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75.いない冬 1

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「……はぁ」

 掃除を終えたケイラ・マートは、ドアの前までやってくると振り返り、いつもの溜息を吐いた。

 主を失って半年が過ぎた部屋。
 長く使用されていないベッドには、長く愛されることがなくなったクマのぬいぐるみが寂しそうに鎮座している。

 いつも何かで散らかっていた執務机は、ずっと綺麗なままだ。
 虫の標本を作ったり、虫の抜け殻を引き出しいっぱいに集めたり、粘土細工に凝ったり、銀細工にはまったり、栞作りに夢中になったり。
 友人として、そして護衛として付けられた同年代の騎士団長の三男フレートゲルト・カービンと会うようになって、更に加速した。

 数え上げたら切りがないそれらの後片付けを、ケイラはよくしていた。
 本人もちゃんとしていたが、取り切れない細かい掃除は本職の仕事である。

 この国の歴史書や貴族学校で使う教科書を読んだ形跡があったら、一瞬病気を疑うことがあるのは、一生言えない不敬な本音である。

 小さい頃からずっと見てきたこの部屋の主は、それはそれは王族とは思えない、庶民の子供のようだった。

 貴族学校に入ってからは、意識して落ち着いた言動を心掛けるようになった。
 王族らしく成長していく姿は凛々しく頼もしく、そして少し寂しかった。

 ケイラの思い入れは大きかった。
 自身が子供を産めない身体であるせいか、余計に気持ちが強くなったのかもしれない。

 ずっと、できることなら結婚して子供ができて老いて死ぬまで、傍に仕えたかった。
 まともな婿入り先であるなら、不敬を覚悟で「一緒に連れて行ってくれ」と頼んでいただろう。

 まともな婿入り先なら。

 まさか、誰も越えられない霊海の森の向こう・・・で暮らすことを選ぶなどと、想像もつかなかった。

 追いかけられない場所だ。
 もう二度と会うことはないだろう。

 いや、そもそも、あの森を越えられたのだろうか。

 もう死んでいる……いや。いやいや。

「そんなはず……」

 あの子が簡単に死ぬなんて、あるわけがない。
 あの子が過ごした最後の半年間は、少々出来の悪い四男と見なしていた国王陛下と王妃も、優秀である王太子や次男も、目を見張ったのだ。

 結婚が決まって婿入りまでの半年で、ほぼ丸二年残っていた貴族学校の履修課題を全て終え、更には王城の仕事をこなし技術と知識を得て、それでは足りないとばかりに市井に出て様々な職業訓練を受けた。

 あれだけできるなら最初からやれ、と。
 王城のほぼ全員が同じことを思ったくらい、あの変貌ぶりは驚かされた。

 そんなあの子が、簡単に死ぬわけがない。
 順応性は非常に高く、学習能力もある。

 きっと生きている。
 きっと生きて、霊海の森の向こう・・・で、元気で暮らしているはずだ。

 あの子なら、どんな環境でも、きっと生きていける。

 ――などということを、掃除を終えるたびに、ケイラは考える。

 週に一回、それも自主的な掃除だ。
 きっと年度が替わる春には、この部屋は片付けられ、誰かが利用するようになるのだろう。

 あと少しの間だ。
 あと少ししたら、この部屋はなくなり、あの子は記憶と歴史書に名を遺すだけの存在になる。

 寂しくてたまらないが、仕方ないことである。

 そう、仕方のないこと――

「……はあ」

 ケイラは考えても仕方ないことをまた考えて、どうしようもない心労を引きずるようにして部屋を出た。

 ――半年前まで、レインティエ・クスノ・フロンサードが住んでいた部屋を。



「――ケイラ!」

 部屋を出たところで、大声で名を呼ばれたケイラは驚いた。

 驚いて、久しぶりに聞いた声に懐かしさで膝が崩れそうになった。まだ思い出に沈むような年齢ではないのに。

「お久しぶりです。フレートゲルト様」

 半年前までは、レインティエと同じように、よく名を呼ばれていた。

 フレートゲルト・カービン。
 騎士志望で鍛えている彼はいつの間にか大きく逞しく育ち、子供の頃から知っているケイラが見上げるような男に成長していた。

 半年ぶりに顔を見た。
 レインティエがいなくなった以上、もうケイラとフレートゲルトに接点はないのである。

「ちょうどいいところで会えた。ちょっと来てくれ」

 来てくれも何も、フレートゲルトは強引に背中に手を回して、今出てきたばかりのレインティエの部屋に押し込むようにして連れ込んだ。

「何事ですか」

 急な行動に、しかしケイラはあまり驚いていない。

 本当に子供の頃からの付き合いで、ケイラはもう二十五を過ぎる適齢期を過ぎた女だ。
 まだ十代のフレートゲルトがどうこう思うような相手ではないし、ケイラも同じ気持ちである。

「……懐かしいな。あの時と全然変わらない」

 もう半年か、とフレートゲルトは主のいない部屋の中をゆっくり見回すと――ケイラに目を止めた。

「あいつから手紙が届いた」

「…っ! 無事なんですか!?」

 思わず掴みかかろうとしたケイラの両手を、予想していたとばかりにフレートゲルトが優しく掴んだ。

 そして、その手に持たせた。

「あなたは読んでいいと思う。だが他言はしないでくれ」

 まだ誰にも、陛下にも伝えてない――などという蛇足・・など耳に入らない。

 ケイラは、懐かしい文字が刻まれた手紙を急いで広げ、目を通す。




 聖国フロンサード王国の、レインティエのいない冬が始まった。



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