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156.これからが本番

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「……何度か思ったことはあるが、今日ほどレインを怖いと思ったことはない」

 タタララの瞳からすーっと落ちた雫は、恐怖にしては美しかった。

「お、確かにうまいなこれ」

「ほう。ほうほう」

「キノコ入ってるのがいいね」

「――やめろ! 黙れ!」

 タタララは今度は怒りだした。

「そんなにバクバク食うな! 味わえ、この一品を! これは大口を上げて口に放り込んで酒で流し込む飯じゃない! ずるずる食うな!
 これは――一口ずつゆっくり楽しむものだ!」

 …………

 いや、なんというか……正直ちょっと、なんだ。

 そこまで力説されると、ちょっと引くんだが。




 夏が来た。
 去年のことを考えたら、これからもっと暑くなるだろう。

 暑さに比例して、魔獣が活発になる。
 魔獣が活発になれば戦士の出番が増える。

 毎日のように危険な狩りに挑み、毎日のように今日を生き抜いた喜びを噛み締める。
 そんな戦の季節がやってくる。

 狩りは戦士に任せるしかない。

 だが、それ以外は集落を預かる者の仕事だ。
 戦う戦士を支えるのも。

 戦の季節に必要なものは、戦士たちの英気を養うことである。
 できるだけ万全の体調と気分で、戦士を明日へ送ること。
 そして帰ってきた戦士を迎えることだ。

 そのために必要なものの一つが食事である、と私は考える。
 美味しい食事を取ってしっかり寝れば、明日を生きる活力になると思っている。

 で、できたのが今日の一品。
 ナマズの蒲焼に、野菜とキノコを使ったソースを絡めて軽く煮て、卵で閉じたものである。

 去年と同じように、近頃夜は女性の戦士たちが族長の家に集まるようになってきた。
 そんな彼女たちに提供した一品なのだが……

 どうもタタララには強く刺さったようだ。

 そういえば、彼女は元々ナマズを気に入っていたからな。養殖池まで作るくらいに。
 気に入るのも当然と言えば当然なのかもしれない。

 だが、ナマズは希少だ。
 それに準備に手間が掛かり、狩りでナマズは得られないので提供できる量も限られてしまう。

 スプーンで食べる小鉢もので、まあ、タタララが言うのも間違ってはいないと思う。
 手間が掛かっている分だけ味わってほしい、という気持ちが、私にないわけでもない。

「……」

 タタララが憤慨する横で、すでに一口で流し込むように食べ切って酒まで呑んで味の余韻を殺したアーレが、ちょっと寂しそうに中身のなくなった己の小鉢を見ている。

 きっと「味わって食べればよかった」と思っているのだろう。
 あと「えっそんな怒るほどの味だったっけ? というかどんな味だった?」とも思っていそうな気がする。
 嫁のことだからな、婿にはなんとなくわかるのだ。

 七名以上に均等に出すには、一口で食べ切る程度の量しか用意できなかったのだから、量の関係ですぐ食べ切るのは仕方ない面もあると思う。

 ――でも、なんであろうがただの食事である。ただの食事でしかない。

 食べ方なんて人それぞれでいいと思うし、食べたいように食べればいいのだ。
 流し込むように一口で?
 そういう風に食べたいなら、それでもいいじゃないか。

 食料として粗末に扱ったわけでもないし、無駄にしたわけでもないのだから。

「おいタタララ、少しよこせ。味を確認させろ」

「ふざけるなよ、アーレ。これは私の土塊魚グレ・ラーだ」

 また嫁が無茶を言い出した。
 よりによってタタララ相手に。
 なぜわざわざ「これが好きだ」と言っている相手から奪おうとするのか。

 ――今夜も大騒ぎして、にぎやかに夜は過ぎていった。




「……ちょっと大変ですね、これ」

 七名もの戦士たちが死んだように雑魚寝する光景を、ケイラは心底疲れた目で見ている。

 腹を満たし酒が進み歌ったり語ったり罵り合ったりして、戦士たちは一人一人その辺でごろごろ転がり出して就寝した。

 子供の教育によくない酔っぱらいたちの大騒ぎをあまり見せないように、ナナカナは早めに家に帰した。

 酒だ飯だ肉だと我儘を言い出す戦士たちに、私とケイラはできる限り応えて、ようやく全員が眠りに落ちた。
 これで私たちも、一日の終わりを迎えることができたわけである。

 去年と一緒である。
 これから暑さと共にもう少し忙しくなるだろうが、まあ、今年はケイラもいるので問題ないだろう。

 去年はだいたい一人で乗り切ったしな。

「ケイラ。今日はもういいから、休む準備をしてくれ。それから君の家に行こう」

「はい?」

「疲れただろう? 針を打つ」

 そして針を打った瞬間、ケイラは寝るだろう。というか寝させる。

 私が去年一人で乗り切れた理由は、一重に聖女の力あってのことだ。
 もしこの力がなければ、とてもじゃないが一人であの毎日の激務を耐えることはできなかっただろう。疲労が溜まってどこかで潰れていたに違いない。

 戦士たちと一緒だ。
 彼女たちを支える私たちも、明日に疲れを残すべきではないのだ。

「え、でも、洗い物がまだ」

「後は私がやっておく」

 散々飲み食いした後の残骸である食器はたらいにまとめているが、まだ汚れが残ったままである。
 これは今洗っておかないと、明日の朝使えないのである。

 だが、あとは族長の婿である私の仕事だ。




 半ば無理やりケイラを家に送り、針を打って寝かせて、また戻ってきた。

 さあ、洗い物だ。
 私も疲れているんだ。ささっと片付けて、明日の朝食の仕込みと昼食の弁当の仕込みをして、さっさと寝てしまおう。


 

 寝たと思えば、もう朝だった。

 熟睡しすぎたせいだろうか、逆に寝た気がしない。
 残っている疲れと眠気に襲われながらも私は起き出し、朝の支度をして台所に立つ。

 戦士たちはまだ寝ている。
 ケイラとナナカナは、もうすぐ起きてくるだろうか。

 さあ、朝食の準備と昼食の準備だ。




 そうして、戦士たちは今日も狩りに出かけていく。

 今日も陽射しが強い。
 しかし、これからまだまだ強くなるだろう。

 夏はこれからが本番だ。



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