上 下
210 / 252

209.ウィーク辺境地領都で

しおりを挟む



「――知らなかった。そんなことになっていたのか」

 再び屋根付き馬車で引き返して来たフレートゲルトと合流し、ごとごとと御者席で揺られながら互いの近況を交換する。

 まずはフレートゲルトの話だ。

 タタララにアプローチしたことにも驚いたが、私が一番驚いているのは、彼が騎士をやめたことである。

 知り合った頃から、騎士になることを目標に努力していた彼の姿をずっと見てきた。
 騎士団長の父親や、同じく騎士を目指していた二人の兄にさえも負けない剣の才能があったと私は思っている。
 身体の育っていない今は負けるが、二十を越える辺りから肉体と技量と精神のバランスが取れて、一気に成長するものだと思っていた。

 そんな彼が、いったいなぜ騎士をやめたのか。
 友人の贔屓目かもしれないが、天職としか思えなかったくらいなのに。

 なぜ騎士をやめて、執事見習いとして働いているかと言うと――

「おまえと一緒だ。俺も婿入りしたくて剣を捨てた」

 騎士をやめたことにも驚いたし、やめた理由にも驚いた。もう驚きっぱなし。

「タタララのために、か?」

「いや、自分のためだよ。
 自分のためにタタララさんと結婚したいと思ったんだ。前に会った時に一目惚れしたから」

 一目惚れ。

 ……ちょっとわかる気がする。

「強いから、だろう?」

 言われてみれば、私も覚えがある。
 私もいつだったか――あるいは会った時から、アーレの強さには惹かれていたのだと思う。

 剥き出しの暴力というか、狂暴性というか。
 肉体的だけではなく、精神面も。

 出会った頃も出会って間もない頃も、今も。
 アーレが、場合によっては人だって簡単に殺すほどの危険な存在なのはすぐにわかったし、今もその印象はそこまで変わっていない。

 しかし、それでも強さに憧れ近づきたいと思うのが、人なんじゃないかと思う。

「そうだな。タタララさんは強いし、美しい。だから強く惹かれたんだろうな」

 うん。
 タタララは美しい。

 貴族が傷一つない宝石のような女性であるなら、タタララや森の向こう・・・・・の女性は、野生で気高く生きて機能美を高めた獣だから。

「よくお父上が許したな」

 騎士団長フィリック・カービンと言えば、堅物で有名だ。
 間違っていると思えば国王陛下ちちうえにさえ意見する高潔な方だった。

「あー……許されてはいないかもな」

 ……あ、そうなのか。

「兄上たちは許してくれたし、今向かっている辺境地領都での生活もジャック兄の婚約者が用意してくれたんだ。
 今の俺は、兄の協力なしでは何もできないただの執事見習いだ。家からも追い出されているしな」

 お、おう……なんか大変なことになっているんだな。

 まあ、なるよな。
 好いた女性のために騎士をやめるだなんて、前代未聞じゃなかろうか……と思ったが、どこぞの国では庶子と結婚したいがために王太子の身分を捨てて市井に下った者もいると言うからな。なくはないのかな。

「おまえは生活どう……いや、やめておこう」

「え?」

「俺も向こう・・・に行く。タタララさんについていく。おまえの状況は向こう・・・で直接見ることにする」

 …………

「もう決めたのか?」

「ああ。仮にタタララさんにフラれたとしても、俺がこっち・・・にいる理由はもうないんだ。
 それよりも――捨て身の全力でタタララさんを口説こうと思っている。新婚旅行だか婿探しだか知らないが、こんなチャンスは生涯二度とないはずだ。
 俺は口説くぞ。タタララさんを」

 意気込みがすごい。
 静かに語るが、言葉に込められた熱は火傷しそうなほどだ。

「ちなみに言うと、もしこの機会がなかったら、俺は今度の春にそっち・・・に行きたいと、おまえに相談していたと思う。
 タタララさんを口説きに行きたい、ってな。

 おまえは王族の身分と継承権を捨てただろう? 俺も同じだ。騎士という身分と生活を捨てる覚悟ができた。だから捨てた。それだけだ」

 それだけ、か。
 確かに捨て身だな。

「もしその頃タタララが結婚していたらどうしていた?」

「その時は潔く……いや、タタララさんが幸せだったら潔く諦めただろうな。そうじゃなければ奪い取る」

 奪い取る。
 生真面目なフレートゲルトからそんな言葉が出るとはな。

「君から女性の話なんてほとんど聞いたことがなかったが、君は惚れ込んだらそんな風になるんだな」

「女より騎士になることの方が大事で、目に入らなかったからな。
 その結果、この歳で初めて女性を好きになった。
 自分でもここまで……騎士の夢を捨ててもいいと思えるほど強く女性を想うようになるだなんて、考えたこともなかった」

 そうか。
 そんな感じだったよな。

「女性だろうがなんだろうが、打ち込めるものができると自分の意外な一面に気づくものだな。私も向こう・・・に行って、たくさんの知らなかった自分を見つけた」

 こんなどうする、こうする、ああする。
 先を予想し、いろんなことを想定しながらいざという時に備えたりもするが。

 しかし、頭の中で想定していたシチュエーションをいざ目の前にすると、意外なほど想定以外の気持ちと行動を取ってしまったりする。

 これが、自分の知らなかった一面なんだと思う。

「――よかった」

 ん?

「何が?」

「楽しそうだ。この短い時間で、思っていた以上に向こう・・・の生活が楽しいんだろうなってのがよくわかった。
 もしかしたら、おまえがこっち・・・に残りたい、戻りたいなんて言い出すんじゃないかと一応用意はしていたんだがな。必要なさそうだ」

 ああ、……そうだな。

 私の身を案じてそんなことを考えてくれたんだろうが、私はそれを聞いてむしろ少し苛立っているくらいだ。

 子供や嫁や集落の仲間を捨ててこちら・・・に戻るだなんて、考えただけで吐き気がする。
 自分で自分を憎悪するほど選びたくない選択だと思う。

 もう、私の居場所はこちら・・・じゃないと痛感する。

 ――案外それに気づいたことこそ、私にとってはこの旅行一番の収穫だったのかもしれない。




 馬車の旅は順調に進んだ。
 途中の宿場街の外れであえて野宿し、早朝には発った。

 のんびりした馬車の旅だが、大規模な小麦畑や畑といったものが珍しいようで、馬車の三人はなんだかんだ乗り上がったり寝たり盛り上がったりしてそれなりに楽しんでいるようだ。

 服を着たアーレと並んで御者席に座ると、こちら・・・で普通に夫婦になった関係に思えて新鮮だった。
 こちら・・・で出会っていては、身分が邪魔をしてアーレとは絶対に結婚していないはずなのに。

 そして、予定通り領都へ到着したのは、深夜だった。

 ウィーク辺境地の領都には、始めてきた。
 昔は隣国との関係も悪かったそうだが、現在では良好である。国境であり、物流の要である以上、領都はそれなりに規模は大きく栄えているように見えた。

 十日くらいだろうか。
 その間、この街で暮らすことになる。

 ……さて、どれだけ騒ぎを起こさず過ごせるだろうか。

 騒ぎは絶対に起こすだろう。
 それはもう確定事項でいいとして、だ。

 辺境伯に迷惑を掛けない程度で済むと、私もありがたいのだが。

「――よし、みんな降りてくれ」

 壁に隔たれた領都の前で、一旦馬車を止めた私が声を掛け、五人が並ぶ。
 これほど大きな建造物は向こう・・・にはないので、ぜひ明るい時に見せたかったが……

 いや、大丈夫か。

 彼女たちは夜目が利くから。
 夜の帳が降りている今でも、瞳を輝かせてそびえ果てなく続く壁を見ているから。

「ここが、これから私たちが世話になる街だ」

 さあ、新婚旅行の始まりだ。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない 

堀 和三盆
恋愛
 一年にわたる長期出張から戻ると、愛する妻のシェルタが帰らぬ人になっていた。流行病に罹ったらしく、感染を避けるためにと火葬をされて骨になった妻は墓の下。  信じられなかった。  母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。  そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。  日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます 修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。 その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。 彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。 ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。 一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。 必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。 なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ── そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。 これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。 ※小説家になろうが先行公開です

猫に転生したらご主人様に溺愛されるようになりました

あべ鈴峰
恋愛
気がつけば 異世界転生。 どんな風に生まれ変わったのかと期待したのに なぜか猫に転生。 人間でなかったのは残念だが、それでも構わないと気持ちを切り替えて猫ライフを満喫しようとした。しかし、転生先は森の中、食べ物も満足に食べてず、寂しさと飢えでなげやりに なって居るところに 物音が。

形だけの妻ですので

hana
恋愛
結婚半年で夫のワルツは堂々と不倫をした。 相手は伯爵令嬢のアリアナ。 栗色の長い髪が印象的な、しかし狡猾そうな女性だった。 形だけの妻である私は黙認を強制されるが……

断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。 私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。 処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。 魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

処理中です...