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92.カテナ様の言葉、らしい

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「――おまえカテナ様に呼ばれたな?」

 昼頃になってようやく起きてきた婆様は、じっと私を見詰めた後、そんな不思議なことを言った。

「――本当か? ついに我が婿殿も、カテナ様の声が聞こえるようになったのか?」

 ごろごろしているアーレが反応する辺り、それなりに大事なことなのかもしれない。

「――ちょっと遅かったくらいじゃない?」

 ナナカナの言葉から察すると、割と普通のこと、なのか……?

 ただ気になるのは、私にはまったく心当たりがないことだが。

「そうじゃな。順当ならばアーレと番になった辺りで来そうだと思っておったが」

「森の向こう・・・こっち・・・の人だと、カテナ様のやり方が違うのかな?」

「わからん。前例が少なすぎてどうとも言えんな」

 婆様とナナカナの話では、むしろ普通のことみたいだが……

 私がカテナ様に呼ばれた?
 呼ばれた、のか?

「あまり心当たりがないんだが……あ、ちょっと均してくれ」

 よくわからないことを言われたが、それはそれとして。

 これから昼食である。 
 ナナカナが囲炉裏の薪や魔石を均して、調整した場所に、私は鍋を運んで設置する。

 本日の昼食は、牛肉の切れ端で作った肉団子を入れた鍋である。

「よし、食おう」

 アーレが起き上がる。

 食欲が増したというわけでもないが、日がな一日ほぼ動かないまま食事だけはちゃんと取っている彼女は、栄養素は足りているのだろうか。

 あまり匂いが強かったり癖があるもの、特に酒精は受け付けなくなった。でもその分食べたり飲んだりする量が増えたわけでもないんだよな。
 
 何せ妊婦である。
 胎児とはいえ、二人分の栄養が必要なのだ。

 ……まあ、無理に摂らせるわけにもいかないから、アーレに任せるしかないのだが。

「で、カテナ様がなんだって?」

 よくわからないが、カテナ様が関わるならそれなりに重要なことだろう。

 何しろ可愛い神の使いだからな。
 ただの可愛い白い蛇とはわけが違う。

「おう、そうじゃ。おまえ昨日の夜、カテナ様に呼ばれたじゃろ?」

「そうなのか? 本当にわからないんだが……」

 夜ねぇ。
 起きた記憶がないし、カテナ様に会った記憶もない。

 ……覚えているのは、昨夜は満月だったことくらいだが……よく考えたらそれもおかしいか。
 そもそも満月なんて見た記憶もないのだから。

 …………

 もしかして私は、昨日の夜、本当に外に出たのかもしれない。
 全然出た気はしないけど。

「言葉を残したと思うがの。カテナ様の言葉は残るぞ」

 言葉。残る。
 ああ、そう言われれば。

「今朝、起きたら唐突に言葉が思い浮かんだが」

 というか、朝からずっと頭の中にある言葉だ。
 気にしないではいられないほど焼き付いているというか。

 ……言葉自体が不穏だから、なおのこと気になるし。

「それじゃな」

 まさかとは思ったし、この流れだと確定だろうなとも思っていたが。

 ……でも、ショックだなぁ。

「私はカテナ様のことが好きなんだが、カテナ様は私のことを嫌いなようだ……」

 落ち込むなぁ……
 この集落に来て以来、今が一番がっくり来ているかもしれない。

 カテナ様に嫌われているのか、私……はぁ……

「カテナ様が好きだと? おい、我よりカテナ様が好きという意味か?」

 アーレの不機嫌さえ気にしていられないほど落ち込んでいる。

「おう、なんじゃ。カテナ様に何を言われたんじゃ」

「あ、あまり気にするな。カテナ様は嫌いかもしれんが我は好きだぞ」

「『忌々しい』と『怒りを鎮めろ』と『まだ語るに値せず』、かな。そう言われたんだと思う」

 今朝から、何をしていても思い浮かぶ三つのフレーズ。
 誰に言われたでもなく、ただ頭の中に、意識の中にポンと残っている気になる言葉。

 それがカテナ様の言葉だと言われれば、納得は……納得の分だけ落ち込むなぁ。

 サジライトはアーレとナナカナに懐いているし。
 カテナ様には嫌われるし。

 私にはもう、邪悪なヤギしか残っていない。
 見るからに邪悪でしかないが、もうあいつを愛でることにしよう。可愛いペットは諦めよう。きっとあのヤギだってその内可愛く思える時が来るだろう。

「ほう」

 婆様が珍しく驚いた顔を見せた。

「カテナ様がそんなにも感情的な言葉を残したか。それはそれは……興味深いのう」

「だ、大丈夫だ! 我はレインが好きだぞ!」

 感情的。
 まあ、嫌いっていうのは多分に感情を含むものだからな。

「で、おまえはそこまでカテナ様に嫌われるようなことをしたのか? 煮えたぎった鍋をカテナ様にぶちまけたとか、集落中を引きずりまわしたとか。頭を踏んだとか」

「我は子供の頃カテナ様の尻尾を捕まえてびたんびたんしたことがあるらしいが嫌われてないぞ! 気にするな!」

 いやあ……

「嫌われるようなことはしていないと思うが……」

 強いて言うなら、この前、家から追い出したことだ。
 でもあれに関してはちゃんと謝ったし、お詫びの酒を受け取る気満々だったから、許してくれていると思う。

 ただ……意識の中で、心の中で、カテナ様をペット扱いしたいと思っていたことが、もし見抜かれているのなら。

 それが嫌われた原因だと言われれば、それもまた納得せざるを……

 …………

「カテナ様、鍋をぶちまけられたり引きずり回されたり頭を踏んだりされたことがあるのか?」

「だいたいは不幸な事故じゃがな。ちなみに引きずり回したのは小さな子供じゃ。大人が怒って追い駆けるから面白がって走って逃げたんじゃよ」

 そ、そう……

「それに子供はよくやるぞ。一、二年に一回は誰かがやるくらいにな」

 そんなに頻繁に?

 ……と思ったが、私もナナカナに引きずり回されたことが何度かあるから、この集落では子供が何かを引きずり回す文化があるのだろう。

「やったことある?」

 ナナカナに問うと「ある」と答えが返ってきた。あるのか。やはり文化があるようだ。

 それにしても、カテナ様もえらい目に遭っているな。
 地面を這っているせいか、それともいつの間にか近くにいたりもするせいか……急に足元をしゃーっと通られたら、持っていた物を落としたり足を踏む先に割り込まれたり、したりもするのかな。

 そして、そこまでやられてそれでもカテナ様が許すのであれば、私のペット扱いしたいという願望くらい許してくれそうな気はするんだが。

 ……そもそも私は集落に来てもうすぐ一年であって、生活に四苦八苦している。

 カテナ様にちょっかいを出すような余裕は、あまりなかった。

 と、自分では思うのだが……でも問題は私の主張じゃなくてカテナ様の受け取り方というか、私の言動にどう思うかだからなぁ。

「婆様、私はどうしたらいいだろう?」

 神の使いに嫌われるとなれば、確実にここでの生活に支障が出そうな気がするんだが。

「ふむ……忌々しい、怒りを鎮めろ、まだ語るに値せず、な……」

「落ち込むな! 凛々しくて感情豊かでたくさん語れる嫁がいるじゃないか! ここに!」

 考え込んだ婆様は、しばしの沈黙を経て、言った。

「正式に白蛇エ・ラジャ族の一人となってまだまだ日が浅いレインが、カテナ様を怒らせるようなことをするとは、わしも思えん。
 そもそもカテナ様に嫌われておるなら、おまえはもう集落にはおらんだろう。殺されるか追い出されるかしておるぞ」

 そう、だな……言われてみれば確かに、な。

「――族長、邪魔しちゃ悪いよ」

「――邪魔などしてない! ……でも今は相手してくれないようだしな。食うか」

「――うん」

 カテナ様は神の使い、人の一人や二人くらい、どうとでも排除できると思う。

「じゃが言葉自体に偽りはあるまい。三つの言葉は言葉通り受け止めるべきじゃ」

 ……そうだな。聞き間違いとかそういうのもありえないだろうし。

「そう考えると結論は一つ――当てる者が違うのかもしれん」

 当てる者が違う?

「『忌々しい』は、カテナ様がおまえに対して発したものではない。
 『怒りを鎮めろ』は、カテナ様の怒りのことではない。
 そして『まだ語るに値せず』は、前二つの言葉の詳細のこと、ではないか?」

 …………

「さっきも言ったが、カテナ様が感情的な言葉を残すことは、わしの知る内ではない。
 そこら辺を踏まえるなら、カテナ様の個人的な怒りや感情をおまえに言い渡したとは思えん。まあ、例外がなければ、じゃがな」

 ……なるほど。前例と違うのか。

「つまり?」

「――気にするなということじゃな。その内わかるかもしれんし、わからんかもしれん。じゃが気にしてもわからんのじゃから、気にするだけ無駄じゃろ」

 …………

 まあ、うん、少しだけ気分は軽くなったかな。

 要は、気になる三つの言葉は、カテナ様の私に対する気持ちではなかった、と。
 そうである可能性が高いと。
 そういうことだな。

「それよりよかったではないか。カテナ様の声が聞こえたなら、カテナ様はおまえを認めておるという証拠よ。
 今やおまえも立派な 白蛇エ・ラジャ族だと言えるじゃろう」

 …………

 さすがに手離しで「良かった」とは思えないけど……でもまあ、良かったということにしておこうかな。

 気にしても答えはわからないからな。




 ――そんな少々気になる不思議な話をしてから、ほんの数日。

 一気に温かくなり、過ごしやすくなってきた。

 春はもう目の前である。



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