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121.今日の夜だそうだ
しおりを挟む「――と、だいたいこんなところだ」
うん……うん。
「俺もできる限り予防はするが、もし俺が倒れたら、後は頼む。俺の家にあるものはなんでも使っていい。一人でも多く死者を減らしてくれ」
うん……あ、今のは書かなくていいな。
午前中、助っ人に来た女性たちに顔を通した後、珍しい黒龍族のトートンリートと予期せぬ挨拶を交わし、それから鉄蜘蛛族の薬師を訪ねてみた。
名をリセンという、初老の小柄な男性だった。
右足の膝から下を失った、かつては戦士だったのであろう鉄蜘蛛族である。
自己紹介をし、代替わりの際に鉄蜘蛛族が罹るであろう病気と流行り病について問うと、「ついでに手伝ってくれ」と薬草摘みに誘われた。
リセンは鉄蜘蛛族らしく木々を糸で移動し、そんな彼を下にいる私は追い駆け、彼の指示に従って薬草を集めていく。
その際、薬になる薬草と、これで治る病を教えてもらった。
なるほど実際に体験しながら学ぶと、ただ聞くよりは理解が深い気がする。
まあ、私の場合はメモも取るが。
こと薬や医療関係では、間違いは許されないから。
集落も幻想的だが、集落を外れた森も幻想的だ。
この森は至る所から生命の力強さを感じる。きっといい森なのだろう。
「文字か」
うん……おっと。
上からの指示通り薬草を見つけ、名前と使用方法と、そのものの姿を軽くスケッチまでしておく。
比較的書きやすい葉に、細く割ったペン状の木炭で記していると、いつの間にかすぐ横にリセンがいて、私の手元を覗き込んでいた。
上の枝から糸を伝ってすーっと静かに降りてきたようだ。
右手で出した糸を枝に着けて降りてきて、それで身体を支えている。……単純に考えて糸一本と右腕一本に全体重が掛かっている状態のはずだが、重くないのかな? もうそういうのさえ慣れているのだろうか。
「この辺の者としては毛色が違いすぎると思っていたが、レインはもしや森の向こうから来たのか?」
「ああ、まあね。色々と事情があって」
別に隠していることじゃない。
ただ、説明すると長くなるし、あえて言うほどのことでもないからな。だから聞かれないと答える気はない。
同じ理由で、本名を隠しているわけではないが、「レインティエ」と名乗るのはやめた。
どうせその後「レインと呼んでくれ」と言ってその通り「レイン」と呼ばれるのだから、もう本名なんていちいちいらないだろう、と。
「文字はいいよな。難しそうだが便利だよな。それで詳しい記録を残して、誰かに伝えられるんだろ?」
「そうだ」
今のところ現地人では婆様が簡単な文を読めるくらいなので、誰かに伝えるより私の備忘録でしかないが。
唯一ちゃんと読めるのは、ケイラだけだろう。
できることならもう少し改善……いや、今考えることではないか。
鉄蜘蛛族はどうやって記録を残しているんだ?」
「絵だな」
あ、白蛇族と同じか。
「絵ではなかなか伝わらないだろう?」
「そうなんだよな。俺も歳だし、いつうっかり死ぬかわからない。俺の知識を継いでくれる者も何人かいるんだが、代替わりで一度に全員やられることもありそうだし。記録を残せるってのはいいよな、本当に」
……そう言われても、一朝一夕で教えられるものじゃないからな。今は特に文字がどうこう言っている場合でもないし。
「待たせた。次に行こう」
「ああ」
スケッチとメモもそこそこに、私たちは薬草探しを続ける。
夕方くらいまでリセンと森を彷徨い、戻ってきた。
「――俺たちは虫も食うが、よその部族では嫌がられることも多くてな。おまえたちはどうだ? 食うか?」
夕食を族長ハールに呼ばれ、食事が並ぶ前に「昆虫食はどうするか」と問われた。
白蛇族は首を横に振った。
そういえば、意識したことがなかったが、虫を食料と考える文化もあるんだよな。
フロンサードにはなかったし、白蛇族にもなかったから、意識していなかった。
鉄蜘蛛族の主食は野菜とキノコと虫なんだそうだ。
これだけの森なので、虫も豊富に生息しているだろう。
私もリセンとの薬草摘みで昼から夕方くらいまで歩いただけで、見たことがない虫を何匹も見た。
もしかしたらリセンも、私の見ていない枝の上で、虫を捕まえていたかもしれない。
――フロンサードに昆虫食の文化はないが、薬になる虫もいることは知っていた。だから個人的にはあまり抵抗はないんだけどな。
でも、代わりに肉を出すそうなので、単純にそちらの方がいいなと思った次第だ。
私も今やすっかり、肉が主食の白蛇族の一人だから。もっと言うと族長の婿だから。
全員の意向を聞いて、ハールの嫁が食事を作り始めた。
「――虫と言えば、初めて見る虫の魔獣は驚いたな。身体を半分潰してもまだまだ平気で動き回るのだから」
タタララたちは、狩場を調べて回る間に狩りも行ったようだ。どんな虫型魔獣がいたかはその内詳しく聞きたいところだ。
「――レイン! レイン! 頼みがあるんだけど!」
なんかキノコの人シキララが興奮している。
そして私に話しかけてくるなんて珍しい。
まあ、どうせキノコのことだろうけど。
「――ここってさ! 畑みたいに自分たちでキノコを育ててるんだって! 白蛇族でもやってよ!」
やはりキノコの話だったか。意外性の欠片もなかったな。
……キノコの栽培をやっているのか。ふうん。
興味がないとは言えないな。
食料が増えるのであれば、ぜひともキノコ栽培のノウハウは欲しいところだ。
「全部が終わってからでいいから、教えてくれるか?」
私が問うと、ハールは「無論だ」と即答した。
翌日も、リセンの下でしっかり学ぶ。
昨夜やってきたという青猫族の若き薬師も交え、私たちは流行り病に備えてできる限りの準備をしていた。
「――あっ! おまえも来てたのか!」
見た顔と再会もした。
大狩猟の時、そして番の儀式の時に、牛筋シチューもどきやナマズの蒲焼を食べに来た、男前の青猫族の戦士だ。
さすがにあれだけ印象深い戦士なら記憶に残っている。
今は料理をしている余裕がないので、代替わりが終わったら青猫族の集落に寄って何か作る約束をした。
どうせ馬とヤギを迎えに行くので、そのついでである。
もう一つ、立ち寄る理由もできたからな。
これは私のためにも果たすべき約束である。
そんなこんなで、穏やかだが慌ただしい三日間が過ぎた朝。
「――今日の夜だ」
朝食の席で、真剣な顔をしたハールが告げた。
「今日の夜、オロダ様から次の神の使いに代わる。代替わりが行われる」
いよいよ始まるそうだ。
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