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250.最終話 もう一度

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「――兄上、来たぞ」

 私の衣装が決まり、ジャクロン殿本人も礼服を選んでいる最中、フレートゲルトが店にやってきた。

 朝食の時は隠しようもないほど浮かれていた彼だが、少し時間が経っているせいか、今は落ち着いているようだ。

「ああ、おまえも早く選べ。あまり時間はないぞ」

「わかった――お、レイン。そういう格好だと王子様みたいだな」

 本物の元王子だからな。

 思考停止させている私は、彼の軽口に手を上げるだけで応えて、状況を見守る。

「ほんとよねぇ。立ち姿が様になっているっていうか、持ち前の雰囲気がただの貴族とは一味違うのよねぇ。いったいどこのご令息なの?」

 店員の淑女が鋭いことを言いながら私を見て溜息を吐いているが、応えようがないので苦笑するばかりだ。

 カービン家の兄弟も正装に着替えたところで、店を出る。
 淑女には「貸し衣装だからくれぐれも汚さないでね」と、見送りついでに言われながら。

 店の前には、フレートゲルトが乗ってきたという馬車があった。
 これも白い……いわゆる式典用の馬車である。

「これも借りたのか?」

「まあな。早く乗れ」

 御者席にフレートゲルトとジャクロン殿が、私が車体に乗る。

 ……オープンの馬車だし式典用だし私はどう見てもこれからアレの格好だし、非常に目を引く様相だ。
 大通りを行く人々が私を見ている。
 まるでさらし者みたいな状況である。特に私が。

 まあ、こういうのは恥ずかしがる方がみっともないので、堂々かつ悠々と構えておくが。
 ……でもさらし者だなぁ。特に私が。




 馬車は大通りを行き、少しずつ都心から離れていく。

 出歩く人の姿が減ってきたと思えば、建物が目に見えて減ってゆき、揺れない石畳が踏み固められた地面に代わり、広大な田畑が見えてきた。

 向かう先が見えてきた。
 きっとあの小さな教会だろう。

 果たして馬車はゆっくりと進み、まっすぐ教会へと到着した。

「――レイン」

 降りたところで名を呼ばれた。

 一瞬誰かと思ったが、ナナカナだ。
 淡い菫色のドレスを着ているその姿は、どこの貴族の子かと思うほど品よくまとまっている。

「よく似合っている。可愛いよ。どこのお姫様かと思った」

 頭を撫でると嬉しそうに笑った。彼女が子供らしいとほっとする。

「レイン、これ」

 と、彼女が差し出したのは、細く小さな赤い紐……私とアーレで、家族お揃いで購入したアクセサリーだ。
 ブレスレットでもあるしアンクレットでもある。もちろん飾り紐としても使える。

「さっき族長に貰った。着けて」

「ああ」

 見た目はただの編紐だが、実際は魔獣の毛を編んで作ったものだ。
 軽く丈夫で、濡らそうが引っ張ろうが、そう簡単には切れない代物だ。よほど乱暴に扱わなければ人の一生くらいはもつらしい。

 風呂や水浴び、水仕事の際に邪魔にならない、いちいち取り外さなくてもいいものを、と選んだ結果である。

 あと、一応お守りでもある。縁起物らしいから。

 ナナカナの左手に結んでやると、彼女は紐を撫でた。

「ありがとう、レイン」

「こちらこそ」

「…?」

「君がいたから私はあの集落に早く馴染むことができた。私の娘になってくれてありがとう」

「……うん!」

 ナナカナは初めて見せる満面の笑みで頷くと、走って行ってしまった。

 ――二度目だけど、これもまた人生の節目でもあるのだと思う。こんな機会でもないとなかなか言えないだろうからな。

「レイン、こっちだ」

 フレートゲルトに呼ばれて、教会の出入り口前に立つ。

 扉は開かれていて、内部が見える。
 狭いながらも静謐な空気に満ちたそこには、フロンサードの者なら馴染みのある女神像が差し込む光を浴びて輝いている。

 建国の聖女コハク・クスノがモデルとなっているそうだ。
 女神というには少々幼い顔立ちに造られているが、それもまた私には馴染み深いものである。

「来たかレイン」

 最前列の椅子に座っている姿が見えていたタタララが、こちらへやってきた。
 少し驚いた。

「結構大胆な服だな」

 タタララも正装していた。
 左の太腿に深いスリットが入った、タイトな青いカクテルドレスである。引き締まったウエストにぴったりしたフォルムが実によく似合っている。

「ん? 向こう・・・の普段着より着ているだろう」

 そう言われればそうなんだが。
 向こう・・・では皆下着姿同然だから。

 だが、なんだろう。
 隠していないのより、隠している上でちょっと見えている方が、アレなのだろうか。

「二度目の儀式だし、特に言うことはない」

 身も蓋もないな。

「だが、ちゃんと目に焼き付けろよ。私はこれ・・をやる意味はわからなかったが、アーレの姿を見て考え直した。
 きっと全てはおまえに見せるためだからな。一生忘れるなよ」

 そうだな。
 忘れないようにしないとな。

「おまえはここで待機だ。俺はタタララさんと行く」

 言うが早いか、フレートゲルトは私を置いて、タタララと共に教会内へ行ってしまった。

 備え付けの椅子の最前列に、フレートゲルトたち。
 他には誰もない。

 …………

 カリア嬢は、きっとアーレと一緒だろう。
 ササンも来ているなら、共にいると思われる。ナナカナもかな。
 きっと彼女たちが主役を最高に輝かせてくれるだろう。

 馬と馬車を移動させたジャクロン殿は……恐らくそのまま神父役として教会に入り、どこかで準備しているはずだ。

 関係者ばかりである。
 タタララが手袋を取って白鱗を晒していたので、部外者は一人もいないのだと思う。
 
 ……となると、私も手袋を取っておいた方がいいだろうな。

 左手の甲には、私にも白鱗がある。
 だが、きっと――

 この左手は、この後すぐ必要になる・・・・・だろうから。




 しばしそのまま待っていると、ジャクロン殿が女神像の前に立った。
 それと同時に、カリア嬢がさりげなく、フレートゲルトたちとは反対の最前列の椅子に座る。

「――新郎、前へ」

 いよいよらしい。

 ……二度目だし関係者しかいないのに、少し緊張してきたな。

 神父役ジャクロン殿の声に従い、私はゆっくりと教会へと入っていく。
 
 今や白蛇エ・ラジャ族の一員である私が、他の神の前で何かを誓うというのも、少しばかりカテナ様とカカラーナ様に悪い気がするが。

 しかし、正式な式ではないので、今回だけは大目に見てもらおう。

「――新婦、前へ」

 やってきた私を一瞥し、ジャクロン殿は今度は新婦を呼ぶ。

 まだ振り返らない。

 いつも颯爽と歩く嫁にしては、歩みが遅いようだ。
 きっとアーレは歩きづらい格好をしていて、ナナカナが裾を持っているのだろう。




 視界の端に、白い人影が立った。

「――神に関する言葉は、宗教上の理由で割愛させていただきます」

 ジャクロン殿は、私たちがフロンサードの神の下にいないことを考慮し、祝詞を大きく削った。

 その代わりに、とナナカナの祝福の歌にカリア嬢のフルートの演奏が入った。

 楽器を嗜んでいるカリア嬢には驚かなかったが、ナナカナの歌には驚いた。ちゃんとこっちの歌を覚えたようだ。

 向こう・・・の物騒な戦士の歌ではなく、式に相応しい祝いの歌だった。
 わざわざこの式のために練習もしたのだろう。ありがたい話だ。




 参加者も少なく、催しも余興もないので、式の進行は早い。
 さっき始まったと思えば、もう誓いの言葉である。

「新郎レインティエ。あなたは新婦アーレを生涯愛することを誓いますか?」

「――はい、誓います」

「健やかなる時も病める時も、よく支え共に歩むことを誓いますか?」

「――はい、誓います」

「何よりも誰よりも新婦を優先し、脇目も振らず、どこにも行かず、ずっと新婦の傍に居続けることを誓いますか?」

「――はい、誓います」

 なんか誓いの言葉が重い気がするが、即答は入り婿の必須スキルだ。「可能な限り」という条件は付くが誓おうではないか。

「新婦アーレ。あなたは新郎レインティエを生涯愛することを誓いますか?」

「――はい、誓います」

「なんだか新郎が疲れているな、と思った時は、少しだけそっとしておこうという気遣いはできますか?」

「――はい、できます」

「時々お休みを上げることを誓いますか?」

「――はい、誓います」

 え、うそ、誓うの? 私に休みをくれるのか?

「新郎の拒否権を認めますか?」

「チッ――はい、誓います」

 小さい舌打ち入ったぞ、今。誰だこの誓いの言葉を考えたのは。

 ……うちの実態を知っているナナカナ以外いないか。

 何がどうとは言わないが、ありがとうナナカナ。
 実際どうなるかはわからないが、ほんの少しだけでいいから拘束が緩んでくれると、私も非常にやりやすい。

「それでは、指輪の交換を」

 指輪を収めた台を持って現れたのは、使用人の服を着たササンである。

 台座の上に置かれた二つの指輪を見て、驚くより先に納得した。

 一つは、一年前にアーレに渡した聖浄石せいじょうせきの青い指輪。

 もう一つは、恐らく琥珀であろう金色の指輪。

 アーレの瞳の色の指輪だ。

 これが、ここしばらくアーレが部屋にこもっていた理由だろう。
 戦士たちは石や骨の加工が上手いから、小さな指輪くらいなら、普通に削って作れるはずだから。

「…!」

 ようやくアーレと向き合い、目を見張る。

 予想はしていた。
 ウェディングドレスを着ているのだろう、と。

 だが、予想していても……

 ベールをかぶった素顔はまだ見えないが、真っ白な衣装をまとったアーレの姿は、この上なく美しかった。
 まるで穢れのない白い花……カサブランカのように。

 一瞬呆けた私だが、ベールの奥にある金色の光に気を取り直して、青い指輪を取って花嫁の左手を取る。

 こうして彼女の指に指輪を通すのは、二度目だ。
 いつもは首から下げているので、きっとアーレも二度目だろう。

 全身白い花嫁の手に、一点だけ青が輝く。
 どこか邪魔な異物のようでもあり、また、私の嫁だという証のようでもある。 

 いや、証なのだ。
 間違いなく。

 今度はアーレの番だ。
 アーレは金色の指輪を取り、私の左手を取る。

 私の左手の甲の白鱗の上に、カテナ様から授かった番の証が浮かび上がる。
 アーレは右手だが、私は左手だから。

「……ん?」

 どうも少し指輪のサイズが小さかったようだ。アーレが戸惑っている。

 だが問題ない。
 私の左の薬指と小指は黒糸の塊、糸を操作して多少細くすることもできる。現に色だって肌色に変化させて、別物には見えなくなっているくらいだから。

 糸を搾って少しだけ指を細くすると、今度こそ金色の指輪が私の左手に納まった。

 これはアーレの証。
 そしてアーレの指には、私の証がある。

 私は彼女のものであり、また彼女は私のものであるという、大事な証だ。




「それでは、誓いの接吻を」

 今更、という思いはある。
 やり方は違えど式は二度目だし、接吻自体はこの一年でもう数えきれないほどしてきた。

 だが、それでも、少し緊張してきた。
 初めてアーレと唇を重ねた時より、ちょっと緊張しているかもしれない。

 場のせいか、雰囲気のせいか。

 ……この緊張や気持ちも込みで、やはり結婚式とは、特別なものかもしれない。

 アーレと向き合う。
 両手を上げ、ゆっくりと彼女のまとうベールを上げる。

「……」

 予想通りというか。
 いや、予想以上に、やはり、美しい。

 変化なんて、薄く化粧をしただけだと思う。
 だが、それでも美しい。
 いつだって強く美しく輝いているが、今はそれ以上に……

 首にある白鱗さえも、神々しいものに見える。
 いや、あれは元々神の与えたようなものだから、そう見えてもおかしくないのかもしれないが。

「――すまんな」

 アーレは穏やかに微笑みながら、小さく呟いた。

「――全部、我の我儘だ。指輪を渡したかっただけでな。付き合わせて悪かった」

「――いや」

 私は顔を寄せる。

「――もう一度。やってよかったと私は思うよ」

 息が触れるほどの距離で囁き、彼女と唇を重ねた。




 一年前の春。
 王城から旅立つ時、私はアーレに着てもらおうとドレスを持って行こうとしていた。さすがにウェディングドレスではなかったが……

 だが、まさかこんな形で彼女がドレスを着るとは、想像さえしていなかった。
 しかもウェディングドレスを。

「誓いは果たされた。末永くお幸せに」

 退場の言葉だ。
 アーレと手を重ね、歩く。
 
「おめでとう!」

「おめでとう!」

 タタララが、ナナカナが、フレートゲルトが、カリア嬢が。
 ついでに神父役をさっさと降りたジャクロン殿と、使用人姿のササンが。

 私たちが歩む姿に、白い花びらを巻いていく。

 色は違うが――ササラの木の下で初めてアーレと出会った時のことを思い出した。
 あの時も、こうやってたくさんの花弁が舞っていた。

「――なんだか懐かしいな。おまえと会ったキレの木の下でもこんな感じだったな」

 どうやら思うことは同じだったらしい。

 あの時は、指輪を渡そうとして、失敗したんだよな。
 肝心な時に持っていなくて。

 それなのに、今はお互いに相手の瞳の色の指輪をしている。

 心残りが解消される。
 もしこれがささやかながら神の導きだと言うなら、とても粋なことだと思う。

「アーレ」

「ん?」

「生涯愛することを誓います」

「ん、ああ……愛はよくわからんが、きっと気持ちは我も同じだ」




 これで二度目の結婚式は終わりである。

 改めて思う。

 もう一度。
 やってよかったのだ、と。


 
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