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171.そして現在

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 その日の夕方には、アーレは白蛇エ・ラジャ族の集落を発った。
 
 ナナカナの言った通りである。
 攫われたレインのことが気になって気になって仕方なくて、他のことなんて何も手につかないし、考えられなかったからだ。

 こんな精神状態では、集落に居る意味もない。
 だから準備が終わり次第、さっさと行くことにした。

 迅速に行き、即座に帰ってくるつもりだ。

 月夜の下をひたすら南に走る。
 東の地と言われる場所まではわかるが、わからないその先が、南の地となる。

 東の地の最南端にある集落は、恐らく金狼キィ・ロー族のところだ。
 いや、もしかしたら南の地に分類されるかもしれない。

 明確な地図と境界線が決まっていないので、かなり曖昧なのだ。
 周囲の狩場によっては集落の場所さえ変わることもあるので、全ての集落の場所を正確に知るのは、各集落の神の使いだけだと言われている。

 神の使い。
 どこの集落にも必ず存在する、部族の守り神に等しい存在。
 神の代行とも言われるが、今も昔も謎が多い存在だ。

 神の使い同士で親交があり、どこともそれなりに仲が良いとされていて、少なくとも部族の同士の抗争はあっても神の使い同士が争ったという話はない。

 神の使いは、部族や土地に加護を与える。
 だが、部族の問題には関わらない。

 たとえば部族間戦争が起こったとしても、何もしない。
 たとえばアーレが集落に忍び込んで、一人ずつ暗殺していったとしても、神の使いは何もしない。
 部族を守ることはないし、また外敵を排しようと動くこともない。

 ただただ己が眷属に加護を与えるだけである。

 今回のような問題にも、決して触れない。
 控えめに口は出すかもしれないが、それ以上のことはしないだろう。 
 
 ――そうして部族を失った神の使いが、とある部族が言うところの「なり損ね」という種の誕生と言われているが、真相は定かではない。

 アーレは走った。
 ろくな休憩も取らず、走れないほど疲れたら倒れるように大地に寝転がり、適当に食い物を調達し、必要な行動以外はひたすら走った。

 他部族の集落に寄ることはなかった。
 時々、走る姿を親交のある戦士たちに見つかったりもしたが、手を振るだけで足を止めなかった。

 ――そう、この時期、普通であれば・・・・・・戦士の移動は必ず見つかるのだ。

 大地は広い。
 よその地から来たのであれば……南の地から来たのであれば、白蛇エ・ラジャ族の集落に直行したとしても、三日か四日は掛かるだろう。

 往復すれば、その倍。
 いや、復路はレインという荷物・・があるので、もっと時間が掛かる。

 普通であれば・・・・・・、よその部族に見つからず来ることも困難で、無事帰ることも困難なのだ。
 現に、もし普通の部族がレインを攫ったのであれば、アーレはとっくに追いついているだろう。

 周囲は味方の集落ばかりだ。
 油断していたとも言いづらい。今回は相手が普通じゃなさすぎたのだ。

 まさか一日掛けず、南の地から白蛇エ・ラジャ族の集落までやってくる部族がいるなんて、想定している部族はいないだろう。
 ましてや、見たことも聞いたこともほとんどないような、はるか遠くに住む部族の動向まで警戒などしない。

 数日走り続けたアーレの怒りは、それでもまったく治まらなかった。
 だが、ずっと考えていた。 

 なぜレインは攫われたのか、と。
 それも、聞いたことがないような遠い部族に。

 ――しかし、霊峰セセ・ラに近づくに連れ、考えるのはやめた。

 これ以上考える必要はない。
 誰かから聞き出せばいい。

 いつもは遠くかすかに見えていた山が、はっきりと見えてきた。
 きっとここが霊峰セセ・ラ。
 憎き錆鷹サク・トコン族が縄張りとしている場所だ。

「……うむ」

 山の中腹にあるという錆鷹サク・トコン族の集落を探しに行くことも考えたが。
 どこにあるかの目星も着いていない今闇雲に探すよりは、麓の森の上や山の周りを飛び回っている戦士らしき奴を捕まえて、情報を吐かせた方が早そうだ。

 今は夕方。
 夜はきっと集落に引き上げるだろう。

 となれば、動くのは明日だ。

 ここに至るまで走り続けて疲れ切っていたアーレは、森に入る前にしっかり休息と食事を取り。
 そして翌日、まだ暗い明け方に、麓の森に踏み入った。

 あとは、手頃な連中を捕まえるだけだが……

「……フン。好都合だ」

 何があったのか、三十名以上の戦士たちがどこかへ飛んでいく姿を見つけた。
 あれは間違いなく主力部隊だ。

 恐らくは何か大物を狩りに行くところだろう。
 武器もたくさん持っていた。

 ――つまり、あれを潰せば話は早いということだ。

 戦士さえどうにかしてしまえば、集落は無防備になる。
 おあつらえ向きにあれだけまとまって動いているのだ、ここでまとめて仕留めてしまえばいい。

 どの道、この数日、ずっと我慢をしてきた。
 気が狂いそうなほどにレインの安否に心を砕き、怒りと憎しみを滾らせてきた。

 頭が冷えるどころか、増している。

 そんな時に敵を見てしまった以上、もう我慢などできるわけがない。
 後の心配は、うっかりやり過ぎて殺してしまうかもしれないことだけだ。

 アーレは再び走り出した。
 連中が降りる場所まで、このまま追い駆けるのだ。








 ――そして、現在。

「見損なったぞ、キシン」

 錆鷹サク・トコン族の戦士たちが流血、あるいは骨折して地面に倒れる中。
 一人、毛色の違う者が混じっていた。

「いてて……だから何なんだよぉ……」

 金狼キィ・ロー族のキシンである。

「おまえたち金狼は、いつから姑息に人を攫うような真似をするようになった? おまえたちは欲しい物は力で奪うんじゃないのか? 我はおまえは嫌いだがそういうわかりやすいところは気に入っていたのに。
 腰抜けめが。せいぜい集落に帰って泣きついて金狼の戦士たちを連れてこい。おまえたちも皆殺しにしてやる」

「色々聞き捨てなんないけど人を攫うってなんだよ! 私はなんでおまえにボコられたんだよ! 理由がわかんないとこっちも本気になれねぇだろ! 理由を言え! 理由を! ……あっ」

 文句を言いながら、キシンは気づいた。

 そう言えば、今錆鷹サク・トコン族の集落には、攫って来たという治癒師の男がいるじゃないか。
 そう言えば、大狩猟の時にアーレが聞きたくもない番や子供の話をずーっとしていたではないか。

 料理が上手くて、薬師として腕が良くて、顔が良くて。
 この指輪は婿がくれたもので婿と同じ瞳の色をしていて、おまえの下品な金髪とは違う品のいい金髪の男だ、などなど。

 ――合致する。あの治癒師の男と、アーレが腹の立つ気の抜けた笑顔で延々語っていた番の特徴と、完全に一致する。

 そしてそれを察したところで、この状況が理解できた。
 やられても仕方ないとさえ思ってしまった。

 ただし――

「私は無関係だバカ野郎! 攫ったあとに錆鷹サク・トコン族の集落に来たの! んだよもぉいってぇなぁ!! 絶対あばら数本やってるわバカ野郎!!」

 


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