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60.「おまえの瞳のような空だな」と彼女は言った。

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「おまえの瞳のような空だな」と彼女は言った。

 あの日のことは、実はよく覚えていない。
 いつも通りと自分に言い聞かせていつも通り振る舞っていたが、実際は朝から晩までずっと緊張していた。

 そんな私が、何年経っても真っ先に思い出してしまう、最も強く印象に残った言葉だ。

「きっと夕陽はあなたの瞳の色をしているだろう」と私は答えた。

 どれだけ彼女の心に響いたかはわからないが、陽光を遮るもののない晴天の下で見た彼女の瞳は、一日の終わりに見るような夕陽の色をしていた。

 どこまでも澄んでいて、どこまでも深く、どこまでも美しかった。
 



 準備に追われている間に、結婚式の日はあっという間にやってきた。

 正確には、番の儀式。
 これを経て、白蛇エ・ラジャ族の者は正式な夫婦となる。

 朝だけはいつも通り過ごし、それからは別行動だ。

「――おう、こっちだ」

 先に家から出た私は、広場にある多目的家屋で待ち合わせしていたジータとカラカロの二名と落ち合う。
 まあ、周囲には同じく儀式の準備をしている新郎もいるのだが。

 今日の儀式は、色々と慌ただしい。
 何せ私たちを入れて七組もの番の儀式をし、更にはアーレの族長就任の儀式もある。

 普通なら、儀式はそれぞれで一つずつやるそうなので、スケジュールはかなり詰まっている。

「今日はよろしく頼む」

「おう。気は進まねぇが、アーレに恥は掻かせられねぇからな。俺に任せろ」

 何の因果か、私の新郎の準備はジータが請け負った。
 新郎の準備は、白蛇エ・ラジャ族の男がする。
 大体は父親や兄弟、友人がやるそうだが、異性ではないそうだ。だからここには男ばかりが集まっている。

 むろん、新婦も似たようなものだ。
 今頃はアーレも、新婦としてタタララやナナカナに飾られていることだろう。

「安心しろ。俺が見張っている」

 カラカロの言葉の頼もしいこと。

 アーレとの関係を思えば、ジータは若干複雑……それはお互いだとは思うが、とにかく安心して任せるのが怖い相手である。

 男の白蛇エ・ラジャ族の知り合いが少ない私は、当初はカラカロに準備を頼もうと思っていた。
 しかし、残念なことにカラカロはまだ己の番の儀式を経験していないので、何をすればいいのかわからないと断られたのだ。

 そこで手を上げたのが、ジータだった。
「俺に任せろ」と。

 正直あまり彼には頼みたくはなかったが、他に頼めそうな相手はいないし、他の準備もあるので無駄に時間を食うのが惜しかった。
 だから、ジータに頼んではみたのだが……

 やはりちょっと不安だったので、カラカロにも付き合うよう頼んでしまった。

「大したことはしねぇから問題ねぇよ。……おまえその格好で儀式やるのか?」

「婆様はいいと言ったが」

 彼らのほとんどは、バッキバキの肉体美を惜しげもなく晒す半裸状態だ。
 しかし私は白いシャツに細身の黒いズボンという、少々仲間意識に欠ける格好ではある。

 だが、元々この集落には、私以外の白蛇エ・ラジャ族以外の婿だの嫁だのも普通にいるので、格好や見てくれにはこだわらないと言われた。
 育った文化の差である。
 私はさすがに、そんな薄着で動き回るのは、抵抗がある。あと寒い。

「婆様がいいっつったんならいいか。じゃあ顔だけだな」

 顔か。

「タタォ・キには意味があるんだよな?」

「ああ」

 タタォ・キとは、ボディペイントのことである。
 ジータは適当に私を座らせると、小さな平皿に用意したどろどろの染料を持ってくる。

「本来は身体にも描くんだが、まあいいだろ。――これでよし」

 額にちょいちょいと塗られて、あっという間に終わった。身体に描くなら、もっと時間が掛かっただろうが……

 …………

 いや。よし。

「せっかくだから身体も頼む」

 と、私はシャツを脱いだ。――こんなこともあろうかと密かに鍛えていたので、戦士に見せて恥ずかしくないバッキバキ加減には仕上げておいたのだ。

「おう、いいぞ――これは俺たちの加護神カカラーナ様に近づくためのものだ。額には第三の目、身体にはカカラーナ様と同じ刺青を描くことで、一時的に身も心もカカラーナ様に近づくんだ。
 そして、加護と許しを乞うんだ。カカラーナ様の足元で番となり誓いを立ててもいいか、ってな」

 へえ。
 さっき顔に描いたのは、その第三の目というやつか。……鏡がないから顔にどんな模様を描かれているのかよくわからないんだが。あと背中も。

 あ、そうか。あとでその辺の新郎を見ればわかるか。理屈で言えば模様は同じみたいだからな。

「それと大事な話がある。――おまえたちも聞いとけ。今回は俺が教えるからよ」

 と、ジータは真剣な面持ちで私と、新郎たちに告げる。

「おまえたち、初夜のやり方は知ってるか? 女の抱き方知ってるか?」

 お、なんだ。
 いきなりなんだ。

 いや、まあ、大事なことだけども。

 どうやらこの準備の段階で、簡単な性教育を施されるらしい。……そうか、新郎と新婦の準備に異性が入らない理由は、これがあるからか。

 

 おぼろげに知っている者は多いと思うが、具体的にとなると、なかなか知る機会がないだろうから。 

 その点、ジータはすでに嫁が三人もいる、経験豊富なベテランである。
 教える者として不足はないだろう。

 ただ――

「でな、こうしてだな、――ってするとこうなってだな――あとはもう、こう、ぐいっと――」

 一応真剣には聞いてみたが……

 …………

 私の頭にある知識と、ちょっと、色々違う。
 勢い任せとか強引にとか、その内女が慣れるとか、そういうのは絶対ダメだと教わったんだが……ううむ……

 これも文化の違いなのかな。




 気になる話から文化の違いを感じつつも、驚きを隠せないような衝撃の話もあったりして。
 そんなジータの話を聞いていると、太鼓の音が鳴り出した。

 どうやら時間が来たようだ。
 儀式に向かうために、この場の全員が立ち上がった。

「がんばれよ!」

 ジータが、初夜の話を聞いてから目がギラギラし始めた新郎たちを見送る。新郎は全員戦士だ。狩りの前かというくらい殺気立っているが、大丈夫だろうか。

「おいレイン、おまえは……いや、おまえもがんばれよ」

 何をだよ。
 悲しそうな顔で遠い目をして何をがんばれって言っているんだよ。がんばれって初夜をかよ。

 …………

 言われなくてもがんばるさ。
 初夜だけの話じゃないことくらい、私にもわかる。

 断腸の思いでアーレへの未練を振り切り、最後にはこうして手を貸そうとさえする男に、敬意を払えないわけがない。

 まだ好きにはなれない微妙な人物だが……その内一緒に酒でも呑めたらいいな。




 家屋を出たすぐそこに、新婦たちが待っていた。

 男たちがギラギラした目で己が嫁と合流するのを横目に――私も私の嫁を見つけた。

「アーレ」

 花嫁衣裳というものが存在しないので、着ているものは下着のようないつも通りのものだが。
 花嫁を表す、花冠を被ったアーレは、とても可憐だった。

 額に赤い丸と、涙の後のような赤い線が金色の瞳の下に続いている。そして身体にも縦に引いた模様が描かれている。
 恐らく私も同じようなペイントをなされていることだろう。

「レイン」

 私を名を呼ぶ彼女は、いつもより穏やかで柔らかく微笑んで、空を見た。

「今日はいい天気だな」

 今朝は別々に家を出たので、揃って空を見上げるのは、初めてである。
 声に導かれるように見上げれば、雲一つない青一面。

 準備が進められていただけに、天候だけが怖かった。たくさんの料理の仕込みなどを考えたら、半日ずれるだけでも大問題である。

 見ての通り、見事に晴れてくれた。
 
「おまえの瞳のような空だな」

 ――そう言った彼女の……戦士でも族長でもないただの少女の微笑みは、強く私の胸を締め付けた。

 これから私が生涯付き合う女性になる彼女が、とても愛しく感じた。




 番の儀式が始まった。
 ほぼ集落の一日を掛ける大きな行事だが、それでも滞ることが許されない仕事もあるだけに、元々長くやるものではないそうだ。

 儀式は短めで、宴は長め。

 この時期は落ち着いてきているとは言うが、それでも魔獣が出ないとは限らない。割り振られた戦士たちも見回りなどはするらしい。
 もちろん、女性たちは料理だ何だで、やはり忙しい。

 そんなわけで、番の儀式もさくさく進んでいく。

「では、誓いの儀を始める」

 長々と加護神カカラーナ様へ捧げる言葉を紡いでいた婆様は、彼女を前に地面に座っている七組の男女を見る。

 まず最初は私たちだ。

 私とアーレは立ち上がり、婆様の前に座る。
 目の前には、魔獣の頭骨をそのまま使用した小さな台がある。

 そして、不気味な頭骨を挟んだそこには、神蛇カテナ様もいる。
 カテナ様も第三の目を描かれたようで、額の当たりに縦長の赤い印が付いている。

「――汝、アーレ。番を繋ぐ刃を」

「――ここに」

 アーレは革に包んで持っていた、アッシュグレイ一色のナイフを取り出して頭骨の上に置く。
 木製の柄に細工し、金色の模様が入っている……金属の光ではない、刀身の素材がよくわからない不思議なナイフだ。

「――汝、レインティエ。命を繋ぐ刃を」

「――ここに」

 私は、包んでいた布をほどいてナイフを出し、アーレの置いたナイフの隣に置く。

 この集落に来る際、唯一「結婚する時に必要だから持ってこい」と言われていた、解体用ナイフである。

 錆びず丈夫で自己修復もするという、魔法金属白魔石びゃくませきで打たれたナイフだ。
 切れ味もいいし、何より女性が使うということで軽い金属を選んだ。……今にして思えば無駄な気遣いだったかもしれない。

「――双方、カテナ様の前に手を出せ」

 頭骨と二本のナイフの上に、私は左手の甲を出す。
 その上に、アーレの右手が重なる。

「カテナ様、この者たちに番の祝福をお願い致します」

 婆様の声に従い、カテナ様が動き出す。
 頭を伸ばし、私たちの差し出す手に近づき――

「――っ」

 驚いた。
 驚いて声が出そうになってしまった。

 カテナ様の額の目が、開いたからだ。赤い縦長の線はペイントじゃなかった。そこには本当に第三の目があったのだ。

 カテナ様は、右目が金色で、左目が朱色の瞳を持つ。
 そして額は……何色だろう。赤だったり緑だったり、青だったりと……次々に色が変わり、一色に定まらない。

 神の使いと言われるだけあって、不思議な瞳であり、不思議な存在である。

 そんなカテナ様が、私たちの手に触れる――と、じじっと何かが焼ける音がして、アーレの右手の甲に赤い瞳が浮かび上がった。

 今は隠れているが、私の手にも同じものが入ったはずだ。焼けたような音はしたが、痛みも感触もまるでなかった。

「――その印は、カテナ様の祝福の証。番の証である」

 そう、らしい。
 なんでも普段は見えないが、アーレと触れた時だけ、手に浮かぶ印なのだとか。

 簡単に言うと、触れ合った時だけ浮かぶタトゥーである。

「カテナ様はおまえたちを祝福した。――この者たちは晴れて番となった!」

 婆様が宣言した。
 これで、番の儀式は終わりである。……無事に終わってよかった。

 ナイフを交換し、下がる。

 次の夫婦が呼ばれ、同じことを繰り返すのだが。




 私とアーレは、自分の手を見たり、交換したナイフを見たり、お互いを見詰め合ったりして。

 すでに夫婦になっていた。



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