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209.ウィーク辺境地領都で
しおりを挟む「――知らなかった。そんなことになっていたのか」
再び屋根付き馬車で引き返して来たフレートゲルトと合流し、ごとごとと御者席で揺られながら互いの近況を交換する。
まずはフレートゲルトの話だ。
タタララにアプローチしたことにも驚いたが、私が一番驚いているのは、彼が騎士をやめたことである。
知り合った頃から、騎士になることを目標に努力していた彼の姿をずっと見てきた。
騎士団長の父親や、同じく騎士を目指していた二人の兄にさえも負けない剣の才能があったと私は思っている。
身体の育っていない今は負けるが、二十を越える辺りから肉体と技量と精神のバランスが取れて、一気に成長するものだと思っていた。
そんな彼が、いったいなぜ騎士をやめたのか。
友人の贔屓目かもしれないが、天職としか思えなかったくらいなのに。
なぜ騎士をやめて、執事見習いとして働いているかと言うと――
「おまえと一緒だ。俺も婿入りしたくて剣を捨てた」
騎士をやめたことにも驚いたし、やめた理由にも驚いた。もう驚きっぱなし。
「タタララのために、か?」
「いや、自分のためだよ。
自分のためにタタララさんと結婚したいと思ったんだ。前に会った時に一目惚れしたから」
一目惚れ。
……ちょっとわかる気がする。
「強いから、だろう?」
言われてみれば、私も覚えがある。
私もいつだったか――あるいは会った時から、アーレの強さには惹かれていたのだと思う。
剥き出しの暴力というか、狂暴性というか。
肉体的だけではなく、精神面も。
出会った頃も出会って間もない頃も、今も。
アーレが、場合によっては人だって簡単に殺すほどの危険な存在なのはすぐにわかったし、今もその印象はそこまで変わっていない。
しかし、それでも強さに憧れ近づきたいと思うのが、人なんじゃないかと思う。
「そうだな。タタララさんは強いし、美しい。だから強く惹かれたんだろうな」
うん。
タタララは美しい。
貴族が傷一つない宝石のような女性であるなら、タタララや森の向こうの女性は、野生で気高く生きて機能美を高めた獣だから。
「よくお父上が許したな」
騎士団長フィリック・カービンと言えば、堅物で有名だ。
間違っていると思えば国王陛下にさえ意見する高潔な方だった。
「あー……許されてはいないかもな」
……あ、そうなのか。
「兄上たちは許してくれたし、今向かっている辺境地領都での生活もジャック兄の婚約者が用意してくれたんだ。
今の俺は、兄の協力なしでは何もできないただの執事見習いだ。家からも追い出されているしな」
お、おう……なんか大変なことになっているんだな。
まあ、なるよな。
好いた女性のために騎士をやめるだなんて、前代未聞じゃなかろうか……と思ったが、どこぞの国では庶子と結婚したいがために王太子の身分を捨てて市井に下った者もいると言うからな。なくはないのかな。
「おまえは生活どう……いや、やめておこう」
「え?」
「俺も向こうに行く。タタララさんについていく。おまえの状況は向こうで直接見ることにする」
…………
「もう決めたのか?」
「ああ。仮にタタララさんにフラれたとしても、俺がこっちにいる理由はもうないんだ。
それよりも――捨て身の全力でタタララさんを口説こうと思っている。新婚旅行だか婿探しだか知らないが、こんなチャンスは生涯二度とないはずだ。
俺は口説くぞ。タタララさんを」
意気込みがすごい。
静かに語るが、言葉に込められた熱は火傷しそうなほどだ。
「ちなみに言うと、もしこの機会がなかったら、俺は今度の春にそっちに行きたいと、おまえに相談していたと思う。
タタララさんを口説きに行きたい、ってな。
おまえは王族の身分と継承権を捨てただろう? 俺も同じだ。騎士という身分と生活を捨てる覚悟ができた。だから捨てた。それだけだ」
それだけ、か。
確かに捨て身だな。
「もしその頃タタララが結婚していたらどうしていた?」
「その時は潔く……いや、タタララさんが幸せだったら潔く諦めただろうな。そうじゃなければ奪い取る」
奪い取る。
生真面目なフレートゲルトからそんな言葉が出るとはな。
「君から女性の話なんてほとんど聞いたことがなかったが、君は惚れ込んだらそんな風になるんだな」
「女より騎士になることの方が大事で、目に入らなかったからな。
その結果、この歳で初めて女性を好きになった。
自分でもここまで……騎士の夢を捨ててもいいと思えるほど強く女性を想うようになるだなんて、考えたこともなかった」
そうか。
そんな感じだったよな。
「女性だろうがなんだろうが、打ち込めるものができると自分の意外な一面に気づくものだな。私も向こうに行って、たくさんの知らなかった自分を見つけた」
こんなどうする、こうする、ああする。
先を予想し、いろんなことを想定しながらいざという時に備えたりもするが。
しかし、頭の中で想定していたシチュエーションをいざ目の前にすると、意外なほど想定以外の気持ちと行動を取ってしまったりする。
これが、自分の知らなかった一面なんだと思う。
「――よかった」
ん?
「何が?」
「楽しそうだ。この短い時間で、思っていた以上に向こうの生活が楽しいんだろうなってのがよくわかった。
もしかしたら、おまえがこっちに残りたい、戻りたいなんて言い出すんじゃないかと一応用意はしていたんだがな。必要なさそうだ」
ああ、……そうだな。
私の身を案じてそんなことを考えてくれたんだろうが、私はそれを聞いてむしろ少し苛立っているくらいだ。
子供や嫁や集落の仲間を捨ててこちらに戻るだなんて、考えただけで吐き気がする。
自分で自分を憎悪するほど選びたくない選択だと思う。
もう、私の居場所はこちらじゃないと痛感する。
――案外それに気づいたことこそ、私にとってはこの旅行一番の収穫だったのかもしれない。
馬車の旅は順調に進んだ。
途中の宿場街の外れであえて野宿し、早朝には発った。
のんびりした馬車の旅だが、大規模な小麦畑や畑といったものが珍しいようで、馬車の三人はなんだかんだ乗り上がったり寝たり盛り上がったりしてそれなりに楽しんでいるようだ。
服を着たアーレと並んで御者席に座ると、こちらで普通に夫婦になった関係に思えて新鮮だった。
こちらで出会っていては、身分が邪魔をしてアーレとは絶対に結婚していないはずなのに。
そして、予定通り領都へ到着したのは、深夜だった。
ウィーク辺境地の領都には、始めてきた。
昔は隣国との関係も悪かったそうだが、現在では良好である。国境であり、物流の要である以上、領都はそれなりに規模は大きく栄えているように見えた。
十日くらいだろうか。
その間、この街で暮らすことになる。
……さて、どれだけ騒ぎを起こさず過ごせるだろうか。
騒ぎは絶対に起こすだろう。
それはもう確定事項でいいとして、だ。
辺境伯に迷惑を掛けない程度で済むと、私もありがたいのだが。
「――よし、みんな降りてくれ」
壁に隔たれた領都の前で、一旦馬車を止めた私が声を掛け、五人が並ぶ。
これほど大きな建造物は向こうにはないので、ぜひ明るい時に見せたかったが……
いや、大丈夫か。
彼女たちは夜目が利くから。
夜の帳が降りている今でも、瞳を輝かせてそびえ果てなく続く壁を見ているから。
「ここが、これから私たちが世話になる街だ」
さあ、新婚旅行の始まりだ。
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