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76.いない冬 2

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「――おまえはクラーラちゃんだっけ? ……ん? ククーラちゃんか?」

 レインティエ専属メイドだったケイラ・マートが、涙ぐんで手紙を読んでいる。
 彼女が読み終わるのを待つ間、フレートゲルトは春に別れた親友の部屋を眺めて歩く。

 目に付いたクマのぬいぐるみを手に取り、最後にここで会って話した時のことを思い出す。
 
 ――これくらい持たせてやってもよかっただろうか?
 ――いや、さすがに心象が悪くなりそうだ。

 親友が大切そうにそっと抱き締めていた姿を覚えている。
 今更ながらに「持たせた方が……」と迷うが、すぐに迷いを振り払う。

 やはり、これを持って行って婿入りする男は、少々誤解を生みそうだ。
 ただでさえ見知らぬ地へ行くというのに、最初から悪印象を持たれると生活に障りそうだ。

 自分の判断は正しかった……と、信じたい。
 仮に妹からのプレゼントであったとしても、置いて行って正解だったと思う。きっと。

 フレートゲルトはぬいぐるみを置くと、本棚に目を向ける。

「懐かしいな」

 そこには、子供の頃に一緒に作った蝶の標本や、レインティエが作った細工物が並んでいる。
 己が作った物もある。不出来すぎて恥ずかしい。

 最初の内は拙いものだが、数や年月を重ねてからの物は、なかなかの仕上がりである。

「……本当に懐かしい」

 まだ、別れて一年も経っていない。
 しかしそれまでは、ほぼ毎日のように会っていたのである。

 初めて会ったのは、九歳だっただろうか。
 それからはずっと一緒だ。

 そして――いつだったか。

「ケイラ、気づいていたか?」

 話しかけると、ケイラは涙で濡れた顔で顔を上げた。

「こ、子供ができたって」
 
「あ? ああ、そうだな。驚くよな」

 手紙の内容である。
 嫁の連れ子で養子らしいが。親友は十歳の子持ちになったと書いてある。

「それより、気づいていたか? 気づいていたよな?」

 ケイラは、フレートゲルトより付き合いが長いのだ。
 気づかないわけがない。

「あいつ、指先を使うようなことばかりやっていたんだよな」

 フロンサードの王族が継ぐ聖女の力は弱く、指先だけに宿っていた。

 力の弱い指先王子。
 良くも悪くも、そう言われていた。

 フレートゲルトが初めて会った時も、そう認識していた。

 最初は、「王族らしくない奴だ」と思っていた。勉学や礼儀作法よりも、小手先の趣味に傾倒していた。
 何にしても付き合いやすいなら面倒がなくていい、とも思っていた。

 しかし、いつだったか、気づいてしまった。
 レインティエは、常に指先を使うような遊びや趣味に興味を持っていたことを。
 
 そこに気づいた時から、フレートゲルトはレインティエの本心を知ってしまったのだ。

 ――聖女の力は弱くとも、王族として役に立つ道を。

 それを探しているのだ、と。

 レインティエの認識を検め、ちゃんとした王族として認識したのは、それからだ。

 むしろ、弱い力しかないことに腐らず、周囲の評価にめげることも左右されることもなく、自分にできることを追求し続けた親友は、立派に戦い抜いたのだと思う。

「遊びにしか見えなかった人もたくさんいたかもしれませんね。でも遊びではなかったのだと思います。それこそあの方なりの王族の矜持、だったのだと。……ただ、その矜持ゆえに……」

「そうだな」

 王族だから行ってしまった。
 こちら・・・の人が越えられない、森の向こう・・・へ。

 ――王侯貴族なのだから、立場や責任によってはそういうこともある。

 少々距離は離れているが、これもまた政略結婚だ。
 そう思ったからこそ、フレートゲルトもケイラも、止めることはできなかったのだ。

 ――その辺はさておき。

「ケイラ。俺はその手紙に返事を書こうと思っている」

 あの霊海の森を、フロンサード秘伝の手紙の魔法なら越えられることは、届いたことで実証済み。
 向こう・・・から届いた以上、レインティエの座標はわかっている。

「……私の手紙も送っていただけますか?」

「便箋一枚だ。それ以上は無理だぞ」

「ありがとうございます! 夜にはカービン家に届くようにいたします!」




 レインティエがいなくなった冬。
 実は、王城に勤める多くの者が、少しだけ困っていた。

「――指先王子がいないのよね……」

「――あ、そうそう。遠くに婿に行ったのよね」

 冷たい水仕事で手が荒れているメイドたち。冷え性を診てもらった者もいる。

 王族らしくない……だからこそ軽視される理由にもなったレインティエは、擦れ違う使用人によく話しかけていた。

 何か困ったことはないか、と。

「――はぁ……レインティエ殿下、もういないんだよなぁ」

「――他の方々にはさすがに頼めないよな……」

 肩を回し、首をひねり、腰を伸ばし。
 石のように固くなっている筋肉をどうにかほぐす。

 座りっぱしで書類仕事をこなしている文官たちは、時々やってくるレインティエが打ってくれる針で肩こりを治してもらっていた。
 
 最初は「練習させてくれ」と言われて怖がっていたが、慣れてしまえば、あれほど効果的な癒しはなかった。

「――いてて……」

「――おう新入り。筋肉痛か? タイミング悪かったな」

 訓練でへとへとになっている新人兵士は、ちょうどレインティエがいなくなってから雇われた。
 通りすがりのように現れてはさらっと癒して通りすぎていく、という指先王子の話を聞かされて閉口する。

 王子が聖女の力をそんな安売りしていたのか、と。

「――王族としては変わった方だったからな。たぶん城の使用人やら騎士やら兵士やらは、一度は話しかけられたことあるんじゃないか」

 理由はまちまちだが、レインティエの婿入りは、それなりに惜しまれていた。



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