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187.小麦粉がきっかけだったのだと思う

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「ケイラ」

「やりましょう」

 何を、だなんて話す必要はない。
 二人とも、気持ちは同じだったから。

 その日の昼過ぎ、ぽっかりと空いた時間ができた。

 午前中で家事が終わり、昼食を終えた後、少しだけできた空白の時間。
 私とケイラは、この時を待っていた。

 いや、この時間を作り上げることに成功したのだ。

「持ってくる」

「では私は道具の準備を」

 ナナカナは、昼食が終わるとサジライトとともに遊びに行った。今日は錆鷹サク・トコン族の子供たちとヤギを追い回すそうだ。ナナカナが子供らしいことをしているとなんだかほっとする。

 私が攫われようが男子会で異様な盛り上がりを見せようが、双子は相変わらず静かに寝ているばかりだ。
 赤子の世話は大変だとたくさんの者に言われて来たが、拍子抜けするくらい白蛇エ・ラジャ族の赤子は手が掛からない。

 手が掛からな過ぎてちょっと寂しい気もするが……いや、こんな感情は贅沢だな。
 夜泣きで度々起こされて、満足に寝られない父母も珍しくないと聞いたことがあるから。

 ……まあ、赤子はさておきだ。

 空いた時間を見つけては少しずつ、家事の邪魔にならない程度に手を入れてきた。
 夏は戦士だけじゃなく、戦士を支える側も忙しく、あまり時間が取れない日々が続いていたが。

 しかしそれでも、少しずつの歩みでも、前身はしているもの。
 私たちの作業も、そろそろ終わりが見えてきていた。

 いや、恐らく今日で終わる。

 ――いよいよ製粉だ。




 私とケイラが心から望んでいたもの。
 それは小麦である。

 春小麦を植えたにしても成長が早かったようで、この時期に収穫となった。本来ならもう一ヵ月くらいは置くはずなのだが。
 というか、私が誘拐されていた間に、ケイラが収穫を済ませていたのである。

 この地で小麦が育つかどうかわからなかったので、小規模の畑で作っていた。
 一人で刈り取るのも、そう手間は掛からなかったそうだ。

 収穫するには時期が早くないかと思ったが、しかし私が見た限りでも、ケイラの判断は間違っていなかったと思う。
 太陽に炙られたかような焦げ茶色の麦は見事に、そして立派に育っていた。

 それから、空いた時間を使って少しずつ作業を進めた。

 穂を乾かして枯れたような色になると、麻袋代わりに柔らかい革で挟み、穂と実を雑に潰す。
 ザルで何度もふるいに掛けて、折れた穂と籾殻を落として。

 そして、ザルに残った小麦を、手作業で一つずつ殻を剥いていく。

 以上の気が遠くなりそうな行程を経てできたのが、酒壷に納まる程度に残った、この白い粒の山である。

 あれだけ手間暇を掛けても、たったこれだけの量しかないのである。

 今更ながらに、田畑で作物を育てるという仕事がどれだけ大変なのか、思い知った。
 農民はすごい。農業は尊い。民をないがしろにしている国はことごとく滅する理由を身をもって知った。

 そんなこんながあって、いよいよ製粉である。
 脱穀した麦の粒を、いよいよすり潰して粉にして、私たちがよく知る小麦粉にするのである。

 石臼のようなものはないので、薬剤用のすり鉢を使う。
 ケイラが麦を棒で叩いて砕き、砕かれたそれを私がすり鉢で擦る。

 ひたすら擦る。とにかく擦る。これだけやってこれだけしかできないことにがっかりしながらも擦り続ける。思わぬ重労働に夏の暑さが容赦なく体内を燃やし、すぐに汗が吹き出てきた。それでも擦る。「ちょっと交代しない?」と問いケイラに笑顔で拒否されても擦り続ける。一瞬ナナカナが帰ってきたが「あっこれ仕事を任されそうな流れだ」と説明的な独り言を漏らしてまた出て行ったのを尻目に擦る。勘のいい子だと舌を巻きながら擦る。少し代わってほしかったと思いながら擦る。暑さと疲労で頭がぼーっとしてきても手は止めない。ひたすら擦る。とにかくひたすら擦る。
 
 そうして、私たちは愛しくも恋しかった白い粉を築き上げたのだった。

「小麦粉は欲しいが割に合わないな」

「そうですね」

 と、白い粉を前に実も蓋もない結論に至りながら。




 さて。
 製粉が終わり、ちょっと顔を洗ってしゃきっとして、再び家に戻ってきた。

 白い粉は、壷の中にある。

 正直……想定以上に少ない。
 育成自体は楽だったので省くにしても、収穫から脱穀、製粉までの労働の対価に合わないくらい、少ない。

「少ないよな?」

「そうですね。小さなパンが十個くらい……」

「具体的な量の話はやめようか」

 本当に二人してがんばったのだ。
 貴重な空き時間を注いで、やっとこれだけできたのだ。

 ……本当に割に合わない。

「これは専用の道具がある前提で、専門で育てる人のやることですね。主夫の空き時間でやることではないかと」

 考えることはケイラも同じだったようだ。
 本当に同感である。

 これは本当に大変だ。
 しかもここまでやってパン作りの職人がいるわけでもなく、きっとパンを作ろうとしても、とてもパントは呼べないまずいパンが焼けるだけなのだろう。
 いや、パンみたいな失敗作ができるだけかもしれない。

 パン作り……一応経験はあるが、焼く設備がないからな……

「これならバックウィート……あ、ル・イバの実の方が使いやすいかと思います」

「そうだな」

 もう小麦作りは諦めて、またルフルにル・イバの種を調達してもらおう。あれを使ったパンケーキは皆好きだしな。

 ……で、この小麦粉は、どうしたものか。

「ケイラ、これどうしたらいいと思う? パンを作るか?」

「これだけの量しかありませんからね。どうしてもパンが食べたいですか? 一回か二回か、くらいでしょうか」

「……そう言われると、あえてパンを焼く必要があるとも言えないな」

 それに、この量だと、失敗は許されないだろう。あえて冒険をするほど素人の焼いたパンが食べたいかと言われると、なぁ……

 …………

 うむ。

「現実的なのは、やはり菓子かな。焼き菓子。クッキーなんかは作れると思うが」

「いいですね。パイなどは?」

 パイ。パイか。

「バターがないし、オーブンもない。劣ると思う」

「そう、ですか……じゃあ……」

 うーん……あ、そうだ。

「ドーナツはどうだ?」

 形は悪いが、あれならフライパンで作れそうだ。植物油ならそれなりにあるし、……まあ揚げるというよりは油多めで焼くソテーという感じになるが。

 しかしこれなら、砂糖を振るだけでも美味しいと思う。揚げパンみたいになりそうな気がする。

「いいと思いますよ。足りないものが多すぎて、私は案がもう出ません」

「そうか……では、試しに少しだけ小麦粉を使って、ドーナツを揚げてみようか」

「はい」




 思えば、このわずかな量の小麦粉がきっかけだったのだと思う。

「――アーレ。少し集落を離れてもいいか?」

 タタララが白蛇エ・ラジャ族の集落を出たいと言い出したのは。



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