183 / 252
182.嫁は長居する気はさらさらなかった
しおりを挟む――よし。
――これで、見える範囲は全て繋いだ。
――あとは、慎重に、腕と腕を接触させて、たるんだ糸を引き締めれば……
「……はあ」
終わった。
疲れた。
見てくれは悪い。
異物を無理やりくっつけたようにしか見えないが、本来これはここにあるべきものだ。右腕の肘から下だけ痩せ細っているが、ちゃんと治ればいずれ元通りになるだろう。
……もしダメなら、また切り離さないといけないが。
だが、とにかく、今できることはやり切った。
あとはちゃんと治っていることを祈るばかりだ。
黒糸をふんだんに使っているのですぐに継ぎ目は一体化すると思うが、念のために傷薬を塗って包帯代わりの葉を巻いておく。
あまり黒糸は見られたくないし、できるだけ早く治ってほしいというのもある。
「……ああ、腰が」
痛い。
時々伸ばしていたが、基本ずっと中腰だったから、非常に痛い。
本当に疲れた。
目を使いすぎたせいか、目の奥が痛い。前もこんな感じになったな。「鷹の目」の後遺症だろうか。
……過ぎた力だから、単純に肉体が耐えられないのかもな。
血に濡れた手を洗い、後片付けをして、歩き出す。
やるべきことはやったので、今私とオーカがやるべきことは、ゆっくり休むことだ。
心身ともに疲れ切った私は、今なら死んだように眠れると思う。
ここは洞窟のような場所なので、どれくらい時間が経ったのかさっぱりわからない。
この疲労と空腹具体は、半日くらい経っている気がする。
昼頃から始めたから、今は夜中だろうか。
……おや。見覚えのある背中が。
「――終わったか?」
まるで神事の間の門番であるかのように、月明かりが当たる出入り口で背中を向けて地面に座っていたのは、アーレだった。
酒壷を脇に抱えて、ここで呑んでいたようだ。
何をしているか、なんて聞く気はない。
私を待っていたに決まっているから。
「なんとかね。治るかどうかはわからないが、やるべきことはやった」
「そうか。――まあ座れ」
……一刻も早く帰って寝たいんだが、まあ、いいか。せっかくの嫁の誘いだ。
膝から崩れるようにしてアーレの隣に座る。
神経なら酷使した自覚があるが、思ったより身体も疲れているようだ。再び立ち上がるのに力が要りそうだな……やれやれ。
「ほれ」
酒の入った盃を渡された。
「呑んだらすぐ寝そうなんだけど」
「寝ればいい。我が運んでやる」
そう。
じゃあ遠慮なく。
「月が近いな」
「そうだね。実際に近いんじゃないか?」
何せここは高い山の中腹で、頂上は雲が掛かるほどの標高だ。
白蛇族の集落から見る三日月より、大きくて明るい気がする。
嫁と並んで座り、酒を呑み、月を見る。
初めてのことである。
「今度は一緒に満月が見たいな」
「満月か。それもいいな」
特に話すことはない。
でも、それでいい。
少なくとも、今の私はこれだけで満たされ、疲労が癒えていくのがわかる。
アーレは私に執着しているかもしれないが、私だってアーレを頼りにしているのだ。彼女が傍にいるだけで安心するし、とても心強い。
何より、好きだから。
かなりイレギュラーな流れだとは思うが、王族に生まれて恋愛結婚できたことは、とても幸運だったと思う。
こちらでの生活に不便や不満がないとは言わないが、好きな女性と一緒にいられるなら、その程度は安い物だ。
「レイン。おまえが人を治している姿、我は今日までちゃんと見たことがなかった」
ん?
どこかのタイミングで見に来たのか……全然気づかなかったが。
「怖いくらい真剣な顔だった。声を掛けられないほどに」
と、アーレは私の肩に寄り掛かってきた。
「――初めて見た顔だった。格好良かった」
…………
「惚れ直した?」
「惚れ直すも何も。我は毎日おまえに惚れ直しているぞ」
……そう。
「私は、アーレが無事に帰ってくるとほっとするよ。毎日変わらずに」
「そうか。でも好きと言え」
「好きだよ。とても。愛している」
「愛……?――ん」
こちらを向いた拍子に、唇を寄せた。口移しで酒を呑ませてやった。
「早く集落に帰ろうな」
「……うん。もう攫われるなよ。今度攫われたら、我は心配で気がおかしくなるぞ」
それは攫う方に言ってほしいが。
三日月の優しい光に照らされたアーレの横顔は、とても美しかった。
一杯だけゆっくりと酒を呑み、手を繋いで歩いて帰った。
翌日。
昨日の内に交渉は済んでいたようで、夫婦と小さな子供二人という四人組一家が、私たちを送りがてら移住することが決定していた。
これに、怪我を癒して族長を次に譲ったオーカとミフィの新婚夫婦を含めた六名が、白蛇族の人質となる。
どうやらアーレは、長居する気はさらさらなかったようだ。
まあ、私もこれ以上居る理由はないしな。
オーカの怪我はもう大丈夫だろう。
あとは失った血と衰えた身体だけだ。骨折箇所も順調に回復しているし。
個人的には、右腕の様子と経過は観察したいが……たぶんアーレは待たないだろう。引きずってでも連れて帰ると思う。
「――世話になったな。本当に世話になった」
最後の挨拶に神事の間にやってきた。
オーカはミフィの手を借りて上半身を起こすと、私とアーレに頭を下げた。
「先に行く」
アーレは私にそれだけ言い、神事の間を出て行った。……まあ、改めて別れの挨拶をするには、アーレはオーカとの付き合いが短いしな。
私とオーカに気を遣ったのだろう。
気を遣われても、大した話はしないのだが。
「腕の調子はどうだ?」
「すごいぜ。脈打ってる。正直俺の腕じゃないみたいだが、確実に俺の血が通ってる」
そう言われると成功っぽいな。
「まあ、動かせないけどな」
「動かせないのか?」
「ああ。力が入らないんだ。だが指先の感覚はあるから、いずれ動くようになるかもしれん」
……そうか。経過を見守る必要がありそうだな……治るといいんだが。
「私はもう集落に帰るが、もし何かあれば、今度はあなたが来てくれ。誰かに運んでもらってもいいし」
「そうする。今度はアーレも容赦しないだろうからな」
うん。本当にな。笑いながら言っているけど笑いごとじゃないからな。本当だからな。きっと今度は私が止める間もなく皆殺しだからな。
「次は白蛇族の集落で会おう。またな、オーカ」
「ああ。またな、レイン」
こうして、私はようやく白蛇族の集落に……私がいるべき場所へと帰るのだった。
白蛇族の族長アーレが、一人で乗り込んできて錆鷹族の戦士たちを倒し、集落を制圧した。
錆鷹族の戦士たちが敵わなかった大物の魔獣をたった一人で狩った。
そして、アーレの婿がこの世の誰よりもいい男だった。
――そんな伝説が南の地に広まるのは、もう少し先の話である。
10
お気に入りに追加
73
あなたにおすすめの小説
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
妹に陥れられ処刑決定したのでブチギレることにします
リオール
恋愛
実の妹を殺そうとした罪で、私は処刑されることとなった。
違うと言っても、事実無根だとどれだけ訴えても。
真実を調べることもなく、私の処刑は決定となったのだ。
──あ、そう?じゃあもう我慢しなくていいですね。
大人しくしてたら随分なめられた事態になってしまったようで。
いいでしょう、それではご期待通りに悪女となってみせますよ!
淑女の時間は終わりました。
これからは──ブチギレタイムと致します!!
======
筆者定番の勢いだけで書いた小説。
主人公は大人しく、悲劇のヒロイン…ではありません。
処刑されたら時間が戻ってやり直し…なんて手間もかけません。とっととやっちゃいます。
矛盾点とか指摘したら負けです(?)
何でもオッケーな心の広い方向けです。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
旦那様は転生者!
初瀬 叶
恋愛
「マイラ!お願いだ、俺を助けてくれ!」
いきなり私の部屋に現れた私の夫。フェルナンド・ジョルジュ王太子殿下。
「俺を助けてくれ!でなければ俺は殺される!」
今の今まで放っておいた名ばかりの妻に、今さら何のご用?
それに殺されるって何の話?
大嫌いな夫を助ける義理などないのだけれど、話を聞けば驚く事ばかり。
へ?転生者?何それ?
で、貴方、本当は誰なの?
※相変わらずのゆるふわ設定です
※中世ヨーロッパ風ではありますが作者の頭の中の異世界のお話となります
※R15は保険です
売られていた奴隷は裏切られた元婚約者でした。
狼狼3
恋愛
私は先日婚約者に裏切られた。昔の頃から婚約者だった彼とは、心が通じ合っていると思っていたのに、裏切られた私はもの凄いショックを受けた。
「婚約者様のことでショックをお受けしているのなら、裏切ったりしない奴隷を買ってみては如何ですか?」
執事の一言で、気分転換も兼ねて奴隷が売っている市場に行ってみることに。すると、そこに居たのはーー
「マルクス?」
昔の頃からよく一緒に居た、元婚約者でした。
残念な婚約者~侯爵令嬢の嘆き~
cyaru
恋愛
女の子が皆夢見る王子様‥‥でもね?実際王子の婚約者なんてやってられないよ?
幼い日に決められてしまった第三王子との婚約にうんざりする侯爵令嬢のオーロラ。
嫌われるのも一つの手。だけど、好きの反対は無関心。
そうだ!王子に存在を忘れてもらおう!
ですがその第三王子、実は・・・。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※頑張って更新します。目標は8月25日完結目指して頑張ります。
婚約破棄とか言って早々に私の荷物をまとめて実家に送りつけているけど、その中にあなたが明日国王に謁見する時に必要な書類も混じっているのですが
マリー
恋愛
寝食を忘れるほど研究にのめり込む婚約者に惹かれてかいがいしく食事の準備や仕事の手伝いをしていたのに、ある日帰ったら「母親みたいに世話を焼いてくるお前にはうんざりだ!荷物をまとめておいてやったから明日の朝一番で出て行け!」ですって?
まあ、癇癪を起こすのはいいですけれど(よくはない)あなたがまとめてうちの実家に郵送したっていうその荷物の中、送っちゃいけないもの入ってましたよ?
※またも小説の練習で書いてみました。よろしくお願いします。
※すみません、婚約破棄タグを使っていましたが、書いてるうちに内容にそぐわないことに気づいたのでちょっと変えました。果たして婚約破棄するのかしないのか?を楽しんでいただく話になりそうです。正当派の婚約破棄ものにはならないと思います。期待して読んでくださった方申し訳ございません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる