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168.巨大な吸老樹と、更なる脅威
しおりを挟む一時その場を離れたキシンとヨーゼは、相談して吸老樹の見極めをしてから、情報を持ち帰ることにした。
吸老樹なら、そう簡単には逃げられない。
何せ地面に根を張っているのだから。地面を蹴って移動する生物とは根本が違う。
急いで帰る必要はないのだ。
「稀にデカいのがいるとは聞いたことがあるけど、あそこまではさすがに……」
キシンは、巨大な吸老樹についての昔話は聞いたことがある。
吸老樹は小動物や虫を食べる、樹木の魔獣だ。
体内に取り込める……要するに樹木の胃袋が小さいので、人を襲うことはないと言われている。
彼の魔獣に対して、人は獲物として大きすぎるのだ。
しかし、あの大きさなら、人を襲ってもおかしくないと思える。
その辺で見る一般的な吸老樹とは比べ物にならないほど大きい。当然胃袋も大きいことだろう。
「実際いるんだな、あんなの」
「それ以前に、本当に吸老樹か? 俺にはただの木にしか見えないんだが」
「そりゃ私もただの木にしか見えないよ。問題はオーカの血の匂いがすることだ」
それも、結構強く漂って来た。
きっとオーカの右手を回収し、体内に取り込み、ゆっくりと養分を吸い上げているのだろう。
血液は水代わりだろうか?
巨木の中を染みわたっているのだろうか?
――反吐が出る話だ。
「だから確かめるんだろ。あれが本当に吸老樹なのか。それとどうやってオーカを斬ったのか」
恐らく魔導の一種だろうとは思うが。
しかしそれが実際はどういうものなのかは、戦う前に知っておきたい。
魔獣は魔導に通じる獣だ。
魔法みたいな特殊能力を発揮する魔獣なんて珍しくもない。
その日の夜、不在となっているオーカの家に、戦士たちが集められた。
この戦いは族長の仇討ちでもあるので、憎い仇を討つ相談はこの場所でするのが望ましいだろうと、ヨーゼがこの場所を選んだ。
一応、今の族長代理はヨーゼが務めているから。
「――族長を襲った魔獣を見つけた。吸老樹だ」
戦士たちがざわつく。
この森にも吸老樹は生息しているので、この場の誰もが一度は見たことがある魔獣だ。
大したことはない。
人は襲わない、すぐには動けないという、活かそうが殺そうが脅威にもならない魔獣だ。おまけに木だから狩ったところで得られるものも少ない。
そんないてもいなくても、という魔獣に、我らが族長がやられたと。
ともすれば「ふざけるな」だの「冗談を言うな」だの「そんなわけあるか」だのと、誰かが怒りの声を上げそうなものだが。
話をしたヨーゼも、その隣にいる助っ人のキシンも、至極真面目な顔をしている。
ふざけてもいないし冗談でもないしそんなわけがあったことを、言葉もなく雄弁に語っていた。
紛れもない事実だ、と。
「――続けるぞ」
ざわつきが収まってきた頃、ヨーゼは話を進める。
「見つけた吸老樹は特大で、風の魔法を使う。見えない刃を飛ばすんだ。俺とキシンは確かに見た――」
まず、本当に吸老樹なのかを確かめようとした。
それで全てが判明したのだが。
携帯食として持ってきていた干し肉を、吸老樹と疑わしき木の近くに投げ、様子を見たのだ。
しばらくすると、匂いを嗅ぎつけて鳥がやってきて――
地面に降りる前に、真っ二つに斬れて絶命した。
まさにオーカを襲ったであろう攻撃だった。
そして吸老樹は、ゆっくりと根を動かし真っ二つにした鳥を取り込むと、またただの巨木に戻った。
目の前で起きたこの一連の狩りの風景で、ヨーゼらは確信した。
やはりあれが仇で間違いない、と。
――そんな説明をすると、戦士たちの顔も真剣になってくる。
「で、問題はここからだ。……デカすぎるんだ、相手が。百年を生きた雨時鵡の木くらい大きかった」
通常種の吸老樹ならどうとでもなる。
斧で切ってもいいし石で殴ってもいいだろう。何を使っても時間さえ掛ければ倒せるだろう。
だが、あれは規格外だ。
まずその辺の武器で倒せるような大きさではないし、何より――殺傷能力の高い攻撃手段を持っている。
うかつに近づくのは危険であるのは、オーカの大怪我で全員が知っての通りだ。
――恐らく何百年も見逃したのだろう、というのがヨーゼの見立てである。
この山と麓の森は、何百年も錆鷹族が縄張りとして、共存してきた。
だが普通の部族と比べて大きく違う点があった。
錆鷹族は空を飛べることだ。
森の中を歩き回ることは、滅多にない。
大抵は開けた場所に降りるし、あえて生き物が住みやすいように環境を整える罠を張り、そこに住んだ魔獣などを効率的に狩ったりしてきた。
つまり、行動範囲は広いが、狩場自体は固定されていたのだ。
森の中にいくつもある狩場を回り、獲物を探し、狩る。
問題の吸老樹は、狩場を巡る錆鷹族の行動範囲から外れていたのだ。
何百年も上空を通らず、その場所を見ることもなかった、空白のような場所。
その場所で、問題の吸老樹は、誰に邪魔をされることもなく、大きく大きく育った。
その結果があの大木だろう、と。
普通ならあそこまで大きくなる前に、誰かに、あるいは何かに倒されている。
しかし戦士はそこを通らず、木を食らうような魔獣もそこに近づく前に戦士たちが狩っていた。
――要するに、偶然できていた安全領域で育ったのがあの個体だ、ということだ。
そして、ようやく人を襲えるほど大きく育ったから、今回近くを飛んでいる人を……獲物を攻撃したのだ。
刃の魔法で。
「あそこまで大きいと、槍が何本刺さっても死なない。斧でも一撃では倒せないだろう……近づいたら斬られるだろうしな。
正直、俺には火を点ける以外に安全に殺す方法が思いつかない」
吸老樹の短所は、木であることであり。
吸老樹の長所も、木であることだ。
血の通った生物じゃないので、これといった弱点がない。
首なんてないし、心の臓も持たない。
そもそも意思があるのかどうかさえわからない。
殺すには、木を切り倒せばいい。
そして、それが難しい大きさなのが、今回の吸老樹なのである。
少しずつ削る?
その間に刃にやられる。
もしあれが一発ずつではなく、全方位に一度に発することができたなら、戦士全員が一瞬で全滅することさえありえる。
空も安全ではない。
現にオーカがやられている。空に対応できず逃げるしかない魔獣とはわけが違う。
こうして考えると――あの吸老樹を狩る方法は、もう燃やし尽くすのが一番早くて安全じゃないかとヨーゼは思う。
しかし、それはできないのだ。
もし火が周囲に燃え移ったら、錆鷹族は縄張りを失うことになる。食料も取れなくなるし、森が元に戻るのに気が遠くなるほど時間が掛かるだろう。
……火を点けられた吸老樹が大人しくしているか、という問題である。
普通に暴れそうだし、暴れれば火の粉は広く飛んでいくだろう。
総出で火を消して回るという手もあるが、追いつかなかったら? 賭けに出るには失うものが大きすぎる。
「――毎日斧を投げまくってすぐ逃げて、少しずつ削るのはどうだ?」
戦士の一人が提案したが、ヨーゼは首を横に振った。
「変に攻撃して間を置けば、吸老樹が移動するかもしれない。どこに行ったのかわからなくなるのが一番怖い」
そう、あの木は時間さえ掛ければ移動できるのだ。
ヨーゼとキシンが、下手にちょっかいを出さずに引いた理由の一つでもある。
手を出すなら、その時倒し切る必要がある。
見張りを立てるという手もあるが、それでも見逃す危険がないとは言えない。
刃の魔法の有効範囲からすれば、かなり遠目から見張ることになる。人が見張る以上完璧はない。万が一にも見落としたら、また誰かが犠牲になりかねない。
いっそ討伐しない、という選択も悪くない気がしている。
吸老樹がいる場所はわかったので、今後はそこを避けて飛べばいいのだ。
だが、それは問題を先送りにするだけの話だ。
あの木が今よりもっと大きく成長し、猶更打つ手がなくなる危険も大いに孕んでいる。
族長の敵討ちは絶対にしたいが、それに伴う危険は相当なものである。
軽はずみに計画を立てたら、本当に全滅しかねない。
「他に何か案はないか?」
結局、巨大吸老樹を討伐する方法は思いつかず。
明日、改めて皆で見に行ってみよう、ということになった。
――その時、彼らは更なる脅威に出会うことも知らずに、明日に備えて解散するのだった。
一夜明けた早朝。
しっかり武装した錆鷹族の戦士たちは、ヨーゼの案内で飛んだ。
キシンも連れて飛ぶつもりだったが、彼女は「陸路で行くから先に行け」と、飛べる戦士たちを見送って走り出した。
どうせまだ様子見しかできないので、一緒に移動することもないだろう、と。
そしてヨーゼたちは、巨大吸老樹から少し距離がある開けた場所に降り立った。
すでに、そこに脅威はいたのである。
「――おまえたちは錆鷹族だよな?」
戦士四十名ほどが降り立ち、ヨーゼが指示を出そうとした、その時だった。
木陰に潜んでいた、朱の混じった白髪の女が、ゆっくりと歩いて出てきた。
「やっと会えたな」
とても優しく、朝陽のように柔らかく微笑んでいた。
朝陽を浴びて、鱗に覆われた首に下がっていた青い指輪がきらりと輝いた。
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