この声は秘密です

星咲ユキノ

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好き

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「…え?…今、何を…」

自分が何をされたのかわからず放心状態の彼に、理恵子は微笑む。

「今更遅いかもしれないけど、もう逃げないって決めたから、ちゃんと言うね」

そして目を逸らさずに言葉を続けた。

「私は蔵上君が大好きです。私と、付き合って下さい」
「っ!?」

理恵子の言葉に、蔵上が驚いたように目を見開く。

「え?だって、嫌われてたはずじゃ…本当に?…本当に俺を…」

混乱した様子の彼の瞳からは、涙が溢れている。

「ふふ。泣き顔、二回目」

男性を可愛くて愛しいと思うのは初めてだ。
その涙を拭おうと指を出した瞬間、ぐいっと抱き寄せられた。

「理恵子さんっ!!」
「わっ」

突然抱きしめられて驚いたけれど、嫌悪感は全くない。
それどころか、嗅ぎ慣れたその香りに安心感すら覚えて、そっと目を瞑った。

(やっぱり田所君の時と全然違う。なんだかすごく落ち着く)

無意識に猫のようにその胸に頬を擦り寄せる。

「夢じゃない、ですよね?本当に俺を?」
「…うん。好き。いつからかなんてわからないけど、気づいたら好きになってた。…迷惑、かな?」
「っ、そんなことないです!」
「んっ」

顔が近づいてきたと思ったら重なる唇。
先ほどのような触れるだけのキスではなく、ちゅ…ちゅ…と音を立てながら角度を変えて何度も唇を啄むようにキスされる。

「理恵子さん…好き…大好きです…愛してます」

色気のあるその声に、キュンと胸が高鳴る。
彼の「好き」という言葉が素直に胸に落ちてきて、嬉しくなった。

(ああ、もうどうしようもなく、蔵上君が好き)

「…私も好き…んっ」

熱っぽい視線が絡み合って、もう一度吸い寄せられるように唇を合わせる。

「…口、開けて…」
「…あっ…んっ…」

言われるまま口を開けると、湿った舌が侵入してきて口内の壁をなぞるように撫でていく。

(やっぱりこの人とのキス、好き)

唇が離れていく感覚が寂しくなるほど、彼が愛しかった。
一度じゃ足りないと言わんばかりに、彼に抱きついたまま、またちゅっとキスをする。

「…蔵上君、大好き…」

彼もまた、そのキスに応えるようにさらに深いキスで返してくれる。

「俺も。大好きです、理恵子さん」

お互いに「好き」と言いながら、雨が降ってくるまでずっとキスし続けていた。

***

「理恵子さん。これ、タオルと着替えです。パジャマは俺のですが、新品なので。中のシャンプーとか、適当に使ってくださいね」
「う、うん。ありがとう」

白くてふわふわのバスタオルと、まだ透明な袋に入ったままの紺色チェックのパジャマの上下を、ドキドキしながら受け取る。

(何でこんなことになったんだっけ?)

事の発端は数十分前。

念願の両思いになれて、お互いの気持ちを確かめあってキスに夢中になっているうちに、雨が降り出して服が濡れてしまった。
このままだと風邪をひいてしまうからと、その場所から比較的近かった蔵上の家に避難することになったのだ。

初めて来た蔵上の部屋は、駅からほど近い場所にある10階建ての綺麗なマンションの一室だった。
コンシェルジュがいるようなマンションではないが、2LDKの広めの部屋は、20代の独身男性が暮らすには少し高級な気がする。

案内された脱衣所で、ぼーっとするわけにもいかず、とりあえず濡れた服を洗濯機に入れて、シャワーを浴びることにした。

男性用のシャンプーからは彼の香りがして、何だかドキドキしてしまう。

(ど、どうしよう。付き合うと決めたとはいえ、これは想定してなかった…)

告白だけして帰るつもりだったのに、展開の早さに困惑する。
一度は身体を重ねた相手とはいえ、最近はずっと菜穂と3人で会っていたから、突然恋愛的な空気になると戸惑ってしまう。

(下着は可愛いやつだっけ?…菜穂は夜まで実家に預けてあるから大丈夫…あ、そういえば…)

菜穂の事を考えた瞬間、自分がまだ蔵上に話していないことがあったことに気がついた。

(お義母さんのこと、蔵上君にちゃんと話さないと)

ただの友達ならば、義母と蔵上が鉢合わせたとしても言い訳は出来るが、正式に付き合うと決めた以上、彼にも現状を知ってもらいたい。
何よりも、彼に隠し事をしたまま恋人になるのが嫌だった。

きゅ…とシャワーを止めると、理恵子は決意したように唇を噛んだ。

入れ替わりに浴室に向かった蔵上を待つため、リビングの布張りの茶色のソファに腰かける。
中央の透明なガラステーブルに置かれたミルクティーを飲みながら、リビングを見回した。
日当たりのよさそうな大きな窓には分厚いグレーのカーテンがかけられていて、その横の床には観葉植物が置かれている。
その隣に置かれている本棚の中に、気になるものを見つけたので思わず近寄った。

(あれ?この台本って…)

ちゃんと装丁された本ではなく、印刷した複数の紙を二つ折りにして束ねてホチキスで留めただけの簡易的な台本。
それは、過去に理恵子と蔵上を繋げた作品の台本だった。

(これ、まだ持ってたんだ。懐かしいな。…あ、そういえば私、結局この舞台を観に行かなかったんだよね)

9年前の演技指導のあと、K高校演劇部は県大会に出場予定で、本来は舞たちとそれを観に行くつもりだったのだが、理恵子だけは行かなかった。

(あの時は、トミやん君と顔を合わせるのが嫌で逃げたけど、今となってはちょっと見たいかも。蔵上君が舞台に立ってるところは、見たことがないし)

そんなことを考えながらふと視線をずらすと、テレビ台の下の棚に並んでいる数枚のDVDの中に『〇〇年度 K高校 高校演劇県大会公演作品』というラベルが貼ってあるものが目に入った。

(あ、これ!あの作品だ!)

思わず近づいてそれを手に取った時、後ろから声をかけられた。

「もしかして、それを見たいんですか?」
「わぁっ!びっくりした!」

振り返ると、シャワーから戻ってきた蔵上が、肩にタオルをかけて立っていた。
先ほど濡れた外出着は脱ぎ、今は黒いスウェット上下のラフな格好をしている。
濡れ髪をタオルで拭きながら近づく彼が、妙に色っぽく見えてドキンと胸が高鳴る。

「よかったら、一緒に見ます?」
「え、いいの?」
「俺の下手くそな演技を理恵子さんに観られるのは嫌ですけど、よく考えたらフェアじゃないなって思って」
「フェア?」

どういう意味だろうと思っていたら、彼が棚の奥から1枚のDVDを取り出してみせた。
そのDVDのタイトルは『〇〇年度 O高校文化祭上演作品』。

「っ!?それ、私の!何で?」

それは高校時代に理恵子が主役を演じた舞台作品のDVDだった。

「入手経路は秘密です。そんな訳で、俺のも見ていいですよ。あ、それともこっちを一緒に見ます?高校時代の理恵子さん、めちゃくちゃ可愛いので」
「絶対に嫌!」

過去の自分の演技なんて、下手すぎて恥の塊だ。
出来れば処分して欲しいのに、一緒に観るなんて拷問でしかない。

結局この後、K高校のDVDを一緒に観たのだが、ピッタリと隣にくっついてソファに座る蔵上のせいで、内容はあまり覚えていない。
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