120 / 252
119.代替わりに備えて
しおりを挟む「おお、本当に手のひらに毛が」
ずいっと目の前にかざされたハールの右手の真ん中に、短い毛がびっしりと生えていた。
手の甲なら、ちょっと毛深い者なら生えていてもおかしくないが、まさかの手のひらのど真ん中である。
ここに毛が生えている人なんて、見たことも聞いたこともなかった。
「俺たちも、色違いの蜘蛛族も、この毛の中央から糸を出すんだ。糸自体は魔導の産物と言われているが、それでも糸の生成を体内で行うのは珍しいと言われている」
――一晩明けた翌朝。
私を含む白蛇族の七名は、朝食に呼びに来た鉄蜘蛛族の族長ハールの家に案内された。
メニューは、キノコと野菜を炒めたものと、キノコ汁だ。
どちらもシンプルな塩味だが、キノコの持つ独特の味と相まってあっさり美味しい。
白蛇族の主食は肉だから、皆にはちょっと物足りないかもしれないが、私は朝食べるならこういうのもいいと思う。
ちなみにシキララは嬉々として貪っていることは、強いて言うまでもないことだ。おかわりをせがまれたハールの奥さんが、急いで追加のキノコを炒めている。……あんまり我儘言わないようにな。
そんな朝食の席で、私はハールにいろんな質問をしてみた。
個人的に気になっていたのは、「蜘蛛族は糸をどこから出すのか」だ。
そう聞くと、彼は手のひらを見せてくれた。
手のひらの中央に円形の毛が生えていて、ここから出すそうだ。
しかも出せる糸も色々と種類があり、弾力があるものや粘着質なもの、彼らの部族名でもある「鉄のように固い糸」も出せるのだとか。
実に面白く興味深い話だ。疑問も好奇心も尽きない。
が、今はこの話題はいいだろう。
そもそも本題の前の、軽い緩衝材代わりだったのだ。
思ったより面白かったから、夢中になってしまった。いかんいかん。
次こそは本題に入ろう。
代替わりはいつ行われるか、だ。
「まだはっきりしないが、恐らく近い。二日か、三日か……それくらいだと思う」
そうか。
それまでに、この集落の薬師と打ち合わせをしておかないとな。
「おまえたちのように手を貸しに来たよその部族か? 来ているが、すでにそれぞれが活動しているんだ。
代替わりの時がはっきりしたらみんな集めるから、顔合わせはその時にしてほしい。もちろん個人でするのもいいと思う」
つまり、近い内に集めるから、今急いでわざわざ集めることはしない、と。
でも個人的に挨拶するのは止めない、と。
まあ、もう活動しているのであれば、確かにわざわざ声を掛ける必要はないかな。
探したり、呼び出したりしたら、大なり小なり向こうに都合を合わせてもらう必要もあるからな。
……と思ったが、活動していて会えないのは、集落にいない戦士たちくらいか。
手伝いに来た女性たちは、きっと今頃は、鉄蜘蛛族の施設や環境に慣れるべくいつもの仕事をしているはずだ。
集落内にいるなら、会うのはそこまで手間ではない。
ならば、挨拶しておいた方がいい。
特に私は、男の身で女性の仕事をするのだから。前もって話しておくのもいいだろう。無論、女性の仕事のベテランである人たちに教えを乞う意味も含めて。
「どんな獲物がいるんだ?」
まだ聞きたいことがあったものの、聞きたいことがあるのは私だけではない。
朝も早くから戦士の顔になっているカラカロは、この集落周辺にいる魔獣や獣、あるいは虫の情報を聞きたがっている。
「あとで狩場に案内するから、その時に説明する。それでいいか?」
「わかった」
そんなこんなで、朝食を済ませた私たちは、それぞれで動き出した。
戦士たちはハールの案内で狩場へ。
私たちは、覚えるべきことを覚えるべく集落の方々へと散った。
夜は幻想的だったが、日中も幻想的だ。
たとえ広場であろうと、木々が伸ばした枝葉は大きく両手を広げ、空を覆い隠していた。
ちらちらと隙間から見える青空。
差し込む幾筋もの木漏れ日は、昼でも暗い集落に雨のように降り注いでいる。
目を奪われる環境である。
おまけに、昨日見た羽のあるムカデが、それも大人くらい大きなものが、悠々と見上げる先を飛んでいる。
本当に、すごい集落だ。
……のんびり眺めているだけでも面白いが、代替わりは待ってくれないので、今の内にしっかり備えないと。
さあ、早速水場へ行ってみよう。
「――こんにちは、お嬢様方」
女性の仕事は水に関わるものが多い。
料理だって、洗濯だって、水汲みだってそうだ。どうしたって生活には欠かせないものである。
そして、そんな水辺に女性が集まれば、必然的におしゃべりもする。
どこの部族だろうと、女性は噂好きが多いのだ。
やはり読み通り、生活水に利用しているという川には、一見してわかる部族の女性とわからない女性たちが、なんだなんだと話している姿があった。
そんな中に、私は割り込み、情報収集を始め――
「――あっ! あんたアレだろ!? 白蛇族の族長の婿さんだろ!?」
「――あっ! あの噂の男!?」
「――あっ! 言われてみれば珍しい格好してる!」
「――あっ! わたしは会ったことあるけど覚えてる!?」
…………
どこの部族だろうと、女性は噂好きが多いのである。
……私の噂も噂話に入るのか。何がどこまで広がっているのか、確かめるのが怖いような、怖くないような。
しかしまあ、なんだ。
「知っているのか? それは光栄だな。――あなたのことは覚えているよ。戦牛族の族長キガルスの奥方……おっと、もう前族長だったか。息子さんが継いだと聞いているよ。キガルスは元気か?」
と、まあ、私は自然に彼女たちに溶け込み、会話に参加し始めた。
傍目にはおしゃべりしているだけに見えるかもしれないが、これは立派な情報収集である。
0
お気に入りに追加
74
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
形だけの妻ですので
hana
恋愛
結婚半年で夫のワルツは堂々と不倫をした。
相手は伯爵令嬢のアリアナ。
栗色の長い髪が印象的な、しかし狡猾そうな女性だった。
形だけの妻である私は黙認を強制されるが……
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
果たされなかった約束
家紋武範
恋愛
子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。
しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。
このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。
怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。
※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
【完結】結婚式前~婚約者の王太子に「最愛の女が別にいるので、お前を愛することはない」と言われました~
黒塔真実
恋愛
挙式が迫るなか婚約者の王太子に「結婚しても俺の最愛の女は別にいる。お前を愛することはない」とはっきり言い切られた公爵令嬢アデル。しかしどんなに婚約者としてないがしろにされても女性としての誇りを傷つけられても彼女は平気だった。なぜなら大切な「心の拠り所」があるから……。しかし、王立学園の卒業ダンスパーティーの夜、アデルはかつてない、世にも酷い仕打ちを受けるのだった―― ※神視点。■なろうにも別タイトルで重複投稿←【ジャンル日間4位】。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる