172 / 252
171.そして現在
しおりを挟むその日の夕方には、アーレは白蛇族の集落を発った。
ナナカナの言った通りである。
攫われたレインのことが気になって気になって仕方なくて、他のことなんて何も手につかないし、考えられなかったからだ。
こんな精神状態では、集落に居る意味もない。
だから準備が終わり次第、さっさと行くことにした。
迅速に行き、即座に帰ってくるつもりだ。
月夜の下をひたすら南に走る。
東の地と言われる場所まではわかるが、わからないその先が、南の地となる。
東の地の最南端にある集落は、恐らく金狼族のところだ。
いや、もしかしたら南の地に分類されるかもしれない。
明確な地図と境界線が決まっていないので、かなり曖昧なのだ。
周囲の狩場によっては集落の場所さえ変わることもあるので、全ての集落の場所を正確に知るのは、各集落の神の使いだけだと言われている。
神の使い。
どこの集落にも必ず存在する、部族の守り神に等しい存在。
神の代行とも言われるが、今も昔も謎が多い存在だ。
神の使い同士で親交があり、どこともそれなりに仲が良いとされていて、少なくとも部族の同士の抗争はあっても神の使い同士が争ったという話はない。
神の使いは、部族や土地に加護を与える。
だが、部族の問題には関わらない。
たとえば部族間戦争が起こったとしても、何もしない。
たとえばアーレが集落に忍び込んで、一人ずつ暗殺していったとしても、神の使いは何もしない。
部族を守ることはないし、また外敵を排しようと動くこともない。
ただただ己が眷属に加護を与えるだけである。
今回のような問題にも、決して触れない。
控えめに口は出すかもしれないが、それ以上のことはしないだろう。
――そうして部族を失った神の使いが、とある部族が言うところの「なり損ね」という種の誕生と言われているが、真相は定かではない。
アーレは走った。
ろくな休憩も取らず、走れないほど疲れたら倒れるように大地に寝転がり、適当に食い物を調達し、必要な行動以外はひたすら走った。
他部族の集落に寄ることはなかった。
時々、走る姿を親交のある戦士たちに見つかったりもしたが、手を振るだけで足を止めなかった。
――そう、この時期、普通であれば戦士の移動は必ず見つかるのだ。
大地は広い。
よその地から来たのであれば……南の地から来たのであれば、白蛇族の集落に直行したとしても、三日か四日は掛かるだろう。
往復すれば、その倍。
いや、復路はレインという荷物があるので、もっと時間が掛かる。
普通であれば、よその部族に見つからず来ることも困難で、無事帰ることも困難なのだ。
現に、もし普通の部族がレインを攫ったのであれば、アーレはとっくに追いついているだろう。
周囲は味方の集落ばかりだ。
油断していたとも言いづらい。今回は相手が普通じゃなさすぎたのだ。
まさか一日掛けず、南の地から白蛇族の集落までやってくる部族がいるなんて、想定している部族はいないだろう。
ましてや、見たことも聞いたこともほとんどないような、はるか遠くに住む部族の動向まで警戒などしない。
数日走り続けたアーレの怒りは、それでもまったく治まらなかった。
だが、ずっと考えていた。
なぜレインは攫われたのか、と。
それも、聞いたことがないような遠い部族に。
――しかし、霊峰セセ・ラに近づくに連れ、考えるのはやめた。
これ以上考える必要はない。
誰かから聞き出せばいい。
いつもは遠くかすかに見えていた山が、はっきりと見えてきた。
きっとここが霊峰セセ・ラ。
憎き錆鷹族が縄張りとしている場所だ。
「……うむ」
山の中腹にあるという錆鷹族の集落を探しに行くことも考えたが。
どこにあるかの目星も着いていない今闇雲に探すよりは、麓の森の上や山の周りを飛び回っている戦士らしき奴を捕まえて、情報を吐かせた方が早そうだ。
今は夕方。
夜はきっと集落に引き上げるだろう。
となれば、動くのは明日だ。
ここに至るまで走り続けて疲れ切っていたアーレは、森に入る前にしっかり休息と食事を取り。
そして翌日、まだ暗い明け方に、麓の森に踏み入った。
あとは、手頃な連中を捕まえるだけだが……
「……フン。好都合だ」
何があったのか、三十名以上の戦士たちがどこかへ飛んでいく姿を見つけた。
あれは間違いなく主力部隊だ。
恐らくは何か大物を狩りに行くところだろう。
武器もたくさん持っていた。
――つまり、あれを潰せば話は早いということだ。
戦士さえどうにかしてしまえば、集落は無防備になる。
おあつらえ向きにあれだけまとまって動いているのだ、ここでまとめて仕留めてしまえばいい。
どの道、この数日、ずっと我慢をしてきた。
気が狂いそうなほどにレインの安否に心を砕き、怒りと憎しみを滾らせてきた。
頭が冷えるどころか、増している。
そんな時に敵を見てしまった以上、もう我慢などできるわけがない。
後の心配は、うっかりやり過ぎて殺してしまうかもしれないことだけだ。
アーレは再び走り出した。
連中が降りる場所まで、このまま追い駆けるのだ。
――そして、現在。
「見損なったぞ、キシン」
錆鷹族の戦士たちが流血、あるいは骨折して地面に倒れる中。
一人、毛色の違う者が混じっていた。
「いてて……だから何なんだよぉ……」
金狼族のキシンである。
「おまえたち金狼は、いつから姑息に人を攫うような真似をするようになった? おまえたちは欲しい物は力で奪うんじゃないのか? 我はおまえは嫌いだがそういうわかりやすいところは気に入っていたのに。
腰抜けめが。せいぜい集落に帰って泣きついて金狼の戦士たちを連れてこい。おまえたちも皆殺しにしてやる」
「色々聞き捨てなんないけど人を攫うってなんだよ! 私はなんでおまえにボコられたんだよ! 理由がわかんないとこっちも本気になれねぇだろ! 理由を言え! 理由を! ……あっ」
文句を言いながら、キシンは気づいた。
そう言えば、今錆鷹族の集落には、攫って来たという治癒師の男がいるじゃないか。
そう言えば、大狩猟の時にアーレが聞きたくもない番や子供の話をずーっとしていたではないか。
料理が上手くて、薬師として腕が良くて、顔が良くて。
この指輪は婿がくれたもので婿と同じ瞳の色をしていて、おまえの下品な金髪とは違う品のいい金髪の男だ、などなど。
――合致する。あの治癒師の男と、アーレが腹の立つ気の抜けた笑顔で延々語っていた番の特徴と、完全に一致する。
そしてそれを察したところで、この状況が理解できた。
やられても仕方ないとさえ思ってしまった。
ただし――
「私は無関係だバカ野郎! 攫ったあとに錆鷹族の集落に来たの! んだよもぉいってぇなぁ!! 絶対あばら数本やってるわバカ野郎!!」
10
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
逃げて、追われて、捕まって
あみにあ
恋愛
平民に生まれた私には、なぜか生まれる前の記憶があった。
この世界で王妃として生きてきた記憶。
過去の私は貴族社会の頂点に立ち、さながら悪役令嬢のような存在だった。
人を蹴落とし、気に食わない女を断罪し、今思えばひどい令嬢だったと思うわ。
だから今度は平民としての幸せをつかみたい、そう願っていたはずなのに、一体全体どうしてこんな事になってしまたのかしら……。
2020年1月5日より 番外編:続編随時アップ
2020年1月28日より 続編となります第二章スタートです。
**********お知らせ***********
2020年 1月末 レジーナブックス 様より書籍化します。
それに伴い短編で掲載している以外の話をレンタルと致します。
ご理解ご了承の程、宜しくお願い致します。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する
エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】
最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。
戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。
目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。
ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!
彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!!
※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる