上 下
185 / 252

184.帰ってきた温度差の夜

しおりを挟む




「――しばらく留守にした。すまない」

 十日以上にも及ぶ不在の末、族長夫妻が帰ってきた。
 その日の夜の話である。

 今日も狩りを終えた戦士たちが酒盛りに入る――その直前に、アーレは族長権限を使って広場に集まるよう通達を出した。
 まだ返り血を残し怪我をしたままで、かなり気が立っている戦士たちが、アーレの指示でその場に座して、族長の言葉を待っていた。

 そして戦士たちが揃ったのを見計らい、目立つよう立っているアーレが口を開く。

「話すべきことがある。手短に済ませるから酒が入る前に聞け」

 これは白蛇エ・ラジャ族を束ねる族長からの、正式な通達である。
 無論、集められた理由がわかっているからこそ、誰も文句一つ言わず待っていたのだ。
 集まりを聞きつけて、女子供も遠巻きに見ている。

 夕陽に焼けて赤一面の空の下、赤く染まったアーレが言う。

「まず、我が夫は無事に取り戻した」

 そう、まず大事なことはそこだ。

 この集落の者を、それも族長の番を誘拐されるという屈辱をちゃんと雪いだのか。
 どのような形で雪いだのか。
 白蛇エ・ラジャ族の恥はきちんと清算できたのか。

 戦士たちの誇りは守られたのか。

 もしアーレの報復が不十分なら、戦士たちは残りのツケを払わせるために、問題の集落へ殴り込みを掛けるだろう。

 舐められたままでいてはいけない。
 それが戦士であり、そうじゃないと日常的に命を懸けて狩りなどやっていられない。

錆鷹サク・トコン族が我が夫を攫った目的は、怪我人の治療だ。
 もう皆知っていると思うが、夫レインは治癒師としても薬師としても優秀だ。その腕を見込まれて連れて行かれた。
 まあ、理由はどうでもいいがな」

 重要なのは攫った事実と、それに対する報復のみだ。

 果たして皆殺しにしたのか。
 どのように皆殺しにしたのか。
 逆に皆殺しにしなかったのか。
 女子供も皆殺しにしたのか。
 家畜も神の使いも皆殺しにしたのか。

 気が立っている戦士たちの多くが、かなり物騒なことを考えていた。
 そして、それを望んでいた。

「ナェト。サリィ。来い」

 アーレが呼びかけると、見慣れない錆鷹サク・トコン族の男女二人がアーレの横に立つ。

「こいつらは人質だ。何かあったら殺すし、錆鷹サク・トコン族に攻め入る理由になる」

「――ちょっと待て」

 声を上げたのは、古参の戦士だ。

錆鷹サク・トコン族の奴らは皆殺しにしたのか?」

「していない。殺す必要がなかったからだ」

 平然と否と答えた族長に、古参どころか血気盛んな若い戦士たちも怒号を上げた。

 ふざけるな、冗談じゃない、生温い、だから女の族長は駄目なんだ、と。

「黙れ! 族長の話が終わっていない!」

 鋭い槍のような声で吠えたのはタタララである。
 一瞬で場を制したタタララだが、しかし気が立った目でアーレを見る。

「だが気持ちは私も一緒だぞ。なぜ皆殺しにしなかった? ちゃんと説明しろ、アーレ」

 彼女も狩りが終わってすぐなので気が立っている。

「必要がないからと言った。殺せば終わりだ。しかし生かしておけば使い道はたくさんある。そのための人質だ。

 こう考えるとわかりやすいだろう――我は錆鷹サク・トコン族との戦に勝ち、奴らの集落は我が支配した。
 奴らにはこれから貢ぎ物もさせるし労働もさせる。
 
 錆鷹サク・トコン族は支配地にしたのだ。支配した部族を殺す必要があるか? 相手は降伏した、ならばそれでよかろう」

 色々と気になるところもあるが――支配した、という言葉に納得する者は多かった。確かに殺せば終わりだよな、と。

「フーラ爺さんが畑に専念したいと言っていただろう。こいつらは爺さんの代わりだ」

 フーラ爺さんは、普段は畑仕事をしている風馬フ・バ族である。白蛇エ・ラジャ族に婿入りしてこの集落に住み着いた。

 有事の際には、風馬フ・バ族自慢の足で方々に走る役割があったが……
 寄る年波には抗えず、もうあまり走れなくなってしまった。

 だが、だからと言ってすぐ代わりがいるわけでもなく、しばらく無理をさせていた。

「こいつらは速く飛ぶことができる。我らの役に立つ。ひとまずはそれでいいだろう。そのほかのことは追々考えるつもりだ」

 それと、とアーレは続ける。

「さっき言った通り、錆鷹サク・トコン族は我が支配し、降伏した。だから手荒に扱うなよ。
 この二人と、二人の子供が三人いるが、こいつらは我のものだ。そしてこの二人は戦士じゃない。
 客人扱いはしなくていいが、意味もなく蔑んだり嫌がらせをするな。集落の同居人として扱え。
 
 もう一度言う。こいつらは我のもので、利用価値がある。絶対に不要に傷つけるな」

 戦士たちの全員が納得したわけではないが、納得した者は多かった。

 こうして、この場は解散となった。




「――面白いことを考えたな」

「つまりどういうことだ?」「わからん」「誰か説明しろ」「人質……え? 皆殺しは?」
などと言いながら、いまいち話がわからなかった戦士たちが首を傾げながら去っていく中。

 アーレに声を掛けたのは、婆様ことネフィートトである。
 彼女はレインが帰ってきたと聞いて会いには行ったが、諸々の詳細はアーレに聞けと言われてここにいた。

「わかっていると思うが、レインの注文だ」

「だろうな。わしは皆殺し以外がないと思っておったわ」

 その通りだ。
 アーレは錆鷹サク・トコン族を皆殺しにするつもりだった。

 ――レインが「嫌いになる」なんて言わなければ、少なくとも五、六人の首は刎ねていただろう。

「確かに生かしておいた方が利が多いよなぁ」

 ネフィートトは神妙な顔でこちらを見ている、錆鷹サク・トコン族の夫婦ナェトとサリィを見る。

 短い時間だったが、大勢の戦士に、今にも飛び掛かってきそうな殺意を向けられていたのだ。
 生きた心地がしなかっただろう。

「悪くない説明じゃったぞ。しばらくわしも気を付けて見ていよう」

 族長がはっきり「手を出すな」と言ったので、誰もしないとは思うが、誰かがちょっかいを出すかもしれない。
 白蛇エ・ラジャ族の集落に馴染むまでは、最低限の面倒を見ようとネフィートトは思っている。

 実はレインもそのつもりで、しばらくは族長宅で預かろうかと考えていたりする。
 ナェトらの子供たちは、族長宅で夕食とともに待っている状態だ。

 なお、レインはここにいない。
 この話の大元を考えた者であるだけに同席は求めなかった。説明する余地もなく事情を知っているから。

「頼む。こういうのは我も初めてだ、何があるかわからん」

「うむ」

 こうして、忙しい夏に錆鷹サク・トコン族の一家が集落にやってきた。




 そして、何か特別なことがあるかと思えばそうでもなく、順調に戦の季節は過ぎていく。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~

黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。

妹に陥れられ処刑決定したのでブチギレることにします

リオール
恋愛
実の妹を殺そうとした罪で、私は処刑されることとなった。 違うと言っても、事実無根だとどれだけ訴えても。 真実を調べることもなく、私の処刑は決定となったのだ。 ──あ、そう?じゃあもう我慢しなくていいですね。 大人しくしてたら随分なめられた事態になってしまったようで。 いいでしょう、それではご期待通りに悪女となってみせますよ! 淑女の時間は終わりました。 これからは──ブチギレタイムと致します!! ====== 筆者定番の勢いだけで書いた小説。 主人公は大人しく、悲劇のヒロイン…ではありません。 処刑されたら時間が戻ってやり直し…なんて手間もかけません。とっととやっちゃいます。 矛盾点とか指摘したら負けです(?) 何でもオッケーな心の広い方向けです。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが

マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって? まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ? ※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。 ※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。

【完結】どうして殺されたのですか?貴方達の愛はもう要りません  

たろ
恋愛
処刑されたエリーゼ。 何もしていないのに冤罪で…… 死んだと思ったら6歳に戻った。 さっき処刑されたばかりなので、悔しさも怖さも痛さも残ったまま巻き戻った。 絶対に許さない! 今更わたしに優しくしても遅い! 恨みしかない、父親と殿下! 絶対に復讐してやる! ★設定はかなりゆるめです ★あまりシリアスではありません ★よくある話を書いてみたかったんです!!

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

処理中です...