樹上の未来録(樹上都市 ~スーパー・プラントの冒険~改題)

Toshiaki・U

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2 師弟面接の日(後)

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 フォウ・イエレミアが出て行ってから、面接時間いっぱいと言われた一五分から七分余り経過したものの、女性職員が戻ってくる気配がない。先に行ったフォウが面接委員から詳しく話を聞かれるということは、面接委員の多くが強い関心を示しているからなのだろうか、ということは、自分の受かる可能性がそれだけ低くなっているっていうことか、と遥樹が思いめぐらせているうちに、ふいにドアが開いた。
 「お待たせしましたね。楠木遥樹さん。あなたの番です。どうぞ」
 女性職員がドアを開けたまま押さえて、控えている。遥樹は席からあわてて立ち上がると、面接要領や論文原稿などを挟んだバインダーや研究データを保存してあるノート・パソコンを急いで小脇に抱えて、足早にドアに向かう。
 「面接が規定時間を超えるっていうのは、よくあることなんですか?」
遥樹の質問に女性職員が「あまりないですね。時間が来たら、面接担当委員が質問を打ち切りますから」と女性職員は答えながら、遥樹が部屋から出ると、ドアから手を放し、遥樹の少し先を歩いて、面接会場になっている特別会議室に導いていく。遥樹は部屋から出ると、歩調を速める。
 「すると、委員の休憩とか、面接結果の整理とかで、時間が長引いたんですか」と遥樹は尋ねた。女性職員は、「フォウさんは頑張ったんですよ。あんな面接は初めてね」と応じた。遥樹が、えっ、という表情をすると、女性職員が「逆に、面接担当委員たちを一人ひとり質問攻めにして、説得し続けたのよ」と伝えた。遥樹は、軽くうなると、さらに歩調を速める。
 「あわてなくて、いいですよ。時間の余裕はありますから」と女性職員。遥樹は、「今日の面接全体の終了時刻が決まってて、僕の持ち時間が短くなってるってことは、ありません?」と女性職員に訊く。「大丈夫です。あなたにも、規定の時間だけは質疑が行われます」
 女性職員と、これを急かすように大股に歩く遥樹とが、競い合うように、ドアが開け放たれた特別会議室に飛び込む具合になった。
 「失礼します!」 外部から会議の様子が見えないよう、立ててある横広の衝立に遥樹がぶつかりそうになる。雰囲気を察した座長のベテラン教授が、「どうぞ、こちらへ。落ち着いて、面接席にお座りください」と迎えた。そして、衝立から姿を見せた遥樹に、楕円テーブルの、座長と真向かいの位置への着席を促した。

 遥樹は、座るべき座席まで回りながら、面接担当委員の面々の表情を見つつ、目礼しているうちに、その中に大学院で自分を担当する指導教諭の鷹田大(だい)が席に着いているのを認めた。軽くうなずき合う。隣の面接担当委員の男性は、面識のない中年男性だが、やけに親しげににんまりして、こちらを見ている。鷹田に何やら話しかけたので、鷹田の知人だろうと、すぐに知れた。
遥樹は、座長のベテラン教授の正面に位置する、背もたれ付きの座席に近寄り、座長に短くお辞儀して机に書類やパソコンを置く。
 「首都圏大学大学院の楠木遥樹です」と名乗り、直ちに席に着いた。
 「それでは、すぐに始めます」と座長が告げ、面接担当委員たちを見渡した。
 「彼の研究――〝マングローブ種樹木のスーパー・プラント化技術に関する実証研究〟――についても、委員の皆さんはこれまでの書類選考、並びに農水省の事務方から提出されている最近の関連報告を通じ、概略を理解されていることと思います。楠木くんからは、あらためての詳細な説明をここで求めることはしません。最終選考に当たり、必要な最低限の事項について、委員の皆さんから楠木くんに質問なり確認なりをお願いします」
 「座長!」 さっそく手を挙げたのは、さっきにんまりと笑っていた男性の委員だ。
 「仲本委員、どうぞ」 座長が発言を認めた。
 仲本は、新聞記事を左手で上に掲げ、右手の閉じた扇子で指差しながら、
 「楠木くんに、というより農水省の事務方に確認ですが、このマングローブの伸長の長さは、たった一日で、ということですが、本当の、正確な、つまり事実のことですか」
 担当課の男性職員が反応して姿勢を正すと、発言していいものか、と迷ったように座長を見た。座長が応じる。
 「せっかく、楠木くんがここにきています。ご本人から、まず回答を」 座長に促され、遥樹が答える。
 「計測ポールを使いにくい状況でしたので、頂の枝まで登っての簡易なロープを使った計測に加え、樹を降りてから、クリノメーター、つまり傾斜計でも測り直しました」
 「一日で、一メートル。これは、いくら成長が早いマングローブ種――今回の研究の場合は、記事などによると、樹高が最も高くなる樹種のフタバナヒルギだそうですが――だとしても、普通なら一年間はかかる長さのはずですが、事務方、確認はしてますか」
 再度、仲本が尋ねた。座長が担当課の農林水産技術会議の研究推進課の職員を見て、うなずく。男性職員が答える。
 「一メートル伸びた日の前日には当方では実地調査を行っていませんが、提出された生長記録や写真、本日の面接に備えての昨日の現地調査を通じ、ほぼ間違いないと考えられます」
 「前日には、現地で計っていない? 第三者が証明できない?」 仲本がやや落胆した表情で事務方を見返した。
男性職員が、書類を繰りながら説明する。
 「今回の楠木さんの研究には、民間の、纐纈樹木園の纐纈社長さんが協力していて、この方の証言があります。何より、仲本委員に申し上げておかなくてはならないのは、調査が開始された一カ月前には、該当の樹木は長さ六〇センチほどの胎生種子の状態で、地面に植えられたばかりでした。樹木園に出入りする業者や近隣の住民からも、証言があります」
 仲本だけでなく、ほかの面接担当員の数人からも、感嘆の声が漏れた。早くても一年で一メートルほどが生長の長さの限界なはずのマングローブ種の樹木が、たった一日で一年分の生長を遂げていた、というのだ。
 仲本が目を見開いたまま、視線を鷹田教授に向ける。鷹田は、教え子を贔屓(ひいき)するような態度を抑制しようとしているのか、終始、伏せ目がちだ。
環境保護団体代表の女性の面接担当委員が、意を決したような口調で質問を切り出した。
 「生命工学や生物工学には、私は知見が乏しいのですが、もしも可能であれば、素人にも簡単に、今回の実験に用いられた技術について述べてもらえますか」
遥樹は、その女性の面接担当委員と一瞬視線を合わせると、ひと呼吸、深く吸い込み、少し考えた表情になって、ゆっくりと言葉を吐き出す。
 「いま言われた生命工学の範囲に含まれる遺伝子操作。これによってマングローブ樹種の一つであるフタバナヒルギに、皆さんも生長の速さではよくご存じの、竹の遺伝子を組み込みました」
 「た、竹ですか。提出書類に、『孟宗(もうそう)竹(ちく)』とありますね。孟宗竹は、一日に一二〇センチ伸びたという記録もある、とも」
  ここから遥樹は、一気に説明した。
 「竹は、先に生長した生体が、互いに連結し合う根を通じて、竹の子に養分を送り込みます。これをフタバナヒルギに応用しました。今回急速に生長を果たしたフタバナヒルギの数メートル周りには、先に植えた通常の遺伝子のフタバナヒルギが植えてあり、今回実験に使った胎生種子が根を張ってきた段階で、根の連結、接ぎ木を行いました。マングローブの根は地上に飛び出ていますから、これはプロの造園業者に頼めば、比較的簡単な施術でした。そして植物であれば、当然、風雨から受ける揺れ。この振動エネルギーを栄養に転換できるようにする遺伝子操作も、実験対象の胎生種子に組み込んでおきました」
 「胎生種子、というのは、枝から垂れ下がる棒状の大きな種のことですね。一番上から葉が何枚か出てくる… マングローブ保全運動に参加して、東南アジアの砂浜に植えたことがあります。マングローブ林が再生すれば、この提出書類にあなたが書いている通り、地球温暖化を防ぐための二酸化炭素の吸収や、津波の被害を軽減する防潮の役目、食用魚の住処の提供などの効果は見込めるでしょう。しかし、これを遺伝子操作したものを自然界に送り出すとなると… あなたは、カルタヘナ議定書を知っていますか?」
 遥樹は、反射的に「はい」と答えかけたが、言葉を飲み込んだ。もともと技術畑なので、政治的なことには疎いのだ。鷹田教授がむっくりと身を起こした。教えただろう、というように、遥樹をにらむ表情をした。
遥樹がゆっくりと話し出す。
 「バイオ技術で創り出された生物が、生物の多様性に悪影響を及ぼさないように規定を設けた条約だったと思います」 鷹田が軽くうなずく。と、環境保護団体代表の女性の面接担当委員が、さらに尋ねた。
 「この条約に反しないように、何か対策を取りましたか」
 「あ、はい。樹木園の協力により、防竹シートを地下に設置して、根が一定の範囲から出ないように注意しました。そして、実験対象の樹木の種子の拡散を防ぐという配慮からも、種子が大きい、胎生種子を付けるマングローブ樹種を選んだわけです。風で遠くに飛ばされる可能性はまずないですし、鳥が食べてどこかへ運んでしまうということもありません。大きいですから、どこに落ちているか、目で確認できます。拾って所定の場所に移せば、隔離完了です」
 「なるほど。でも実際に自然界に送り出す場合には、もっと徹底した対策が必要でしょうね。通常の植物より、はるかに生長が早いスーパー・プラントなのですから」
環境保護団体代表の女性の面接担当員は、こう付け加えると、もういいです、といった表情で座長のほうを向いた。
 「ほかには、いかがでしょうか」 座長が面接担当委員に発言を促す。手を挙げたのは、鷹田教授だ。
 「では、私から、あえていくつか、本人に不利と思われる角度から質問します」 やはり、教え子を贔屓するとは思われたくないようだ。遥樹が姿勢を正して、椅子に座り直した。
 「遥樹、いや楠木くん。日本学術振興会の科学研究費補助や、科学技術振興機構のCREST、つまり大型競争的研究資金、さらに新エネルギー・産業技術総合開発機構の若手研究グラントに応募し、その都度、選考から漏れてきたが、理由は何だと思う」
 これは事前の書類選考会議で提示されていなかった情報だったため、面接担当委員が全員、鷹田に視線を向けることになった。すかさず、皆が視線を遥樹に投げかける。
 本気か、と内心思いながら、遥樹は言葉を選んでいる。ほかの面接担当委員に納得できることをしゃべっても、経緯を一部始終知っている鷹田教授には、ごまかしが利かない。
 「つまり…」 ここで遥樹は言いよどんだが、比較的しっかりした口調で回答を続けた。
 「制御技術の不備、です」
 室内に軽いざわめきが起きた。さらに遥樹が続ける。
 「一度生長が速くなった植物を途中で元の生長の速さに戻したり、生長を止めたりする技術が、当然必要と考えられますが、できていません。ですから…」 
鷹田教授が続けて訊いた。「ですから? で、どうする? 何か考えがあるか?」
 「局限された環境でのみ、例えば、極端にマングローブ林が消失した場所でのみ、スーパー・プラント化したマングローブ樹種を植えるとか、ほかの植物にも応用する際には、砂漠の緑化に役立つ場合に限定するとか、十分な配慮が必要です。食料となる植物のスーパー・プラント化も、飢餓対策には有効なのですが、人間の口に入るものという性質上、慎重であるべきです。もちろん、並行して制御技術も研究していきます」
 「うーん、まぁ、六五点ぐらいだな。いや、ここで評価に類する発言はまずかったですな」
 鷹田はここで発言をやめ、座長に進行を返した。
この後、いくつか研究の動機に関する質問などが出たが、面接はほぼ規定の一五分ほどで終了した。
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