この声は秘密です

星咲ユキノ

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金木犀の下で

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(ちょっと早かったかな)

スマホを取り出して時間を確認すると、約束の時間より20分も早かった。

鞄から小さな鏡を取り出して、メイクや服装を確認する。
今日はしっかりメイクをし、服も「大人可愛い」を目指して、雑誌やネットで勉強をした。
水色のざっくりニットのトップスに、紺色のロング丈フレアスカートは、今日の為に買った新品だ。
鏡の中の自分を見ると、少なくともおばさんには見えないことにほっとする。

あたたかい飲み物でも飲んでゆっくり待とうと思い、近くの自動販売機で自分用のミルクティーと彼に渡すコーヒーを買って、ベンチに座った。

『話があるので、土曜日の13時。〇〇芸術センターの中庭のベンチで待ってます』

蔵上にメッセージを送ったのは3日前。
それに対する、彼からの返事はなかった。
既読になっていたから、読んではいるはずだが。

自分から彼を遠ざけておいて、また連絡をとろうなんて虫の良い話なのはわかっているが、やっと気付いた自分の気持ちからは逃げたくないと思った。

自宅から電車で30分の距離のこの場所に、朝から菜穂を実家に預けてまで来たのは、ここの中庭にも、金木犀があるからだ。
ケーキにイヤリングと彼が金木犀にこだわったように、理恵子もまた、この好きな花の前で彼に気持ちを伝えたいと思ったのだ。

奥まった位置にある中庭は、人の出入りが少ないから、誰かが来ればすぐにわかる。

時刻は13時30分。約束の時間を過ぎても彼は未だに来ない。
スマホを見てもメッセージも着信もない。
買ったコーヒーはすっかり冷めてしまった。

(やっぱり駄目か。…そりゃそうだよね。今更…)

理恵子は皺になったスカートを直しながら、ゆっくり立ち上がる。
空を見ると雲に覆われていて、今にも雨が降りだしそうだ。
お洒落を優先して、いつもと違う鞄を持ってきたので、折り畳み傘は忘れてしまった。

(…今日のところは出直そうかな。またメッセージを送って…) 

と思った時、がさりと落ち葉を踏む音がしてそちらに視線を移す。
そこには、バツの悪そうな顔をして立つ蔵上の姿があった。
3週間ぶりに見る彼は少しやつれたように見える。

「久しぶり。あと30秒遅かったら、帰ってたよ」

理恵子はまたベンチに座りなおすと、隣の席をぽんと叩いて、彼に座るように促した。

「はい、コーヒー。すっかり冷めちゃったけど、どうぞ」
「…ありがとうございます。…あの、その髪…」

理恵子の髪を見て、蔵上は驚いたように目を見開いた。
ダークブラウンに染めた髪を、肩の上で切りそろえたボブヘアー。
それは、蔵上と初めて会った時と同じ髪型だった。

「これね、村田君にやってもらったの」
「…大地に?」

村田大地は、ショッピングモールで会った蔵上の友人で、都内のサロンで美容師をやっている。
近所の美容室ではなく、一時間かけて村田の働く都内のヘアサロンに行ったのは、ショッピングモールの二人の女性の事を聞きたかったからだ。

高校の頃から蔵上の親友だという村田は、髪をカットしながら色々教えてくれた。
村田の話によると、あの日はもともと村田と蔵上の2人で映画を観に行っていたところ、元同級生で同じ演劇部だったあの女子2人と再会して一緒にご飯を食べることになったらしい。

それから4人で食事をしながら写真を見て思い出話に花を咲かせていた時、偶然にも同じレストランにいた理恵子たちと会ったという。
ちなみに、なんで村田があの写真を都合よく持っていたかと言えば。
『実は映画の前の日に草哉との電話で、9年前の演技指導の話が出たので、懐かしくなって集合写真を引っ張り出して持っていったんですよ』とのこと。

そして、トイレで聞いた会話の真相は、『あんなおばさんに優しくしたら勘違いされちゃうから、草哉君も迷惑だって』というピンクニットの女性の一方的な理恵子への悪口で、蔵上は関係なかったらしい。
彼女は過去に蔵上に告白してフラレたことがあるようで、レストランで親しげな理恵子と蔵上の様子を見て嫉妬したのでは?と村田が言っていた。
あの後、理恵子の様子が変なことに気付いた蔵上が問いただして真相を知り、激怒したらしい。

『草哉って、穏やかに見えて怒ると結構怖いんですよ。あの後、トイレで理恵子さんの悪口を言った子だけじゃなく、元演劇部の女子全員の連絡先をスマホから消してましたから。あいつは元々、理恵子さん以外の女性には興味がないみたいなので。…知ってます?草哉って、理恵子さんを追いかけてあのサークルに入ったんですよ。過去にあなたを傷つけたことをずっと後悔していて、あいつなりに色々悩んだみたいですけど、とにかく、今の草哉の態度に嘘はないので、それだけは信じてあげてくれませんか?』

そんな村田の言葉を思い出しながら、目の前の蔵上に向き直る。

(そうだよね。過去なんか関係ない。大事なのは、今の蔵上君だ)

「村田君には、ショッピングモールで会った時に名刺をもらってたから。ずっと美容室に行ってなかったし、ちょうどいいかなと思って。「やっぱり先輩はこの髪型が似合いますね」って言ってセットしてくれたんだ。…この髪、自分でも結構気に入ってるんだよ。職場の皆も可愛いって言ってくれたし」
「…職場?」

それまで黙って聞いていた蔵上が、理恵子の言葉に顔を上げた。

「…それってあの男もですか?」

急にずいっと顔を近づけてきたので、びっくりすると同時にドキドキと胸が高鳴る。

「あの男?」
「告白されたんですよね?職場の同じ年の男に」
「え、なんで知ってるの!?」
「米田さんに聞いたので」

そういえば、舞には田所に告白されたことを電話で話していた。
職場のイベントに遊びに来たことがある舞は、田所とも面識があるから。
だが、どうして蔵上に話したのだろうか。

「その人、理恵子さんと同じ歳で気が合うし、菜穂ちゃんも懐いてるって。だから、今日俺を呼んだのは、その男と付き合うって話をするためですよね?」

今にも泣きそうな目で見つめられ、困惑する。何か勘違いをしているようだ。

「ちょっ、ちょっと待って!田所君からの告白なら断ったし、今日蔵上君を呼んだのは別の話があったからで…」
「え?」

(伝えなきゃ)

理恵子は一つ息を吐いて、蔵上の顔を見た。

「…あのね。菜穂が、蔵上君に会えなくて寂しいって」
「え?…ああ。菜穂ちゃんか…。なんだ…。…そうですね。俺も会いたいけど、でも…」

『菜穂が』と言ったからか、少し残念そうに笑った蔵上に、理恵子は耳元で囁いた。

「私も寂しかった」
「えっ?」

予想外だったのか、彼は目を丸くしてじっと理恵子を見る。
そんな彼を見て、にっこり微笑んだ。

「確かに、トミやん君の陰口には傷ついたけど、それはもう過去のことだから。私は今の蔵上君を信じたい。蔵上君といる時間は本当に楽しくて、これからもずっと一緒にいたいって思ったから」
「理恵子さん、それって…。っ!?」

彼が言い終わる前に、正面からぎゅっと抱きつく。

その拍子に彼の手から未開封の缶コーヒーが滑り落ちて、コンッとコンクリートの地面に落ちたのを視界の端で見ながら、ゆっくりと顔を彼に近づけて、その唇に触れるだけのキスをした。
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