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119.代替わりに備えて
しおりを挟む「おお、本当に手のひらに毛が」
ずいっと目の前にかざされたハールの右手の真ん中に、短い毛がびっしりと生えていた。
手の甲なら、ちょっと毛深い者なら生えていてもおかしくないが、まさかの手のひらのど真ん中である。
ここに毛が生えている人なんて、見たことも聞いたこともなかった。
「俺たちも、色違いの蜘蛛族も、この毛の中央から糸を出すんだ。糸自体は魔導の産物と言われているが、それでも糸の生成を体内で行うのは珍しいと言われている」
――一晩明けた翌朝。
私を含む白蛇族の七名は、朝食に呼びに来た鉄蜘蛛族の族長ハールの家に案内された。
メニューは、キノコと野菜を炒めたものと、キノコ汁だ。
どちらもシンプルな塩味だが、キノコの持つ独特の味と相まってあっさり美味しい。
白蛇族の主食は肉だから、皆にはちょっと物足りないかもしれないが、私は朝食べるならこういうのもいいと思う。
ちなみにシキララは嬉々として貪っていることは、強いて言うまでもないことだ。おかわりをせがまれたハールの奥さんが、急いで追加のキノコを炒めている。……あんまり我儘言わないようにな。
そんな朝食の席で、私はハールにいろんな質問をしてみた。
個人的に気になっていたのは、「蜘蛛族は糸をどこから出すのか」だ。
そう聞くと、彼は手のひらを見せてくれた。
手のひらの中央に円形の毛が生えていて、ここから出すそうだ。
しかも出せる糸も色々と種類があり、弾力があるものや粘着質なもの、彼らの部族名でもある「鉄のように固い糸」も出せるのだとか。
実に面白く興味深い話だ。疑問も好奇心も尽きない。
が、今はこの話題はいいだろう。
そもそも本題の前の、軽い緩衝材代わりだったのだ。
思ったより面白かったから、夢中になってしまった。いかんいかん。
次こそは本題に入ろう。
代替わりはいつ行われるか、だ。
「まだはっきりしないが、恐らく近い。二日か、三日か……それくらいだと思う」
そうか。
それまでに、この集落の薬師と打ち合わせをしておかないとな。
「おまえたちのように手を貸しに来たよその部族か? 来ているが、すでにそれぞれが活動しているんだ。
代替わりの時がはっきりしたらみんな集めるから、顔合わせはその時にしてほしい。もちろん個人でするのもいいと思う」
つまり、近い内に集めるから、今急いでわざわざ集めることはしない、と。
でも個人的に挨拶するのは止めない、と。
まあ、もう活動しているのであれば、確かにわざわざ声を掛ける必要はないかな。
探したり、呼び出したりしたら、大なり小なり向こうに都合を合わせてもらう必要もあるからな。
……と思ったが、活動していて会えないのは、集落にいない戦士たちくらいか。
手伝いに来た女性たちは、きっと今頃は、鉄蜘蛛族の施設や環境に慣れるべくいつもの仕事をしているはずだ。
集落内にいるなら、会うのはそこまで手間ではない。
ならば、挨拶しておいた方がいい。
特に私は、男の身で女性の仕事をするのだから。前もって話しておくのもいいだろう。無論、女性の仕事のベテランである人たちに教えを乞う意味も含めて。
「どんな獲物がいるんだ?」
まだ聞きたいことがあったものの、聞きたいことがあるのは私だけではない。
朝も早くから戦士の顔になっているカラカロは、この集落周辺にいる魔獣や獣、あるいは虫の情報を聞きたがっている。
「あとで狩場に案内するから、その時に説明する。それでいいか?」
「わかった」
そんなこんなで、朝食を済ませた私たちは、それぞれで動き出した。
戦士たちはハールの案内で狩場へ。
私たちは、覚えるべきことを覚えるべく集落の方々へと散った。
夜は幻想的だったが、日中も幻想的だ。
たとえ広場であろうと、木々が伸ばした枝葉は大きく両手を広げ、空を覆い隠していた。
ちらちらと隙間から見える青空。
差し込む幾筋もの木漏れ日は、昼でも暗い集落に雨のように降り注いでいる。
目を奪われる環境である。
おまけに、昨日見た羽のあるムカデが、それも大人くらい大きなものが、悠々と見上げる先を飛んでいる。
本当に、すごい集落だ。
……のんびり眺めているだけでも面白いが、代替わりは待ってくれないので、今の内にしっかり備えないと。
さあ、早速水場へ行ってみよう。
「――こんにちは、お嬢様方」
女性の仕事は水に関わるものが多い。
料理だって、洗濯だって、水汲みだってそうだ。どうしたって生活には欠かせないものである。
そして、そんな水辺に女性が集まれば、必然的におしゃべりもする。
どこの部族だろうと、女性は噂好きが多いのだ。
やはり読み通り、生活水に利用しているという川には、一見してわかる部族の女性とわからない女性たちが、なんだなんだと話している姿があった。
そんな中に、私は割り込み、情報収集を始め――
「――あっ! あんたアレだろ!? 白蛇族の族長の婿さんだろ!?」
「――あっ! あの噂の男!?」
「――あっ! 言われてみれば珍しい格好してる!」
「――あっ! わたしは会ったことあるけど覚えてる!?」
…………
どこの部族だろうと、女性は噂好きが多いのである。
……私の噂も噂話に入るのか。何がどこまで広がっているのか、確かめるのが怖いような、怖くないような。
しかしまあ、なんだ。
「知っているのか? それは光栄だな。――あなたのことは覚えているよ。戦牛族の族長キガルスの奥方……おっと、もう前族長だったか。息子さんが継いだと聞いているよ。キガルスは元気か?」
と、まあ、私は自然に彼女たちに溶け込み、会話に参加し始めた。
傍目にはおしゃべりしているだけに見えるかもしれないが、これは立派な情報収集である。
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