当たりの値段は三〇〇〇円ぐらいに近づきます。今回、僕が型枠を借りて、友人の親父さんが土建会社の社長をやっているんで、友人から頼んで、作ってもらったんですよ」
 「それが何個?」と纐纈親方。「とりあえず、一〇個です」
 「なるほど。それなら、遥樹くんの親御さんからの仕送りからやりくりすれば、済むんじゃないの」
 「ええ。ええ、そうですが、消波ブロックのどこに穴を開けて、マングローブの胎生種子を設置すればいいか、について実地に研究しますし、実際に防波堤の実験をするのだとすると、数百個は要りますし、場合によっては海岸を有料で借りることになりますし、遺伝子操作実験には大金がかかりますし…」
 「まあ、フォウさんの分まで頑張るしかないんじゃないかね」 纐纈社長が遥樹の肩をたたいた。と、すぐに全体が温室になっている透明アクリル樹脂張りの建物に向かって歩き出しながら、「まあ、二人ともわしの樹木園にせっかく来たんだから、わしが手塩に掛けて育てた見事な盆栽や、倅があちこちから見つけてきた珍しい植物でも見て、気分転換してくれ。その後で、とにかく祝いごとなんだから、冷えたビールで乾杯でも上げようや。お客の庭の剪定に出ている従業員連中も、そろそろ戻って来る頃だろ」と二人を促した。
 「おっと、忘れてた。今、何とかブロックを降ろしてる兄ちゃんにも、後で一杯付き合ってもらわんとな」
 「親方、それはだめです。飲酒運転で捕まります」 遥樹は、運転手が消波ブロックの型枠をトラックで貸し元の会社に戻しに行くことをあわてて説明した。

 それから一カ月ほどは、遥樹は、消波ブロックにマングローブの胎生種子を取り付ける方法を工夫したり、スーパー・プラント化したマングローブを防波堤に応用する実験のために海岸を一定期間提供してくれそうな自治体や企業を探し出して交渉したり、纐纈樹木園で十分に生長したフタバナヒルギから胎生種子を収穫したり、その胎生種子の性質を確認した上で日陰の場所に慎重に保存したりと忙しかった。
 担当教授の鷹田大(だい)は、日米に研究室を抱える気鋭の研究者で、この間に渡米することもあった。遥樹は鷹田の助手として、留守中の鷹田に代わって、東北地方の大学内に鷹田のために臨時に用意された研究室で植物の遺伝子操作実験の進行も手伝うという仕事も加わり、忙しさが普段より倍化したように感じられた。
 国からの補助が決まったからには、防潮用の消波ブロックにスーパー・プラント化したフタバナヒルギの胎生種子をうまく取り付け、設置後にはその胎生種子が消波ブロックから自然に外れて、消波ブロックの近くで着床する工夫を、まずは一刻も早く見つける必要があった。
 「遥樹くんよぉ、いつから前衛芸術家になったのかのぉ。まったくの他人がその姿を見たら、生命工学の研究生というより、土木作業員だとでも思うだろうがのぉ」
樹木園を営む植物卸社長の纐纈佐吉が、作務衣姿で腕組みしながら、高さ九〇センチほどの消波ブロックにしがみ付いて電動の静音乾式ドリルで穴を開けている遥樹に、いつものがなり声で話しかけた。遥樹は仙台市に鷹田教授が持つ研究室で植物の遺伝子操作実験を数日こなして一段落付けてから、この川口市内の纐纈樹木園に戻って来ていた。しかし、いざ帰って来てみれば、数日間、残暑に不快さを増すような騒音をたてながら、消波ブロックに電動ドリルを持ってかじり付いているばかりなのだ。しかも、一〇個あった消波ブロックのうち大半は、勝手気ままに、気の向くまま、思い付きで削ったように、ある物は上部にV字型の切り込みが彫られたり、四角い穴が横から開けられたり、ある物は脚部の先端に深い窪みが彫られたり、まったく統一感がなく、てんでに何か所も削り込まれていた。地面にコンクリートの破片がいくつも散乱している。樹木園内で出荷を待つ庭木の手入れに忙しい中高年の職人たちも、遥樹の作業場の脇を、刈り込みバサミを担ぎながら怪訝な面持ちで通り過ぎていく。職人たちのほうは、秋の感謝祭、植木即売会に向けた準備が続いているのだ。
 しゃがみ込んで一個の消波ブロックに電動ドリルで食い付いている遥樹が、しばらくして纐纈親方の呼び声に立ち上がった。ゴーグルとマスクを掛け、そして作業用ジャンパー、ヘルメット姿だ。電源を切った電動ドリルを右手に握り締めている。
 「親方、すみません、ドリルの音で気付きませんでした」 腰ぐらいの高さの消波ブロックの向こうに立っている遥樹が電動ドリルを地面に置き、ヘルメットとゴーグルを外し、軽く頭を下げる。飛び散ったコンクリートの粉でゴーグルの跡が白く残るほど、顔が汚れている。豊かな前髪も粉だらけだ。
 「まるで気鋭の彫刻家か、コンクリート剪定の庭師とでもいった風情だな。どうだ、見通しは付いたのかね?」
纐纈社長が、雑多に並んだ消波ブロックのうち、手近な一つの天辺を手のひらでぽんぽんとたたきながら、遥樹に尋ねた。遥樹は、てんでばらばらの削られ方をしたとしか思えない消波ブロックの間を大股で歩き始める。地面から一本の木の棒を拾い上げると、説明をし始めた。
 「まだ、どれもこれも、試作段階なのですが、例えば、これは;」  消波ブロックの上部の円柱部分を手で指し示しながら、「この側面に縦に溝を一本入れてありますが、ここに胎生種子をはめ込みます」 
遥樹は、縦長の溝に胎生種子に見立てた長さ三〇センチほどの木の棒を立て掛け、左手で押さえている。さらに遥樹は、地面から輪投げ遊びに使うような木製の輪を右手で拾い上げて、説明を続ける。
 「胎生種子が外れないように、この輪を上からはめます」 円柱部分は下に行くほど太くなっているので、輪は胎生種子の長さの中ほどで止まった。
 「この輪には下向きに、細いながらも確かな強度を持った木製の棒を取り付け、さらにこの棒の先には、消波ブロックが海水に接した時に浮上する浮きも取り付けます」 纐纈社長があごに手を当てて聞いている。
 「つまり、消波ブロックを胎生種子の器にしようというのだな? それで?」
 「消波ブロックが海面に着いて波をかぶると、浮きに持ち上げられて、輪が外れます」
 遥樹が輪を手で持ち上げると、微妙なバランスで円柱の溝に収まっていた木の棒が外に倒れ込み、地面に落ちて、乾いた音を立てた。
 「胎生種子が倒れ込むことを考えると、初めから胎生種子をさかさまにセットするほうがいいかもしれません。もっと改良を加えます。あと、消波ブロック一個に胎生種子を1本と限るのは、マングローブ樹種の苗の植栽間隔が一・五メートル四方に一本が適していると言われているからです。あと波にさらわれて沖に流されないように、消波ブロックと胎生種子は一定の長さの紐で命綱のように結ぶ予定です。紐は、マングローブ樹種の生長に合わせ、切れやすい素材を選びます。次に、こちらは…」
 遥樹は、消波ブロックの上部の円柱部分に斜めに貫通する穴を掘り、ここに胎生種子を収納しておいて、海面に着水すると、下の穴を塞ぐふたが浮きの力で開き、胎生種子を海面に滑り落とすタイプや、消波ブロックの三本の脚のうち一本の上面に鉢を掘り込み、ここに胎生種子を仕込んだ紙製のポットをはめ込み、波をかぶるとこのポットが外れて海面に落ちるタイプなど、次々と実演を交えて説明した。
 「どの案も良さそうだが、どれで行くのかのぉ」
 「実地の試験で決めますが、浜によって波の強さや大きさが違うことを考えると、最初に数個だけ置いて、うまく行きそうなタイプに絞るか、リスク分散の考え方で、初めから数種類のタイプを組み合わせて並べる方法でもいいと思っています。同じ浜でも季節や天候で波が変化することを考えれば、初めから組み合わせる方法が良いと個人的には思っています」
 二人が消波ブロックの間で話し込んでいると、樹木園の入り口を少し入った所で、遥樹たちから見て車体を斜めに向けてトラックが停まる気配がした。荷台にはローマ字で「HANABUSA」の文字。一〇トントラックの荷台にブルーシートでぐるぐる巻きにされたビール瓶のような形をした巨大な貨物が横たえられて、何本ものロープで括り付けてあるのが見える。瓶の首に相当する部分はブルーシートから突き出ており、運転席の屋根の上まで飛び出ているので、よく見ると、それが幹の色が黒い樹木で、幹の下部がずんぐりとした太い植物なのだとわかる。
 左手の管理棟の玄関の扉が開くと、三毛、白、黒の三匹の猫がはじかれたように、一匹、また一匹と飛び出した。続いて、事務着姿の小太りの女性が進み出た。纐纈社長の夫人だ。こちらを向いて、手招きしている。
 「あんたぁ、葵(あおい)が帰ってきたよぉ」 纐纈社長が返事の代わりに左手を挙げた。
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