188 / 252
187.小麦粉がきっかけだったのだと思う
しおりを挟む「ケイラ」
「やりましょう」
何を、だなんて話す必要はない。
二人とも、気持ちは同じだったから。
その日の昼過ぎ、ぽっかりと空いた時間ができた。
午前中で家事が終わり、昼食を終えた後、少しだけできた空白の時間。
私とケイラは、この時を待っていた。
いや、この時間を作り上げることに成功したのだ。
「持ってくる」
「では私は道具の準備を」
ナナカナは、昼食が終わるとサジライトとともに遊びに行った。今日は錆鷹族の子供たちとヤギを追い回すそうだ。ナナカナが子供らしいことをしているとなんだかほっとする。
私が攫われようが男子会で異様な盛り上がりを見せようが、双子は相変わらず静かに寝ているばかりだ。
赤子の世話は大変だとたくさんの者に言われて来たが、拍子抜けするくらい白蛇族の赤子は手が掛からない。
手が掛からな過ぎてちょっと寂しい気もするが……いや、こんな感情は贅沢だな。
夜泣きで度々起こされて、満足に寝られない父母も珍しくないと聞いたことがあるから。
……まあ、赤子はさておきだ。
空いた時間を見つけては少しずつ、家事の邪魔にならない程度に手を入れてきた。
夏は戦士だけじゃなく、戦士を支える側も忙しく、あまり時間が取れない日々が続いていたが。
しかしそれでも、少しずつの歩みでも、前身はしているもの。
私たちの作業も、そろそろ終わりが見えてきていた。
いや、恐らく今日で終わる。
――いよいよ製粉だ。
私とケイラが心から望んでいたもの。
それは小麦である。
春小麦を植えたにしても成長が早かったようで、この時期に収穫となった。本来ならもう一ヵ月くらいは置くはずなのだが。
というか、私が誘拐されていた間に、ケイラが収穫を済ませていたのである。
この地で小麦が育つかどうかわからなかったので、小規模の畑で作っていた。
一人で刈り取るのも、そう手間は掛からなかったそうだ。
収穫するには時期が早くないかと思ったが、しかし私が見た限りでも、ケイラの判断は間違っていなかったと思う。
太陽に炙られたかような焦げ茶色の麦は見事に、そして立派に育っていた。
それから、空いた時間を使って少しずつ作業を進めた。
穂を乾かして枯れたような色になると、麻袋代わりに柔らかい革で挟み、穂と実を雑に潰す。
ザルで何度もふるいに掛けて、折れた穂と籾殻を落として。
そして、ザルに残った小麦を、手作業で一つずつ殻を剥いていく。
以上の気が遠くなりそうな行程を経てできたのが、酒壷に納まる程度に残った、この白い粒の山である。
あれだけ手間暇を掛けても、たったこれだけの量しかないのである。
今更ながらに、田畑で作物を育てるという仕事がどれだけ大変なのか、思い知った。
農民はすごい。農業は尊い。民をないがしろにしている国はことごとく滅する理由を身をもって知った。
そんなこんながあって、いよいよ製粉である。
脱穀した麦の粒を、いよいよすり潰して粉にして、私たちがよく知る小麦粉にするのである。
石臼のようなものはないので、薬剤用のすり鉢を使う。
ケイラが麦を棒で叩いて砕き、砕かれたそれを私がすり鉢で擦る。
ひたすら擦る。とにかく擦る。これだけやってこれだけしかできないことにがっかりしながらも擦り続ける。思わぬ重労働に夏の暑さが容赦なく体内を燃やし、すぐに汗が吹き出てきた。それでも擦る。「ちょっと交代しない?」と問いケイラに笑顔で拒否されても擦り続ける。一瞬ナナカナが帰ってきたが「あっこれ仕事を任されそうな流れだ」と説明的な独り言を漏らしてまた出て行ったのを尻目に擦る。勘のいい子だと舌を巻きながら擦る。少し代わってほしかったと思いながら擦る。暑さと疲労で頭がぼーっとしてきても手は止めない。ひたすら擦る。とにかくひたすら擦る。
そうして、私たちは愛しくも恋しかった白い粉を築き上げたのだった。
「小麦粉は欲しいが割に合わないな」
「そうですね」
と、白い粉を前に実も蓋もない結論に至りながら。
さて。
製粉が終わり、ちょっと顔を洗ってしゃきっとして、再び家に戻ってきた。
白い粉は、壷の中にある。
正直……想定以上に少ない。
育成自体は楽だったので省くにしても、収穫から脱穀、製粉までの労働の対価に合わないくらい、少ない。
「少ないよな?」
「そうですね。小さなパンが十個くらい……」
「具体的な量の話はやめようか」
本当に二人してがんばったのだ。
貴重な空き時間を注いで、やっとこれだけできたのだ。
……本当に割に合わない。
「これは専用の道具がある前提で、専門で育てる人のやることですね。主夫の空き時間でやることではないかと」
考えることはケイラも同じだったようだ。
本当に同感である。
これは本当に大変だ。
しかもここまでやってパン作りの職人がいるわけでもなく、きっとパンを作ろうとしても、とてもパントは呼べないまずいパンが焼けるだけなのだろう。
いや、パンみたいな失敗作ができるだけかもしれない。
パン作り……一応経験はあるが、焼く設備がないからな……
「これならバックウィート……あ、ル・イバの実の方が使いやすいかと思います」
「そうだな」
もう小麦作りは諦めて、またルフルにル・イバの種を調達してもらおう。あれを使ったパンケーキは皆好きだしな。
……で、この小麦粉は、どうしたものか。
「ケイラ、これどうしたらいいと思う? パンを作るか?」
「これだけの量しかありませんからね。どうしてもパンが食べたいですか? 一回か二回か、くらいでしょうか」
「……そう言われると、あえてパンを焼く必要があるとも言えないな」
それに、この量だと、失敗は許されないだろう。あえて冒険をするほど素人の焼いたパンが食べたいかと言われると、なぁ……
…………
うむ。
「現実的なのは、やはり菓子かな。焼き菓子。クッキーなんかは作れると思うが」
「いいですね。パイなどは?」
パイ。パイか。
「バターがないし、オーブンもない。劣ると思う」
「そう、ですか……じゃあ……」
うーん……あ、そうだ。
「ドーナツはどうだ?」
形は悪いが、あれならフライパンで作れそうだ。植物油ならそれなりにあるし、……まあ揚げるというよりは油多めで焼くソテーという感じになるが。
しかしこれなら、砂糖を振るだけでも美味しいと思う。揚げパンみたいになりそうな気がする。
「いいと思いますよ。足りないものが多すぎて、私は案がもう出ません」
「そうか……では、試しに少しだけ小麦粉を使って、ドーナツを揚げてみようか」
「はい」
思えば、このわずかな量の小麦粉がきっかけだったのだと思う。
「――アーレ。少し集落を離れてもいいか?」
タタララが白蛇族の集落を出たいと言い出したのは。
10
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
妹に陥れられ処刑決定したのでブチギレることにします
リオール
恋愛
実の妹を殺そうとした罪で、私は処刑されることとなった。
違うと言っても、事実無根だとどれだけ訴えても。
真実を調べることもなく、私の処刑は決定となったのだ。
──あ、そう?じゃあもう我慢しなくていいですね。
大人しくしてたら随分なめられた事態になってしまったようで。
いいでしょう、それではご期待通りに悪女となってみせますよ!
淑女の時間は終わりました。
これからは──ブチギレタイムと致します!!
======
筆者定番の勢いだけで書いた小説。
主人公は大人しく、悲劇のヒロイン…ではありません。
処刑されたら時間が戻ってやり直し…なんて手間もかけません。とっととやっちゃいます。
矛盾点とか指摘したら負けです(?)
何でもオッケーな心の広い方向けです。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
旦那様は転生者!
初瀬 叶
恋愛
「マイラ!お願いだ、俺を助けてくれ!」
いきなり私の部屋に現れた私の夫。フェルナンド・ジョルジュ王太子殿下。
「俺を助けてくれ!でなければ俺は殺される!」
今の今まで放っておいた名ばかりの妻に、今さら何のご用?
それに殺されるって何の話?
大嫌いな夫を助ける義理などないのだけれど、話を聞けば驚く事ばかり。
へ?転生者?何それ?
で、貴方、本当は誰なの?
※相変わらずのゆるふわ設定です
※中世ヨーロッパ風ではありますが作者の頭の中の異世界のお話となります
※R15は保険です
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。
にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。
父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。
恋に浮かれて、剣を捨た。
コールと結婚をして初夜を迎えた。
リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。
ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。
結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。
混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。
もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと……
お読みいただき、ありがとうございます。
エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。
それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる